お稲荷様とお買い物①
ここから数話、現実世界でのお話になります。
ある日曜日の朝である。
いつも通りの時間に目を覚まし、いつも通りに顔を洗い、朝食を済ませ、どこかのスポーツ選手がどこぞの女優と入籍しました、なんてどうでもいい朝のニュースに目を通しながら、ふと今日は買い物にでも出かけてみようかと思いついた。
いつもならそのままの流れで寝室に戻り、飽きもせずにゲームの世界へと旅立っている筈であるのに。
はっきり言ってしまえば、現代においてわざわざ外に出て、自分の足で買い物に行く必要性は無い。一世紀前ですら、ある程度の買い物であればインターネットを利用すれば事足りたのだ。
あまつさえ現代はVR技術も随分と発達し、実際に見て、触って、現実の店頭で買い物をするのと変わりないことをVR空間で行う事ができるようになっているのだ。違う点と言えば、代金を払えば即その場で手に入るか否か、というところだろうか。
では何故、わざわざボクは朝からシャワーを浴び、ホットパンツにスウェットパーカーを合わせて、先日買ったばかりのスニーカーを履いて出かけようという気になったのかと言えば、それはあくまで気紛れで、気の迷いで、と言わざるを得ない。
特に、ボクは日光に弱い。
外に出るのにサングラスは必要不可欠であるし、帽子やフードに関してはそれ以上に重要だ。
別に白子症、俗にいうアルビノという訳ではない。肌は白いが、それはあまり外に出ないからであるし、髪や瞳の色は一般的な日本人のそれだ。
まあ紫外線に弱い、日焼けをしやすい、というのはたしかに理由の一つではあるのだが。
他の理由としては、頻繁にくしゃみが出てしまうだとか、眩しいのが苦手でついつい目つきが悪くなってしまうだとか、そんな下らない理由である。
故に、今回外出に至った理由としては、まさしく気の迷いで、というのが一番なのだろう。
閑話休題。
「さて、思い立ったはいいものの、どこに行こうか」
季節はすっかり春一色となり、マンションの傍にある公園では満開の桜の花を眺めることが出来た。はらはらと舞い落ちる花弁を右へ左へ避けるようにして歩きながら、桜の木の下で、休日とはいえ真昼間にも関わらずブルーシートを広げ、缶ビールをあおる顔の赤いお父さん方を横目にボクはひとまずは駅前のショッピングモールへと向かう。
徒歩にして約十分、ボクにとっては三千里を歩くに等しい苦行であった。
楽しかったのは桜を眺めながら歩いた始めの三分間だけで、四分後には額に汗し、五分後にはもう出かけるのはやめて家に取って返そうかと思い至り、六分後にはここまで来てしまえばショッピングモールへ向かった方が早いと考え直して、まるでシラクスへ駆け戻るメロスのような心持ちでようやく残りの四分を踏破せしめた。
正直、もう帰りたい。何故こんな雲一つない晴天の元、外へ出ようと思い至ったのか。
シャワーを浴びたい、お風呂に入ってこの気持ちの悪い汗を洗い流してしまいたい。
そうそう、お風呂といえば、先日のあの温泉絡みのイベントであるが、件のオカマが去った後は特筆すべきこともなく社へと戻り、また茶菓子を頂き、少しの間とりとめのない世間話をして解散となった。
温泉はいつでも、好きな時に使ってくれていいとカヨウさん直々にお許しが出たので、また時間があれば寄ってみようかと思っている。
サングラスを外し、ひとまずは自販機で冷たい飲み物を買い、ショッピングモール内のベンチに腰掛ける。
そうして、帰りは絶対にタクシーを利用しよう、天地がひっくり返ろうと絶対に徒歩では帰らないと固く誓いつつ、吹き抜けになった高い天井から下がる横断幕へと目をやった。
そこには大きく〝大人気ゲーム、TheAnotherWorldとのコラボイベント実施中〟の文字が。どうやらゲーム内の料理やら、小物やらを再現して販売しているらしい。
始まりの町アインの串焼き、道具屋ルビアの紅茶、風と水の町ツヴァイの焼き魚定食、ジパング風握り飯などなど。ジパング風握り飯って、それはつまりただのおにぎりなのでは、という気がしなくはないのだが、まあ気にしたら負けなのだろう。
ともあれ、せっかくの機会なのだから、何か一つぐらいは買っておこうか。
空き缶をごみ箱に放り込み、公式PVが流れる特設ブースへと向かうと、どこか覚えのある香ばしい匂いが漂ってきた。肉が焼け、油が弾ける音。若者たちの笑い声。ゲーム内のNPCを模した服装をした女性スタッフが、ステージ上でにこやかにTheAnotherWorldや、お勧めのフルダイブ対応VRデバイスの紹介を行っている。
「すみません、これを一つ下さい」
「あいよ、毎度ありい!」
小銭を取り出しつつそう注文すれば、どこかで見たような、頭にねじり鉢巻きを巻いたおじさんがそう言って白い歯を覗かせた。なるほど、なかなか再現度が高い。勿論、料理ではなくおじさんの方である。
おじさんが焼き上げた串焼きを手に、公式PVが流れる大型液晶モニターの前でぼんやりとそれを眺めつつ、むぐむぐと串焼きを味わう。
異世界へようこそ。
そんなキャッチコピーと同時に緑豊かな大地が映し出され、一羽の真っ白な小鳥が雲一つない青空へと飛び立っていく。そして場面転換。アインの噴水広場が映し出され、そのままカメラは冒険者ギルドへ、そこでは多種多様な種族のプレイヤーたちが賑やかにテーブルを囲み、そのうちの数名が各々の武器を手に、始まりの草原へ向かって駆け出していく。戦闘風景を流しつつ、最後はもう一度青空を映し出し、ゲームタイトルと大好評発売中の文字で〆る。まあ、そんな感じのよくあるPVである。
