叛逆の始まり⑤
あれ、僕……。
僕は今、僕の家の庭にいる。しかし、そこには、あるはずの兄弟で住んでいる家はない。あるのは、元々僕がいた家ただひとつだ。
そういえば、さっきから、視線がいつもより低いように感じる。疲れているのかな、と疑問に思い、自分の姿格好を見た。
僕はスーツを来ていた。七五三で着たものに似ている……いや、そのものだ。
手のひらは、ピンポン玉をやっと掴めるくらいの大きさしかない。
足も小さくハムスターくらいしかない。
あれ? 僕の体が縮んでる?
「高氏」
耳をソプラノの声が心地よく通り抜ける。
久々に聞いた声。生まれたときから聞いていた声。
僕は振り向く。
「お母さん……」
麦わら帽子を被り、白いTシャツに青いロングスカートをはいた女性かそこに立っていた。
彼女は、少しかがみながら、両手を広げ僕に言う……「おいで」と。
僕は何の抵抗もなく、思い立ったままに彼女のもとへ駆け寄る。
おぼつかない足、体を左右に揺らしながら、前に進む。
そして、やっとの思いで、彼女の胸元に抱きつく。
彼女は、僕を軽々と抱き上げ、「よくできたね」と、僕に笑みを浮かべる。本当に美しい笑顔で。
僕もつられて笑んでしまう。
その笑顔が一瞬で消えた。
パチン………………。
僕の頬が赤く腫れる。
赤く、彼女の手のひらの痕が頬に残った。
気がつくと、僕は彼女の前で正座していた。
体も大きくなり、ジェットコースターの身長制限をギリギリクリアできるくらいの背丈になっていた。
「なんでこれができないの……?」
彼女は可哀想な子を見る目で僕を見る。
彼女にとって容量悪いことは可哀想なことだったのだ。
兄と弟が容量良かった分、僕は相対的に容量悪く見えたのかもしれない。
僕はその目で見られることが嫌いだった。
でも、彼女のことは好きだった。
その板挟みの中で、僕が下した決断は、「僕が悪かったです」だった。
そう、僕が悪い。彼女の考えは正しい。容量悪い僕が悪い。勉強できない僕が悪い。運動できない僕が悪い。彼女の言うことを聞かない僕が悪い。僕が僕が僕が、悪い……。
だから、僕は努力した。
勉強した、体を鍛えた、言うことを聞いた。
努力は実った。僕の全体的な能力は向上した。
でも、怒られた。彼女は納得してくれなかった。
「なんでそんな結果なの?」
せめて怒鳴って欲しかった。彼女は、僕という人間のことを全く理解していなかったから、僕に問い続けた。
僕は言った。「すみません」と。
「謝れば強くなれるの? 賢くなるの? なんで頑張らないの?」
「……頑張ったけど……」
「結果が出てないよ。頑張ってないんでしょ?」
僕は泣き出した……。何を言っても無駄で、何言ったって、鋭い言葉で僕をいじめてくる。
そして、彼女は最後に言った。
吐き捨てた。
「私の思い通りにならないなら、あなたなんていらないのよ……」
▷▷▷▷
「うわッ! ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……」
悪夢から覚めた僕の体は、汗でびしょ濡れだった。
心臓が暴れ、肺が胸を何度も押し上げる。
目からは涙が溢れ、体がかすかに震えている。
思い出したくもない過去。
忘れたかった過去。
忘れたはずの過去。
でも、心の奥に深く刻まれた過去……。
それが悪夢となって僕のカサブタをえぐる。
いや、カサブタを中から突き破ったと言ったほうが正しいか……。
僕の母親は、僕を褒めたことがない。あるかもしれないが、褒められた記憶など全くない。
あのときの僕はうつ状態だった。
いっそ母親のことを嫌いなったほうが楽だったが、母親を簡単に嫌いになれる子どもなどどこにいるだろうか……。
その母親から僕を離すため、兄さんは僕を今の家に移住させたのだ。
兄さんは口では言ってないが、きっとそれも目的の一つであっただろう。
移住してから、彼女には会っていない。会いたくもないし、見たくもない。
あの綺麗なビブラートも僕にはノイズでしかない。
もう一度忘れ直そう……。
僕はベッドから降り、冷蔵庫へ向かった。
中には、コンビニのおにぎりやサラダ、大きいペットボトルに入った緑茶があった。
その冷蔵庫からの光で、部屋が薄く明るくなって、僕は、机の上に置いてあるメモに気づいた。
それを見ると、美しい文字でこう書かれていた。
「おはようございます。体調は大丈夫ですか? 私たちは日が変わるときまで大広間にいます。それ以降は、自分の部屋にいるので、また異変があったら、お声をかけてください」
「局さん……」
ポロッと、雫が頬をつたった。
すぐに袖で拭いて、息を強く吐き出す。
そして、冷蔵庫のお茶を口につけないように飲んで、袖で今度は口を拭く。
「さてと……!」
頬を叩いてから、僕は部屋を出た。
局さんにお礼をするために……。




