お稲荷様とログイン祭り
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――(現在3651人待ちです)
「うがー!」
春先の、大型連休初日。
ヘッドセットを外し、ボクは沸き上がる衝動に突き動かされるまま枕を壁に投げ捨てた。だが悲しきかな、貧弱なボクの腕力をもってして放たれたそれは、ゆるやかな放物線を描きながら壁の遥か手前で着地した。ぼふん、というなんとも気の抜ける効果音と共に、黒猫を模したそれが柔らかく弾み、床に転がる。しんと、空しさを含んだ静寂が部屋の中に広がり、ボクは小さくため息をついた。
『血圧、心拍数の上昇を確認しました。メディカルチェックプログラムの実行を推奨致します』
枕元に置いた小型端末から、聞き慣れた音声が流れる。
「必要ない。少し取り乱しただけだから、気にしないでくれ」
些か大袈裟な人工知能に苦笑いを浮かべると、ボクは足の裏で床の冷たさを感じながら、先程ぞんざいな扱いをしてしまったお気に入りの枕を回収しに向かう。
心なしか少しばかり不機嫌な顔になった黒猫を抱き抱えベッドに戻ると、起動状態のままになっているヘッドセットを操作して映像を外部出力へと切り替えた。ヘッドセットの上部から薄っぺらい映像がいくつも飛び出して、ボクの周辺を囲む。
「やっぱり盛り上がってるなあ。ま、これだけ混雑すれば当たり前か」
いくつも開いた窓のうちのひとつ、『TheAnotherWorld』の公式掲示板を表示したそれを指先でクローズアップしながらそう独りごちた。
そう、本日は待ちに待った拡張ディスクの発売日。祭りの日である。
祭り、といってもゲーム内でそういったイベントが開催されるわけではない。
では、祭りとは何か?
言わずもがな、ログイン祭りである。
実装に伴う大型メンテナンスが明けたその瞬間、事前に予約し、ダウンロードとインストールを終えたユーザーたちが我先にと『TheAnotherWorld』の世界へとなだれ込む。するとどうなるか。入り口で詰まるのだ。
IT技術が進化し、サーバーがより多くのデータを処理できるようになったとはいえ、限界はある。それこそ数千、数万規模のアクセスをスムーズに処理するというのは、最先端のスーパーコンピューターならいざしらず、一企業に用意できる設備では不可能だ。
なので残念ながら、ネットゲーム黎明期と呼ばれた時代から百年以上経過した現代においても、この『ログイン祭り』というお約束は続いている。
最悪今日中にログインすることは諦めるか、なんてことを思いながら、この激戦を潜り抜けた猛者たちが掲示板に書き込み続ける最新情報へ目を通していく。
気になるのは、やはり新職業。巫女になるためのクエストは、予想通りフシミの里で受けることができるようだ。
「いいなー、ボクも早くログインしたいなぁ」
ごろごろ。ごろごろ。
ベッドの上であーだこーだ口をこぼしながら、頭の中でログインしたあとのプランを組み立てていく。それが楽しくてしかたがない。
「うーん、やっぱりモミジたちもインしてないか……」
フレンドリストを開いて、いつもの三人組が揃ってオフラインになっていることを確認する。というのも、彼女たちはこの大型連休中、バイトだったり部活動だったりでそれなりに忙しいのだとか。
実にご苦労なことである。ボクはそんなのまっぴら御免だ。
この大型連休中は、家から一歩も出ない構えである。いつも通りだとか、そんなことは気にしてはいけない。
「とりあえず、シャワーでも浴びよう」
まだ時計の針がてっぺんを回った辺りではあるが、無事にログインできれば今日は徹夜になるだろうし、時間がかかるものは今のうちに済ませてしまうとしよう。