最後の一口を飲み込み、自販機でミネラルウォーターを買いなおしつつ、ぶらりと特設ブース内を歩き回る。冒険者の指輪を再現した銀の指輪や、一時期ボクもお世話になった若草のサンダルなど、食べ物以外にも色々と並んでいて案外飽きにくい。
ちなみに、知っていただろうか。若草とは英語で〝Little Women〟、つまりは小さな女子という意味を持つ言葉となる。故に、若草シリーズはゲーム内では女性キャラクターしか装備できない。
目ざといプレイヤーはどうやらそれでボクが女であることを看破したらしいが、いやはや我ながら少し浅はかだった。
結局、特設ブースではどこか見覚えのある扇子や指輪、しおりを購入した。
何やらインゲームアイテムと交換できるというチケットを一枚貰ったが、スマホで確認したところ内容はどうやらレベル一から対応したお洒落装備らしく、防御力やステータス補正にはあまり期待できないだろうが、なかなかお洒落なロングワンピースとブーツのセットである。どうやらこのショッピングモール内にある、有名ブランドの商品をそのままゲーム内に持ってきたらしい。コラボイベントの件と言い、なかなか商魂逞しい話だ。
まあ、ボクが装備することはないだろうが、とりあえず家に帰ってログインしたら受け取っておこう。
そろそろ周りの視線も気になってきたところで特設ブースから少し離れ、始めに座っていたのと同じベンチに腰を下ろし、なんのけなしに周囲へ目を向ける。
家族連れ、仲睦まじい老夫婦、カップル、学生らしい若者の集団、近所の子どもたち。
右へ左へ行き交う人の波を見やりつつ、世間は広いようで狭い、縁は異なもの味なもの、というのは少し違うが、世の中中々面白いこともあるものだと、ちらりと特設ブース内であれやこれやと戯れている若者のグループへと目をやった。
学生で、同じ学年の友人同士なのだろう。女子三人に、男子三人の組み合わせである。
まあそこは問題ではない。そんな連中、このショッピングモール内でも数組は見かけられるだろう。問題は、そのうち三名が、どうにも見覚えのある顔ぶれだというところにあった。
程よく日に焼けた肌に、引き締まったプロポーションの女子。その子より少し背の高い、草食系っぽいさわやかな男子と、それよりも頭一つ高い背丈の、ピアスを付けたどこか野性的な印象を受ける男子。
なんとも、面白い縁もあったものだ。
一名ほど確信が持てない人物が混じっているが、まあ恐らくはあのプレイヤーだろう。
彼女らの生活圏が案外近くだったことを驚くべきか、今日この時に見知った面々がこのショッピングモールに集った偶然を奇跡だと喜ぶべきか。
当のボクは、あの二人が本当にリアルの外見を元にキャラメイクをやっていたという事実に一番驚いていた。VRMMO初心者とは本当に恐ろしい。
基本的にボクはゲーム内の人間関係をはじめとしたあれやこれやをゲーム外に持ち出す事はないのだが、あの三人組が本当にあの三人組であるならば、これまでゲーム内で話していた年齢や性別諸々もすべて真実だったという事になるのだし、周りの同級生らしいその他諸々は一旦置いておくとしてあの三人に挨拶ぐらいはしておいた方がいいのだろうか。
否、その必要はない。
ミネラルウォーターを飲み干し、空になったペットボトルを再びごみ箱に放り込みながら、ボクはそう断じた。
ゲームはあくまでもゲームであり、ゲーム内での友好関係も、あくまでゲーム内での事。
身も蓋もない言い方をしてしまえば、非常に面倒だ。
彼女ら三人が悪い訳ではなく、単にボクの性格、人間的な問題であり、考え方の問題である。
彼女達には、〝タマモとしての自分〟だけを知っていてほしい、というのが本音なのだろう。
幸いなことに、ボクが使用しているアバターは顔つきこそ似通っているものの、体格や髪形、肌の色に関しては微妙に異なる。どこかで見たことがあるような、と思われることはあっても、初見でボクがタマモであると見抜くことはほぼ不可能と言ってもいい。
さて、それでは程よく暇つぶしも出来た事であるし、そろそろ家に戻るとしよう。
立ちあがり、今なお夥しい人波が押し寄せるショッピングモールの出入り口へと向かう。
否、向かおうとして、向かえなかった。がっしりと、何者かに肩を掴まれている。細い指、肌の感じからして若い女性だろう。日に焼けた、健康的な印象を受ける右手を見て、ボクは内心ため息を吐いた。
振り向いた方がいいだろうか。振り向いた方がいいのだろう。
そこに誰が立っているのかなんて明々白々、火を見るよりも明らかなのだが、肩に置かれた右手から二の腕へ、二の腕から肩へ、肩から首元へと視線を移していくと、そこにはやはりというかなんというか、ゲームの中ではよく見た顔の少女が、丸くて大きな瞳を爛々と輝かせながら立っていた。
「ご、ごめんなさい。あのっ、どこかでお会いした事ありませんか!?」
ショッピングモールの中に、溌剌とした少女の声が響く。
やはり、いつも通り引き籠っていればよかったと、ボクは改めてため息を吐くのだった。
2018/08/13 一部修正