お稲荷様と女王様
大変お待たせ致しました。
「ほう、【仏の御石の鉢】を譲ってほしいだと?」
肩まで伸びた美しい黒髪。
前髪はまっすぐに切り揃えられ、その下にある黒い瞳が不敵にこちらを見下ろしている。
黄金のアクセサリーで全身を飾りつけ、胸元の開いたワンピースタイプのドレスを着こなした褐色の女性は、背から伸びた一対の翼を僅かに羽ばたかせた。
妖しげな雰囲気を纏うハーピー族の美女。
その正体はこの国、太陽の王国≪ヘリオポリス≫を治める女王イリスその人である。
女王への謁見自体はガブさんの話通り、ボクが来訪者である事、遥か遠い地からやってきた事を告げると、驚くほどあっさりと叶う事が出来た。
どうやら女王は珍品、名品の蒐集家であるそうで、旅の商人などを宮殿に招いては、異国の品々を買い取っているのだとか。
そんな物好きな彼女である。何ものにも縛られずに世界中を旅し、危険なダンジョンに潜り、秘境を探検するボクたち来訪者に対し興味を抱かぬ訳がなく、宮殿を訪ねてきた来訪者たち全員とこうして話をしているらしい。
ボクがこれまでの経緯を説明すると、女王は少し考える仕草を見せたあと、どこか神妙な面持ちで口を開いた。
「ジパングなる国の話は我も聞いた事がある。かの国の美姫があれを欲しておるというのなら、我としても譲るのは吝かではない。しかし、そうさな、折角腕利きの来訪者が訪ねてきた訳であるし、其方にはひとつ仕事をしてもらうとしよう」
ドレスのスリットから伸びる、足首から先が猛禽類のそれとなった脚を艶めかしく組み替えながら、女王が傍に控えていた男に目配せした。このゲームでは久しぶりに目にする、リザードマンの男性である。
民族衣装のサリーに似た鮮やかな赤い衣装を身に着けており、他のリザードマンの例に漏れないそのトカゲ顔には、不思議と知性的な雰囲気が感じられた。
男は女王に一礼し、謁見の間から出ていくと、やがて小さな木箱を手に再び姿を現した。
「それはここより東、王家の谷と呼ばれる場所へと立ち入る為の通行証だ。谷の底には我ら王族の墳墓があるのだが、最近になってその神聖なる場所の周りを小汚い鼠共がうろつくようになってな」
俗にいう墓荒らし、と呼ばれる連中なのだろう。
どうやら個々の戦力は左程でもないようなのだが、とにかく逃げ足が早く、国の衛兵も手を焼いているのだという。
苦虫を噛み潰したような女王の表情を見る限り、かなり深刻な問題のようだ。
しかし来訪者とはいえ、今日出会ったばかりの者をそんな場所に入れてしまっていいのだろうか。
「なに、かの姫が信を置く程の者ならば問題はあるまい。それに、其方が我らの信用を裏切るような事をすれば、相応の報いを受けさせるだけであるしな」
猛禽類に似た鋭い視線がボクを貫き、額に冷や汗が浮かぶ。
しかし次の瞬間には女王は僅かに微笑むと、すっと王座から立ち上がった。
階段を下り、跪くボクのすぐ傍まで歩み寄ると、まるで吟味するかのな視線を向けながら、ぐるりぐるりと辺りを歩き回り始める。
大きな翼がはばたき、巻き起こった風が頬を撫でた。
「それにしても、我が国に其方のような種族が訪れたのは我が父の代以来だ。似たような種族の者はおるが、其方のように尾が何本もある者は見たことが無い」
どうやらこの国にはボクたちのような、力に応じて尾の数を増やす種族は暮らしていないらしく、女王の興味はボクの背後でゆらりゆらりと揺れる七本の尻尾にあるようだった。
ボクたちプレイヤーがアバターとして使用できる妖狐族は、元々ジパングにその源流を持つ種族である。似たような種族というのは、もしかすれば大昔にジパングからこの地へと渡った妖狐族の子孫なのかもしれない。
