62、先が思いやられる
大きな咆哮に驚いて皆が目を向けると 草原に一匹の巨大な生き物がいる。
見た目は 地球で言うところのバッファローに近い。
要するに野生の牛である。ただし、やはりデカイ。
遠くからの目測だが ゾウよりも2周りくらいは大きい。
「ハルカ、あれはゴンゴロウだ。
力が強く恐ろしい奴だが こちらから手を出さなければ襲っては来ない。
しかし、警戒だけは しておいてくれ」
「ゴンゴロウ・・虫みたいだね」
コルベルトが御車席から情報を教えてくれる。
場違いな感想を述べたハルカは 馬車の上に立ち上がり青い杖を取り出して殺る気マンマンである。
だが、いかにハルカが気ままとは言え こんな場面で自分から攻撃しようとは思わない。だが、時に常識が正解とはならない事も有る。特に自然相手ではなおさらだ。
異変が有ったのは 次の瞬間である。
ゴンゴロウは いきなり馬車の隊列目掛けて走り出した。
「はやっ・・」
ドゴッッッ☆
気が付くと ハルカ達の二つ後ろに付いていた馬車が、木っ端微塵に吹き飛ばされていた。
見た目通りの鈍重な動きを想定していた為、誰一人攻撃に対応出来なかった。
「襲撃だ!。馬車を守れーっ」
「おいおい、あんなの相手にするのかよ・・冗談じゃねえ」
後続の馬車から騎士や 冒険者達が飛び出してくる。
しかし、相手はダンプカー並みにデカくて力強く プレッシャーも半端ではない。
普段は強気な男たちも思わず腰が引けてしまう。
ゴンゴロウはゆっくりと振り返り、再び馬車に突撃する体制を取る。
そのタイミングで先頭を進んでいた従者用の馬車から 魔術師らしき女性たちが躍り出て来ると、素早く魔法陣の描かれた紙をかざしてファイヤーランスの魔法を打ち込んだ。魔法の発動も早く 威力も有る中級魔術である。
さすが領主の護衛だけあって中々の使い手たちだ。
盗賊相手や一般的な魔物なら あれだけで殲滅出来るだろう。
しかし、打ち込んだ炎は ゴンゴロウの豊満な体毛に阻まれて ほとんどダメージは与えられない。さらにマズイ事に、魔法がゴンゴロウのタゲを取ってしまったようだ。
向かう先は、領主の馬車 直撃コースである。
「いかん、壁を作れ、何としても 領主様をお守りしろ」
いくら お抱えの騎士が優秀でも 走って来るダンプカーを人の壁で止められる訳が無い。詰んだも同然な状況であり、このままでは馬車隊は壊滅しかねない。
初日から まさかの緊急事態である。
そう、ふつうなら・・・
ドゴッ、ドゴッと 地響きを立てて走りだしたゴンゴロウは、いきなり足を縺れさせて盛大に転倒した。
しかも、その勢いのまま ゴロゴロと転がると 突然目の前から消えてしまった。
破壊された馬車が無ければ目の前の襲撃そのものが「集団で幻覚でも見ていたのか」と思えるほどの静かさを取り戻していた。
死さえ覚悟していた騎士達はあまりの出来事に訳が分からず呆然として立ち尽くす。
「ふむ。どうやら終わったようだな。被害の状況を確認したら前進すると伝えなさい」
「はっ。畏まりました」
領主は 執事のセバスにそう告げると、助かるのが当然とばかりに 落ち着いてお茶を飲んでいた。
「ふふ、やはり ハルカは私にとって守護の妖精なんだわ」
「男でなければ 俺もそう思いたいがな」
シーナレストは 今日初めてハルカが同行すると聞いたので ふて腐れていた。
なぜか誰も教えてはくれず 彼としては複雑な心境なのである。
「噂には聞いておりましたが、あのようなバケモノが一瞬で倒されるのですね」
「そういえば、お前はアレと関わるのは初めてであったな。 それにしても・・・
魔法を使った気配が全く無いな。アレが敵でなくて本当に良かったぞ」
領主の家族は誰一人 危機だとは感じていなかったようだ。豪胆な神経をしているように見えるが、ハルカがとなりの馬車に居るのだ、軍隊が攻めてきても彼らは慌てないだろう。何故かハルカと面識の無い奥さんまでも落ち着いていた。
そのハルカは、馬車の上で まさに小躍りしていた。
「今のは ハルカちゃんが倒したのね。でも、どうやったか分からなかったわ。
今回は氷の槍を使わなかったのね」
「あれは、牛。ただの動物だから、・・人と同じで倒し易い」
「相変わらず、すげえな。あんなの倒したの初めて見たぞ」
「ふふふふ。皆 ・・・今晩の夕食は、牛肉のステーキ」
「!、ほんとか?」
「今ので・・大きな肉が沢山手に入ったよ。食べ放題だね」
「「「おおーーーっ」」」
ハルカは 相手が普通の動物なので必殺の魔法《延髄切り》で延髄を切断し、素早く仕留めると瞬時に魔法で収納した。
すると、思ったとおり 肉だけでなく 牛タンやモツなど美味しく食べられる色々な部位が選別されていた。
