真実への扉
お待たせしました。
「タマモさんが戻ってこない?」
空中闘技場。雲よりもなお高く押し上げられたこの巨大な舞台は、かつてないほどの喝采に沸いていた。
長時間に及ぶ苛烈な戦いの果て。何度も何度も挑み続けてようやくあの強大なボスモンスターを打ち倒したのだから、参加していたプレイヤーたちが飛び上がって喜ぶのも無理のないことだと思う。
でもそんな祝勝ムードの中にあって、私の胸には言いようのない不安が、まるで棘でも刺さったかのようにじくじくと痛みを広げていた。
その痛みの原因はわかりきっていた。
皆が拳を突き上げ、勝鬨をあげる舞台の上。そこに――私の隣に――喜びを分かち合いたい、大切な人がいない。
勝利の瞬間、その間際まで舞台に残り、共に戦っていたあの子は舞台から落ちた後、まだ私たちの前に姿を見せていなかった。同じように舞台から落下したプレイヤーたちは、既に舞台上で復活しているにも関わらず。
何らかのトラブルが原因でネット回線が切断されてゲームから強制的にログアウトする、いわゆる回線落ちでも発生したのかとも思ったが、フレンドリストを確認すればタマモの状態はオンラインのまま変わってはいなった。つまり、彼女はまだこのゲームからログアウトしていない。だが、直前までプレイしていたはずのこのエリアにはまだ戻らず、パーティからも離脱したままだ。
まさかリアルの方で何かあったのかと何度かメッセージも送っているが、返事はまだない。
回線のラグでオフライン表示に切り替わるのが遅れているのか、それとも何らかの不具合でも発生しているのか。どちらにせよ、正常な状態ではないことだけは確かだった。
だからこそ、私は次のエリアに進もうとするチャーハンさんに待ったをかけて、事の顛末を説明した。もう少し待てば、タマモが帰ってくるかもしれない。彼女だけを置き去りにすることなんてできないと。
「うーん、事情はわかりました。一度僕の方からバルムンクさんたちに話してみます」
「ごめんなさい」
私が頭を下げると、チャーハンさんは人のよさそうな笑みを浮かべて手を振った。
「いえいえ、元々モミジさんのところにはこちらからお願いして参加して頂いている訳ですから、これぐらいはさせて頂きますよ」
少しだけ待っていて下さいね。
そう言い残してチャーハンさんは舞台の奥、ボスモンスターと入れ替わるようにして現れた巨大な門、石で組み上げられたアーチ状のその前に集合しているクランマスターたちの方へと駆けていった。
その背を見送りながら、私はまたフレンドリストを開く。
タマモの項目はまだオンラインのまま。メッセージの返信は、まだ来ていない。
どうしよう。もしもの時は私だけいったんログアウトして、リアルの方で連絡を取った方が――
「モミジ」
「……っ、タマモ!?」
後ろからかけられた声に、反射的に振り向いた。
だがそこに立っていたのは九本の尾を揺らす妖狐族ではなく、しかしいつも私を助けてくれた幼馴染の男の子二人で。そんな二人に心配させないようにと私は頑張って笑ってみせようとして、二人の顔を見て思わず視線を下げた。
「その様子だと、まだ連絡はとれていないみたいだね。大丈夫、きっとすぐに戻ってくるよ」
「ったく、タマモの奴も何をもたもたやってんだよ。ログインしてるんならさっさと戻ってきやがれ」
俯いた私の肩を、二人が優しく叩く。
「今はイナバさんたちにもお願いして、連絡が取れないか試してもらっているから」
「だからお前は安心して前を向いてろ。今のお前の顔を見たら、あいつも気まずくて出てこれねえよ」
「……ありがとう。ごめんね」
二人に励まされて、少しばかり心が軽くなった気がする。
うん、よくよく考えてみればこれはゲームなのだし、そう大事になることなんてないだろう。この胸の嫌な感じも、きっと私の気のせいに違いない。
そうしているうちに、タマモのことを相談するために離れていたチャーハンさんが戻ってきた。その顔に笑みこそ浮かべてはいるものの、それがこちらを不安にしないようにとする彼の気遣いからくるものであることは、彼の暗い瞳を見れば明らかだった。
それよりも驚いたのは、彼の背後。そこに先ほどまで石の門の前で話し合いをしていた筈の甲冑騎士――バルムンクさんの姿があったことだった。
「すみません、僕が伝えてくると言ったんですけど、どうしても聞いてくれなくて……」
予想外の人物の登場に面食らう私たちに、チャーハンさんは拝み手を作りながら頭を下げる。そしてそれを制したのはやはり、隣に凛と立つ銀色の騎士だった。
