神の如き奇跡
シウルがリャーナ領を制圧した一方で、ラクノン領の防衛部隊は苦戦を強いられていた。敵はリャーナ家の兵士の数を圧倒的に上回っている上に、刻々と増えていっている。まるで世界の全てを敵に回しているかのような感覚をラクノン兵達は覚えていた。ギザや、彼の才能を受け継ぐ子供達は勇猛果敢に戦っているが、あまりの敵の多さにうんざりとしている。
「あーヤバい。そろそろ踊って魔力を補給しないと」
妖精族が魔法を使うには、舞をして魔力を溜めなければならない。そして、魔力が枯渇した妖精族は死んでしまう。更に、各個体によって最大限溜められる魔力量が存在する。つまり、定期的に踊らないといけないのだ。ヨフィエル達レシルーニアは同時に踊る。一度に複数で踊ると、魔力は効率良く溜まるのである。その光景は人族にとって美しく、戦場であるにも拘らずそこにいる者達はうっとりと魅入っていた。
「はーい、余所見しなーい」
一瞬眼を奪われつつも、すぐ正気に戻ったメルンが矢を放ちながら言った。矢のストックも少なくなってきており、部下に補給してくるよう頼んであるのだが、一向に帰ってこない。矢はどこでも不足している為、やや揉めているのである。
「隊列も下がってきてるし……この状況を変えるには、どうすればいいんだろ」
「そうですね……もしかしたら、ここは放棄して軍を撤退させた方がいいかも知れません。分が悪すぎます」
「そうかぁ、じゃあそうした方が良いのかなぁ」
傍らにいた部下と相談し、メルンは下で戦っている兵達に告げる。ちなみにその中には彼女の兄弟姉妹が率いる軍もいる。メルンが偉そうな態度であることに反発を示していたが、ヨフィエル達が自分達の強さを示し、それを支配しているメルンには逆らってはいけないと思い、彼女にとりあえずの従順を示した。
「ただ今よりここは――」
撤退を宣言しようとしたメルンの言葉は、突如発生した爆音によって遮られた。魔力が回復したレシルーニアが呼び出した魂が一斉に炎を放ったのだ。炎は広がり、敵兵達を呑み込んでいく。
「ここから先は地獄だぜ? 消し炭になる覚悟が無ぇんなら、逃げた方が身のためだ」
ヨフィエルは大声で敵兵へと声を届かせる。炎の規模に恐れをなした敵兵達の腰が抜ける。敵の将軍は一時撤退を命令し、兵を退かせる。長い戦闘によりレシルーニア達は消耗し、特に遅れて軍に加わった者からは甘く見られていた。故に、今の炎攻撃は彼らに衝撃と恐怖を与えた。逃げ惑う彼らをウロス達は追撃していった。
「ったく、また溜め直しか」
「一気に魔力、使っちゃったからね」
レシルーニア達は疲れたように苦笑する。まだ十分に魔力が回復していなかったにも拘わらず全力の攻撃を放った彼らは地面にへたり込む。メルンは声をかける。
「お疲れ様。それじゃ、最後の仕事だけど」
「おう、任せとけ」
「うん。よろしくね。私も向かうけど」
ヨフィエルは頷き、兵達を連れて逃げた敵を追う。そしてメルンも後からそれを追った。
◇
「やっぱり大規模魔法は楽しいわぁー。ストレス解消にはこれが一番!」
東から来る敵を相手にしていたサリエルは満面の笑みでそう言った。彼女が作り出す凄惨な光景に、後からここに来たラクノン兵や敵兵達は戦慄している。彼女は雷を落とし、地面を揺らし、強風を吹かし――他にも並のレシルーニアには不可能な現象を引き起こした。だが、彼女が本当に並外れた能力を持つのは、別のところにある。
「えっと……サリエルさん?」
「あぁー、一番隊と二番隊はそのまま、三番隊四番隊五番隊はちょっと左に……うん、そんな感じ。敵を逃がさず、上手く誘導してねぇー」
この戦場におけるサリエルの役割は軍師。長年レシルーニアの長として仲間達を率いて妖精族を狩っていた経験は、多くの駒を的確に動かす能力を育て上げた。そして彼女は今、ラクノン家の兵士を動かしている。
最初にサリエルはパフォーマンスとして、大規模な魔法を使い、後から来たラクノン軍に力を見せ付け、無理矢理従わせた。しかし実際に彼女の指揮を受けて、その能力の高さを兵達は認めた。その後、基本サリエルは指揮に専念していたが、時折自身も魔法を発動して、数が勝る敵を的確に片付けていった。
「ここから先には行かせない」
ラグエルも魂に牽制の水魔法を使わせて、サリエルが示す方向へと敵兵を導く。必要最低限の魔力しか使わなかったサリエルとは対照に、彼は多くの魔力を消費していた。そんな彼の脳内にサリエルは声を送る。
『君もそろそろ向かって』
『了解しました』
