お稲荷様と初めてのおつかい
まだ全然RPGしてません。
まあ、序盤のおつかいクエストは基本、という事で。
子ども特有の高めの体温が手のひらから伝わり、なんとも心地良い気分になりながら、こつりこつりと石畳の道を行く。
幸いな事に、市場はあれからすぐに見つける事が出来た。と、いうのも、シアがプレイヤーとぶつかったあの道から真っすぐ進んだところが、彼女が探していた市場だったのだ。
そんな訳でボク達は今、様々な露店が立ち並ぶ市場の中で、お目当ての物を探している最中である。
「しかし、随分と賑やかだね。いつもこんな感じなのかい?」
ボクの右手をぎゅっと握るシアにそう尋ねる。しかし、しばらく経っても返答がない。怪訝に思って目を向けると、彼女はぼぅっとした表情でとある一点を見つめている。
何を見ているのか気になりその視線の先へと目を向けると、そこにはキャラメイクの際拘りに拘った、ふさふさの尻尾が柔らかく揺れていた。ボクの尻尾は、毛色自体は髪と同じ黒なのだが、その先端部分だけインクに浸したように白くなっている。どうも犬や猫と同じように感情と連動しているのか、意識していなくても右にふらり、左にふらりと動いている事が多いようなのだが、どうやらそれがシアの好奇心を随分と刺激してしまったようだ。
――そういえば、まだ意識して動かせるか試していなかったな。
ふとそう思い付き、さっそく試してみると、思いのほか簡単に動かせるようになった。右に振るように意識すると右へゆらりと揺れ、動きを止めるように意識すれば、身体の中心を沿うようにしてぴたりと止まる。
これは後に知る事になったのだが、どうやらフルダイブ対応VR機器―ボクが使っているのは大手日本メーカーが開発したVR対応ヘットギア【サルタヒコ】である―がプレイヤーのこういった思考を感知し、反映させているらしい。脳波が云々カンヌンと、詳しく話すとかなり長くなるのでここでは省略する。
右にふらふら、左にゆらゆら。艶めかしく揺れる尻尾の誘惑に、シアの瞳も右に左に動き回る。
その光景があまりにも可笑しくて、思わずくすりと笑みが漏れてしまった。はっとなり、シアが顔を真っ赤にしながらこちらを見上げてくる。
「ご、ごめんなさい」
「いや、いや、構わないさ。気に入ってもらえたようで、なにより」
あたふたするシアの髪をそっと撫でる。 触ってみるかいと、尻尾を顔の前まで近づけてみれば、彼女はうっと息を呑み、やがて恐る恐るといった風に小さな手を伸ばしてきた。ふわりと、その指先が豊かな毛並みに沈む。ふむ、なんとも不思議な感覚だ。流石に本来持ちえない部分なので痛み等の感覚はないのだが、その代わりだろうか、どうも尾てい骨の辺りに得も言われぬむず痒さがある。
「ふわあ、ふかふか」
ふにゃりと、シアの表情が綻ぶ。
そっと触れるだけだった両手はいつの間にか尻尾をがっしりと抱きしめており、しまいにはとても嬉しそうに顔まで埋めてしまった。放っておいたら、このまま寝てしまうのではないだろうか。
本来ならば注意すべきなのだろうが、幸せそうな彼女の邪魔をするのはいささか気が引ける。顎をさらりと撫で、どうしたものかと考えた結果、とりあえずは本来に戻ることとする。
そう、シアが頼まれたというおつかいである。
ぐるりと辺りを見回せば、野菜を中心に揃えた露店が目に入った。
日本ではあまり見かけない趣ではあるが、恐らくは八百屋さんのようなお店だろう。
「シア、お店を見つけたよ。お母さんに頼まれたものがあるかどうか、見に行こう」
そう言ってシアの肩を叩けば、まるで猫のようにびくりと身体を跳ね上がらせて、彼女はようやく尻尾から手を放した。
どこか名残惜しそうな目をするシアの手を握り、見つけた露店へと向かう。そこには色鮮やかな野菜達が並べられており、店の奥には店主であろう男性の姿が見える。丸坊主の頭に捻り鉢巻、ねずみ色のチョッキを着た人懐っこそうな主人が、木箱を椅子代わりに声を張り上げていた。
「こんにちは、ご主人。ちょっと見させてもらうよ」
「おう、妖狐族たあ珍しいな。アンタも来訪者ってやつかい?」
