お稲荷様と丁半博打
〝ツボ〟と呼ばれる茶碗に似た道具とサイコロを使い、その名の通り丁か半かを予想するギャンブル、それが丁半博打である。 時代劇が好きな人であれば、劇中で目にしたこともあるのではないだろうか。 正面にさらし姿のやくざ者が座り、向かいに座った客たちが丁だ半だと言いながら木の札を縦やら横やらに置くあれである。
ボクが初めてこれを知ったのも時代劇で、盲目の男がやくざ連中に大立ち回りを演じていたのがとても印象的であった。
ルールとしてはとてもシンプルで、ツボにサイコロを入れて振り、偶数であれば丁、奇数ならば半に賭けるだけである。実際には色々と手順があるのだが、客側としては上記の事さえ覚えていればまあ問題ないだろう。
「それじゃあ、振らせて貰うぜ」
盆台代わりの酒樽の蓋を挟んだ向こう側で、シュテンがそう言ってツボにサイコロを放り込む。
酒も入り上機嫌なその様子に、ボクの隣でイバラキがため息を吐いた。
「ほんと、この人の博打好きも困ったものだ。それも、負けたら山を出ていくだなんて、そんな事を一人で勝手に決めてしまって、全く。 妾はもう知らんぞおー」
ちなみにこの賭け事で丁と半が出る確率は二分の一。つまり適当に張ったとしても、五割の確率で勝つことが出来る。そんな勝負に、果たして自身の進退を決めるような事を簡単に賭けるだろうか。
普通であれば、まずイカサマを疑う。サイコロに細工をしたりだとか、玄人であればツボの中のサイコロの目を操るなんて芸当も可能だろう。
だが、ボクは真っ先にその可能性を排除した。
交わした言葉は少ないが、こと勝負事において、このシュテンという男はそんな小細工は使わない。 そんな確信があった。
どうでもいいのだ。たとえ賽の目一つでその身を滅ぼしたとしても、この男にとってはそれすら酒の肴、笑い話にしかならないのだ。それは極めて刹那的、快楽主義的な生き方であるが、それこそがシュテンという鬼の生き様なのだろう。
短いやり取りの中でそう確信できる程度には、ボクは目の前のこの男を信頼していた。なんとも不思議な男である。
「入ります」
宣言の後、サイコロを入れたツボが盆台の上に置かれる。シュテンはツボを三度ほど前後させた後、その鋭い瞳をこちらへと向けた。
「さあ、丁か、半か」
「丁」
間髪入れずそう答える。隣でイバラキの息を呑む音が聞こえた。
正直に言って、こんなもの考えるだけ無駄なのだ。 確率は五分と五分、イカサマなどの小細工もなし。 であれば、じっくりと考えたところでツボが透けて見える訳でもなし、即断即決こそが最善。 ちなみに言い忘れていたが、この博打、ボクが負けた場合は即座に首が飛ぶ。
まあプレイヤーであるボクは首が飛ぼうが身体が千々に砕けようが、死に戻りすれば何事もなく復活するのでリスクという程ではないのだが、それを考慮してもこの即答は予想外であったらしい。イバラキはおろか、この博打を吹っかけてきたシュテン自身も目を丸くして驚いている。
一つ、二つ、きっかり三拍の後、堰を切ったかのようなシュテンの笑い声が部屋中を震わせた。
「くは、くはは、おま、お前、タマモと言ったか? タマモよ、お前は本当に素晴らしい女だな、うむ、イバラキの次によい女だ」
褒められて悪い気はしないが、さりげなく惚気るのはやめて頂きたい。
対してイバラキは得意顔で、さも当然だとばかりに鼻を鳴らした。頬が僅かに朱に染まっているのは、気のせいではないだろう。
シュテンはそうしてしばらく腹を抱えて笑っていたが、やがてひぃひぃと息を整えると、未だ震える手をツボへと伸ばした。
そして露になった賽の目は一と、一。つまり、ピンゾロの丁。
その目を見て、今度こそシュテンは腹を抱えてひっくり返る。それと同時に、頬をますます赤くしたイバラキのしなやかな手が頬に添えられ、じっとりと熱をもった吐息が頬を撫でた。
「ああ、嗚呼、いいなあ。 賢しく、美しく、そして豪胆でもある。これで惚れぬ者がこの世におるだろうか」
どこか官能的な雰囲気を纏い始めたイバラキに、ボクは全身が粟立つのを感じた。
尾は七本全てが毛を逆立てて倍ほどの大きさになり、背中に氷柱でも突っ込まれたような悪寒が走る。 思考にノイズが走り、身体の末端から感覚が鈍くなっていく。それと同時に、胸の奥から形容しがたい感情がせり上がってくるのを実感する。
おぞましい、吐き気を催す程のそれが全身を支配する直前、部屋に小さく音が響いた。
鉄を打つ音に似たそれを耳に入れた瞬間、イバラキは顔を真っ青にして、脅かされた猫のようにその場から飛び退く。 何事かと音の方へ目をやると、そこには修羅の姿があった。
