力への渇望
領土の方が攻められているという情報はシウルの耳にも届いた。だが、彼は自分の作戦を実行し続ける。
「しかし、報告を聞く限りでは、敵はリャーナ家の配下勢力だけではない様だね。便乗してうちに攻めてきている勢力も多い。随分と厄介な状況だ」
「それなら……」
「それこそがカルフ・リャーナの狙いだよ。その手に乗るわけにはいかない。そして、今日こそ落とす。さて、向こうは十分に混乱している。行こう」
部下の進言を一蹴して、シウルは命じる。実は彼はリャーナ家に部下をスパイとして送り込んでおり、適宜情報を仕入れていた。そして今回スパイには偽情報を流させた。民を避難させる部隊と交戦しているだの、西から襲ってこようとしているだのという情報はデマである。避難部隊の援護に向かった部隊を待ち受けて一気に潰すなど、じわじわと相手を追い詰めていく。そして避難民は現在シウルによって確保されている。ともあれシウルは敵の本陣へと動き出した。
◇
「くっ……どうしたものか」
戦況に動きが無いことに、カルフ・リャーナは焦りを見せている。避難民を援護しに行った隊も行方が知れないということで新たに別の隊に様子を見に行かせたのだが、それも帰ってこない。その後何度か、敵軍来ようとしているという報告が何度も来たが、いざ確かめさせようと隊を送ったが、敵が来る様子は無いということが何度もあった。
このまま何もしないのは良くないのではないかと思いつつ、しかし焦れば相手の思う壺だと考えると二の足が出ない。兵達も苛立ちは最高潮に達しており、このまま動かないでいてはいざ戦闘に入った時に力を発揮できないと考えたカルフは出陣を命じた。戦いに行くにも拘わらず、兵達はどこかホッとしたような雰囲気になった。向かうは元々来ると報告があった西方向である。
「むっ……」
前方に何やら旗を掲げた集団を見つけたカルフは小さく声を漏らす。その旗にはラクノン家の家紋が描かれていた。そして集団の先頭には、端正な顔立ちの青年――シウル・ラクノンの姿があった。
「これはこれは、カルフ様。お久しぶりです」
「たったそれっぽっちの軍勢でこの私に挑むとは、戦を分かっていないのではないか? 青二才が」
「ふふっ、そうかもしれませんね」
苛立ちを露に言うカルフの言葉を、シウルは柔和な笑みを浮かべて受け流す。次の瞬間、戦力差に開きがある二つの軍は激突する。シウルは剣を振るい、敵兵をハイペースで倒していく。そして彼の兵達も高い士気の中、勇猛に戦う。しかし、中には士気が低い者も一定数存在した。それに気付いたカルフの兵は優先して彼らを狙う。だが、兵の動きがそこで止まる。
「お前……どうして!?」
兵が斬ろうとしていた相手は、彼の妻だった。リャーナ家の屋敷に避難していると思っていた彼女がここで敵として現れた事に驚きを禁じ得ない。すると、シウルが笑う。
「ふふふふふっ、どうしたんだい? 今は戦闘中だよ?」
シウルは動揺して動けないその兵の喉元に剣を突き付ける。すると妻が彼を庇い、彼女の頭部に剣が刺さった。
「何故……! 何故だあぁぁぁぁぁ!」
兵は怒りのままにシウルへと斬りかかる。その短絡的な斬撃はあっさりと斬り払われ、剣は折れる。そこに容赦なくシウルは止めを指す。他にも同じように何人かの敵兵が動揺していたところを倒されていた。状況を察したカルフは激怒する。
「シウル・ラクノン! 卑怯な真似を! 正々堂々と戦え!」
「卑怯とは何でしょうか? 今あなた方が私達より多くの軍を率いることは卑怯では無いのでしょうか? 正々堂々なのでしょうか?」
「黙れえええええええええ!」
激昂と共に剣を握り締め、カルフはシウルへと向かっていく。そしてシウルは右手の剣を――――民の女の首筋に当てた。
「ひいっ」
女は悲鳴を上げる。逃げ遅れた避難民である彼女達には、予め用意しておいたラクノン家の家紋が描かれた旗と、ラクノン兵の鎧を与えられている。彼女達は人質である。ここにいるのは主に成人女性である。鎧さえ着てしまえば、遠目に見れば違和感が無い。そして、シウル軍の背後から新たな軍が現れる。その様子にリャーナ兵達は息を飲む。彼らは幼い子供達や老人を捕らえていたのだ。彼らは、軍の中にいる女達が余計なことをしないようにするための人質である。
「あの人達はみんな私達の為の人質です。生かして欲しいのならば、武装を解除して降服を宣言して下さい。だからと言って解放する訳でもありませんが」
「くっ……」
鬼のような形相になって、カルフはニヤニヤと笑うシウルを睨む。そして、剣を棄てようとする。その時、そこに大声が響く。
