4 声が聞こえる
「う……」
「ああ、目が覚めたか。おはよーさん」
ソラリスの声に男は顔を上げるものの、寝起きだからかぼんやりと辺りを見回している。
顔にランプを近づけてやると、眩しさに目を細めた後、ひゅっと息を吸い込むような音を上げた。その場を動かなかったのは流石と言うべきか。
男には、ランプだけが浮き上がっているように見えているのだろう。
「見えないのに声だけ聴こえるってのは、気味が悪いもんらしいな」
自らの姿が見えてないと分かっていても、にんまりと口角を上げてしまう。
ここは客室のひとつだが、今は間に合わせの監禁場所だ。
直接的な拘束こそはされていないものの、扉の前で兵士が常に監視している状態。
明け方にはエルクラルドから迎えの護送馬車が到着する。引き渡せばナリサとエルクラルドの取引は完了。
今は真夜中。あとほんの少し。
だからその前に――――。
「伝言をお願いしようか、元国王様」
ソラリスは、フェルディナンドの耳元で囁いた。
「誰だ、どこにいるっ」
「おいおい、あんまり騒ぐと兵が入ってくるぞ。まあ俺はどっちでもいいけど。ちょっとした頼みごとがあってさ。だってあんた、俺の声がちゃんと聞こえてるよな?」
「……その声、謁見室と同じ男だな」
「ご名答。やっぱり声だけは聞こえてたのか。随分見回してたもんな」
クロエセリアとの謁見の時にフェルディナンドは明らかにソラリスの声に反応していた。そこまで大きな声は出していなかったし、聞かせたのは一言程度だ。
けれどクロエセリアに追い詰められながら、声の出処を探していた。
あの場に居た人間は、皆ソラリスの声が聞こえないことが当たり前になり過ぎて、フェルディナンドの反応を怯えの顕れととったらしい。クロエセリアでさえ。
しかしソラリスはこの反応を知っている。
姿を見て、声を聞く事が出来るのはクロエセリアのみだが、声だけを聞ける者はいるのだ。
「どんな魔術を使っているのか知らないが、クロエセリアの下僕が今更私に何の用だ」
フェルディナンドはソラリスの状態を、古代に廃れた魔術によると決めつけることにしたらしい。
「まあそうなんだが。これからのあんたの人生はどうあっても好転するには一苦労だ。だから、ちょっとだけ手伝ってやろうかと思って。ほら、やっぱり実の兄が最悪処刑台なんて、クロエだって寝覚めが悪いだろうからな」
「ふん。本音はなんだ悪魔め」
フェルディナンドは自棄になったように鼻で笑った。クロエが兄の減刑を望むとは思っていないのだろう。
ソラリスもそんなことは思っていないが、方便ってやつだ。
「悪魔ねえ。あんたにとっちゃ外れてないかもな。本音は、王都まで行くのが面倒臭いんだよ。だからあんたに言付けを頼みたい。あんたの父親、先王とはちょっとした知り合いでさ。もしかしたら王妃様に助言して、裁判取り消しは無理でも、あんたの刑は先延ばしにしてくれるかもな。ほら、子供の使いよりも簡単だろ?」
「貴様は父の間諜なのか……?」
「俺は違う。どうする、のるか?」
「――話くらいは聞いてやろう」
最後までぶれない高慢な態度に、ソラリスは目を細めて口を開く。
「じゃあ伝えておいてくれ。『俺は、お前の用意した生贄に満足してる』ってさ」
「まっ、待て! 生贄とは何のことだ。まさか私は父に計られたのか!?」
その問いには答えず、ランプに息を吹きかけ部屋唯一の灯りを消す。
--せいぜい悩み、疑えばいい。
減刑などは絶対にされない。それどころか、言伝を聞いた先王は使い物にならなくなるだろう。助言なんてもっての外。
ソラリスにとっては願ったりだ。
クロエセリアが知らないだけで、フェルディナンドはもっと陰湿な嫌がらせも計画していたのだ。もちろん潰したが。
才能のある者に対する、男の嫉妬ほど醜いものはない。
クロエセリアの知らない嫌がらせだ。彼女の知らない所で丁重に返して何が悪い?
