お稲荷様と亡国の王
大変お待たせ致しました。
「余が【霜の巨人】の王、ロキである。歓迎しよう、小さき者たちよ」
吹雪のように冷たく、しかしどこか優しさを感じる声が頭上より響く。
六メートルは優に超えているであろう巨体に水晶のような青い瞳。肌は雪のように白く、少しくすんだ金の髪が左右に流れ肩にかかっている。
氷で作られた巨大な玉座に深々と腰かけ、巨人の王は頬杖をつきながらその透き通るような瞳をこちらへと向けた。その足元には真っ白な毛並みの美しい狼が寄り添い、そこからさらに一段下がったところでボクたち四人はひんやりと冷たい床に膝をついている。
ここは坑道からヨトゥン雪原へ入り、そこから十分程歩いた場所にある氷の宮殿。巨大な氷山の内部を削って作られたこの宮殿にボクたちを案内したのは、雪原で出会ったあの巨大な狼。今も王の傍で金色の瞳を輝かせる、フェンリルと名乗るNPCであった。
見上げんばかりの巨体に鋭い牙をぎらつかせる見るからに恐ろしい狼が、突然流暢な日本語で話しかけてきた時はさしものボクも度肝を抜かれたものだが、二足歩行で関西弁を操る猫が歩き回っていても誰も驚かない世界観なのであるし、巨大な狼が意外と紳士的な態度で話しかけてくることもまあ、あるのかもしれないと無理矢理納得する事にした。
ともあれ、雪原で出会った彼――もしかすると彼女なのかもしれないが――に事情を説明すると、彼は自身が【霜の巨人】の王、ロキに仕えている者だと話し、ボクたちをここまで案内してくれたのだ。
古代ローマの神殿を彷彿とさせる氷の円柱がいくつも連なった巨大な宮殿の姿にはじめは気圧されたものだが、実際に中を案内されてみると、そこには芸術品のような煌びやかな造形とは裏腹に閑寂とした雰囲気が流れいて、ボクはどこか胸を締め付けられるような気持ちになった。
「なるほど、用件はわかった。かの美しき姫の頼みであれば、是非もない」
そう言ってロキ王は玉座のひざ掛けを二度その指先で叩く。そうしてしばらくした後、宮殿を揺るがすほどの振動と共に現れたのは、雪を固めて作られた巨大な人形であった。
ブロックを組み合わせたようなずんぐりとした胴体の上に四角い頭部が乗っかっており、長い腕を地面に擦りつけながら歩いている。
突然の登場に呆気にとられるボクたちをしり目にそれはロキ王の傍まで歩み寄ると、そのドラム缶のような胴体に腕を伸ばし、その大きな指を器用に使って組み合わさったブロックの一つを手前へと引き出した。どうやら、あのブロック一つ一つが物を入れておける収納スペースになっているようだ。
「スノーマンと言うゴーレムの一種でな。間抜けな見た目ではあるが、これでなかなか役に立つ」
ロキ王がその引き出しから取り出したのは一本の枝であった。
ボクの腕ほどの太いその身は黄金に輝き、幾重にも別れた枝先にはうずらの卵ほどの、真珠に似た蕾をいくつも実らせている。中には花弁を開きかけたもの、満開に近いものまであり、大きく花弁を広げたその姿は水晶で作られた牡丹のようであった。
「これが【蓬莱の玉の枝】だ。王国の方では【宝石の木の枝】とも呼ばれていたのだったか。まぁ、よい、持っていくがいい」
宝物というには随分と気安く手渡されたそれを、ボクは戸惑いがちに見つめる。近くで見ればなるほど、その全てが宝石で出来ているような、目が眩むような輝きを放っていた。
【蓬莱の玉の枝】
遥か東方にある蓬莱の山の頂に生えているという、真珠の花と実を付ける黄金の木の枝。
言い伝えでは、その根は美しい銀で出来ているという。
アイテムの説明を確認し、所持品欄へと納める。
しかし、カグヤ姫が指定した品物なだけあって今回もそれなりに手間がかかる事を覚悟していたのだが、随分とあっさり手に入ってしまって些か肩透かしを食らったような気分だ。本当にこんな簡単に受け取ってしまっていいのだろうか、という気にさえなってくる。
「構わぬ。我が国はとうに滅びた。国を国足らしめる民草は死に絶え、最も古き血を持つ我だけが残った。我が宝物は民草の喉を潤し、腹を満たす為の糧である。ならば民草を失い意義を失ったそれを、求め欲する者へ託すのになにを躊躇うことがあろうか」
ゆっくりと吐き出されたその言葉には、国を、民を愛した王の優しさや寂しさが含まれていた。
「だが、まあ、そうだな。やがてお主たちの力を必要とする時が来るやもしれぬのでな。これは、その時の前払いという事にしておくとしよう」
そうして、ボクたちは氷の宮殿を後にする。