ぺたりぺたりと、着替えを手に浴室へと向かう。脱ぎ去った衣類をそのまま洗濯用のボックスへと放り込むと――こうしておけば、あとはミズハが機械を操作して洗濯してくれるのだ――浴室の椅子に座ってハンドルを捻り、柔らかな湯を頭から浴びた。水気を帯びた髪が湯と共に浴室の床に流れ落ち、ボクははっとして以前よりまた長く伸びた髪を一纏めにして肩にかける。
この髪は自分の身体の中でも数少ないお気に入りだが、手入れに手間がかかるのが珠に傷だ。
少しばかり面倒に感じつつも、仕方がないのでシャンプーの容器へと手を伸ばす。ふすっと、気の抜けた音がした。
しまった、どうやらシャンプーを切らしてしまったようだ。
「ミズハ、シャンプーの予備を出してもらっていいかな?」
『かしこまりました。それともあ様、急ぎご報告させて頂きたいことが――』
「もーあちゃんっ! 元気にしてたー?」
我が家の優秀な人工知能の言葉を遮って、けたたましい音と共に浴室の扉が勢いよく開け放たれる。現れたのは、白衣を着た長身の女性であった。
腰まである黒髪に、白い肌。少しつり上がった大きな瞳の上に、長い睫毛が並んでいる。
スレンダーな、モデルのような腰に左手を添え、右手を掲げながら元気よく挨拶する女性を一瞥して、ボクはこれ見よがしに大きなため息を吐いた。
「リン姉さん、ここ、お風呂場なのだけど」
「うん? わかってるよ?」
こいつはいったい何を言っているんだ。
そう言わんばかりの顔で首をかしげるこの非常識な女性の名は玉津嶋竜胆。ボクの母親の妹であり、血縁上の叔母にあたるのだが、竜胆叔母さんと呼ぶと露骨に無視を始めるので『リン姉さん』と呼んでいる。
見ての通り非常識というか、ぶっ飛んでるというか、マイペースが服を着て歩いているような人間だ。
「丁度いいじゃん、もあがお風呂入ってる間にちゃちゃっと『いつもの』片付けちゃうからさ、はい」
そう言って、何かをねだるように右手を差し出す彼女を見て、またため息。
まあ、いつものことなのだけれど。
こんなのでもとある分野では麒麟児だの、時代の申し子だのと持て囃されているのだから、馬鹿と天才は紙一重とはよく言ったものだと思う。
「合理性を説くのであれば、寝室あたりで採取した方がよほど合理的だと思うのだけれど」
「やだよー、そんな変態ちっくなことするの」
「浴室にいきなり乱入してくるほうが、よほど変態的だよ……」
まったくもう。
肩を竦め、ボクはおもむろに髪に手ぐしを通していく。そうして二、三度ほど指を往復させたあと、指先に残ったそれをリン姉さんへと差し出した。
「いい具合に手ぐしで切れてくれてよかったよ」
そこには、一本の長い黒髪が。言わずもがな、ボクのものだ。
「毎度ありー。いやー、いつ見ても綺麗な髪だねー」
変態度がぐーんと上がった。二段階上昇である。
というか、湯冷めするのでそろそろ扉を閉めてほしい。大事な追加ディスクの発売日だというのに、風邪でもひいたらどうしてくれる。
「冷たいなー。よし、ではお姉さんが身体で暖めて」
ふんすと息巻いて上着に手をかけた変態を、問答無用で浴室から蹴り出した。変態滅ぶべし、慈悲はない。
「そんなー」
ぴしゃりと閉めきった磨りガラスの向こうから、変態のすすり泣く声。ええい鬱陶しい。目的は果たしたのだから、さっさと作業に移りたまえ。
そんなこんなでボクが髪を洗い終わってリビングへと戻ると、そこには何やらごちゃごちゃと器具やら機械やらを並べ、ご機嫌な表情でキーボードを打つ叔母の――リン姉さんの姿があった。
人の心まで読んで睨み付けるのは止めていただきたい。
「何か変化は?」
タオルで髪を揉みながら尋ねると、右へ左へと世話しなく動き回っていた彼女の瞳がこちらを向いてぴたりと動きを止めた。手元の機械が音をたて、数値やらグラフやらがびっしりと印刷されたコピー用紙を吐き出し始める。
「いやー。特に異常も見られないし、今のところは健康そのものだねぇ」
