お稲荷様と竜宮城②
いざ港へと着いてみれば、件の噂話に関してはすぐに詳しい話を聞くことができた。
ジパング港には荒波に揉まれて鍛え抜かれた厳めしい益荒男が多いが、実際に話してみれば竹を割ったような気持ちの良い海の男が殆どで、この国の人間にとっては馴染みのある妖狐族とはいえ、所詮は余所者であるボクでも意外と快く受け入れてくれた。いや、或いはクズノハさんやカグヤ姫といった重要NPCの好感度が高いことが良い影響を与えているのかもしれない。
そして数人の漁師から話を聞いた結果ボクが感じたもの、それは昔話に語られるものとはかけ離れた、どうにも胡散臭い竜宮城のイメージであった。
そう感じた要因は、主に三つ。
一つ、竜宮城に招かれた人間が、実際に竜宮城でどういったもてなしを受けたのか、その詳細を覚えていない。
二つ、竜宮城で受け取ったという宝を、当人以外に目にした者がいない。
三つ、竜宮城から帰った者が、夜な夜な海岸付近を徘徊するようになった。
特に三つめは異常だ。
他の漁師さんの話によると、どうも一度行方を眩ませて二日か三日――当人曰く、この間は竜宮城にいたらしい――後にふらりと港へ戻ってきたあとは随分と心ここにあらずといった風で、いつも通り仕事はこなすものの、呼びかけてみても空返事であったり、ぼうっと水面を眺めていることが多くなったのだとか。
正直、この時点でボクはさっさと踵を返して、この話を持ち込んできたあのいい加減な男を張り倒したくなったのだが、一度引き受けてしまった以上、最後までやり遂げなければどうにも収まりが悪い。
とりあえず話を聞いた漁師さんに、その人の顔つきが変わってきたら縄で縛って家から出さないようにと言いつけて、ボクは陰鬱とした気持ちのまま、船着き場で寄せては返す波の様子ぼうっと眺めていた。
溜息。
「行かないと、ダメだろうなあ……」
幸い、といっていいのか、漁師が神隠しに遭う海域へ向かう船は既に見つけてある。というか、船頭さんが噂話を怖がってしまって、交渉の結果なんと自分で船を漕いで向かう事になったのである。その時ボクの胸中に渦巻いていたのは、今回の依頼を軽々しく受けたことに対する少しばかりの後悔の念と、運営に対する怒りの感情であった。
いくらなんでもあからさますぎる。今回発売された拡張ディスクのタイトルと、海底にあるダンジョンと思われる建造物、そして行方不明者が多発する港町。これだけ揃えば大多数のプレイヤーが察する。
『銀の鍵』や地下ピラミッドでの一件もあるし、ほぼ確定といってもいいだろう。
もう一度溜息を吐きながらボクは先程から随分と重くなった腰をあげ、借り受けた小舟が付けてある場所へと向かう。
そうして見つけたのは、人ひとりがやっと乗り込めるといった大きさの、かなり使い込まれた木製の船で、船尾には櫓櫂と呼ばれる、手漕ぎ用のオールが取り付けられている。
表面はささくれ立ち、所々欠けている部分も目立つその船に、これは本当に大丈夫なのかと不安になりながらも足の爪先から恐る恐る乗り込めば、船は何度か軋む音をあげたものの、どうやらボク一人ならば問題なく使う事が出来そうであった。
とりあえずはほっと胸を撫で下ろし、ボクは櫓櫂を握る。勿論、この手の船を操るのは初めての事なのだが、システム側の補助が効いているのか、かなり適当に櫓櫂を左右に振るだけでもすいすいと船は前に進んでいく。
ふと、ただ一人で海へ漕ぎだして帰りは大丈夫だろうかと不安になったものの、まあ、そこは最悪移動用のアイテムでも使えばいいだろうと、ボクはぎしぎしと軋む船に腰を落ち着けて大海原を進んでいく。
話に聞いた海域は本当に港から目と鼻の先、ほんの数分船を漕げば辿り着ける場所で、恐らくはこの辺りであろうとあたりを付けたボクは、とりあえずは噂の人魚が現れるまでのんびり釣りでもしていようと、インベントリからあらかじめ買い集めていた海釣り用の竿と餌を取り出した。
しかし、ぱっと見た感じでは特に波が荒れている訳でもなく、とても穏やかで美しい海なのだが、本当にこの近海に人魚とやら――いや、ボクの予想では相当に面倒で厄介な連中――が現れるのだろうか。水面に揺れる浮きを眺めながら、そんなことを思う。
ちなみに今回用意したのは大物にも耐えられる釣竿であるので、この辺りならブリやスズキ、鯛なんかも狙える。場所によってはマグロなども釣れるそうだが、リールも付いてない釣竿でそれらの魚を一本釣り出来るというのは、流石はゲームと言うべきか。
ボクは基本的に直射日光が苦手なので、どちらかといえば木陰などで涼みながらのんびりできる川釣りの方が好みではあるのだが、こうしてゆったりと船に揺られながら釣竿を振るのもたまにはいいものだ。
そうこうしているうちに水面に浮かんでいた浮きがぐいと水中へと引き込まれ、強烈な手応えと共に釣竿が弓なりにしなって軋むような音をあげた。手応えからして、なかなかの大物である。
