お稲荷様と九尾の秘湯①
大変お待たせ致しました。
「おお、姉上から預かりものとな? それはまっこと、大儀である」
かんらかんらと少女が笑う。
本殿の傍に建てられたお屋敷の一室、い草の香り漂う広い客間に通されたボクたちは、現在小間使いの――後で聞いた話では、カヨウさんが使役する式神であるらしい――女性が用意した日本茶と和菓子に舌鼓を打っているところである。
一段高いところで胡坐を組み、扇片手に九本の尻尾を振るカヨウさんへと着物を差し出せば、彼女はうんうんと頷きながらそれを受け取り、背後にあった衣桁と呼ばれる着物用のハンガーラックへと飾ると、満足そうに一度頷いた。
彼女の白い肌が一層際立つ黒地の着物で、袖には赤い花々が添えられ、そこから同じ色をした数匹の蝶が舞い上がっている。小柄な彼女に合わせて拵えているためやや小さくはあるが、とても美しい一枚だ。
「ふふ、素晴らしい物であろう? 以前から姉上に頼んでおった品なのじゃが、ようやく出来上がったと聞いて楽しみにしておったのじゃ」
「なあ、今更だけどほんとに妹なんだよな?」
その時、たいそう上機嫌なカヨウさんへ怪訝な目を向けていたコタロウが小声でそんな事を言ってきた。
ボクの胸程の背丈に、全体的に丸みを帯びた肢体。
確かに妹というよりは娘と言われた方がしっくりくるような外見ではある。姉であるクズノハさんがあのだいなまいとばでぃであるので、特に。
しかし妙に古めかしい話し方をしているし、どうも見た目相応の年齢ではないような気がする。
その時、ぴこんと頭の三角耳を跳ねさせて、カヨウさんの赤い瞳がきらりと光った。
「ほほぅ、小僧っこが言うではないか。 確かに妾は姉上のような身体つきではないが……熟練の手練手管、味わってみるかや?」
「い、いや、遠慮しとく」
そうしてカヨウさんが科を作って迫ると、コタロウは顔を真っ赤にして部屋の隅っこへと引っ込んでしまった。 もっとも、彼はワーウルフ族であるので、毛皮が邪魔をして実際に赤くなっているかどうかは判断できないのだが。まんま狼な見た目によらず、随分と初心な男の子らしい。
というかカヨウさん、その外見で色気を出されても色々と不味いと思うのですが。
「そ、そういえば、ここって温泉があるんですよね! 楽しみだなあー!」
場の空気を切り替えるようにぱんと手を叩いたのは、頬を僅かに朱に染めたモミジである。
両手をわきわきさせ、コタロウを部屋の角へと追い込んでいたカヨウさんがそれにはっとして振り返ると、その後ろで尻尾を丸めていたワーウルフがほっと息を吐いていた。 その姿に、我がパーティ一のダメージディーラーたる威厳は欠片もない。
ハヤトはその様子を見て苦笑いを浮かべ、相変わらずだなあ、などと呟いている。
「ほう、温泉ならばここの裏手に良いのがあるぞ。村の人間もそう訪れぬ、普段は妾が一人で使っておる隠れ湯なのじゃが、お主たちには着物を届けてくれた恩もある故、特別に案内してやろう」
なお効能は万病の治癒、健康増進、肌にも髪にも良いらしい。
ゲーム的に言ってしまえば、デバフの解除、体力等々全回復、といったところか。
まあ実際に疲労回復などには効果がありそうだが、ゲームの中で入浴というのも変な話だ。 そういえば、疑問に思っていた入浴時の倫理規定的な問題であるが、どうやら入浴時には専用の湯浴み着を着用するらしい。そりゃそうだ。
しかし元々この社の巫女であるカヨウさん専用の秘湯であったので、当然ながら湯船は一つだけしかない。 なので、入浴は女子組が先、男子組はその後という具合で分けて行う事となった。
別に湯浴み着を着るのだから混浴でもいいのではないか、という声がありそうだが、それはそれ、これはこれだ。