はい、と再び差し出された右手に、自身の右腕を乗せる。慣れた手つきで、ボクの腕にペン状の器具が押し当てられた。空気が抜けるような、小さな音。
「まー、引き続き様子見かな。薬は打っといたけど、突然体調が崩れたりしたら連絡してね。で、『あれ』はまだ?」
「来てないね」
「そっかー。一応、その辺りも調整する薬なんだけどねぇ。もう少ししたら新薬も完成するから、次はそっちも試してみようか」
「副作用は?」
「吐くほど苦い」
それは……要検討だ。
「あれ使う? ほら、お薬用の、ゼリーの」
「ボクが子ども扱いされるの、嫌いって知った上での発言かな?」
そんなもの使わなくても、薬ぐらい上手に飲める。
「そもそも、それって飲み薬なのかい?」
「いやー、注射剤だね」
朗らかに笑いながら、目の前の似非医者はあっけらかんと言い放った。いや、そんな事だろうとは思っていたけれど。
ちらりと、時計の針を確認する。先程ログインを試みた時間から一時間ほど経過していた。あの混み具合から察するに、混雑の解消まで後二時間ほどはかかるだろう。
「んー? 何か予定でもあった?」
「いや、ちょっと、ね」
忙しなくキーボードを叩きながら視線だけをこちらに向けるリン姉さんにそう返すと、彼女は何かを察したように、にやりと悪戯っ子のような笑みを浮かべる。そして突然ボクの頭を抱き寄せると、けらけらと笑いながら撫で回し始めた。
「ちょっ、乱暴に扱わないでくれないかな!?」
「よいではないか、よいではないかー! それにしても、またゲームばっかりやってるのかー? ダメだぞぉ、一応は学生なんだから勉学に励みたまへよキミぃ」
「日本の学校で、今更何を学べというんだ!」
もう、年がら年中研究室に引きこもっている癖に、どうしてこんなに力が強いんだ。
ボクがなんとか引き剥がそうともがきながらそう抗議すると、何故か頭を撫でる手つきがよりいっそう激しくなった。
「わはー、頭も筋肉も、如何に効率よく動かすかが肝要なのだよ。もあちゃんはその辺りがまだまだ甘いねー。だからずぅっとぼっちなんだよ」
「ゆ、友人ぐらいボクにだっているさ!」
「ゲームの中に、でしょー?」
「現実の! リアルの友人だよ!」
ぴたりと、撫で付ける手が止まった。
これ幸いと拘束を抜け出し、汗をぬぐいながら振り返ってみると、そこには目を丸くしたまま呆ける叔母の姿が。
うん。言わんとしてることはわかるけれども。
「え、マジ?」
「我ながら冗談のような話だとは思うが、残念ながら事実だよ」
呆けたまま半開きになったリン姉さんの口から、空気の抜ける音がした。
まあ、さもありなん、である。
ボクが筋金入りの、がっちがちの引きこもりであること。そしてこちらの『事情』を知っている人間からすれば、正しく青天の霹靂。明日は槍かサメでも降るのではないかという程の話であろう。
「ミズハ、もあちゃんのバイタルチェックを――」
「ほんっとうに失礼な人だな、叔母さん」
目の前のアラサー女子が、血反吐を吐きながらもんどり打って倒れた。効果は抜群のようだ。
『バイタルチェックを終了しました。異常はありません』
「ほら、ミズハは叔母さんと違って真面目なのだから、冗談なんて言うものじゃないよ」
胸を押さえ、呻き声を出すリン姉さんに容赦なく追い討ちをかける。勿論、『叔母さん』の部分を強調することも忘れない。
「えーん! ミズハー、もあちゃんがいじめるー!」
とうとう泣きまで入り、人工知能へ助けを求めるという、なんともみっともない姿を晒す世界屈指の科学者を眺めながら、特大のため息を吐いた。
もうこの人は放っておいて、ログイン出来るか一度潜って確認してみようかなぁ。
時計の針をぼんやりと眺めつつ、そんな事を思う。
「そんなにハマってるんだね、そのゲーム」
笑顔を浮かべ、頬杖をつきながらこちらを見つめるリン姉さんにそう言われ、少しばかり照れ臭くなりながらも表情筋をまごまごと動かして、ボクは苦笑いを浮かべた。