命令を受けたラグエルは飛び立っていく。その方角は南西――聖騎やギザがいる方角だ。
「さぁーて、そろそろフィナーレよ!」
楽しげな笑みを浮かべて、サリエルは兵を操る。
◇
そして南。大小合わせておよそ五十の勢力がラクノン軍を滅ぼさんと押し寄せる。それに対しラクノン軍は臆することなく戦うも、数の暴力の前には苦戦せざるを得ない。倒れても味方の魔術師の回復魔術を受けられるが、それは相手も同様である。無論、魔術師の数も相手の方が多い。そんな状況の中、大将であるギザ・ラクノンは縦横無尽に戦場を駆け巡る。
「がはははははは! 俺の剣の錆になれぇ!」
愉しげな笑みと共にギザは敵を斬り殺していく。その活躍は鬼神そのものであり、血で深紅に染まったその顔は、長い戦闘にも拘らず疲れを見せることが無い。相手はそれを恐れつつも、数で押し切れば何とかなると信じて、決して退かない。彼らは各の主への忠義の為に戦っている。
「リート・ゴド・レシー・ハンドレ・ト・ミリーオ・ラヌース・ストラ」
聖騎も高台から魔術攻撃を放つ。漆黒のローブに身を包み、仮面を被る彼の姿は注目を集める。その上、並みの魔術師では難しい広範囲に魔術を行使するのだから尚更である。魔術や矢による攻撃の標的になるが、それらは自身が魔術で生み出す光のバリアに阻まれる。
ちなみに彼はそれほど本気の攻撃を行っていない。まるで相手を殺す気が無く、そしてそれを知らしめるかのように。しかし広範囲に渡る魔術は敵の陣形を変える。如何に攻撃一つ一つの威力が小さかろうと、ダメージを負う事には変わらない。それが絶えず繰り返されるのだから、敵将はそれに対処するように兵士を動かし、味方の将もそれに合わせて攻めていく。その様に戦場の形を整えているところへと、北東から新たな敵勢力が現れた。その様子を確認した、味方の魔術兵や弓兵は息を呑む。
「ようやく来たか」
そう呟いたのは、数分前から聖騎の傍にいたラグエルだった。彼がここに姿を現した際には、妖精族を見たことが無い兵士達がちょっとしたパニックを起こしたが、彼自身が鋭い眼光で睨んだ上に聖騎が黙るよう言った為、すぐに収まった。
「サリエル達ですね。流石です」
「お前……いや、何でもない」
『パラディン』としての聖騎の敬語に未だ慣れないラグエルは違和感を訴えようと思ったがすぐにやめた。彼が兵士達に目を向けると、新たな敵兵が何かから逃げているような様子であることに気付き、頭上に疑問符を浮かべた。そして敵兵に続いて現れた友軍を見て、疑問符の数を増やした。圧倒的に少ない自分達の軍から、何故逃げているのだろうと。
「もうちょっと右……じゃなくて西に行くように調整して貰いましょう……おや?」
聖騎はラグエルに、念話によって今言った事をサリエルに伝えるよう依頼をした。その直後に今度は北西から別の敵兵が現れた。メルン達と戦っていた勢力である。そしてその後ろからはまた友軍がいた。例によって、友軍の方が圧倒的に少ない。聖騎はまたラグエルに、今度は北西から来る軍の所にいるヨフィエルと念話をして陣形を調整するように頼んだ。ラグエルはサリエルとの話と並行してそれを実行する。それを横目に見ながら聖騎は呟く。
「では、始めるとしましょう」
次に、空気を操る妖精族の魂を二柱、自分の両脇に召還する。
「諸君、私に注目しなさい!」
その役割はスピーカー。聖騎の声を空気を振動させることによって増幅させ、広い戦場全体へと届かせる。兵士達は一瞬聖騎に視線を集めるものの、すぐに戦闘を続行する。そんな反応は予測済みだった聖騎は気にせず続ける。
「私はパラディン。ラクノン家に仕える者です。私はこの状況を哀しく思います。このリノルーヴァ帝国における戦争により、この瞬間も、この場で、決して少ないと言えない数の兵士達が命を落としているのですから! 諸君はこれを正しいと思いますか? 私はそうは思いません」
聖騎の演説に兵士達は「何ふざけた事を言っている?」と思う。彼が仕えると言ったラクノン家こそ、最も積極的に他の勢力を攻めているのだから。聖騎は続ける。
「それでは一つ、諸君に奇跡をお見せしましょう」
聖騎はスッと、神御使杖を右手で掲げる。そこに一同の注目が集まる――ということはない。そして呪文を詠唱する。
「リート・ゴド・レシー・テーヌサザン・ト・ミリーオ・ラヌース・ファーヌ」