「チャーハン、これは私の我儘なんだ、君が頭を下げることはない。すまないな。事情が事情なだけに今回は私が直接話をするべきだと判断し、無理を言ってこうしてついてこさせてもらった」
頭全体を覆う銀の兜の奥から透き通った声が響き、甲冑の軋む音とともにその位置がほんの少しだけ傾き、ゆっくりと元の位置に戻った。
「聞けば、仲間の一人が音信不通になり、いまだ戻ってきていないのだとか。私もクランの長として多くの仲間を持つ身だ、今の君たちの気持ちは痛いほど理解できる」
だが、とバルムンクさんは言葉を区切り。
「単刀直入に言う。この場で君の仲間――タマモさんを待つことは難しい」
「……たかがプレイヤー一人、わざわざ待ってられねぇってことかよ」
私の隣でそう吐き捨てたのは、コタロウだった。大きな拳を力いっぱい握りしめ、金色の瞳が刺し貫くようにバルムンクさんを睨みつけている。
肌を刺すような緊張感。しかしそれでも、銀の騎士は怯むことはない。
凛とした姿勢のまま、兜の奥で瞳が光る。
「そうだ。君たちに事情があるように、他のメンバーたちにもそれぞれ事情がある。明日も朝早くから仕事がある者もいれば、愛する家族を待たせている者もいる。あるいは、受験勉強の息抜きにこのゲームをプレイしている者だっている。そんな貴重な時間を奪ってまで彼らをこの場に縛り付ける権利は、私にはない」
「だったら、アンタたちだけ先に行けばいいだろ!」
「このエリアの敵が、先程のボスで最後だという確証はない。もし新たなボスモンスターが出現した場合、君たちのパーティを欠いた状態での戦闘は非常に苦しいものになるだろう。万が一それが原因で全滅、仕切り直しになどなればそれこそ私は他のメンバーに申し訳が立たない。だからこれは、私の我儘だ」
静かに、バルムンクさんの両手が兜にかかる。かちゃり、と何かが外れる音がした。
銀の甲冑のその向こうで、チャーハンさんが息をのみ、目を丸くしているのが見える。つまり、バルムンクさんが今やろうとしていることは、それほどのことなのだろう。
「私は、私の保身の為に君たちの大切な仲間を見捨てる。置き去りにする」
僅かに持ち上げられた兜の隙間から流れ出たのは、まるで絹糸のような美しい金の髪。さらさらと流れ落ちる、胸元まで伸びたそれに目を奪われたあと視線を戻すと、そこには透き通るような青い瞳があった。雲一つない青空のように鮮やかな、宝石のような瞳である。
厳つい甲冑の奥から現れたのはすっと鼻筋の通った、海外のモデルさんも顔負けの超美人さんだった。
普段の口調や声色からてっきり強面のお兄さんだと思い込んでいただけに、私が受けた衝撃はなかなかのものだった。ある意味、タマモと会った時とは真逆の驚きである。
そしてそれは私以外も同様だったようで、ハヤトとコタロウも目を丸くして、すっかり毒気を抜かれてしまったようだった。
「私程度の頭で許してもらえるとは思っていないが、どうかこの場はこれで、収めて頂けないだろうか」
「じょ、女性の方だったんですね、バルムンクさんって……」
深く頭を下げる彼女に対しハヤトがかろうじて絞り出したその台詞はおそらく、この場にいる私たちの総意に違いなかった。
「ん……ああ、私は幼少の頃から騎士に憧れていてね。プレイヤーネームも大好きな神話から引用したものだ。本当はもっとスマートな鎧の方が好みなのだが、性能の問題で今はこの格好にならざるをえなくてね」
これではまるでラスボスだ。
顔を上げたバルムンクさんが自身の金髪を指先に絡めながら、困ったようにはにかんだ。ちなみに声色の方は、兜にそういう呪いのようなものが付与されているのだとか。
「そして見捨てるとは言ったが、それはあくまでこの場においては、だ。次のエリアに進み、そこが安全であることが確認されれば、私は私の持てる力全てを以て問題解決に尽力すると誓おう」
バルムンクさん曰く、かの伝説を元ネタにしてこのコンテンツが作られているのなら、恐らくは次のエリアが最終地点。そして先程のボスモンスターに設定されていた名称から、そこでまた戦闘になる可能性は限りなく低いのだという。
「それに、実は先程そこにいるチャーハンをはじめ、主だったメンバーたちに運営への問い合わせをしてもらっている。不具合なのかバグなのか定かではないが、正常な状態ではない以上、複数からの問い合わせがあれば運営も流石に動くだろう」
「運営なんて信用できるのかよ……」
「少なくとも、我々よりはこのゲームのシステムには詳しいさ。それこそ、プレイヤーの現在地を割り出すことなんて彼らにとっては赤子の手を捻るより容易いだろう」
「団長、各員準備が整いました。すぐにでも出発できます」
