後継者④
決心をひそかに固め直していると、インターホンが鳴った。
自分が滅多打ちにされているのを止めた福音に、「はーい」と即座に返事する。
「私が行くからだいじょ……」
「いいよ。いつも局さんに任せちゃってますし」
彼女の提案を断って、僕は玄関に向かう。
玄関のドアの内側に、ドアの向こうの景色が映しだされる。
そこには白いワイシャツ姿の一親さんが、右手で松葉杖をついて立っていた。
いつもは足利家家臣の制服である紅いブレザーを羽織っているのに。それがないというのはつまり今は勤務時間ではないということであろう。
だが、私服でないところから考えると、プライベートで来たというわけではないようだ。
「はーい」
甲高く返事をしてドアを開けるや否や。
「姉さん。実は……。あれ? 高氏さん?」
いつもは姉である局さんが出迎えに来るから、反射的に口から出てしまったのだろう。
色白の頬が桜色に染まるのを僕は見逃さなかった。
「どうしたんですか? 一親さん?」
「実は御屋形様から伝達がありまして……」
「父さんから? どういう内容は何ですか?」
そうは言ったものの、大体は分かっていた。
兄さんの葬式ですら、言葉を二言ぐらいしか交わさなかった息子に伝えること……。
それは……。
「今日の十八時に、直義さんと本館に来るようにと」
きっと、次期当主に関する話だろう。
未だに兄さんの代わりに誰を次期当主にするのか、決定していない。
葬式のとき、以前より老いぼれた父さんの姿を見ると、体力的な限界を感じていて、できるだけ早く足利当主を継承したいのだろう。
しかし、父さんの希望も虚しく、この問題は難題で時間がかかるものなのだ。
というのも、家系図でいったら次男の僕が継承するのだが、無能の次男、有能の三男と周りからは思われていることもあり、弟の直義を推す声も少なくない。
下手に判断を間違えると、この家が二つに分裂しかねないのだ。
正直、直義は当主になることを望んではいない。
だから、直義を推す家臣は、なんであいつの気持ちを考えてないんだと僕は訴えたくなる。
利益を求める組織である以上、仕方のないことなのだけれど……。
「分かりました。直義に伝えておきます」
「よろしくお願いします。ぼくはこれから仕事ですので」
「体は大丈夫ですか?」
彼が重症を負ったのは、つい二週間前のことだ。
全身打撲やら骨折やらで、体はボロボロで、全治半年ではないかと言われたほど傷ついていた。
なのに、手術が成功し、自然治癒力を早める薬の投与、また彼の持つ自然治癒力が常人以上であることから、歩く程度には回復した。
そして、仕事をすることで恩返しをしたいという彼の意見も尊重して、体を使わないデスクワークをしてもらっている。
そこまでのことはしてないのに、彼の体を酷使することは、心が痛む行為だが、彼がそれを望んでいるのだから、受け入れざるをえない。
「あまり無理しないでくださいね。体は大事ですから」
「ありがとうございます。高氏さんもあまり考えすぎないでください。ぼくだと頼りないかもしれませんが、悩みがあったら姉さんにでも打ち明けてみてください」
一親さんは気遣った捨て台詞を残して、その場を去っていった。
僕は何も返事ができないまま、その背中を見つめることしかできなかった。
「兄さん、何だったの?」
「…………」
「兄さん?」
「あっ、ごめん。台所に戻ってから、話すよ」
僕はもう一度振り返り、一親さんの後ろ姿を目に焼きつける。
あの大きな背中が僕にもあったらいいのに。
そんな願望を胸に僕はドアを閉めた。