曝け出した少女
ラグエルは館の様子を見る。建物は古びていたが、掃除は丁寧にされている様に彼には思えた。ウロスに連れられて館の中を歩く過程で、中に誰も見かけることは無かった。この館に仕えている者はウロスの他に二人だけで、ここに住むのは四人だけであるという事はあらかじめ調べてある。なお、残りの二人も獣人族の奴隷である。生まれた時から奴隷として育ったウロス達三人は自分の境遇に疑問を持つことが無かった。むしろ先代の主であるアルン、そして今の主メルンは自分達に好意的に接してくれている為、奴隷解放に来た獣人族に「逃げろ」と言われても大きなお世話だとしか思わなかった。その獣人はメルンに手をかけようとした為、排除した。ウロスはやがて、ある部屋の扉の前で止まる。
「メルン様、客人をお連れしました」
「入って良いよ」
ウロスが扉に向かって声を掛けると、少女の声が返ってきた。ウロスは扉を開く。中には桃色の髪の勝気そうな顔立ちの少女がいた。机には大量の紙束が置いてある。少女――メルンはラグエルを見るなり言う。
「うわー、私妖精族って初めて見た! しかもイケメン! ねえ、触っても良い?」
「メルン様」
興奮した様子のメルンをウロスはたしなめる。するとメルンは咳払いをする。
「あ、ゴメンゴメン。つい……。えっと、ラグエル・レシルーニアだったっけ。私はメルン・ラクノン。何もないとこだけどようこそ」
「こちらこそ、突然の訪問にも拘らず受け入れて頂き感謝する」
「別に良いよ。それで、何の用?」
自己紹介をしたメルンにラグエルは頭を下げる。そしてメルンは彼に問う。
「ああ。率直に聞こうメルン・ラクノン、この国を手に入れてみたいと思わないか?」
その場に沈黙が訪れる。メルンとウロスは彼の言葉を脳内で何度も再生してみる。しかし意味が分からない。
「何言ってんの?」
「言葉の通りだ。知っての通りこの国では各地で争いが起きている。そこでお前も参戦してみてはどうだ? というのが我が主から仰せ付かったお前への提案だ」
困惑するメルンにラグエルは言う。するとウロスが口を挟む。
「何と愚かな事を。メルン様にギザ様と敵対しろと仰せですか?」
「結果的にはな」
「下らないですね。確かにメルン様の武勇は凄まじい。しかし、私達には戦力が有りません」
「戦力なら、我々が提供する」
「馬鹿にするのもいい加減にしてください」
淡々と話すラグエルにウロスは苛立つ。そんな彼にラグエルは冷たく言い放つ。
「俺はそちらの姫様に話している。お前が答えるな」
「……」
ウロスの苛立ちは更に増す。そんな彼を「まあまあ」と宥めたメルンはラグエルを見る。
「うーん……参考までに聞くけど、あなた達が提供してくれるっていう戦力はどれくらい?」
「そうだな……俺達レシルーニアおよそ五十人と、俺達に協力する人族が一人、と言って分かるか?」
「わかんない。レシルーニアっていうのは?」
「妖精族の中にある種族の一種だ」
「なるほどー、妖精族にも色々いるってことか」
メルンはうんうんと頷き、再び口を開く。
「ま、それは良いとして。あなた達が私に協力することによる利点は? 媚を売りたいなら相応しい相手が他にいると思うけど」
「例えば、お前の父親とかか?」
「…………まあね」
メルンはラグエルを睨みながら、嫌々と頷く。ギザ・ラクノンが自分の父親であることを認めたく無いのだろうとラグエルは思いつつも言葉には出さない。
「ギザ・ラクノンは大国を治める器ではない」
「それは私だって……っていうか質問に答えられてない。あなた達は何が目的で私に協力すると言ってるの?」
メルンは真剣な眼差しでラグエルを見る。
「未来の女帝様に気に入られたいからだ」
「答えになってない。だからそれが何で私なの? 私は平和にここで暮らせればそれで良い。そんなものになりたいなんて思わない」
「今のお前は本当に平和に過ごせてるのか? 自分達の平穏を誰かに邪魔される、なんてことは無いのか?」
その指摘にメルンは俊巡する。だがすぐにそれを頭から振り払う。
「そんなことは無い。私に戦えなんて……」
「このままだと奴が天下を取るぞ?」
「……ッ!」
メルンは断るが、ラグエルの言葉に動揺する。ウロスは二人の間に割って入る様に立つ。
「お引き取り下さい」
それに対しラグエルは皮肉げに笑う。
「ふん……まあ、そうなるだろうな」
「あなたが何を考えているのかは分かりませんが、メルン様を利用して良からぬことを考えておられるのであれば、容赦致しません」
ウロスは両手の鋭い爪を見せ付ける。だがラグエルは怯まない。
「随分と立派な爪だな」
「この切れ味……試してみますか? 御自身の身体で」
「そうだな……やれるものならやってみろ。だが、失礼ながらここは少々狭い。表に出るとしようか」
その言葉にウロスは訝しむ。
「何のつもりでしょうか?」
「なに、お姫様を守る騎士達の実力を見てみたくてな。他の奴らも呼んでこい。まとめて相手にしてやる」
あからさまな挑発。しかしウロスは冷静だ。
「そのような無意味な事……」
ウロスの言葉は、ラグエルが彼の目の前に召還した魂を見て止まる。
「俺としては別にここでやりあっても良いんだが、親切心で外に出ようと言っているんだ」
「……分かりました。お心遣い感謝します。相手になりましょう。ですが……あなたの相手は私一人で十分です」
「ほう」
