お稲荷様とお稲荷さん②
ちょこっとだけシリアスさんが顔を出します。
「ふむ、それにしてもなかなかどうして、意外と様になっておるではないか」
甘く煮た油揚げに酢飯を詰めていると、居間からぼんやりとこちらを眺めていたカヨウさんが、ごろりと寝ころびながらそう言った。
九本の尻尾を抱き枕のように抱えながら、右へ左へ退屈そうに転がっている。
「まあ、小さい頃から台所には立っていましたから」
料理は好きだ。
自分好みの味付けにアレンジできるし、上達すればしっかりとそれを実感できる。
そして何より、気分転換になる。
初めは必要に迫られただけで、料理だってレシピに記された手順に沿って食材と調味料を組み合わせる、単純で退屈な作業のように考えていた。
我ながら、可愛げのない子どもであったと思う。
しかし数をこなし、そのレパートリーが増えていくにつれ、ボクはその作業を楽しいと感じるようになっていった。
そうして一年経った頃には、料理はすっかり趣味の一つになり、ボクは喜んで台所に立つようになったという訳だ。
「ほんに、タマモは良き女子でありんすなあ。父様や母様も、さぞ鼻が高い事でありんしょう」
「いえ――」
三角形に整えた稲荷寿司をお皿に盛り付けたところで、手が止まった。
さっと、頭から氷水を浴びたように身体中の熱が引き、目の前が僅かに暗くなる。
――気持ち悪い
モノクロの映像が脳裏を走り抜けていく。
本、沢山の答案用紙、割れた姿見、引き裂かれたぬいぐるみ、叫ぶ女――
目を閉じ、大きく息を吸う。
そうしてゆっくりと目を開けば、そこには先程と何も変わらない光景が広がっていた。
「いえ、そんなに褒められた人間ではないですよ、ボクは」
山と積まれた稲荷寿司を盆に乗せ、二人が待つ居間へと戻る。
しかし目の前に好物である稲荷寿司の山を置かれても、二人の瞳はじっとボクの方へ向いたままであった。
二人の如何にも神妙な顔に、ボクは苦笑いを返す。
「はは、少し立ちくらみしただけですよ。気にしないでください」
「……いや、それならば良いのじゃが。ほれ姉上、折角タマモが手ずから作ってくれた料理じゃぞ、ありがたく頂くとしよう」
手を打ち、大袈裟に尻尾を振りながらカヨウさんが稲荷寿司を手に取り、かぶりつく。
そして数度咀嚼すると、頬に手を添えて蕩けるような笑みを浮かべた。
その様子を横目で眺めていたクズノハさんもこれには毒気を抜かれたようで、やがて小さく息を吐き、稲荷寿司の山に手を伸ばした。 カヨウさんのようにかぶりつくような事はせず、三角形の頂点を啄むようにして口に含む。
そうして一口、二口と続けるうちに眉間に寄っていた皺は解れ、一つ食べきる頃には口元に笑みさえ浮かんでいた。
「んー、これは美味じゃ。酢飯に混ぜておるのは人参と椎茸か」
「はい、どちらもシズノさんから頂いたものです」
「おお、シズノか! そういえばあの娘ともしばらく会っておらんのう」
娘というにはかなりお歳を召されているように思えるが、彼女のしばらくとは、いったいどれぐらいの事を指すのだろうか。いや、深く考えるのはよそう。
次々と稲荷寿司を口に放り込んでいく見た目だけは少女なカヨウさんを眺めながら、ボクは思考を打ち切った。
ちなみにそのシズノさんであるが、今でも川釣りをしに出かけた際には必ず彼女のところに顔を出すようにしている。
最初は結構渋い顔をされたり、邪険にされたりしていたのだが、最近ではこうして野菜を分けてくれたりだとか、川辺で世間話に興じる回数も増えてきたように感じる。
庵がある場所も静かな良い所であるし、個人的にはああいった人里離れたところにマイホームを建てたいぐらいだ。
ところで――
「クズノハさん、本当に稲荷寿司がお好きなんですね」
そう言って視線をカヨウさんの隣に移すと、見慣れた九本の尻尾が一斉に毛を逆立てた。
いや、一口自体はそんなに多くないにも関わらず、食べるペースがカヨウさんと同じってどういう事なのかと。
稲荷寿司に似た三角の耳を力なく垂らし、頬を桜色に染めたクズノハさんは潤んだ瞳をついと横へ流した。 その手には少し小さくなった稲荷寿司がはっしと握られている。
「う、卑しい女と思わんでくんなんし。酢飯の詰まった油揚げには、昔から目が無いんでありんす……」
