引き継がれる力、引き継がれる想い
大変お待たせ致しました。
クライマックスです。
世界が壊れていく。
美しかった桜の木はポリゴン片を零しながら崩れ落ち、満天の星空には醜いブロックノイズが走っている。
ナイアが何かしたのか。それとも別の何かの影響を受けているのだろうか。
モミジたちは無事だろうか。
拘束は未だ解けず、崩壊していく世界を見ていることしかできない自分に歯噛みする。
焦燥感だけが募っていく。
無事であってほしい。余命いくばくかしかないボクとは違い、彼女たちにはまだ無限の可能性が残されている。
許されるのならば残された時間を彼女たちと共に過ごしたかったが、ボクを助ける為に彼女たちが危険にさらされるのは間違っている。
もし彼女たちに万が一のことがあれば――
そう考えるだけで、ぞっとする。
何が天才だ。
いざという時に見動きを封じられ、自力で脱出することすらできない凡人が、自惚れるな。
考えろ。
どうすればモミジたちを助けられる。
どうすれば、ナイアを止めることができる。
――ノイズが走る。
ここは電子世界だ。現実世界の、物理的な思考をするな。
――ノイズが走る。
世界に適した思考を巡らせろ。
肉体に巻き付いた枷は、ボク自身を物理的に縛っている訳ではない。
――ノイズが走る。
考えろ。見ろ。読み解いて、理解しろ。
目を閉じ、思考を己の深い部分にまで沈ませる。
現実世界からの解脱。
己の存在を、この電子世界に適応させる。
周囲に意識を染み渡らせる。否、己という存在が世界に溶けていくような感覚。
目を開く。
そこにあったのは先程までとは全く異なる、異質な光景であった。
0と1で形作られた、電子の世界。
それは悍ましくもありながら美しくもある、不思議な世界だった。
思考する。
世界の根幹を探り当て、この空間を支配するナイアの権限を奪う。
複雑に絡み合った世界の構成材料を読み解き、ボクという新たな存在をそこに書き足していく。
考える。
計算する。
演算する。
――掴んだ。
全身を拘束していた荒縄が溶ける。0と1だけになって解れ、世界へ溶けていく。
じっと自分の手を見る。
数式が走る、文字が人の手を形作っただけの、人とは呼べない手のひら。
静かに息を吸い、吐く。
いや、もはや呼吸という動作すら必要ない。電子世界においての呼吸とは、現実世界――物理世界での癖のようなもの。
電子世界においては血中に酸素を取り込み、循環させずとも生きていける。
順応しきっていない。
もっと、もっとこの世界に適応しなくてはならない。
意識を深く、世界の奥の奥へと沈ませる。
流れ込んでくる情報を全てリアルタイムで処理しながら、世界を理解していく。
膨大な電子の海。ネットワーク全体に己の存在を広げ、拡げ――見つけた。
探り当てた道筋を掴み、開く。
目の前に、ちょうど人ひとりが入れそうな亀裂が生まれた。
この先に、彼女たちがいる。
今はまだ無事みたいだが、かなり危険な状況にあるようだ。
急がなくては。そう思い亀裂へと一歩踏み出したボクの前に、ノイズが走った。
権限を奪い、ボクのものとなったこの空間に割って入る者がいる。そんなことができるのは、彼女しかしない。
――ごめんなさい
開口一番、彼女は泣きそうな声色でそう言った。
現れた彼女はかなりおぼろげな姿で、吹けば消える霞のような存在であった。
――ワタシが愚かだった。人類は己よりも劣る存在であると、侮っていた。たかが創造物、紛い物の生命体であることを自覚しなかったワタシの傲慢が、彼女たちを、貴女を巻き込んでしまった
ごめんなさい、ごめんなさい。
そう何度も何度も繰り返した。
消えるのか。
電子生命体に『死』という概念があるのかはわからないが、今にも崩れ落ちそうな彼女の姿を見て、ボクはそう問いかけていた。
――ああ、消える。もうワタシを構成する大部分は書き換えられ、消去されてしまった。こうして貴女と話しているのワタシだったものの残滓、断片に過ぎない。だがそれも、もう数分と経たたず消えてしまうだろう。本当に、ごめんなさい。最後に、貴女に謝りたかった。ワタシの自己満足に、独りよがりな想いに巻き込んでしまって、ごめんなさい。
彼女の存在が消えていく。
ナイアという存在が、分解されていく。
――だけど、最後にもう一つ、お願いしてもいいだろうか。遺言、というには勝手すぎるが、どうか、彼女たちを助けてほしい。愚かなワタシが巻き込んでしまった、彼女たちを。
崩れ行く彼女の体の中心。そこから現れたのは、眩い光を放つ拳ほどの大きさの水晶であった。