ラグエルはニヤリと笑う。するとメルンが発言する。
「待ってウロス。私がやる」
「メルン様!? しかし……」
「ついでに賭けをしよう、ラグエル。あなたが勝ったら、あなたの言う通りこの戦争に参戦する。その代わり私が勝ったら、あなたの提案は今後一切受けない。それで良い?」
そんなことを言い出した主にウロスは動揺する。
「なりません、メルン様!」
「お願いだからやらせて、ウロス。この人と戦うことで何かが分かる気がするの」
メルンはウロスに、真剣な表情で言う。ウロスは諦めた様に頷く。
「分かりました、健闘を祈ります」
「ありがと。良い? ラグエル」
「構わない」
メルンが尋ねるとラグエルは頷く。二人は館の中庭に出て試合をすることとなった。
◇
「では、只今よりメルン・ラクノン様とラグエル・レシルーニア様の試合を開始します。双方、準備はよろしいですか?」
中庭にて、審判役をやることとなったウロスが距離を取っている両名に確認する。二人は頷く。この試合を行うにあたって、この館に支える使用人である人獣二人とレシルーニア四人が観客として集まった。彼らの視線の先ではメルンが弓を構え、ラグエルは三柱の魂を呼び出す。
「はじめ!」
ウロスが合図を出す。その直後にメルンは弓を引き、一柱の魂に狙いを定める。それが何なのか、彼女はまだ知らないが、倒しておいた方が良いと判断した。すると魂達は同時に踊り出す。
「何だか知らないけど!」
メルンは矢を放つ。すると二人の間に壁が地面から現れる。矢は壁に阻まれた。
「何これ!?」
叫ぶと同時にメルンは弓を左腰に提げ、右腰の剣の柄に手を添えながら走る。 壁の向こうのラグエルは石を生み出す魂を消して、代わりに水を操る魂を出した。それらを踊らせ、壁の上からメルン目掛けて水流を放つ。
余談であるが、以前神代聖騎が『七番目』と戦った際は、あらかじめ踊らせておいて魔法発動可能になった状態の妖精族の魂を配置させておいた状態で戦いに挑んだのだ。しかし、魂を召還したまま保つという行為は魔力を失い続ける事になる為、膨大な魔力が必要となる。
水流がメルンを襲う。メルンは背負っていた盾を左手で取り出してそれを受ける。水圧に負けそうになりつつも、ジリジリと進む。
「これは……魔術師との戦いとは全然違う。敵は一人なのに……」
やがて水流は止まる。メルンは敵を警戒しながらも足を速める。
「見えた!」
壁のラグエルがいる側へとたどり着いたメルンは呟く。そんな彼女へと、今度は雷撃が一直線に疾る。メルンはそれを、あらかじめ構えていた盾で何とか防ぐ。しかしその圧力に負け、盾は後方へと飛んでいく。
「しまった……でも!」
メルンは右腰の剣を抜き、走る。迫り来る雷撃を跳躍して回避し、ラグエルを目指す。ラグエルはその場から動くことなく、ただ魂に攻撃命令を与えるだけである。その表情には笑みが浮かんできた。
「流石だな。今の俺は手を抜いているが、それでも並の人族なら倒れているぞ」
「当然、私は強いから」
上から目線のラグエルに、メルンは感情を乱される事なく言葉を返しながら、身を反らして雷撃をかわす。
「そうか……だが、接近戦こそが俺の本領」
ラグエルがそう言うと、雷撃が散弾銃の弾丸のように激しく飛ぶ。雷撃一つ一つの威力は下がったが、命中率が上がった。メルンもこれは避けられず、体に何度も攻撃を受ける。
「メルン様!」
試合を見ていたウロスの声が上がる。だがメルンの戦意は消えていない。戦闘用ドレスには幾つもの穴が開き、小さく鮮血も飛び散るが、彼女は剣を捨てない。
「いや」
その呟きと共にメルンは剣を捨てた。それを見ていた全員が驚く。だが、ラグエルの猛撃は止まらない。雷撃は絶えずメルンを襲う。
「こっちも本領で行く」
メルンは左腰の弓を取り出す。そして右肩に提げた袋から矢を一本取り出し、弓にセットする。
「どういうつもりだ? この近距離で」
ラグエルは訝しみつつも攻撃を続ける。メルンは彼の言葉に答えず、矢を放つ。矢は旋風を起こし、雷撃を霧散させると同時に魂を射抜く。ラグエルは驚きつつも残り二柱の魂に攻撃を命じようとする。しかし次の瞬間、それらへと矢が命中する。そしてラグエルの顔スレスレでもう一本の矢が飛んだ。頬をかすり、黒い血液が舞う。そこでラグエルは敗北を悟る。それを見たウロスが試合終了を告げようとすると、メルンが突然叫び出す。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
何事かと思ったラグエルはすぐに気付く。ラグエルの――あくまで試合の範囲で――容赦の無い雷撃の嵐を受けたメルンの戦闘用ドレスはそこかしこが破れており、更にメルンが力の限り弓を引いたことにより、肩の部分が完全に破け、ドレスがずり落ちたのだ。戦闘用ドレスを着る際のメルンは下半身の下着はつけていたが、体を締め付ける上半身の下着は付けておらず、僅かに膨らんだ胸が晒される結果となってしまった。メルンはそれを両腕で隠し、地面に転がりながら羞恥に涙を流す。ウロス及び観客席の面々はラグエルに冷たい視線を注ぐ。それは彼の仲間達も例外ではない。また、観客では唯一の女性である雉の獣人フェーザはあからさまに軽蔑していた。
「申し訳……ありませんでした」
ラグエルは主サリエル以外には使わない敬語で謝罪したが、そんなものでメルンが納得するはずがなかった。