しかし、この国固有の種族というのは、些か興味が沸く話だ。
先程の妖狐族に似た種族というのは勿論だが、女王や臣下の姿を見る限り、どうやらこの国にはハーピーやリザードマンといった亜人種が多いようであるし、種族が異なれば、当然その文化も異なる。 様々な種族が暮らしていれば、必然的に様々な文化に触れる機会も多くなるだろう。
公式からそういった設定資料集でも発売されれば楽なのだが、まあこういったコミュニケーションもこのゲームの醍醐味として楽しむのもまた一興である。
女王に件の種族について詳しく尋ねてみれば、女王は僅かにその表情を和らげて、かつんとその鋭い爪を鳴らした。
「うむ、確かに我が国には様々な民が暮らしておる。砂の民、風の民、日の民や月の民、それぞれ信ずるものは違えど、皆我が愛する民であり、子たちである」
身振り手振りを交えながら、まるで女優のような仕草でそう語る女王の表情はまるで母親のような優しさに満ちていた。
その表情や声色から、彼女が国民からも慕われる、とても良い王なのだろうと、ボクの胸に温かな感情が染みわたっていく。
しかしじっと見つめていたボクの視線に気が付くと、思わず熱が入ってしまった事を恥じてか、女王は咳ばらいを一つ、その大きな翼を羽ばたかせて再び王座へと舞い戻っていった。
「すまぬな、つい我を忘れてしまった。ともかく、我が国、我が民たちに興味があるのであれば、まずはここより西の地に暮らす、月の民たちを訪ねてみるがよい」
月の民は別名砂漠の賢者とも呼ばれ、古の時代から様々な知識を受け継ぐ種族なのだそうだ。
そして彼らは如何なることも見逃さず、聞き逃さない大きな瞳と耳を持ち、普段は洞穴の中で静かに暮らしているという。
特徴的に思い浮かぶのは、街に入るまで一緒だったあのプレイヤーであるが、そういえば彼女は無事に目当ての物を見つける事が出来たのだろうか。
まあ今となっては彼女も一端のレベルカンストプレイヤーなので心配はいらないのだろうが、出会った事の第一印象があれであったせいか、どうにも未知の土地で彼女を放っておくことに一抹の不安が残る。
いや、今は彼女の事を心配している場合ではない。
ボクは頭を振って脇に逸れた思考を軌道修正する。
その月の民と呼ばれる人々に関しては、今はカグヤ姫の依頼がある為、このクエストがひと段落ついたら尋ねてみる事にしよう。
「それでは賊の誅滅、しかと頼んだぞ」
時間が押しているのだろう、側近の者が女王に何やら耳打ちすると、彼女は僅かに眉間にしわを寄せてそう言った。
国民を愛するとても心優しい女性のようであるし、機会があれば彼女ともゆっくりと話をしてみたいものだ。
そうして、先程の知的なリザードマンに連れられて宮殿をあとにすると、外はもう黄昏色に染まりつつあった。
買い物かごを手に提げたハーピー族の女性が彼方へと飛び去り、リザードマンの店主が店の片づけを進める様子を眺めながら、僅かに人通りが少なくなった市場通りを進んでいく。
夕飯の準備でもしているのだろう、柔らかな明かりが灯る民家の煙突からは白煙があがり、家族の楽しそうな声が窓の向こうから響いていた。
そんな様子に少しばかりの寂しさを覚えながら、そういえばボクもそろそろ夕飯の準備をしないとなあ、なんてことを考える。
まあ食材は先日買い揃えているので、ミズハに言いつければそう手間もかけずに夕飯は出来上がるのだが。 まったく、便利なものである。
「今晩は、そうだな、オムライスでも作ってもらおうかな」
不思議と卵料理が食べたい気分だ。
そんな事を呟きながら、ボクはメインメニューのログアウトボタンをタップするのだった。