「僕はどうも食指が動かないんだよねー、ネトゲって。特に最近のは、平たいバランスのやつ多いし」
「何を言っているんだい。そこがいいんじゃないか」
同じスタートラインから始まり、そこからプレイ時間や操作する人間のセンスで多少は格差が生まれるものの、ゲームの世界では素人の小学生が、大人のプロボクサーを叩きのめすことだって不可能ではないのだ。
だからこそ、夢がある。
だからこそ、面白い。
そして、だからこそ、ボクのような『イレギュラー』でさえも受け入れられる。
なんて素晴らしい世界なのだろう。いや、こっちがクソゲーすぎるのだ。
ちなみにリン姉さんの専門はもっぱらFPSと戦略シミュレーションだ。敵の思考を読み切り、自分の意図したとおりに誘導するのがたまらないのだと以前熱く語っていた。我が叔母ながら、なかなかいい性格をしていると思う。
「ふぅん。ま、あまりのめりこんで体調を崩さないようにね。ミズハもいるから大丈夫だとは思うけど、あまり無茶をするようならうちの研究室に押し込んじゃうからっ」
この人は、どうして楽しそうにそんなことを言うのだろうか。
「しかもそれ、自分が楽をしたいから言っているだけなんじゃないのかい」
「あちゃー、ばれちゃった? もあちゃんが手伝ってくれると、作業効率が段違いなんだ――いひゃひゃひゃひゃ!」
ぺろりと舌を出し、まるで悪びれもせずそうのたまうリン姉さんの頬を問答無用で抓り上げた。
む、研究室に引きこもっている割には、随分と肌の状態が良い。一応は女としてケアを欠かしていないのか、それとも体質的なものなのか。いや、間違いなく後者であろう。この人のずぼらさは、ボク自身よく理解しているつもりだ。
もちもちと指先に吸い付くような肌を離せば、リン姉さんはほんのりと赤みを帯びた頬をさすりながら這う這うの体でソファへと避難していった。
「もー、酷いことするなぁ」
「自業自得だよ。それより、ボクはそろそろ寝室で潜ってくるけど、リン姉さんはどうするの?」
「んー、もう少しだけ解析を進めたら研究室に戻るよ。もあちゃんが一局相手をしてくれるなら話は別だけどね」
ソファの上でだらける姉の手には、いつの間にかチェスで使用されるクイーンの駒が握られていた。ちなみにボクの私物だ。大方、ボクがシャワーを浴びている間に引っ張り出してきたのだろう。
しなやかな指先で弄ばれるクイーンをちらりと見やり、ほんの少し思考を巡らせる。
天秤が傾くのに、そう時間はかからなかった。
「仕方ないな。一局だけだよ」
「やたっ、さすがはもあちゃん話がわかる」
リン姉さんが嬉々としてテーブルの上にチェス盤を広げている間に、ボクはキッチンへ。
手早くコーヒーを淹れてリビングへと戻ると、リン姉さんと向き合うようにソファへと腰掛けた。
「ブラックでよかったよね……しかし、リン姉さんも懲りないというか、相当な負けず嫌いだね」
「いいじゃん、もあちゃんと指してるとこう、僕の灰色の脳細胞が活性化していい感じにひらめきが……」
こめかみを人差し指でぐりぐりと押しながら、リン姉さんが難しい顔をする。
ちなみに現在までの戦績は百三十戦やってボクの全勝。正直、チェスに関しては負ける気がしないし、ボクの相手をしていてもリン姉さんはストレスが溜まるだけだと思うのだけれど、わからない人だ。
まあ、本人が楽しんでいるのなら何も言うまい。
手前に配置された黒のクイーンを指先でつまみ上げ、ボクは不敵な笑みを作った。
「どうする? クイーン抜きでやろうか?」
「むっ、また馬鹿にして。いいよ、今日こそはぎゃふんと言わせてみせるんだから!」
年甲斐もなく、頬を風船のようにして抗議するリン姉さんを見て、今度こそボクは噴出した。
そうして、数多くのプレイヤーたちが追加ディスクに沸く連休初日の午後、我が家のリビングにはしばらく駒が盤を打つ音だけが響き渡るのだった。




