お稲荷様と香辛料
サブタイは怒られたら変えます。
風と水の街≪ツヴァイ≫
幾つもの風車が建ち並び、傍を流れるフュマーラ大川の水音に心癒される美しい街。
そんな街をぐるりと囲む防壁の傍で、ボクは立ち尽くしていた。
目の前には、美しい金色の絨毯が、爽やかな風を受けて波打っている。
その光景はとても幻想的で、まるで一枚の絵画のようだ。
思わず息を呑むその光景の正体は、街の周囲に広がる小麦畑。
たわわに実った麦穂が揺れ、その向こうで商人を乗せた荷馬車ががたごとと通り過ぎていく。
「なんて美しいんだろう」
ごくりと生唾を飲み込んで、ようやく言葉を絞り出す。日本ではまずお目にかかれない光景に、柄にもなく気分が高揚しているようだ。
ともあれ、いつまでもこうしている訳にもいかない。
後ろ髪を引かれる思いでその場を後にすると、街へと向かう。
ちなみにハヤト達とは街の入り口で別れたので、今は一人だ。モミジは随分と渋っていたが、やはりボクは一人でのんびりと行動する方が性に合っている。
街に入りまず目を引いたのは、所々に立ち並ぶ風車達の姿。悠然と佇むその姿を横目に、石畳の道を行く。
さて、まずは情報収集である。
冒険者ギルドに顔を出してもいいが、どうせ手軽にこなせるクエストは他のプレイヤーに持っていかれただろうし、急ぐ必要もない。
他に情報が集まるような場所となれば、まあ酒場が定番であろう。
幸いな事に、お目当ての店はすぐに見つける事が出来た。
泡立つジョッキのマークが描かれた看板をくぐると、まだ日も高いにもかかわらず、数人の男達がジョッキ片手にテーブルを囲んでいる。
NPCのようだが、どうやら冒険者らしい。それぞれ指に【冒険者の指輪】を装備しているのが遠目に確認出来た。
「いらっしゃい。悪いな、ボンクラ連中のせいで昼間っから酒臭くってよ」
比較的静かなカウンター席に腰を下ろすと、その向こうから頭を剃り上げた強面のマスターが、苦い顔をしながら声をかけてきた。
「おいマスター、ボンクラってのはどういうこった!」
「そうだそうだ、こちとらなあ、やっとこさ一仕事終えたとこなんだよべらんめえ!」
「やかましい! 昼間っから酔っぱらってる連中なんてなあ、ボンクラで十分なんだよ!」
背後から響く男達の声に、額に青筋を浮かべながらマスターが返す。
「すまねえなお客さん。注文は?」
「いや、繁盛しているようで何よりだ。とりあえず、この焼き魚とスープのセットを」
「あいよ、ちょいとお待ちを。お前ら、迷惑かけんじゃねえぞ!」
メニューから適当なものを頼むと、マスターは白い歯を見せて笑い、男達を一睨みした後厨房へと入っていった。
そして案の定、マスターの姿が見えなくなった途端に騒ぎ出す男達。
傷だらけになった革の鎧を着こんだ髭面の男がどかりと隣へ座り込み、酒気たっぷりの息を吐いた。正直あまり近付かないで欲しいのだが……。
「ようようあんちゃん、いや、姉ちゃんか? まあいいや、見ない顔だが、この街は初めてかい?」
「丁度今街に着いたばかりでね。≪アイン≫から森を抜けてきた」
どうやらかなり出来上がっているようだ。
男はリンゴのように真っ赤になった顔で木製のジョッキを呷ると、勢いよくカウンターに叩きつけた。
この匂いは、ビールだろうか。
「おお、てことはまさか、噂の来訪者様か! どうだ、良い街だろうここは!」
「ああ、とても美しくて、素晴らしい街だと思うよ」
「そうだろうそうだろう! にいちゃん話がわかるなあ!」
上機嫌にばしばしと肩を叩いてくる男に内心少し辟易しつつも、見たところそれなりにベテランの冒険者のようであるし、情報を入手するにはうってつけかと調子を合わせる。
相手に悟られないよう、尻尾は先ほどから膝の上である。
ところで、と男の前に手をかざす。
「ボクは陰陽師、という職業の事を調べているんだが、聞いた事はないかな?」
静かに半歩分ほど椅子をずらして尋ねてみれば、男は顎に手を当ててしばらく考え込むと、もう一度ジョッキを呷り、白い泡が付いた口をゆっくりと開いた。
「ううむ、陰陽師なあ。随分と前に王都から来た商人がそんな事を言っとったような気がするが」
「狐のあんちゃん、アンタ陰陽師になりたいのかい」
首を捻る男の後ろから顔を出したのは、先ほどまでテーブルに座っていた仲間の一人。
その表情と声色に、ボクは鼻につくアルコールの香りにも構わず男の方へと身を乗り出す。
「その様子だと知っているみたいだが、詳しく聞いても?」
「おうよ。ワシは貿易都市≪ドライ≫の生まれなんだが、若い頃に≪ジパング≫、ああ、東の海にある島国なんだが、そっから来たサムライっちゅう剣士に聞いてなあ」
