お稲荷様と竜宮城③
大きく枝を伸ばした赤珊瑚が海底を彩り、青々とした海藻たちがまるで踊るように水中を揺蕩っている。中央に構えるは巨大な朱色の楼閣。それを潜り抜ければ、やがて左右に立派な塔を備えた、巨大な建物が見えてきた。西洋風の石で組まれた城ではなく、神社仏閣の本殿に似た木造の建物だ。
海底深くに建てられているにも関わらずその姿には少しばかりも劣化した様子もなく、あまりにも美しいその姿は、訪れた者の心を惹きつける魔力に似た魅力を孕んでいた。
そして、そんな竜宮城を訪れたボクであるが、今どこにいるかといえばその美しい本殿の地下。螺旋階段を下った先に設けられた冷たい地下牢の中である。
冷たい石の壁と背中の間に九本の尻尾を挟み込み、ボクは嵌め込まれた鉄格子をぼうっと眺めながらため息を吐いた。じゃらりと、鉄球に繋がれた手枷の鎖が揺れる。
まあ、わかっていたことだ。
竜宮城を訪れたあと、ボクはミズクサの案内で竜王が囚われているというこの地下牢にやってきた。しかしそこで待っていたのは竜王ではなく、ジパングの港町から攫われてきた住民たち。彼らは手に手に鍬や鎌を持ち、まるで水底のような虚ろな瞳でボクを取り囲んだ。
やはり、と内心溜息を吐きながらついと案内人へと目をやれば、そこには他の人々と同じような、どす黒い瞳をしたミズクサの姿が。
まさか攫われた人を相手に乱暴な手段をとるわけにもいかず、観念したボクは大人しく手足に枷を嵌められ、こうして牢屋にぶち込まれているわけであるが……。
「ここに来てから結構時間も経ったし、そろそろイベントが進行してもいいと思うのだけれど……」
一応ログアウト処理やインターフェースの操作、アイテムの使用は可能なのでこの場所から抜け出そうと思えばいつでも出来るのだが、そうしたところでこのイベントが進行するわけでもなし、どうせかけなければいけない手間ならば、今のうちに片づけてしまった方が楽。そんな理由で大人しく地下牢に繋がれている訳であるが、いい加減に飽きてきた。
見たところフラグになっているようなオブジェクトも見当たらないし、さてさて、どうしたものか。
「あっ、いたいた! やっほー、タマモ。調子どう?」
その時、鉄格子の向こう側から快活な声が響く。
一階へと続く螺旋階段の陰から現れたのは見覚えのある、しかしもう随分と顔を合わせていなかった少女。
肩まで伸びた炎のような赤い髪。青白い肌。背にはコウモリのものに似た翼を一対生やし、こめかみの辺りからは真っ黒な角が前方へと捻じれながら伸びている。
先端が矢じりの形になった細長い尻尾をゆらゆらと左右に振りながら、少女は無邪気な笑みを浮かべながらこちらへと手を振った。
「アワリティア、なんでこんなところに」
予想だにしていなかった人物の登場に、ボクは半ば呆気にとられながらそう呟いた。
このゲームがサービスを開始して以来、一度もプレイヤーの前にその姿を現したことがない〝魔王〟に仕え、単独でレイドボス以上の戦力を有すると噂される七人の将軍。魔王軍幹部、七つの大罪が一つ、強欲のアワリティア。
拡張ディスクの発売以降、ぱったりと姿を見せなくなった彼女が、なぜこんな深海の宮殿に。
困惑するボクをよそに、アワリティアは可愛らしく頬を膨らませてしかめっ面を浮かべると、まるで子どもを叱りつけるように人差し指を立てて足を一度だけ踏み鳴らす。
「むー、ティアでいいって言ったじゃん! 驚いたのはこっちだよー。海に変なやつがいるから調べてこいって言われて来てみたら、なんかタマモいるし、ホイホイ中まで入って行っちゃうし!」
知らない人について行っちゃダメなんだよー。そう言って彼女はボクが囚われた檻のすぐそばまでやってくると、ずずいと顔を寄せた。これにはボクも苦笑いを浮かべるほかない。
「いや、あのね、アワリティ――ごほん。あのねティア、今回のこれはボクにも考えがあってのことなのだけれど……。いや、それよりも、調べてこいっていうのは例の魔王様の命令?」
また少しばかり大きく膨らんだ頬を見て慌てて名を呼びなおし、直後続いたボクの言葉にティアはまるで石化のデバフがかかったかのようにぴしりと固まり、だらだらと滝のような汗を流し始めた。そしてそのまま、金色の丸い瞳がつい、と右上へ泳ぐ。なんともまあ、わかりやすい。
そういえば初めて会った時もこんな表情をしていたなと、ボクは少しばかり可笑しくなって、小さく笑みを作った。
「まあ、それは一旦置いておくとして。申し訳ないのだけれど、これ、どうにかならないかな?」
彼女の困った様子をもう少し眺めているのも悪くないが、へそを曲げて立ち去られてはたまらないので早々に話題を切り替える。
鎖を鳴らしながら、これ見よがしに手かせを彼女の顔の前に出してみると、ティアは一瞬ぽかんと目を丸くした後、先程までの眩しい笑みを浮かべて力強く親指を立てて見せた。