身体ごと海へ引きずり込まれないよう注意しながら、うっかり釣り針が抜けてしまわないように釣竿を右へ左へ操り、暴れ回る魚の体力を削っていく。そして十数秒の格闘の後、魚の力が抜けた一瞬を狙いすまして力いっぱい釣竿を引いてみれば、大きな水飛沫と共に銀色に輝く魚影が水面から打ちあがった。丸々と太った、ボクが両手でようやく抱え上げられそうな大きさのカンパチである。
一メートルほどはあるだろうか。船上に打ち上げられ、脆くなった船体を打ち壊さん勢いでびちびちと暴れ回るカンパチを慌ててインベントリへと突っ込んだボクは、そこでようやく一息つき、額に滲んだ汗を拭った。
「もし、もし」
まさか一投目からあんな大物と格闘する羽目になるとは思いもせず、早くも小休憩を呈していると不意に背後からそう声がかかった。海の上である。勿論、周囲に自分以外の船が浮かんでいる訳でもなく、ボクはぞっとして肩を跳ね上げたあと、ゆっくりと声のした方へと振り向いた。
そしてそこにあったのは、まるで絵本の中から飛び出してきたような、まさしく万人が思い描くような美しい人魚の姿だった。
長いウェーブがかった金髪に、澄んだ青い瞳。歳は見たところ二十前後だろうか。貝殻で作られた水着で胸を隠し、腰から上を水面に出したまま、直立する様な姿勢でこちらを見つめている。
なるほど、これは迂闊な男ならコロッと騙されてしまうだろう。ハリウッド女優もかくやという、絡めとられるような色香を感じる。
その女性は呆気にとられるこちらを余所に滑るように船へと近づいてくると――この時に水面下で水をかく尾びれがちらりと見えた。間違いなく件の人魚である――静かに頭を下げ、潤むような瞳を向けた。
「その九つの尾、さぞ力のある御方と存じます。どうか、どうかこの哀れな娘の頼みを聞いては下さいませんでしょうか」
女性の頬を、涙が一筋流れ落ちる。
如何にも儚げな、か弱い女性を演じながら、その平均以上に実った胸を強調するように手を組んでこちらを見上げてくる人魚に、ボクは自然な動作で腕を組み、袖口にしまってある呪符を握った。
「とりあえず、話を聞こうか」
そうして、穏やかな波に揺られながら、女性はぽつりぽつりと語り始めた。
女性――名前はミズクサというらしい――は同族の仲間と共に、遥か古より海底にある人魚族の里、タツノミヤで静かに暮らしていた。
だが数年前にどこからともなく見たこともない物の怪がやってきて、タツノミヤを占拠してしまったのだとか。民を人質にとられ、里の長である龍王も抵抗できずに竜宮の奥にある牢へと繋がれてしまい、それからというもの、彼女たちはその物の怪に言われるがまま港の人々をかどわかしては、まるで生贄のように連中に引き渡しているのだという。
「龍王様はろくな食事も与えられず、日に日にそのお力を弱めておいでです……。もしこのままお力を失ってしまえば、あ奴らはためらう事無く龍王様を害するでしょう。かの御方は我らが誇り、それが穢されるなど、死よりも辛い仕打ちにございます」
「それで、ボクにその龍王様を救ってほしいと?」
力なく、項垂れるようにミズクサが頷くのを見て、ボクはううむと考えを巡らせた。
恐らく、話自体は真実なのだろう。だが、ボクはこの目の前のミズクサという女性に、なんとも言えない違和感を覚えていた。
なんだろう、こう、表と裏が噛み合っていないというか、虚と実が渦巻いているというか。全体的に芝居がかっている。
十中八九、何かある。罠であれ何であれ、相当面倒くさい何かが。
ともあれ、ここでこの人の頼みを突っぱねる訳にもいかない、か。
小さく息を吐く。
「わかった、ボクの力で何とかなればいいが、まずはそのタツノミヤとやらに案内してくれ」
虎穴に入らざれば虎子を得ず。
とりあえずは飛び込んでみて、その後のことはその時考えよう。所詮はゲームなのだ、やり直しはきく。
「おお、貴女様のその慈悲深きお心に感謝致します」
そう言って、ミズクサは何やら指で印を結ぶと、ごにょごにょと呪文のようなものを唱え始めた。そしてその両手をこちらへと向けて呪文を唱え終えると、ボクの身体がふわりと浮き上がり、周囲を薄い膜のような物が包み込んだ。透明なボールの中に放り込まれたような感じではあるが不快感は無く、どうやら自分が念じた方向へ進む事も出来るようだった。
「その中であれば、水中でも不自由なく息をすることができるでしょう。それでは、すぐに里へとご案内致します」
そうして、涙を拭ったミズクサに連れられて、ボクは海中へと進んでいく。
目指すは深い深い海の底。今や混沌の渦中にある人魚の里、タツノミヤ。
――およ、あれってもしかして……。あちゃー、できればもうちょっとサボりたかったんだけど、しかたないなー。
深い闇の中で、そんな少女の声を聞いた気がした。




