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断裂①

 兄ちゃんに嘘をついたのは何度目だろう?


 数えきれないほどというのは確かだ。


 兄ちゃんが足利家当主になることに関して俺は大賛成である。


 家臣から見たら兄ちゃんは頼りなく見えるかもしれない。


 だが、その頼りなさも一種のカリスマ性であり、それに惹かれたのが俺や局姉さん、加賀さんだ。


 頼りないだからこそ、守りたい。


 その守りたいという感情がこの嘘を作り出したのだ。


 今晩、父さんに呼ばれると聞いて俺はすぐに当主選びだなと気づいた。


 気づいたのは俺だけじゃない。局姉さんもそうだったのだ。


 朝食は兄ちゃんが早めに食べ終わり、自分の部屋に帰っていった。


 それを見届けた後、局姉さんが俺を呼び出した。


 突然の出来事だったため、そのときは予測できなかったが、「高氏君のことだけど……」の語り始めで察しがついた。


「父さんに呼び出されたことですね」


 俺がそういうと、彼女はコクリと頷いた。


 彼女の顔は暗雲がかかったように青くなっていた。兄さんこととなると局姉さんはいつもこうだ。


 母性の強い女性だから、兄ちゃんと一緒にいると、脳内麻薬が分泌され、兄ちゃんに離れずにいる。俺はこの依存状態が後に身を滅ぼすと予言しているが、忠告する機会もなく、ただ見守っている。


 局姉さんはその心配そうな顔で俺に問いかける。


「高氏くんが当主になることはこの国にとっていいことだと思う……。


 高氏くんのような優しい人が国の政治を行えば民衆はより豊かな暮らしができると思う……」


 俺も同意見である。


優しい者が統治する国が豊かにとは限らないし、そもそも優しいという性格と統治するという能力が関係しない。


しかし、兄ちゃんもバカではない。俺に勉強で負けていることに劣等感を抱いているかもしれないが、絶対的に見れば兄ちゃんは国有数の頭脳を持つエリートであり、国の統治できる知恵は頭の中に入っているはずだ。


 だからこの場合、優しい性格が国に豊かさをもたらすこととなる。


 それはこの国にとって重要なことだ。


 にもかかわらず、局姉さんは「でも」と付け加えた。


「この頃、高氏くんの様子がおかしいの。


 何かに取りつかれているような……。


 何かに押しつぶされそうになっているというな……」


 たしかにそれは俺も気づいた。兄ちゃんの様子が前とちょっと違うのだ。


 それは満面の笑みが80%の笑みに変わったとか、弱弱しかった声にほんの重みが加わったといった程度の変化。


 しかし、外部の変化は小さいが内部はどうだろう?


 それが内部を「負」が汚染しつくされ、外部へと漏れた結果なのだとしたら?


 兄ちゃんのことだ。また人知れず苦労を抱え込み誰にも頼ることなく溺れていこうとしているのだろう。


 高義兄ちゃんが死んで次男である自分が当主になってこの国を守る。


 そう決心したのかもしれない。


 それを応援するのが弟である俺やゆくゆくは妻となるであろう局姉さんの役目だろう。


 しかし、兄ちゃんは平和を愛する好青年であり、本当は国の当主よりも趣味の詩で名を馳せたいと思っているに違いない。


 俺はその夢を締め付ける「足利家」という呪縛から兄ちゃんを解放させてあげたい。


 兄ちゃんには今の決心より小さいころからの本懐を遂げて欲しい。


 それが真の意味での兄への配慮だと俺は思っている。


 きっと局姉さんもそうだろう。


 黙って局姉さんの話を聞いていた俺は言葉を選んで発言する。


「局姉さんが言いたいことは分かります。


 俺も高義兄貴がなくなってからの高氏兄貴の様子には違和感を抱いていたので……。


 きっと兄貴のことです。また心の中に闇を溜め込んでしまっているのでしょう」


 局姉さんが「やっぱり」と小さく漏らす。


 兄ちゃんは嘘が下手だ。彼の行動には彼の感情、彼の気分、彼の機嫌が表されている。


 兄ちゃんと関わりの浅い人は気づくことができないだろうが、局姉さんのように数か月ほど関わっていればその小さな、だが明確な、合図に気づくことができるだろう。


 だが、合図に気づいてもその解決策まで、教えてくれるわけがない。


 ヒントすら自分で探さなければならない。


「無視」という選択肢もあるが、それを選ぶ勇気など俺たちにはない。


 ほっとけないのだ。依存しているほどに。


「一体、どうすれば高氏くんを解放してあげられるのかな……?」


 彼女の瞬きが、彼女の目の泳ぎがだんだんと速くなり、残暑の残る季節にも関わらず体も寒さに凍えるように震えている。


 兄ちゃんがこの運命から解放されることなどない。


 俺は、父の兄ちゃんへの愛情、期待を目にしてきた。


 それは俺や高義兄ちゃんへの愛情より熱く、深く、湧き出ていた。


 その贔屓ひいきから察して、父親は兄ちゃんを手元から離す気はない。


 だが、少なくとも当主の座から逃すことはできる。


 誰に?


 間違いない、この俺だ。


「姉さん……、いい策があるんだけど……」


「何?」


 俺の顔を真っ直ぐに向いた彼女の目は、涙で潤っていた。


「俺が当主になればいいんだよ」


「え……?」


「兄ちゃんを止めることができるのは俺しかいない。


 俺が当主になれば兄ちゃんの立場を選べるようになる。


 そうすれば兄ちゃんに『解放』の選択肢を選ばせることができる」


「直義くんはそれでいいの……?」


「いいよ……。兄ちゃんが幸せになれるなら……」


 そう俺は腹を決めたのだ。


 兄ちゃんを解放するために。


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