内通者⑤
(逃げなきゃ!)
登子は、ヴァサラへの操作に集中し、それをパワーを上げることだけに注ぐ。
さっきはびくともしなかった体が少しずつ動き始める……。
(よし!)
そのまま力のままに、体に絡み付いたチリを吹き飛ばす。
その光景を、高氏は首を90°曲げながら見つめる。
猫背と開いたままの口は、優しい穏やかな高氏とは遠く離れた、不気味な雰囲気を醸し出している。
自分の知らない高氏の姿に登子の体は震え息を呑んだ。
その瞬間、黒い手が高氏の背中から登子へ襲いかかる!
慌てて登子は、刃に光を灯し、それを黒い手目掛けて放つ。
光の弧は黒い手を裂いたがすぐに光が薄くなり消えていった。
いや、というよりも、それは黒い手に吸収されていったように見える。
(光を……吸収した……?)
そして、裂かれた黒い手がまたくっつき、一つの手を形成する。
そのまま、登子を捕まえようと襲いかかってくる。
これはもう逃げるしかないと悟った登子は元いたビルの方を向く。
そして、スピードを上げることだけに集中し、ビルに向かって駆け出す。
そのまま登子はビルの壁を「走って」登り始めた。
今の登子のスピードなら、体が重力に負けて落ちるより先にビルの頂上に着くはずだ。
このビルは百二十階建て。
少しでもスピードを緩めると、ビルから足が離れてしまう。
走ることだけ、駆けることだけに彼女は集中した。
すると、登子の後ろからドシンドシンという音と、鏡が割れる音が聞こえてきた。
高氏である。
高氏の背中から生えたチリでできた大きな黒い手が八本。それらがまるで蜘蛛のように壁を掴んで移動しているのだ。
中央にいる高氏は、目を赤く光らせながら、「待てぇ゛、待てぇ゛」と叫ぶ。
でも、登子は、振り向くことなく上へ上へと昇って行く。
落ちないように落ちないようにと、速く速く駆けていく。
しかし……。
「ぅお゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛」
後ろから一本の黒い手が伸びて登子を捕まえようとする。
その手が段々と段々と大きくなり、その影が登子を覆う。
(えっ?)
それに気づいた彼女は、つい焦りスピードを上げた。
それは微かに彼女に当たらなかった。
しかし、彼女に当たらなくても、その黒い手は、ビルに突き刺さった。
その振動で登子の足がビルから離れる。
まずい………。
その体は、重力に従ったまま、下につまり高氏のところに落ちていく。
死ぬのは嫌だ。死ぬのは嫌だ。生きたい、生きていたい。
でも……。
好きな人にならいいかな……。
登子は目を閉じ、自身の最後を待つ……。
目を閉じても、ビルの屋上にある複数のライトのせいで、眩しく思えた。
複数の手が捕まえるために、彼女を受け取るように構えた。
その手が絡み合い、ついには、牙の生えた口の形になっていった。
「い゛ぃ゛ただきぃ゛ま゛ぁ゛ぁ゛…………」
…………………………………………………… ……やめろ………………………………。
「ん゛ん゛?」
登子を喰らおうとした口は、無数のチリは、形を保つことができずに崩れさった……。
そして、崩れ去るチリの中にいた、一人の青年が少女を抱き抱え、一緒に、街灯に照らされたアスファルトへ落ちていった……。
少女が傷つかないように、しっかりと彼女の頭を腕で包み込んで……。




