後継者③
「あー、兄ちゃんおはよう」
全身真っ黒のパジャマを着た直義は先に朝食を食していた。
朝食と直義の間には半透明の画面が挟まれており、そこには様々な新聞記事が映し出されていた。
箸でご飯を口に運びながら、目は空上の文字を追っていた。
「食べるときくらい頭を休めたらどう?」
お姉さんっぽく、局さんが注意する。
「情報収集は早さが命だからね。それに食事と情報収集を同時にすることで、時間に余白ができるでしょ?」
「あなたは高校生でしょ? そんなことしなくても、暇な時間はたくさんあるじゃないの?」
「まあ、たしかにそうなんだけどね」
リビングは二人の笑いに包まれた。
局さんはこの家にだいぶ慣れたようで、癖みたいに言葉に張り付いていた敬語を使わなくなった。
加賀の前では敬語が出るときはあるが、少なからず僕と直義の前では丁重な言葉を選ぶことはなくなった。
それくらい僕たちとの距離が近づいたということだろう。
「じゃあ、冷めるとおいしくなくなりますからね。食べましょうか」
団欒とした空気を入れ替えたくて、僕は局さんを、彼女の肩を持ったまま、テーブルの方まで押していく。
直義の向かいに彼女を座らせ、自分はその左隣りに着席した。
そして、焼き魚、みそ汁、豆腐、白飯という典型的な和食に向かって手を合わせた。
「いただきます」
局さんも、自分の行動を真似するように遅れて、「いただきます」と続いた。
直義も、机の上に置いたホログラム端末の電源を切って、食事に専念する。
合わせていた手を離し、箸を持ち上げる。
近距離で朝食を見つめていると、失念していた空腹が呼び起され、唾液が大量に分泌された。
意地汚く喰らいつきたい気持ちを抑え、箸で魚の身を切り開き、その一部を丁重に口へ運ぶ。
すると、一瞬にして、唾液は引いていった。
温度は感じる。つい買い忘れて放置してしまった缶コーヒーのような温さが口の中に広がっていく。
物理的に感じることはできる。カリカリした皮と、柔らかい白身が舌の上で踊りだす。
しかし、なぜだ……。
なぜなんだ……!
全く味を感じることができない。
舌に触れるたびに、「無」の味が脳に刺激する。
まるで噛みに噛んで粘着力すらなくなったガムのみたいだ。
あまりに味が無さすぎて、飲み込もうとすると、喉が拒絶し、嘔吐を催してしまう……。
もちろん、決して、味がないわけではない。
直義を見ても、局さんを見ても、何回も美味を噛みしめている。
味を感じていないのは、僕だけなのだ。
ずっと噛んでいると、唾液も枯れ果たので、みそ汁を飲んで、強引に喉に通す。
そして、豆腐に醤油を過剰にかけて、食する。
甘辛さが微かだが、伝わってくる。
醤油の味だ。
濃い味はまだ味覚が感知してくれるようだ。
しっかり味わおうと租借していると、懐かしさが込み上げてくる。
ついつい歓喜の涙が浮かびそうになったが、それを堪える。
「味わう」という当たり前が、こんなにも嬉しく思ってしまう。
「やっぱり局姉さんは料理が上手いね。 ねぇ、兄さん?」
直義の言葉が僕の心に突き刺さる。
局さんが僕の言葉を期待して、視線を向ける。
そうだ。こんなことを隠してどうなるんだ?
いっそ、この悩みを打ち明けて楽になったほうがいい……。
僕は彼女のつぶらな瞳を見つめる。
照れくさそうににやける彼女に僕は告げた……。
「めちゃくちゃおいしいですよ」
いや、自分に負けちゃダメだ。
僕はもう他人に頼らないんだ。
ここでくじけるわけにはいかないんだ。
兄さんがいなくなったとき、僕はそう決めたんだから……。