フェルディナンドの大声を聞きつけ、入室してきた兵と入れ替わりに、外へと扉から身体を滑らせるように出る。
扉の外には眠そうな近衛騎士副団長、ロンダールがいた。
いつもならそのまま気配を消して傍を離れてしまうのだが、今日はやめた。
ローブの内側に隠していた消えたランプを取り出す。
ローブに隠れた物はソラリスと同じく人の目に見えない。彼の一部と認識されるらしい。
だからわざとランプを手に提げるようにして歩く。
ソラリスの部屋まで、ロンダールは無言で付いてきた。
ここにはいつも黒板が用意されている。
存在を認識されたソラリスと、クロエセリアの臣下達は必要な時は筆談で会話をするのだ。紙とペンを用意しても良いが、いちいち会話単語を書き殴るだけの為に消費するには割高だ。
書類机の上の灯りを入れたところで、ロンダールが口を開く。
「生贄って誰のことです」
耳聡く、フェルディナンドの声をしっかり聞いていたらしい。
『クロエセリア』
ソラリスは右の拳ひとつで吹っ飛ばされた。昼間の意趣返しだろうか。
黒板の位置からあたりを付けたのだろう、急所は外れているが机の角にしたたか腰をぶつけ、置かれた書類もばらばらと床に散ってしまった。
「ソラリス。ナリサの元王子だろうが、そのせいで地元勢があんたに甘かろうが関係ない。俺はエルクラルドの出身ですしね。クロエ様にどんなに気に入られていようと、最初っからあんたが胡散臭くて嫌いでしたよ」
「奇遇だなあ、俺もお前が気にくわないんだ。特にクロエのいない所で勝手に愛称で呼んでる所とかな」
聴こえてなくてもこれだけは言いたかった。
腰を擦りながら立ち上がり、黒板には核心を書く。
『先王のスパイはもう辞めたのか?』
こんなにも有能で、世渡りの上手い男がエルクラルドなんて飛び地に同行させられたわけ。
それはナリサへの、ソラリスへの生贄として先王が捧げたクロエセリアを見張るため。
・・・・・・・・・・
今から二十年ほど前、山脈の東側にある帝国の進攻は、同盟国であるエルクラルド王カイセルの葬儀の隙を突いて行われた。
国王が葬儀に出席するため国を空け、近隣の同盟国も王が軒並み留守にしている。帝国にとっては千載一遇の機会だったのだろう。
王の葬儀の場は停戦が大陸の常識でも、彼らにそんな常識は通用しなかった。
ナリサ国王の三人の王子は奮闘したが、いずれも戦場で斃れた。
ナリサは負けた。
王子は三人とも戦場で亡くなり、駆けつける途中で王も別働隊に奇襲を受けて殺された。
同盟軍とそれをまとめるエルクラルドの王が到着したときには時すでに遅く。
ナリサの土地はその後すぐに帝国から奪還され、被害も最小限に食い止められたものの、王妃と生まれたばかりの王女まで皆殺しにされていた。
だが彼は生きていた。
正確には墓所に家族揃って埋葬された後、息を吹き返したのだ。
困ったことに息を吹き返した後は、誰の目にも見えず声も届かない存在になり果てていた。
十二歳の少年は幽鬼のごとく彷徨いながら帝都に辿り着き、皇帝を殺そうとする。
けれどあと一歩遅かった。皇帝は既に老衰で亡くなっていた。
せめてもの置き土産にと、政敵同志に互いの機密文書をこっそり紛れ込ませてやったりと、引っ掻き回してやった。お蔭で血生臭い後継者争いは、未だに帝国内で尾を引いている。
復讐を未完成な形で取り上げられた彼の足は、自然と自らが這い出た地下に向いた。
ナリサ王族の墓所。
墓守から拝借したランプで王墓の棺を次々に照らせば、そこには父、母、兄二人。そうして母の棺には幼い妹が共に納められている。りっぱな衣装を着て、丁重に葬られている。
