02
蒸気機関!ディファレンスエンジン!
最高だ。
ケイトはどうも、探偵を勘違いしているらしい。
というのも、ケイトに探偵業の内容を聞いたところ、どうやら事件などの捜査、推理などは不得意のようだった。私が何故か覚えていた推理クイズ――至極簡単なものだ――をだしてみると、見事全問不正解。彼女に探偵の素質があるとは到底思えない。
ケイトがまとめているという古びた探偵手帳を見せてもらうと、そこには「論理的推論のための思考法」と書かれたページがあった。しかし、そのページにはタイトルしか書いておらず、断念したことがうかがえる。しかし、尾行術や話術、そして探偵があまり使うことはないであろう敵地への潜入術というものまであった。ケイトにこれは何か、と問いかけると、趣味と答えた。趣味にしては本格的すぎやしないか、という疑問は飲み込んでおく。
それらは実に見事なものだった。いや、見事だと感じた、の方が正しいかもしれない。
というのも、私は記憶喪失者であるわけで、記憶の無いくせに何故分かるんだ、と自分で感じたからだ。
「あなた、実は探偵だったんじゃない?とても論理的に物事を考えるし。記憶喪失っていうのも自分の来歴と名前だけなのよ」
というのがケイトの見解だった。
つまり、私が探偵だったとして、その職業の記憶はなくしていないということだろう。
実に都合のいい記憶喪失ではあるが、現実は実際そうなのだし、受け入れるしかない。
一通り話し終えたあと私はケイトにこう持ち出した。
「探偵ではなく、スパイとしての人材派遣会社として仕事を行ったらどうだろう」
と。
同時に、次世代の新しい会社になるのではないか、とも提案してみた。彼女は新しいことが好きそうだし、何よりお世辞にも探偵が向いているとは言いにくい。
案の定ケイトは話に乗ってきた。次世代の会社って、格好いいわね、と。
あまりにあっさりしていたので、探偵に誇りを持ってたんじゃないのか、と聞くと、
「探偵もスパイも同じようなものでしょう?それにわたしに向いてるならそっちの方が良いわよ」
というジェームズ・ボンドが聞いたら倒れそうなことを平然と言ってのけた。
と、そんな話をしているとチャールズが職場から帰ってきた。チャールズは入ってきて早々、
「お、お兄さん目覚めたのかい。名前は?」
それについては私が口を開くより早くケイトが説明してくれた。記憶喪失の話から、スパイの会社の話まで。
「記憶喪失か……。そんなことあるもんなんだな。まあ、自分の分を自分で稼げるならそれで構わん。ただ……」
「ただ?」
ケイトは首を傾げる。
「スパイの派遣会社って……無謀すぎやしないかね。そいつは金になるかな」
「なると思いますよ。今はグレートゲーム中です。雇われスパイっていうのは……」
「ちょっと待て」
チャールズは私を制止して眉間を抑える。
「グレートゲームは二年前に終わった」
「何ですって」
「イギリス軍の新兵器だ。そいつで戦場はがらりと変わった。蒸気機構の新型戦車らしい。あんたは外に出てないからわからんかもしれんが、今や蒸気機構はイギリスに欠かせない物だ。蒸気戦車の影響で、アフガン戦争はもう終わったよ。そして、イギリスも変わった」
そこでチャールズは一息つき、
「蒸気コンピュータってのが開発されたんだ。それのおかげでイギリスは最強の国になった。計算がとても早くできるし、複雑な動きをする機械だって作れる。今イギリスに対抗できるのはせいぜいロシア帝国くらいか……。とにかくこの二年で文明は急速に発達したんだ」
私はSFの世界にでもいるのだろうか。蒸気コンピュータだって。スチームパンクの御伽話か。
「あんた、本当に記憶喪失なのか。ちと頭がいっちまってるんじゃないか。このことを知らないなんて。じゃあ、ウィリアム・スターリング博士も知らないのか」
私がうなずくと、
「未来からきた男、とも呼ばれる天才だ。蒸気機構を発明した偉大な人だよ。彼の名前はあと100年は残るだろうな」
未来からきた男。それがとても気になった。もしかしたら本当に私はタイムスリップしたのではないだろうか。スターリング博士も未来から来て、歴史を大きく変えたのではないだろうか。そんな考えが私の頭をよぎる。考えられないが、そう考えると辻褄が合う。では私は何のためにここへ。
チャールズの話は終わったようなので、私はスパイの会社についてプレゼンする。
「グレートゲームが終わって、蒸気機構なるものが完成しているのなら、ロシア帝国もかなり技術進歩に力を注いでいると思います。となると、始まるのは間諜合戦です」
私は説明する。
間諜合戦が始まると、スパイという人材が必要となるのは言うまでもない。大事なのは、スパイが捕まった場合だ。国の抱えているスパイだということが分かると、政治問題になりかねない。ジェームズ・ボンドのように、捕らえられても当局は一切関与しない、というわけにもいかない。そんなことをするより、民間のスパイを使った方が明らかに潔白は証明しやすい。彼らが勝手にやったことだから我が政府は一切関係ない、と。
つまり、民間のスパイは重宝するのではないか。
「なるほど、一理ある」
私が説明を終えると、チャールズは唸った。
「だが、そんな危険なことに人が集まるのかね」
「ここに一人いるじゃないですか」
私は自分を指さす。
「私はどうやら、スパイだったらしい」
「おいおい冗談は……」
今度は私が制止する。
「おや、ポケットにナイフが」
そう言うなり私はチャールズの首にナイフを当てる。ケイトが小さな悲鳴を漏らした。
「鞘に入ってました。心配はいりません」
そうするとチャールズは豪快に笑いだした。
「確かにスパイだな。殺し屋かとも思ったが、その割には度胸がある。気に入ったよ」
「殺し屋は度胸が無いですかね」
「いや、言ってみただけだ」
チャールズはニヤリと笑う。
「さあ、飯にしようや。……質素な」
「一言余計よ」
ケイトがチャールズを小突いた。
ふと疑問が上がる。
「お二人は、付き合ってらっしゃる?」
「違う」
やや食い気味に、二人はハモって言った。