来訪者。そういえば、このゲームの説明書にそんな単語があったような気がする。確か、プレイヤーを差す言葉だったはずだ。
アンタ〝も〟という事は、やはり、この市場にも既に相当数のプレイヤーが流れ込んできているのだろう。
「わかるのかい?」
「おうともさ。この辺りじゃ妖狐族なんてまあ見ねえし、アンタみたいに異国の服まで着てるやつはそれに輪をかけて珍しいしな。それに今日から来訪者がどっと多くなるってえ、お偉いさんからのお達しもあったしなあ」
にっかりと白い歯を光らせて、店主が笑う。
「そんなにボクは珍しいのかい?」
まあ、道行く人がやたらとこちらに視線を向けてくるので、もしやとは思っていたのだが。
しかし、道中獣人などの亜人種の姿もちらほら見かけていたので、少し意外ではある。そんな事をご主人に話すと、彼は膝をぽんと叩き、そりゃあなあ、とまた笑う。
「妖狐族ってえのはずうっと東に国を構えてて、滅多にこっちにゃ出てこないって、昔詩人に聞いた事がある。それに、アンタみたいな色男が歩いてちゃあ、そりゃあおれらみたいな田舎者はイチコロってもんだ」
「はは、おだてても買う品は増えないよ、ご主人」
「おいおい、おれあ根っからの正直者で通ってんだぜ? そのおれが色男つって褒めてやってんだから、ありがとうございますと素直に喜んどきゃあいいんだよ」
「それは失礼した。 ボクもこの顔はそれなりに気に入っているのでね、素直に称賛されておこう」
「おっ、言うねえ、これだから顔が良い男はいけ好かねえんだ」
「ははは、そう言わないでくれよ。 まだまだ若輩の身でね、まだこれと尻尾を振ることぐらいしか、取り柄がないのさ」
そう言って大きな尻尾をこれ見よがしに振って見せると、ご主人はどっと堰を切ったように、腹を抱えて笑った。 あまりに大笑いするので、椅子代わりの木箱から転がり落ちてしまわないかとこちらが気が気ではないほどである。
しかし、まあ、このまま雑談を楽しむのも一興ではあるのだが、今はシアのおつかいが最優先だ。
並べられた品物に目を向ければ、意外にも日本でも馴染みのあるものが多かった。 メモに書かれている野菜の他にも、きゅうりやトマト、大根まである。
「さてさて、ではご主人、これだけ貰おうか」
「ひー、ああ、笑った笑った。 あいよ、全部で500Gだ!」
ちゃりん、と小銭の音が響き、ボクの所持金から500Gが引かれる。
母親から代金を預かっているであろうシアでは無く、プレイヤーの所持金から引かれるところが変にゲームっぽい。まあ、この辺の支払いはクエストの報酬として返ってくるのだろう。
購入した野菜を所持品欄に入れ、ふと店主の方を見る。
「そうだご主人、トサカドリのもも肉も欲しいんだが、お勧めのお店はないかな?」
「トサカドリのもも肉だ? なら、向かいの並びの一番奥、フジっつう親父がやってる店だな。クレイジーベアみてえなナリしてっから、すぐにわかるだろう」
「すまないね、ボクはタマモ、また贔屓にさせてもらうよ」
「グロスだ。 またいつでも来な」
クレイジー何某というのは聞いた事がないが、言わんとしている事はなんとなく理解できる。
店主に礼を言って店を後にすると、今まで静かだったシアがぎゅっとボクの手を握りしめた。何事かとそちらへ目をやると、そこには不機嫌そうに頬を膨らませたシアの姿が。どうやら、主人との世間話は随分と退屈だったようだ。
「いや、すまないね。気持ちの良い人だったから、つい話し込んでしまった」
「タマモ、一緒にお買い物してる時のお母さんと同じぐらいお話してた」
「ははっ、シアのような可愛い子が娘なら大歓迎なんだけどね」
ボクとしてはそれほど長い時間話していたつもりはないのだが、これぐらいの子にとって退屈な時間というのは本来の何倍にも感じるものだ。しかし、自分で言っておいてなんだが、娘、娘かあ。ううむ、子を抱いている自分の姿が全く想像できない。