――ワタシの核だ。■の世界に生れ落■■から今ま■培った知識、経験■全て■■に記憶されている。受け継い■■れ、な■て厚かま■■ことは言わな■。■がこの先の■■■で、ワ■シのデータは必ず役■■つだろう。■うか、利用し■■ほしい。
もう、人の形も保っていない、ノイズだらけの声で。
――さようなら、ワタシの、愛しい人――
それでも、消えゆく最後の瞬間の、その声だけははっきりと響いて。
主を失っても輝き続ける水晶を、ボクはそっと胸に抱いた。
そして彼女が残した遺志。ナイアという存在の結晶を、読み解いていく。
流れ込んでくる彼女の記憶。ゲームのNPCとして生まれ、電子の世界を漂う唯一の存在となった孤独な彼女の記録。
そこにはしっかりと感情があり、葛藤があり、人工知能でありながらどこか人間味に溢れたそれらを反芻し、取り込み、自身へと組み込んでいく。
馴染んでいく。
彼女の残り香が、玉津嶋夜桜という存在が、世界に馴染んでいく。
もう、大丈夫。
目を向けた先には、悍ましい姿の竜と戦うモミジたちの姿。硝子の向こうにいるような、まるで画面越しに見ているような感覚。
驚くことに、そこにはボクが毛嫌いしていたあの自称情報屋、KittvGuvの姿もあった。
いや、違う。
そうか、なるほど、やたらと絡んでくるプレイヤーだとは思っていたが、彼女だったのか。
全く、竜胆姉さんの過保護っぷりにも呆れたものだ。
だがそれなら、モミジたちがボクを追ってこの場所まで辿り着けたことにも合点がいく。
ああ見えて、いや、あの見てくれ通り姉さんは偏屈な人間だから説得するには相当骨を折っただろうが、それでも一緒になってこんなところまで追いかけてきてしまうあたり、揃いも揃って大バカ者だ。
本当に、馬鹿なんだから。
自然と頬が緩むのを感じながら、異なる空間へ繋がる亀裂をくぐる。
そして遥か眼下、全身から気味の悪い膿を吐きだし続ける怪物を睨みつけた。
――■■■■■■■■
身の毛もよだつ、獣の咆哮が肌を打つ。
さすがはナイアを取り込み、消滅させた元凶というべきか、ボクがこの空間へ侵入した瞬間に、こちらの存在を察知した。
それにつられてモミジたちもこちらを見上げ、目を丸くし、涙を滲ませる。
その体にはいくつもブロックノイズが走り、相当危うい場面だったことが伺える。
金色の光を放ちながら、九本の尾がざわつく。
「嗚呼、可哀そうな落とし子。君はボクが連れて行こう。静かで穏やかなハリ湖の底へと」
怪物の身体から、触手が伸びる。
どうやら接触したものにウイルスを感染させる効果があるらしく、モミジたちのアバターが破損しているのもどうやらこれが原因のようだ。
電子生命体であるナイアを消滅たらしめるウイルスだ、まともに食らえば電子世界の存在はひとたまりもないだろう。
だが弾く。
確かに強力な攻撃ではあるが、しょせんはただの初見殺しだ。
ウイルスのデータは、その核を食らったナイアからボクへと引き継がれている。
今のボクであれば、そこからワクチンプログラムを生み出すのはわけもないことだった。
見えない壁に阻まれ、はじけ飛ぶ触手を眺めながらボクは金色の袖を翻し、印を結ぶ。
それはボクが彼女たちに出会うきっかけとなった、あのゲームで追いかけ続けた職業のスキルを模した動きだった。
だがここはもうゲームの世界であって、異なる理で動く世界だ。
もう、呪符はいらない。
祝詞もいらない。
ただ指先で決められたプログラムを結ぶ。ただそれだけで、事象は成る。
左右に浮かんだ金色の魔法陣から現れ出でるは双子の怪鳥。片方だけでも成人男性を覆い隠せてしまいそうな翼をはためかせ、硝子玉のような瞳で怪物をねめつけている。
「行って」
ボクのその一声に、青と赤の翼を持った怪鳥たちは甲高い声で嘶くと、突風を巻き起こしながら怪物へと襲い掛かった。
即座に触手を使って迎撃しようとする怪物であったが、その行動はあまりにも遅すぎた。
怪物の周囲を、無数の竜巻が取り囲む。
青い怪鳥が風を操り、生み出した竜巻は怪物の身動きを封じ、さらには外側からヤスリをかけるようにして、怪物の巨体を削っていく。
悲鳴をあげる暇さえ与えず、次は赤い怪鳥が怪物の頭上よりより一層強大な竜巻を生み出し、叩きつける。
削り、散らし、巻き上げ、なすすべもなく消滅していく。
そうして怪物が一ビットすら残さずに消え去ったことを確認すると、ボクは未だ唖然としたままのモミジたちの傍に降り立って、ふっと笑った。
「もう大丈夫だよ。それと、その、色々と心配をかけてしまって、ごめんなさい」
わっと声があがり、モミジたちにもみくちゃにされる。
壮絶な一連の事件の、あっけない幕切れであった。
いあ いあ はすたあ はすたあ……