フェンリルに門まで案内されながら、ボクの脳裏には最後にロキ王が見せた、どこか悲しそうな表情がずっと残ったままであった。
振り向き、そびえ立つ氷の宮殿を見上げながら、誰からともなく息を吐いた。
「宝物を貰えたのは嬉しいけど、なんかこう、もやっとするね」
粉雪が舞い落ちる中、モミジの憂いを帯びた呟きが白い吐息と共に溶けて消えていく。
栄枯盛衰は世の習いとは言うものの、たしかにあの心優しい王や、これほど美しい宮殿を作り出した文化がただただ滅びを待つのみというのは、なんともやりきれないものがある。
この世界がゲームであり、そうあれかしと作られている以上、所詮は一プレイヤーでしかないボクたちにはどうすることも出来ないとわかってしまうこともまた、その気持ちに拍車をかけていた。
「まあ拡張ディスクの発売も近いし、ここの運営なら何かしら仕込んでくるだろ」
首筋を揉みながらそう零すコタロウ。
運営――正確に言えばシナリオライターになるのだが、その人の好みなのか、このゲームにはシリアスな――それこそ特定のキャラクターが死亡したり、重症を負ったりといった描写が非常に少ない。
勿論、イバラキのような例外も存在するが、どちらかといえば明るい雰囲気のクエストが殆どで、登場する悪役もコミカルなものが多い。
その反面、出会い頭に腹部貫通パンチを食らわせてくるオネェがいたり、自主規制音を入れないといけないような際どい発言ばかり連発するマッドサイエンティストがいたりするのだけれど、あのお祭り連中は例外中の例外なので気にしてはいけない。きっと担当しているシナリオライターさんが違うのだろう。たぶん、きっと、おそらくは。
とにかく、先ほどロキ王も何やら今後の展開を匂わせる発言をしていたし、彼が絡むクエストも今後は追加されていくことだろう。今はとりあえず、手に入れた宝物をカグヤ姫に届けることが先決である。
「拡張ディスクといえば、タマモは見るの? 発売日前の公式生放送」
「ああ、一応は目を通すかな。どうせメンテナンスが始まれば、ログインは出来なくなるし」
ざく、ざくと踏みしめた雪が音を鳴らす。
モミジがいう公式生放送とは、拡張ディスクの発売日前日に公式の運営陣――プロデューサーや広報担当のスタッフが出演しインターネット上で放送する生放送のことで、実装を控えた追加要素などのおさらいやフィギュア、CDなどのグッズ紹介を行う。
更に今回は初の拡張ディスク発売というのもあって、噂ではゲストとして開発会社である【サイバネティクス・クエスト・コーポレーション】――通称〝サイクエ〟や〝CQC〟と呼ばれている――の代表取締役社長まで出席するのではないかと噂されるほどの力の入れようなのだとか。
「タマモはどこから手を付ける予定なんだい? やっぱり新職業?」
「んー、いや、とりあえずはレベル上げかな」
新職業の巫女に関しては、フシミの里の長であるカヨウさんからもお誘いを受けているので気にはなっているのだけれど、それよりもボクが注目しているものが、今回の拡張ディスクでさらに引き上げられるレベル上限であった。
その解放される上限は九十。そう、ついにあの〝九尾〟に手が届くのだ。妖狐族を選択したプレイヤーたちにとっては、待ちに待った瞬間といっても過言ではないだろう。
ちなみにハヤトたち三人はそれぞれ聖騎士、忍者、踊り子を育てる予定らしい。職業レベルの差が大きすぎるので、今回はまたしばらく別行動になりそうだ。ボクがパーティに入らず回復や護衛を行うパワーレベリングを行ってもよかったのだが、さすがにそれでは新職業のスキル回しなどが身に付かないとやんわり断られてしまった。
「まあボクも陰陽師と種族レベルを上げ終わったら巫女を始める予定だし、そのうち合流できるんじゃないかな」
現在公開されている情報を見る限り、モミジが育てる踊り子は支援系のスキルが多いバッファーになるようだし、ボクがヒーラー寄りの巫女になれば、丁度今ボクたちが担っている役割が逆転する形になる。
四人パーティとしては少しばかり火力面に不安が残る構成になるが、火力が必要になる場面ではボクが陰陽師に切り替えれば問題ないだろうし、まあなんとかなるだろう。
そうして、来るべき新要素に思いを馳せながら、ボクたち四人は雪原を行く。
拡張ディスク【深淵より来たりし者たち】。
その発売を一週間先に控えた、とある日の出来事であった。
次回、日常回を挟んでから新章へと突入します。