ハルカの頭の中では 早くも 焼肉やモツ鍋などのメニューが楽しく踊っていたのだった。
皮や角など、高く売れる素材など眼中に無いのは彼らしい。
「・・・すごいな」
「すごかった・・ですね」
本気で逃げる事を視野に入れていた王子達は いきなりの幕切れに思考が付いて行けなくなった。
彼らは見ていたのだ。
馬車の上で長い黒髪を風になびかせ、青い杖を片手に持って何一つ恐れていないハルカの姿を。そして、その杖が僅かに動いた後、バケモノが崩れ去った事も。
「よし、決めたぞ。俺たち2人はあの子の馬車の両脇に付こう」
「テリス様・・まさか、本気で惚れたんですか?」
「何を言う。あの子の近くほど安全な場所は有るまい。王族は守られて なんぼ だからな」
「・・・恥ずかしい理屈ですね」
ともかく後に 年老いたオラテリス王とシーナレストが、懐かしそうに笑いながら語り合う思い出の旅は こうして幕を開けたのだった。
そんな気楽な王子達とは反対に、執事のセバスは深刻な問題を領主に告げていた。
「御館様、少々困った事になりました。失われた馬車は道中の食料を運んでいた馬車にございます。幸い御車は無事でしたが、荷物は全滅でございました」
「ふむ、だが引き返すのは論外だな。商人たちの馬車で交易用の食料も有るだろう。多少は高くとも買うよりあるまい。途中の町でも手に入るかは分からん。節制して耐え忍ぶよりあるまい」
領主は節制と簡単に言うが、事は思いのほか深刻である。
体を動かす騎士や冒険者にとっては 食べる事が励みなのだ。
それが満足にいかなくては 士気の低下は免れない。
このままでは一種の兵糧攻めに遭っている様なものである。
「お父様、少し外に行ってきますわ」
「それほど時間は無いぞ。急いで話を終わらせるようにな」
「あらあら、おませさんねぇ」
ララレィリアはハルカに会う為に馬車から出た。
しかし、家族が思うほど彼女の目的は色っぽい話ではない。
とは言え、お嬢様が大声で男性を呼び出す訳にも行かず、彼女の侍女が御車に言付けて ハルカを呼び出してもらう。その侍女は以前、ハルカに介抱された女性である。
「どうした?・・ララ」
「あ、あのね、ちょっとこっちに来て」
周りには誰も居ないが あえて馬車から離れていく。
侍女だけはララレィリアの用件を知っていて 理解もしているので同行しているが、普通はこんな時に要人が護衛も無しに動いたりしない。
「えっとね・・・そのね・・。あう」
「?・・・」
「お嬢様。時間が有りませんので、私からお願いしてみますね」
「う・・、うん」
控えていた侍女はハルカの前に来ると 腰を低くし優雅に淑女の礼をしてのける。
「まずは、ハルカさま。以前 私が腹痛で苦しんでいる時、貴重な薬を頂けました事 感謝しております」
「あ・・あの時の」
侍女のハルカを見る目には 憧れと尊敬と愛しさが強く、恩人を見る それ以上の想いが込められていた。
「私はプラナと申します。ずっとお礼を申し上げたく思っておりました」
「ちょっと、プラナ。急いでたんでしょ」
「ふふっ。そうでしたね。ハルカ様、あの時 戴けました品はまだお持ちでしょうか?。もし 御座いましたら少し譲って頂きたく思いまして」
「あの時 あげた物?。・・薬ならまだ有るよ」
「いえ、その・・そちらではなく お尻の汚れを始末するのに使った柔らかな物です」
プラナもまだ18歳。
ハルカが男の子と分かっているので お尻の話はさすがに恥ずかしい。
しかし、アレの存在は 彼女とララレィリアしか知らない秘事なのだ。
他の侍女では役に立たない。
「ん・・ああ、トイレットペーパーか。あれっ、でも 皆は似たような物を持ってた・・気がするけど」
「い、嫌よ。あんなの。虫の皮から作ったものなんて使いたくないわ」
紙に似ていた物は 虫の薄い皮膜だったらしい。
これには ハルカも鳥肌が立ほど驚き、お嬢様の気持ちも良く分かる。
「はい、これだよね。・・秘密にしてね。沢山は渡せないけど、これで旅の間は間に合うと思う」
「ああっ、ハルカ 大好きよ。後でお礼はするからね」
「お嬢様・・うらやましいです」
「じゃあ・・これ、プラナに」
無闇に渡す訳にはいかないが、2人とも既に使ったことが有るので今更である。
聞けば、あの時 汚れを始末する水が用意されていたのも 虫が原因だったとの事。
話が終わると ちょうど騒ぎの事後処理が終わったらしく、出発の声が上がっていた。積もる話は夕食の後に会う事にして ハルカ達も戻っていった。
いきなり初日からフェレットの懸念が当たってしまった。
行く末が思いやられる旅になりそうだ。