神御使杖の先端からは数え切れないほどの光の槍が扇状に飛び荒れる。槍一本一本の密度は今までのものとは比にならず、とてつもない殺傷力を秘めている。そして敵陣は工作の結果、同じく扇状に並んでいる。つまり、聖騎の攻撃範囲にはすっぽりと敵が収まっている。また、味方の兵は上手いこと誘導して巻き込まないように配置した。光の槍は次々と兵士達を貫いていく。そんな状況の中で聖騎は次の呪文を唱えた。
「リート・ゴド・レシー・トゥテーヌサザン・ト・ミリーオ・オラン・ヒルーン」
今度は柔らかな光が生み出され、戦場を包み込む。その光は倒れた者達の体力を回復させた。流石に全快とまではいかないが、そもそも体力がゼロになった者を復活させるのには多くの魔力が必要であり、数万という単位の人間を一度に一人で復活させるという事自体があり得ないとされており、正しく『奇跡』と呼ぶに相応しいと言える。
(……やっぱり、違和感が)
内心で聖騎は、神御使杖の違和感を再認識していた。自分の思うように魔力が流れないような感覚を覚える。その直後、神御使杖の先端にある玉――神力受球にピキピキとヒビが入っていくのを感じた。聖騎はただちに魔力発動を中断する。慌てているのを悟られないように、ゆっくりと杖を下ろす。
本来神力受球が急に破損するという事はほとんど無いとされている。神力受球の階級にもよるが、長い間使うことによって徐々に劣化していくのが普通だとされている。しかし、聖騎が度々規格外の量の魔力を使用していた為に、第七階級の神力受球では耐えきれずに破損してしまったのだ。一応まだ使えない事もないが、それも時間の問題である。そんなことなど知る由もなく聖騎は、自分達が一度攻撃を受け、その後混濁した意識の中で、蘇ったことに戸惑う兵士達へと告げる。
「これが、奇跡です!」
その言葉に敵も味方もざわめく。戦いなど忘れて、自分達に起きた出来事を仲間と確認しあい、そして確信する。高台に立つ怪しげな人物には勝てないということを。そして、そんな人物を配下に置くギザ・ラクノンを攻めるというのは愚かであると。
「改めて言います! 私は戦争を哀しきものだと考えています。だからこそ私は、皆様にラクノン家への無条件降服を提案します! ここに主がいない勢力は直ちに帰り、主へと伝えてください。無論、降服した者には危害を加えないことを約束します。ただし、私の意見に背き、刃を向けるのであれば、私が全力をもって相手になります」
兵士達は、聖騎がまるで神であるかのような錯覚を覚えた。否、本当に神なのではないかと疑う者すらいた。それほどまでに彼の力は圧倒的だった。数万の軍勢をたった一人で全滅させ、その上で全員を復活させるという余裕を見せたのだから、それも仕方がない。軍を率いていた領主は降服を宣言し、領主がここにいない勢力の軍は直ぐ様帰還した。
「これが……マサキの力」
その様子を見ていたメルンは呆然と呟く。
「上手くいったようねぇー。本性がゲス野郎って事も知らずに崇めちゃってる人がちょっと可哀想だけど。うふふっ」
別の場所で、サリエルは笑いながら呟いた。
ともあれ、この『ラクノン領防衛戦』は終結した。これによりラクノン家はリノルーヴァ帝国の約半分を手に入れ、国家統一に向けて大きく前進した。また、その功労者である『パラディン』の名はリノルーヴァ中に広まる事となる。
この夜、ラクノン領では祝勝会が行われた。この目的は『パラディン』こと聖騎を称える事を目的としていたが、彼は会場には姿を見せなかった。本来人前に出ることを好まない彼はメルンの屋敷へと、メルンやその従者、そしてサリエルを含めたレシルーニア達と共に帰った。
屋敷では孤児である子供達が出迎えた。メルンの知名度向上の為の芝居に協力していた者達である。彼らは既に今回の戦闘について耳にしており、『パラディン』へとヒーローとして尊敬の眼差しを送った。彼らの邪気の無い視線に聖騎は居心地の悪さを感じ、それに気付いたサリエルは笑った。
◇
町全体が祝賀ムードの中、事態を知ったシウル・ラクノンは戦慄と共に呟く。
「カミシロ・マサキ。彼は私の想像を遥かに凌駕する存在だ」
闇夜の下、彼の長髪を風が揺らす。
「君は危険だ。だからこそ、私はやらなければならない」
彼は何かを決意したかのように表情を引き締める。その眼には強い意思が宿っていた。すると彼の背後から声がかけられる。
「シウル・ラクノン様。あなたの目的の為、私を好きなようにお使い下さい」
声の主は彼の腹心である獣人トロスではない。落ち着いた雰囲気の声を出すのは老人の男だ。そんな彼にシウルは言う。
「ああ、君が何を考えているかは分からないが、頼りにさせて貰うよ――――マスターウォート」
その言葉に、老人は小さく笑うのだった。