「カルフ様! アイツを倒してよ!」
それは捕まっている少年の声だった。近くで大声を上げられて不快感を覚えつつ、兵士はその少年の首をはねる。
「いやあああああああ!」
その光景に、少年の母親が悲鳴を上げる。煩わしいと思った兵士は母親の腹部に剣を刺す。それを一瞥し、シウルはカルフに告げる。
「さあ、どうしますか? あなたが剣を捨てなければ、無駄に命が失われてしまいますよ?」
カルフは悔しさに力の限り歯噛みする。直接剣を交えてその結果負けたのであれば、悔しさはあるものの納得もしただろう。だが、今は人質などという卑劣な方法で、先祖代々受け継ぎ、長い間治めてきた領地が奪われようとしている。彼は領民を愛している。その命を無駄に散らせたくはない。
「分かっ――」
「なりません!」
カルフの言葉を人質の女が遮った。すると次々と声が上がる。
「私達の事は気にしないでください!」
「こんな、ムカつく野郎に負けないで!」
人質から届く声に、カルフは小さく笑う。そして、剣をしっかりと握り締める。
「そうだ……俺はカルフ・リャーナ。お前のような青二才なんかに屈しない。俺の愛する民達よ、最期に少し格好つけさせて貰うぞ」
カルフは油断していた兵士に斬りかかる。そして鬼気迫るような表情で、別の敵兵士を一刀両断にする。
「民を……見捨てるとでも言うのですか!?」
「お前みたいな奴に捕虜にされるよりはマシだ。そうだろ?」
驚愕に眼を見開くシウルに、カルフはニヤリと笑って答える。その言葉に民達は笑顔で頷く。
「くっ……。ならば!」
シウルは慌てるように敵兵を倒しながら、カルフの許へと進む。敵兵は士気が上がっており、簡単には倒れない。シウルの部下達は慌てて人質を殺す。しかし彼らは笑って逝っていった。
「おおおおおおおおお!」
カルフは部下達に申し訳ないと思いながらも吠える。そして、シウルの剣と己の剣とで激しい金属音を鳴らす。
「愚かな選択を……!」
「せめて息子の仇だけは討たせて貰うぞ、青二才」
カルフは剣を振り下ろす。シウルは身体を横に回転させて、かわしつつ次の攻撃に繋げる。だがそれは、剣によって受け止められた。
「甘い。所詮お前の剣の腕はギザに劣る」
カルフは力を込める。その勢いによろけたシウルは後ずさる。
「そして、俺にも劣る」
隙を見逃さず、カルフは突進する。シウルは回避しきれず、右肩に斬撃をかする。
「くっ」
「終わりだ」
呻くシウルへととどめを刺すべく、カルフは剣を振り上げる。シウルの部下の兵士達は援護に入りたいが、敵兵から目を離せない状況である。しかしシウルは動じない。その口元が僅かに歪む。
「がはっ……!」
吐血と共に漏れたその声は、カルフの口から発せられた。その背中からは、空から降下してきた獣人、トロスの嘴が貫通していた。
「確かに私の剣術は父上に劣る。それはあなたに言われずとも承知しております。だからこそ、私は勝つ為ならば手段を選びません。手段を選んで敗北するのは、単なる愚者です」
シウルは言葉と共に、とどめとしてカルフの胸に剣を刺す。その光景にリャーナ兵達は衝撃を受ける。絶対的に信じていた主の理不尽な死に、怒りを覚える前に状況を把握できなかった。否、認めたくなかった。そんな彼らにシウルは告げる。
「君達の主は死んだ。これ以上の戦いは無意味だ。武装を放棄してくれるかな?」
「うおおおおおおおおお!」
現実を認めた兵士達はシウルへと斬りかかる。しかしその単調な攻撃はシウルにとって容易くいなせる。
「もしかして、勘違いしているかな? 確かに私は父上やカルフ様より弱いかもしれないが、君達よりは強いつもりだよ? 君達が無駄死にする事を、カルフ様は望まないんじゃないかな?」
「お前がカルフ様を語るなあああああああああああ!」
兵士達は続々と怒りをぶつける。だがシウル、トロス、そしてシウルの兵達はそれを全滅させた。辺り一面に転がる敵の骸を見て、シウルは呟く。
「やはり私には難しい。『圧倒的な力を見せつけることによる敵の無力化』は」
「シウル様……」
「パラディン。彼はそれを易々と実現させた。父上も、その名を名乗るだけで多くの敵を退けてきた。私には彼らとは違って力が無い。トロス、私は力が欲しい」
どこか虚しげに呟くシウルに、トロスは何も言えなかった。ふとシウルは再び口を開く。
「そういえば、アリウ達の軍がここに来ている筈ではなかったかな……?」
「姿を見ませんね。探して参ります」
「頼むよ」
トロスは両腕を広げ、空へと飛び立った。