「こんなのよゆーよゆー! このティアちゃんにお任せあれ、だよ!」
ころころ表情を変えるその様子はほんとうに無邪気な子どものようで、そういえば彼女とよく似た無邪気で腕白な少女、ハーピー族のプレイヤーであるつくねはティアと会ったことがあるのだろうか。お互いによく似た気質を持っているし、きっと仲良くなれると思うのだけれど。
そんなことを考えていると、地下牢の中に固い金属音が鳴り響いた。びくりと肩を震わせてその音の方を見やれば、そこにはあろうことか、牢屋に嵌め込まれた鉄格子を力づくで捻じ曲げるティアの姿が。
一本一本がボクの指二本分はある太い鋼鉄製の檻だったのだが、それがまるで飴細工のように左右に押し広げられ、人一人なら余裕で通り抜けられるほどの穴が開いてしまっている。
そしてその空洞を悠々と通り抜けた後、ティアはいつものようにひらひらと手を振って笑い、しかし茫然としているボクを見て、こてんと首をかしげた。
「あれ、なんか違った?」
「――いや、なんでもないよ」
自信満々に答えるものだから、てっきり鍵か何かを持っているものだと思っていたが、まさかの力技だったとは。いや、うん、まあ、言っちゃ悪いけど脳筋っぽいものね、君。レイドボス以上の戦闘力は伊達ではないということか。
「んー? まあ、いいや。それじゃあそれも外しちゃうね!」
あっけらかんとそう言って、彼女はボクにかけられた手枷に手を伸ばすと両手でそれをしっかりと掴み、えいっという可愛らしい掛け声とともに力を込める。すると鉄製の手枷はまるで煎餅を割るかのように簡単に左右へと裂け、ボクの両手がふっと軽くなった。
本当に呆気なく解放された両手を摩りながら、何とも言えない複雑な感情をもって改めて彼女を見やると、当の本人は今しがた取り外した手枷を何やら興味深く眺めている最中であった。
何か気になるところでもあったのかとしばらくその様子を見守っていると、ティアは何を思ったか、手にしたその手枷をおもむろに口元へ。そして――
ばりばり、ぼりぼり。
「ええ……」
目の前の光景に、ボクは言葉を失った。
たしかに先程ボクは『煎餅のように』と比喩したが、まさか本当に煎餅のように食べてしまうだなんて。
そうこうしているうちに、手枷は丸々彼女の口の中へ。まるで角砂糖でも齧っているような咀嚼音の後、小さな喉がこくりと音を立てた。
「んー、あんまり美味しくなかった!」
「だろうね……」
どこからどう見ても、食べていい物ではないだろうに。
可憐な少女のえげつない偏食癖を目の当たりにし、流石のボクもドン引きである。
いや、あるいはもしかして、そういう食性をもった種族という設定なのだろうか……。前世紀のサブカルチャーに、そういったキャラクターがいたようないなかったような。
また脇道にそれ始めたボクの思考であったが、それは一階へと続く階段の向こうから響いてきた、何者かの足音によって現実へと引き戻された。
人の足音ではない。何か平らな、それでいて水気を帯びたもので地面を叩くような音である。
同時に生臭い、魚が腐ったような悪臭が鼻を突き、ボクは思わず顔をしかめ、袖で口元を覆った。
「あちゃー、見つかっちゃったか。タマモは危ないから下がっててね」
身の毛がよだつほどの悪寒。ボクをかばうように、険しい顔つきのティアが前に出る。その手にはどこから取り出したのか、大ぶりの短剣が二振り握られていた。内側に反り返った刃が特徴的なククリナイフと呼ばれるものに酷似した外見ではあるが、その大きさはナイフというより鉈のそれである。
妖しく光る黄金の刃に目を奪われていると、柱の陰からついに足音の主が姿を現した。
ソレはまるで、青白い蛙のようであった。
瞬きが出来ないほど顔の外まで飛び出した巨大な眼球。
顔の皮はまるで魚のエラのように顎から喉元まで垂れ下がって、真っ青な口元にはノコギリの刃に似た鋭い歯が並んでいる。
だらりと下がった両手の指の間には水かきにも似た薄い膜があり、纏った襤褸の間からは粘着質な、どろりとした液体が滴り落ち、辺りに悪臭を振りまいていた。
――ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう……
悪臭とともに吐き出されたのは、地の底から響くような呪詛の言葉。
毛の生えていない頭部を上下に揺らしながら、ソレは跳ねるようにして階段を降りてくる。
――いあ! いあ! くとぅるふ! だごん!
そうして、不揃いな牙が並ぶ口から濁った泡を吹きながら、狂った目をしたソレは奇声をあげながらボクたちへと襲い掛かった。
竜宮城(イハ=ントレイ)
見え見えだった伏線回収となりました。
皆大好きくとぅるふふたぐん。