そんなことを考えながらシアの髪を軽く撫で、先ほど紹介された店へと向かう。幸いそれほど遠くはなかったようで、しばらくするとすぐにそれらしき店を見つける事が出来た。それと同時に、なるほど先程ご主人が言っていた事は間違っていなかったな、と尻尾を一振りする。
「いらっしゃい。 初めて見る顔だが、来訪者かの?」
「ええ、ボクはタマモ。 突然で申し訳ないのですが、貴方がフジさんで間違いないでしょうか?」
精肉の並ぶその先で、先ほど紹介された“フジ”とみられる老人が立ち上がる。齢は五十から六十といったところだろうか。しかし、皺の目立つその顔とは裏腹に、その体は随分と大きい。
身長は二メートルはあるだろうか。鍛え抜かれた筋肉に押し上げられて、白いシャツが破れんばかりに伸びきっている。
肉屋というよりはベテランのプロレスラーといった風である。
「如何にも、フジというのはワシじゃが」
「実は、すぐそこで店を開いているグロスという店主からここを紹介されまして。トサカドリのもも肉を探しているんですが」
グロス、という名前にフジさんはふむ、と顎を一撫でし、目を細める。
そうして、不意にボクの尻尾の方へ視線を向けたかと思うと、柔らかな笑みを浮かべた。
「おお、誰かと思えば、ルビアさんとこのシアちゃんか。ちょっと見ないうちに大きくなったなあ」
見れば、尻尾の後ろからおずおずといった様子のシアが顔を覗かせていた。どうやら顔見知りのようである。いや、シアの様子を見るに、顔を覚えていたのはフジさんだけのようだが。
「今日はおつかいかな? 偉いなあ」
頭を撫でようとしたのだろう、ずいっと伸びてきたフジさんの大きな手のひらを見て、シアはびくりと身体を跳ね上げると、まるで猫のようにボクの尻尾の陰へと隠れてしまった。行き場をなくし、ごつごつとした右手が寂しそうに宙を泳ぐ。
フジさんの気持ちはわかる。しかし申し訳ないが、正直小さな女の子だとこの御老人は怖いと思う。
本人は頭を撫でてやるつもりであっても、シアちゃんにとっては押しつぶされそうな重圧を感じた事だろう。
「いやはや、どうもこのナリだと子どもに怯えられてかなわん。そういえば、前に会うた時も大泣きされたのう」
彼自身もそれは理解しているのか、少し困ったように笑い、奥から小さな包みを一つ手に取った。
「ほれ、トサカドリのもも肉じゃ。200Gでええぞ」
ちゃりん、と小銭の音。所持金が2300Gに。
これでメモに書かれた品は一通り揃える事が出来た。あとはシアを自宅まで送り届けるだけである。 しかし、まあ、少しぐらいお節介を焼いてもいいだろう。ちらりと後ろへ視線をやると、尻尾をぎゅっと握るシアと目が合った。 その縮こまった背にそっと手を添え、囁くように言う。
「ほら、シア、ちゃんとお礼を言わないと」
そうして掴まれたままの尻尾を揺らすのと同時に、彼女の背を押す。
たしかに見た目はクマみたいだが、少し話しただけで分かる通り、なんとも暖かで穏やかな御仁なのだ。彼女の母親とも顔見知りのようだし、ここで一つ双方の仲を解しておいても良いだろう。
ボクとフジさんとを交互に見ながら、やがてシアは意を決したように尻尾の陰から顔を出した。
「あ、あの、ありがとう、ございましゅ……」
そして噛んだ。
思わず笑いそうになるのを、袖で口元を隠して何とかやり過ごす。
言わずもがな、顔を真っ赤にしたシアは、またボクの背後へと引っ込んでしまった。
だが、それだけでも彼には十分だったのか、フジさんはうむと一言頷くと、また店の奥へと戻り、商品の準備を始めた。その背中が随分と嬉しそうに見えたのは、きっと見間違いではないだろう。
「よくできたね、シア」
ぎゅっと尻尾にしがみつくシアの髪をそっと撫でる。
「さて、それじゃあ帰ろうか。シアのお母さんにも、ご挨拶しないとね」
返事は無い。代わりに、尻尾を抱く力がまた一段と強くなった。抱き着きすぎて、跡が残らなければいいのだけれど。
そんな可笑しな心配をしながら、ボク達は市場を後にする。
日は、少しずつ傾き始めていた。
イメージとしてはグロスさんは頑固おやじ。フジさんはザンギエフです。
泣かなかっただけシアちゃんは偉い。
2018/05/01 改稿