大きな九本の尻尾がしょんぼりとしな垂れ、柳のように左右に揺れる。
不思議な事に、ただ稲荷寿司を食べているだけのはずであるのに、その姿にはどこか官能的な妖しさがあった。
しかし、いつもはあれほど優雅で淑やかなクズノハさんをこうも変えてしまうとは、油揚げの魔力とはかくも凄まじい物なのか。
ああ、ちなみに稲荷寿司が三角形なのは、作り方を教えてくれた祖母が関西人だったからだ。
稲荷寿司は関東、関西で形が違い、関東では米俵を模した俵型、関西では狐の耳を模した三角形の稲荷寿司が一般的になっている。
ともあれ、二人が稲荷寿司を食べる姿を眺めているのもこれはこれで楽しいが、折角こんなに沢山作ったのだし、そろそろご同伴に与かるとしよう。
あっという間に半分以上無くなってしまった稲荷寿司の山に手を伸ばし、まずは一口と三角形の頂点に小さく噛り付いた。
ふわりとした食感の後、味が良く染みた油揚げから甘辛い風味が溶け出し、酢飯のほど良い酸味がそれを追いかけていく。
人参の食感、椎茸の甘みも良いアクセントになっているし、我ながら良い出来だ。
「ううむ、しかし良い腕をしておるのう。そうじゃタマモよ、お主巫女になってみる気はないか!?」
そう図々しくも自画自賛していると、カヨウさんがはっと手を打って声を張り上げた。
突然の事にびくりと肩が跳ね、二人よりも二本少ない尻尾がぴんと気を付けをする。
巫女とは、これはまたいきなり何を言い出すのだろうか。
たしかにカヨウさんの屋敷は女神ウカノを祀る総本社も兼ねているし、彼女自身もそこの巫女ではあるのだが、現バージョンではプレイヤーが巫女になる事なんて出来なかったはずなのだけれど。
小首を傾げるボクに対し、鼻息荒くちゃぶ台から身を乗り出すカヨウさんの頭を、クズノハさんの大きな尻尾がはたき落とした。
「カヨウや。 我らが神、ウカノ様に仕える巫女ともあろう者が、そのような邪な考えで人を唆すなど許されると思うていんすか?」
「い、いや、姉上よ。妾は決して邪な事など――」
「カヨウ?」
にっこり。
それは先程玄関で見せた、妖艶さと強者の風格を併せ持った微笑みであった。
だらだらと顔中から冷や汗を流しながら、カヨウさんはひゅうひゅうと鳴りもしない口笛を吹きながらそっぽを向く。直後、鞭のようにしなった九本の尻尾が一斉に彼女の頭に襲い掛かった。
が、カヨウさんは甘んじてそれを受ける気はないらしく、自身も同じ数の尻尾を操り迎撃にかかる。
受け止め、いなし、あるいは尾を絡めて動きを封じながら、合計十八本の尾が壮絶な攻防を繰り広げる。
その光景はさながら足を止め打ち合うボクサーさながらであり、ぶおんぶおんと重苦しい音が響くほどであった。
そして念のために言っておくが、これはあくまで姉妹喧嘩というやつであり、ここはリングの上ではなくボクの家の居間である。つまり、終了のゴングを鳴らす者は存在しないのだ。じーざす。
まあこの家にある物は壁や天上、襖に至るまで破壊出来ないように設定されてはいるので、デンプシーロールだろうが何だろうがどうぞやってくださいというところなのだが、とりあえず稲荷寿司は退避させておこう。
そうしてボクはこの姉妹喧嘩の仲裁を早々に諦め、稲荷寿司が積まれたお皿を手に部屋の隅へと避難を完了させた。
しかし巫女、巫女かあ。
ちびちびと稲荷寿司を頬張りながら、ボクは先程のカヨウさんの台詞を思い出す。
たしかに、現バージョンでは巫女という職業は実装されていない。
しかしこれはMMORPGであり、当然バージョンアップや拡張パックの発売に伴って、新たな職業が実装される可能性は大いに考えられる。
もしかしたら先程のカヨウさんの台詞は、そういった新職業の追加を示唆したものだったのかもしれない。
だとしたら、実に心躍る話である。
聞くところによると忍者になる為のクエストもまだ見つかっていないという事だし、これはもしかするともしかするかもしれない。
拡張パックで忍者が実装されるというのも、何やら不穏な響きがあるが。
汚い、流石忍者汚い。
「こやんっ」
そんな事を考えていると、どうやら壮絶なる攻防にも決着が着いたようである。
可愛らしい悲鳴をあげ、大の字で倒れ込む巫女服の少女を見て、ボクは苦笑いを浮かべた。
追加ディスク……忍者……空蝉の術……うっ、頭が