そうしてカヨウさんの尻尾を眺めながら歩いていくと、本殿の後ろの崖沿いにずうっと下へ降りていく階段が見えてきた。 階段と言っても手すり代わりの荒縄が引かれているだけで、足元は全く舗装されておらず、ただただ踏み固められただけの状態である。山の裏はすぐ海だったようで、降りた先は三日月形の入り江になっていた。
ちょっと足を滑らせてしまえば、そのまま崖下まで転げ落ちてしまうだろう。そんな階段を、カヨウさんはまるで跳ねるような足取りで下っていく。彼女が蹴飛ばした石ころが、岩肌へとぶつかり水しぶきを上げるうねりの中へと消えた。
「そういえば、ここはどんな神様を祀っているんですか?」
軽快なカヨウさんの足取りとは打って変わり、一歩一歩確かめながら階段降りていくハヤトが彼女の背へと問いかける。
「うむ、ここはのう、かの豊穣の女神ウカノ様を祀る社なのじゃ。というのも、我ら妖狐族はその昔、ウカノ様が地上へと蒔いた稲の種から生まれたという伝説があってのう。我らの尾が稲穂に似ておるのも、その名残だと言われておる」
九本の大きな稲穂を揺らしながらそう語るカヨウさんはどこか誇らしげで、足取りもさらに軽くなったように見えた。というか、ただでさえ足を滑らせそうな階段の上であるので、あまりにも危なっかしくて見ているこちらは気が気ではない。
「いわばウカノ様は我らが母という事になる。故に、かの女神を祀る分社は数多くあれど、ここフシミの社がそれらを纏める総本社となっておるのじゃ」
胸を張るカヨウさんの話を聞いている間に、やがて波によって粗く削りだされた岩肌の間から、白い煙が立ち上っている様が見えてきた。潮の香りに混ざる硫黄の匂いに、モミジがそわそわと身体を震わせ始める。
ぐるりと大岩の裏へと回れば、そこには岩を切り取って作ったような、もくもくと湯煙をあげる湯船の姿があった。思ったよりも大きく、一度に大人が五、六人は入れそうである。
「すごーい! オーシャンビューだよオーシャンビュー!」
まるで子どものようにはしゃぎながら、モミジが湯船へと駆け出していく。
彼女の言葉通り、湯船からは美しい海の景色が一望できるようになっており、耳を撫でる潮騒と共に得も言われぬ心地よさを感じさせる。
そこでぽん、とカヨウさんが手を打った。
「どうやら気に入ってもらえたようじゃなあ。じゃが、やはり温泉は浸かってなんぼ、湯浴み着は用意しておるが、まずはおなごが先なのでな、男はちっとばかり向こうで待っておれ」
「先に頂いてしまって申し訳ない。あまり長湯はしないようにするから」
「いや、せっかくの露天風呂なんだし、楽しんできなよ。僕たちもあとでゆっくり入らせてもらうからさ」
「覗かないでよねー」
「てめえの平べったい体なんざ、頼まれても覗かねえから安心しろ」
いやコタロウ、一応ボクとカヨウさんも入るからね?
手を振りながら大岩の向こうへと歩いていく二人を見送ると、渡された白地の湯浴み着に装備を変更する。浴衣のような形のそれは、湯浴み着というよりは湯帷子に近く、袖にあしらわれた金魚の模様が可愛らしい。
ちなみにこういった湯帷子を着て入浴していたのは主に平安時代まで。
当時は湯船につかる習慣がなく、お風呂も蒸し風呂だった為、水蒸気でのやけどを防ぐ等の目的で着用されていた。鎌倉時代に入ると男性はふんどし、女性は湯文字という腰巻のようなものに変わり、裸で入浴するのが主になったのは安土桃山時代に入ってからだったりする。
まあ、流石に一般向けのゲーム内で裸体を晒すわけにもいかないので、今回はそういった細かい部分は気にせず、素直に温泉を楽しむこととしよう。
「はあー、気持ちいいー」
間の抜けた声がする方へと目をやれば、そこにはもう肩まで湯船に浸かり、蕩けるような笑顔を浮かべるモミジの姿が。
そんな彼女の様子に苦笑いを浮かべると、ボクもいざ温泉を満喫すべく、ぺたりぺたりと歩き出すのであった。
沢山のブクマ、評価、感想本当にありがとうございます。
これからも本作を宜しくお願い致します。
2018/08/13 改稿