そこで漸く自らの姿も省みた。
誓いの儀式で身に着けるはずだった、ローブ姿。
染料草と染色を誇るナリサで、もっとも美しいとされる王家の漆黒に染め上げたローブ。
ほぼ黒に見えるものの、ただの黒ではないその色は、他の国では祭典で決して身に着けたりはしない色。けれどこの色のローブこそ、父王に臣を誓う証し。兄達のようにローブを身に着け祭典に臨む日を、彼はどんなに待ち望んだ事か。
葬儀の際に誰かが気を利かせて羽織らせたのだろう。兄の予備だったローブは十二歳の彼には大きすぎた筈なのに、もう今はぴったりになっている。
自らが抜け出た棺には『レイモンド・ソラリス・ナリサ』の名。
王に臣であると誓うための名、ソラリス。正式な王族としての名前。
彼には名乗る資格などない。
戦場ではただ剣を持って、鎧に着られるようにして馬に乗った。早々に馬から落馬させられ頭を打ち、守る近衛の血飛沫を浴びながら泥に沈んだ。敵の一人も倒せずに。
帝国まで仇を取りに行った。けれど仇と定めた皇帝は天寿を全うし、次の皇帝は未だ決まらない。
王城に我が物顔で赴任してきた、エルクラルドの統治官に要望書も届けた。目の前で要望を書いみせても、剣を振ってみせても、統治官が寝不足になって代わるばかり。
ただ一人生き残ったナリサの王族であるのに、見えない、声を届けられない。
復興にも何もかもにも、役立たずだ。
生きていても、生き返っても、役立たず。
居た堪れなくて、またナリサを出た。
今度は統治するエルクラルドに直接、復興の要望書を出そうとした。
帝国で行ったように、王宮内の文章に紛れ込ませてみようと。
「私は間に合わせるつもりだったのだ。しかし同盟軍をまとめるのに時間がっ」
こんな形で声の届く人間に出会うとは考えもしなかった。
エルクラルドの王は、声だけが届くことにすっかり震え上がっている。どうやら、三人居た王子の二人が流行り病で死んだことを、ナリサの呪いだと考え至ってしまったらしい。
「知らねえよ。呪いだと言うなら、それはお前の行いが悪いんだろう」
同盟を謳いながら、魅力的な土地であったナリサを手に入れるために、王は派兵に手を抜いた。自らの国の富を優先した。
正道からは外れているが、間違っちゃいない。
彼は賢王カイセルとは違う。
結局はナリサが弱かったのだ。きちんと次の王の性格を見極めなければいけなかった。しかし父王は葬儀に欠席する訳にはいかなかったし、兄達も奮闘した。それでもどうにも出来ないことはある。
諦観して墓守でもして過ごそうとナリサに戻った時には、エルクラルドの王はおかしくなりかけていた。
呪いだと恐れた場所に、自らの娘を大公として送って寄越したのだ。
クロエセリアには、彼が見えた。
よりによって声を聴くのはエルクラルド王で、姿まで見えるのはその娘とは。
声が聴こえる父親の血によるのか、それとも本当に呪いなのか。
最初は無視していた。
彼女の方も他の人間には見えないと気付いて、こちらに近づくのは避けるようになった。
それでも眼の端には入る。何より彼女が今使っている猫脚の長椅子は、彼の所有品だったのだ。譲る訳にもいかない。
まだまだ子供の女大公は、毎日難しい顔で影を踏みつけ廊下を歩いている。
現状には満足していないらしい。
何も出来ない事が悔しいと、その顔に書いてある。
彼女の茶に毒が盛られていることを知って、ガツンと頭を殴られたような気がした。
クロエセリアは十二歳。