ドライ、ジパング、サムライ。
サムライとは、まず間違いなくあの〝侍〟の事であろう。
一度に飛び出してきた重大な単語の数々に思わず面食らってしまう。
どうやらこの酒場に立ち寄ったのは大正解だったようだ。
「それで、侍はなんと?」
「まあ、そのサムライには仲間が何人かおったんだが、そのうちの一人にこれまた変わった呪い師でなあ」
いつの間にか酒場の中はしんと静まり返り、誰もが男の昔話に耳を傾けていた。
その呪い師は何者なのかと男が問うとサムライは、あれは陰陽師といって、呪いをかけたり吉凶を占ったりする者である、と答えたらしい。
更にサムライは、陰陽師の力は侮りがたく、我が国の帝も重宝しているのだと語ったという。
「成程、成程」
話を聞く限り、おおよそ日本に伝わる陰陽師と立場は変わらないようだ。
男の話が何年前の事かはわからないが、こうしてNPCがヒントを示しているのだ。
≪ジパング≫という国に渡る事が出来れば、陰陽師への道は開かれるに違いない。
「はいよ、焼き魚とスープのセットだ。なんだ、随分と気が合ったみたいじゃねえか」
「はは、おかげ様でね。マスター、この酒臭い賢者達にビールを。お代はボクが出すよ」
「おお、にいちゃん太っ腹だねえ!」
「なに、素晴らしい話を聞かせてもらったお礼だよ」
そうしてまた店の奥で酒盛りを始めた男達を見て頬を緩めつつ、焼き魚に舌鼓を打つ。
程好く塩味が効いた、柔らかな白身魚である。
マスターに尋ねてみれば、フュマーラ大川で獲れた魚だという。
時間があれば、川で釣りに興じてみるのもいいかもしれないな、と思いつつ、空になった器に手を合わせて席を立つ。
「マスター、ご馳走になった。またお邪魔するよ」
「おう。今度は日が沈んでから来な、上等な酒を飲ませてやる」
「はは、楽しみにしてるよ」
「あんちゃん、また一緒に飲もうな!」
まあ、まだお酒が飲める年じゃないんだけどね。
内心でそう付け足しつつ、手を振って店を出る。
少し歩き、風車の見える公園で一息つきつつ、モミジ達へメッセージを送信していく。
内容は勿論、先ほどの酒場の件だ。
誰か他のプレイヤーが情報を掲示板などに書き込んでいれば無駄になってしまうが、もしもまだこの話がどこにも出ていなかった場合は、多くのプレイヤーにとって青天の霹靂となる事は確実である。
やがて先程送ったメッセージの返信が届く。
そこには、この情報はもう掲示板に書き込んだのか、もし手間であるなら、こちらで書き込んでしまってもよいか、といったことが書いてあった。
こちらとしてもその方が助かるので、そのようにメッセージを送り、ベンチから立ち上がる。
「さて、これで目的は定まったな」
≪ジパング≫という国に渡るにはまず、貿易都市≪ドライ≫への道を解放する必要がある。
しかしこの≪ツヴァイ≫の例から考えると、その道には強力なボスモンスターが配置されている可能性が極めて高い。
ソロでの撃破は無理だろうが、どういった行動パターンなのかを調べ、報告するぐらいはできるだろう。それで少しでも早く攻略されるのなら、やらない手はない。
ともあれ、折角新しい街を訪れたのだ、まずはこの街を堪能しなければ失礼というものだろう。
そうやって街を歩いていると、所々にカボチャやカブ、麦の束が積まれているのが目に入った。
どうやら売り物でもないようだし、中にはハンカチなどで飾りつけをされている物もある。
「少しいいかな。何故カボチャや麦が道に積まれてるのか、教えて欲しいのだけど」
「ああ、そりゃあ収穫祭が近いからな。その準備だよ」
大きなカボチャを担いだ男性に声をかけると、彼は額の汗を拭いながらそう教えてくれた。
詳しく聞いてみると、どうやらこのカボチャ達は豊穣の神様への捧げ物であるという。
祭りとなるとNPC、プレイヤー問わず大勢の人が集まるだろうし、かなり賑やかになるだろう。
そして、人が集まれば様々な物品も集まる。
普段とは比べ物にならない数の露店が並ぶだろうし、そこにボク好みの品が無いか見て回るのも、また一興である。
祭りが行われるのはゲーム内時間で明日の夜。
もし欲しい物があった時にお金が足りない、などと情けない事態に陥らないよう、少しでも稼いでおくか。
所持金をちらりと確認し、一路冒険者ギルドへと歩を進めた。
なお、突然掲示板に書き込まれた侍や≪ジパング≫の情報が、一部のプレイヤー達を歓喜の渦に巻き込み、こちらはこちらでお祭りのような騒ぎとなるのだが、それはまた少し後のお話。
祭りの夜が、やってくる。