魔王の側近
「報告です。大陸南東部に謎の獣人族が現れました」
「そうか」
ヘカティア大陸にそびえるヴァーグリッド城の一室。部下の報告を受けて、円卓につく魔王ヴァーグリッドは頷く。
「はい。それを発見したアネモネ様以下四名は応戦するものの……その…………」
報告する魔族は急に言い淀む。それに同じく円卓にいたアルストロエメリアは不快げに眉をひそめる。
「何だ? 報告はハッキリとしろ」
「はっ……。その……アネモネ様達は……件の獣人に喰われまして…………」
アルストロエメリアに睨まれて、部下は躊躇いがちに告げた。
「喰われただと?」
「はい。理由は不明ですが獣人は魔王様を探している模様で、アネモネ様達が排除しようとした所失敗し、誰も獣人の質問にお答えにならなかった為に喰われたと思われます。その後奴が何をしているのかは私には把握出来ていません。……何せ、逃げるのに必死だったものでして…………」
部下の女は身体中を汗で濡らしながら説明をする。すると同じく円卓についていたパッシフローラが口を挟む。
「言い訳はいらないわぁ。それにしても、アネモネ君があっさり負けちゃったって事は、最低でも四乱狂華レベルじゃないと太刀打ち出来ないんじゃないかしらぁ」
「そうだな。さて、その獣人は余に用が有るようだ。ならば余自らが相手になるか」
パッシフローラの言葉にヴァーグリッドが続いて言う。すると円卓の三人――アルストロエメリア、パッシフローラ、ファレノプシスが一斉に立ち上がる。彼女達を代表するようにファレノプシスが慌てて言う。
「魔王様のお手を煩わせる訳にはいきません! たかが獣人、私が片付けて参ります」
「ほう、他に戦いたい者はいるか?」
ヴァーグリッドは問う。
「わたくしとしてはファレちゃんが戦いたいのであれば、それで良いと思いまぁす」
「私も異論は有りません。しかし、万が一ファレノプシスが敗北した場合には私が相手致します」
パッシフローラとアルストロエメリアが答える。するとファレノプシスが抗議の声を上げる。
「アルストロエメリア! 私を馬鹿にするつもり!?」
「もしもの事を想定して行動するのは当たり前の事だ。無様にも人族に極限時龍化と空間魔法の能力を奪われたファレノプシスよ」
「この……!」
アルストロエメリアの挑発にファレノプシスは食って掛かる。険悪な二人にヴァーグリッドはわざとらしい咳払いを聞かせる。
「そこまでにせよ。見苦しいぞ」
「失礼致しました」
「も、申し訳ございません!」
呆れるヴァーグリッドに二人は謝る。
「まあ良い。ではファレノプシス、件の獣人の下へ向かえ。アルストロエメリア、そなたなら彼の者の居場所が分かるな?」
「はっ。薄々ながら強力な気配を感じます。今は遠い所にいる様ですが、近付いてくるのは分かります」
「ならば場所を特定し次第ファレノプシスに位置を教えよ。ファレノプシス、今度敗北すればそなたから四乱狂華の称号を剥奪するかも知れぬ。気を引き締めよ」
「はい!」
「では二人とも、直ちに向かえ」
「はっ」
「了解しました」
二人は退室し、部屋にはヴァーグリッドの他にパッシフローラと伝令役の女が残る。ヴァーグリッドは伝令に言う。
「そなたに命じる」
その内容を聞いた伝令は驚く。パッシフローラはニヤリと笑みを浮かべる。
「了解……しました」
頭を下げるなり、伝令は急いで命令を遂行すべく退室する。その背中を見送ったパッシフローラは尋ねる。
「ではわたくしは、ファレちゃんと獣人族の戦いを見学してきてよろしいでしょうかぁ?」
「勝手にするが良い」
「ありがとうございまぁす」
柔和に笑うパッシフローラも退室し、部屋にはヴァーグリッドただ一人が残された。彼は一言呟く。
「マスターウォート」
ヴァーグリッドの声が室内に響く。そして部屋の奥の扉がカチャリと開く。中からは燕尾服に身を包んだ白髪の老人が現れた。
「お呼びでございますか? ヴァーグリッド様」
「バーバリーの容態はどうだ?」
丁寧に頭を下げる老人――マスターウォートにヴァーグリッドは問い掛ける。
「未だ変化は見られません」
「そうか……」
マスターウォートの答えに、ヴァーグリッドは仮面の中で憂うような表情になる。だがすぐに感情を切り替える。
「時にマスターウォートよ。リノルーヴァ帝国で起こっている内乱については承知しているな?」
「はい。召喚されし勇者達と帝国が戦い、それに乗じた獣人族が皇族を討った。その後各地の領主が新たな皇帝になろうと旗を上げたということは耳にしております」
マスターウォートは穏やかに答える。
「うむ。その通りだ。我らの存在を無視して内輪揉めをしているという哀れな状態だ。まあこれはリノルーヴァ帝国だけに限ったことではあらぬ。人族共は余輩に恐れをなして、自らを守る為の力を手に入れるべく戦をしている。実に愚かしい。もっとも、エルフリード王国の様に余輩と戦う事に全力を注ぐ国も有るには有るが少数派だ」
「多くの者がヴァーグリッド様に剣を向ける事を恐れているのでしょう。現に、積極的に我等に挑んだ国々は滅ぼされ、従属を表明した国の民は奴隷として扱われております。ならば出来る限り我等と関わるのは避けるのも自然な事でしょう」
マスターウォートは円卓にはつかず、ヴァーグリッドの傍らに立つ。この円卓は魔王及び四乱狂華のみにつくことを許されている。しかし彼は四乱狂華の誰よりも比較的親しげにヴァーグリッドと話す。
「そうだな。……話が逸れた。兎も角リノルーヴァ帝国では戦が起きている。余はそれに乗じ、帝国を手に入れようと考えているのだ」
「それは、戦により疲弊している帝国に攻め入り、滅ぼすという事でございましょうか」
「違う」
ヴァーグリッドは小さく横に首を振る。そして説明する。
「そなたの軍略により帝国内のある勢力を支援し、帝国を統一するのだ。しかしその支配者になるのは余輩ではなく人族だ。上から押し付ける形の支配ではなく、表向きは友好関係を結んだ上で裏から国を操るということを想定している」
「左様ですか。何故その様な事を?」
「ただの戯れだ。さて、肝心の支援対象となる勢力だが――」
ヴァーグリッドはその勢力のリーダーの名を告げる。マスターウォートは頷く。
「了解致しました」
「期待しているぞ。……それと、余と同様にこの戦を利用して何かを企んでいる者がいるとの情報もある。十分に警戒せよ」
「はい。このマスターウォート、ヴァーグリッド様の命令は絶対に遂行致します」
マスターウォートはひざまずき、敬意を示す。そして入室する際に使用した扉を開けて外に出た。ヴァーグリッドは黄金の仮面を脱いで円卓に置き、呟く。
「パッシフローラの報告にも登場したカミシロ・マサキ。勇者共からも一目置かれている存在の様だが果たして……」
何かを期待するように、ヴァーグリッドは妖しげな笑みを浮かべる。艶やかな黒髪と雪のように白い肌の中に浮かぶそれは何処か神秘性を醸し出していた。