何も出来ずに、役立たずとして人々の目から映らなくなった時の自分と同じ歳。
そして、亡くなった妹姫は――生きていれば同じ歳。
自分は復讐ばかりに目がくらみ、しかもそれを諦めて、人間として当たり前の行いも出来なくなっていたのだろうか。
困っているものに手を差し伸べる。
十二歳の頃には、当たり前に出来ていたはずのことなのに。
話し掛けたら、彼女もエルクラルド王のように狂うだろうか。
それとも、今度こそこちらの本当の声に耳を傾けてくれるのだろうか。
「俺の名前はソラリス。よろしくな」
口からは勝手にこの名が出てきた。
今まで口に出来なかった、ナリサ王の臣としての名。
諦念に慣れ過ぎた身には、今こそそれが必要だ。
・・・・・・・・・・
「俺の主はクロエ様だけです」
『俺が支えるのもクロエだけだ』
互いの文字と言葉を受けて、暫く二人は動かなかった。
根負けしたのはロンダールだ。はあ、と溜息を吐いて話し始める。
「確かに先王陛下の命は受けましたけどね。それは当初だけですよ。特にあの方、だんだんおかしくなっていって、直近の二年なんて酷いものだ。王都の知人から聞こえてくるのは愚痴ばかりでした」
先王の体調不良が心因からきているのは、公然の秘密だ。
しかも大部分はソラリスが原因だろう。あとはまあ、期待外れの息子だろうか。
先王はもともと繊細な性質らしい。娘の図太さを学べばよかったのに、とも思う。きっとクロエセリアなら声だけの存在でも、上手いことソラリスを転がしていただろう。
彼らエルクラルドが神聖視する先々代国王の血を一番濃く継いでいるのは、間違いなくクロエセリアだ。
『二年前、クロエの婚姻話が持ち上がった時、ちょっと顔出ししてきた。その時クロエセリアはナリサの為の生贄だとか言いはじめたから、少し強めに脅かした』
長文を書くのは疲れる。
「はあっ!? それ、先王陛下が悪化した原因あんたってことじゃないですか! というか、待ってください。何であんたクロエ様の結婚に口出ししてんですか」
『エルクラルドの貴族になんぞ、入られたら堪らん』
「あー。まあそれは確かに」
『それにクロエには自分で選ばせてやりたい』
「うわ、行動どう考えても人非人なのに、書いてることまともでムカつく」
『煩いむっつり』
「そっっくりそのままお返ししますよ、その言葉!」
『俺の姿、見えないだろ』
「見えなくたって雰囲気でわかるでしょう。何ですあの謁見の間での甘ったるいやり取りは!」
『お前の妄想は病気だ』
「くっそ、見えないからって頭にくるなあもう。……クロエ様を生贄扱いなんて、許しませんからね」
『それは先王に言ってやれよ。フェルディナンドじゃ心配だ』
この言葉を見た後、ロンダールは一歩下がってソラリスの全身を眇めるようにした。
勿論彼には何も見えないのだが、言葉の真意を探りたかったらしい。
「本気ですか。その役目もちろん俺にこそ、うってつけだとは思いますけど。……あんた、俺を嫌いなんでしょ」
『俺の意志と、お前がクロエに忠誠を誓っていることは関係ないからな』
今までの先王の言動と、それに対するソラリスの受け答え。
エルクラルドへと送り返すフェルディナンドに同行させる為、夜のうちにロンダールへと叩き込んだ。
クロエセリアが交渉で王妃を抑え、ソラリスが陰で先王を抑える。
クロエセリアは王になる。独善的で大胆で、情も痛みも、冷徹さも持ち合わせた王だ。
今のソラリスは、昔のように躊躇うことをしない。子供らしい潔癖で国が回るほど綺麗ではないと、ちゃんと知っている。
きっとナリサは上手くいく。