門の方から様子を見に来たプレイヤー、【暁の騎士団】の副団長であるグラムさんが背筋をぴんと伸ばし、右手で自身の胸を叩いた。まるで本物の騎士のようなその迫力に私がびくりと肩を跳ねさせると、それを見たバルムンクさんがふわりと微笑み、私の肩にそっと手を添えた。
「信じなさい。君の大切な人はきっと無事だ……よし! 総員へ通達、我々は門をくぐり次なるエリアへ向かう。エリアチェンジ後は周囲への警戒を密にせよ!」
鉄兜を被りなおし、元通りになった声でバルムンクさんはこのエリアにいるメンバー全員にそう指示を飛ばすと、もう一度私たちに頭を下げて門の方へと戻っていった。
「モミジ、よかったの?」
「うん、バルムンクさんの話だってもっともだし、ほら、私たちの都合で皆に待ってもらうのも申し訳ないし、仕方ないよ」
心配そうにするハヤトに、私は笑って返す。
それにあの巨大クラン、【暁の騎士団】の一番偉い人が協力してくれると約束してくれたのだ、これほど心強いことはない。きっとこのトラブルもすぐ解決に向かうだろう。
「はい、次のパーティどうぞ!」
先頭で誘導しているプレイヤーさんの声に従って、私たちは前に進む。見上げるのは、冷たい雰囲気を纏った石造りの門。所々が苔むしたそれはまるで私たちを見定めるように、じっと私たちを見下ろしている。視線を戻すとそこには水鏡にも似た、波紋を広げる空間があった。
これを潜れば、終点。とうとうこの高難易度コンテンツの終わりが見えてくる。
いつも新しいエリアに向かうときに感じていた胸の高鳴りは、感じなかった。
――どうせなら、タマモと一緒にクリアしたかったなぁ
そんなことを考えながら、私は門をくぐる。
歪む視界。音叉にも似た甲高い音が響き、ふわりと身体を浮遊感が包み込む。
そして景色が切り替わる。
渦巻き、波うち、絵の具をぶちまけたように世界が変わる。
変わる。
変わる。
変わっていく。
そして――
「……えっ?」
揺れる世界が正しい形を取り戻した時、私の目の前にあったのはこの世界にはあまりにも不釣り合いな、ここ最近すっかり見慣れたとある光景であった。
白い廊下のその先。見慣れた扉の向こうには同じように見慣れたソファーがあり、キッチンがあり、テレビがあった。窓から広がる景色も、壁紙も、照明の色さえも、寸分違わず私の記憶のとおりだった。
「なんだ……どういうことだよ、これ」
「ここって、タマモの家……?」
聞こえた声に振り向けば、そこにはもうすっかり見慣れた狼みたいなコタロウと、鬼の角を生やしたハヤトの姿があった。二人の姿が変わっていないということは、ここはつまり、まだゲームの世界の中ということになる。
じゃあ、なんでゲームの世界にタマモの部屋が……?
『違う……っ!』
声が響く。
聞きなれた、ずっと聞きたかった声が。
「――タマモ?」
そこには、探していた姿があった。
だが、それは本来この世界では見ることのない筈の姿だった。
黒い髪に、白い肌。細くて小さな身体。
妖狐族のタマモではなく、玉津嶋夜桜という一人の少女としての姿で、彼女はそこにいた。
「あれ、タマモか? なんでリアルの格好なんだ?」
「タマモ、やっと見つけた!」
ようやく見つけた彼女の姿を見た瞬間、私は廊下を駆け出していた。だがどういうわけか、廊下と部屋を区切る扉のノブを掴んで力を籠めても扉はまるで溶接でもされたように重く、ぴくりとも動く様子はなかった。
ならばと、私は彼女の名を力いっぱい叫び、扉を叩いた。
タマモ、タマモ、私はここにいるよ、と。
だが、扉の向こうの少女は気付かない。まるでこちらの声が聞こえていないかのように、まるでこちらの姿が見えていないかのように。
そして気付く。彼女の虚ろな視線の先。怯えるような表情を浮かべる彼女の正面に立つ、何者かの存在に。
『お前は、私だ』
どこかで聞いたような声。
そして、彼女と対峙するその何者かの姿を目にした瞬間、私は頭の中が真っ白になった。
そこにいたのは、彼女だった。
いや、正確に言えば彼女に似た別人が、そこにはいた。
背丈は彼女より高く、身体つきも女性的な凹凸に恵まれた、いわゆる大人の女性を感じさせるものだ。
だけどその顔つきが、その瞳が、あまりにも彼女に似通っていた。
凄く似通っているけど、まったく違う大人の女性。
私は無意識に、自然にその女性の正体に行き当たった。
「夜桜の、お母さん……?」
『私は、お前だ。そうだろう?』
ゆっくりと、女性がそのしなやかな指先を彼女に向ける。
桜色の口紅で彩られた柔らかな唇が、背筋も凍るような声色で言葉を紡いだ。
――哀れで愛しい、私の怪物
少女の叫びが、響いた。