射殺すような鋭く暗い瞳、きつく結ばれた口元に先程までの呑気さは欠片もなく、腰だめに構えた大太刀は既に鯉口が切られており、先程の音は鯉口を切った音なのだとそこでようやく気が付いた。
「イバラキ、戯れが過ぎるぞ。タマモは俺の客人であり、そして今我が友となった。それを外道で穢すというなら、俺はお前のその美しい首を刎ねねばならん」
「す、すまなかった、許しておくれシュテン」
なんとも信じられない光景である。
あの、羅城門でボクたちを圧倒したあの女傑が、あのイバラキが、まるで年若い娘のように涙を浮かべながら、縋るように男の袖を握りしめている。
それが功を奏したのか、シュテンはその身に纏っていた剣呑な雰囲気をため息と共に霧散させると、大太刀を収めイバラキの肩を叩いた。
「イバラキよ、許しを請うのは俺ではないだろう」
シュテンがこちらへと目を向けつつそう言えば、縋りついていたイバラキは涙を拭いボクの前までやってくると、しずしずと床に手を着き、頭を下げた。
「すまなかった。妾としたことが我欲に呑まれ、我を忘れてしまった」
強大な力を持つ彼女とは思えぬその姿にはっとする。
平時通りの冷静さを取り戻し、ようやく指示通りに動くようになった手足を使って彼女の元まで行くと、ボクはその手にそっと触れた。
「いや、気にしないでくれ。いや、その悪癖については存分に気にして欲しいのだが、先程の一件に関してはもう気にしないでくれ」
彼女が、イバラキというNPCがそうあれかしと作り出されたのは重々承知しているし、彼女がそれに抗えないのも理解している。そして、彼女がああして動いたのは、このイベントにおいて必然だったのだろう。
ああして強引な点は多々あり、暴走することも一度や二度ではないのだろうけれど、彼女自身はそう悪質な人物ではないのだ。おそらくは。
そんな事を考えていたのが災いしたのか、ボクは顔を上げた彼女のその表情に、まさに心の間隙を突かれる事となった。
花が咲いたような、良くも悪くも純であるが故の、純粋な微笑み。
母のような慈愛、温かさ、優しさ、柔らかさ、美しさ、強さを含んだその笑みに、ボクの心は刹那の間、真っ白になった。 目を奪われるとは、まさしくこういう事を言うのであろう。
ボクには、まだ小娘でしかないボクには真似できない表情。僅かな憧れ。それは、ボクがクズノハさんに対し度々抱いている感情に似ていた。
「どうだ、良い女だろう」
夢うつつであったボクの思考を常世へと引き戻したのは、シュテンのそんな、からかう様な声であった。 見れば、当のイバラキもしたり顔を浮かべているではないか。
どこからどこまでが芝居だったのかと、ボクはいたたまれなくなってそっぽを向いた。 二人の鬼が笑う。さて、とシュテンが膝を叩いた。
「ではでは、腹がよじれる程笑ったところで、約束を果たすとしようか」
よいこらしょ、と大太刀を杖代わりに立ちあがると、彼はおもむろにそう言う。
イバラキが寄り添うように並び、その丸太のような腕にそっと自身の腕を絡めた。
「博打はタマモの勝ち。ならば妾たちは約束通り、この山を去ろう」
「都にももう手は出さん。まあ、貯め込んだ財宝や酒は貰っていくがな」
イバラキが懐から小刀を取り出しシュテンに手渡せば、彼はそれを抜き放ち、束ねられた自身の黒い髪へとさっと走らせる。小刀の切れ味が良かったのか、なんら抵抗なく断ち切られたその髪の束を、シュテンはぐいと差し出してきた。
「これは?」
「我々を討った証として、ヨリミツという男にこれを渡すといい。まああの男ならば、我々が生きていることなどすぐに勘付くであろうが、事情を話せば褒美ぐらいは寄こすだろう」
ともすれば、やんごとないお方の顔でも拝めるかもしれんぞ。
そう言い残し、後ろ手を振りながら彼らは山から去っていった。ちらりちらりと、最後まで名残惜しそうな視線を向けてはそれを諫められるイバラキの姿に苦笑いを浮かべつつ、ボクは渡されたそれに目を落とす。
その名も【酒呑童子の遺髪】。
鬼に横道はないという、あの啖呵はいったい何だったのかと声高に叫びたい、切に。
嘘八百もいいところ、白々しいにも程がある。
鬼を酢にして食う、なんて言葉があるが、あの鬼は煮ても焼いても食えそうにない。
さてさてそれでは、鬼の首をとったわけではないが、あの二人が気紛れを起こして戻ってこないうちに、ボクもさっさとここから去ろうと思う。
ここでの出来事を話せば、モミジたちはどんな顔をするだろうか。
そんな事を考えながら、ボクは来た道をまたのんびりと歩いていく。
どこか遠くで、鬼の笑い声が聞こえた気がした。




