駒の決定
「フラれちゃったわね」
レシルーニアの住処である穴の中。意識を取り戻した聖騎にサリエルが言った。聖騎は答える。
「そうだね。残念だよ。彼を手に入れられなかった事も、負けた事も」
「案外負けず嫌いなのね」
「うん。もしも僕が『騙し』を奪われていなければ勝てたのに……という負け惜しみを言いたくなる程度には悔しいね」
言葉とは裏腹に聖騎の様子は定常通りである。起き上がった彼は、レシルーニア達が集めた情報を綴った紙の束に目を向ける。実際には紙ではなく、紙の様な葉であるが。
「さて、そろそろこっちを進めないとね。誰が相応しいか」
「候補は?」
サリエルに聞かれて聖騎は束から何枚かの葉を取り出して前に出す。
「一人目は民からの評判も良いらしいダイバン・シノード。政治の経験も豊富で財力も中々らしいけれど、野心が無くてこの戦争でも他の領地を積極に攻めることはなく、飛びかかる火の粉を振り払うだけ。他の領主と同盟を結ぼうとしているようだけれど、相手にされていない」
「人材としては魅力的だけど、野心が無いというのは致命的ね」
「二人目はダインとは対照的に野心の塊であるギザ・ラクノン。大将にも拘らず自身が戦場では先頭に立って剣を振るい、数々の猛者達を討ち取っている。また、兵法にも通じていて兵士を自分の手足の様に操り、戦場を完全に支配する。とはいえ、リノルーヴァ帝国の皇帝軍には負けているけれどね」
「現時点での大きな勢力の一つね。でも、民からはかなりの税を取り立て、自分は権力を笠に酒池肉林の暴君ギザは大国を治める器じゃないわ」
報告の内容を述べる聖騎にサリエルは言葉を挟む。そして聖騎は葉をもう一枚前に出す。
「そして三人目はメルン・ラクノン。ギザと平民の女性との間に生まれ母を亡くした、歳も僕とそう変わらない女の子。母親が平民でありながら実力で手に入れた小さな領地を治めている」
その報告にサリエルは耳を疑う。
「冗談でしょ? 権力はほとんどないに等しい。実力も未知数。そもそもこの子はギザの配下じゃない」
「そうだね。その上領民からの評判も中々とは言え、ダイバンとは規模が違う」
「それじゃあどうして……」
「カリスマを秘めているからだよ。平民の母親を持つ女の子が、暴君が率いる勢力を打ち破ったら凄いと思わない?」
聖騎はやや興奮したように語る。一方サリエルは困惑気味だ。
「それは分かるけど……そもそもこの子には国を率いる意思はないでしょ?」
「報告書を読む限りではね。でもそれは、力が無いが故に諦めているからだよ。だからこそ僕達がこの子の剣になる。最初に僕達の力をこの子に示し、彼女をその気にさせる」
呆れを見せるサリエル。
「その言い様じゃ、既にこの子を選んでいるようにしか思えないんだけど」
「意見が有れば話は聞くよ」
サリエルは横に首を振る。
「いいえ。ただ、私としてはダイバンなんか良いと思ってたんだけど」
「そうだね、いずれは彼をメルンと同盟を結ばせたいと思っているよ。二人の領地は離れているからすぐには難しいけれど……その辺りの事も考えてある」
「そう。それは後で聞くわ。まあ、メルンに天下を取らせるのは面白そうだと思うわ。そもそも私達は『勝ちそうな人』ではなく『勝たせたい人』に協力するのだもの、これくらいの方がやりがいがありそうね」
サリエルと聖騎は揃って笑う。
「分かってくれたようで嬉しいよ。それではすぐに実行しよう」
「それじゃあ何人か、メルンのところに行かせるわ」
サリエルは部下の青年ラグエルを呼び出し、メルン・ラクノンの下へ話をするように命じた。ラグエルは一瞬怪訝な表情を作ったものの頷き、仲間四人と共に飛び立った。
◇
リノルーヴァ帝国。元々国内各地の貴族達が謀略、あるいは暴力によって常に小競り合いをしていたこの国は皇族の全滅以降、さらに激しい争いが繰り広げられる事となった。国民は元々獣人を奴隷として見下していたが、現在はこの現象を引き起こした元凶として憎んでいた。なお、元々の原因が面貫善達勇者にあることはそれ程知られておらず、憎しみはほぼ全て獣人族に向いている。だがそれはあくまで「ほぼ全て」であり、暫定的に帝都という事になっている都市リルネーヴァの住民は勇者達の事も憎んでいる。
だが一方で、この状況を歓迎している者も存在する。その筆頭が、天下を取らんと目論む貴族達である。リノルーヴァ皇族及び彼らが保有していた騎士団は恐ろしい程の強さを誇り、その武名を国中に轟かせていた。そんな彼らを打ち破り、自分がリノルーヴァの広大な地を支配するチャンスが来たと貴族達ははしゃいでいる。一方でそれ程野心が無く、自分の領地さえあれば十分だと考えている者達もいる。しかし彼らの多くは血気盛んな貴族達に領土を奪われ、領土から追い出され、最悪の場合には殺されている。
また一方、最初から強大な勢力の庇護下にいる事で戦禍に巻き込まれていない者もいた。その一つが、ギザ・ラクノンの娘の一人、メルン・ラクノンである。ギザには数多くの妻と子供がいる。妻は主に貴族であるが、平民の女とも婚姻を結んだ。その中の一人が、弓の達人と呼ばれた女戦士アルン・アレインである。
彼女の弓を引く姿に心奪われたギザは彼女を強引に妻とした。平民である彼女は貴族達に馬鹿にされながら過ごしてきたが、持ち前の気の強さでそれに耐え、やがて生まれた娘メルンにも可能な限りの愛を注いで育てた。娘を守る為アルンはギザに媚を売り、僅かながら辺境に領土と奴隷を貰い受けた。
その後は以前に比べれば平穏な日々が続いた。アルンはメルンに優しく、しかし厳しく接した。この厳しい環境を生き抜く為には甘やかす事など出来ない。その一環として弓を教えた。メルンには母同様弓の才能があった。また剣、槍、ナイフ等にも弓ほどではないにしても才能を見せた。これはギザの才能を受け継いだのだろうとアルンは思ったが、口にはしなかった。
そんなアルンはやがて過労に倒れ、五年前――メルンが十歳の頃に亡くなった。この際にギザの兄や姉達が領土を明け渡すように迫ってきたが、毅然として立ち向かい、母が残した領土を守った。その為には手段を選ばずギザやその側近に媚を売っていた事から兄弟達は嘲笑したが、そんなものはメルンの眼中には無かった。そうしているうちに、同じく平民を母に持つ弟や妹達の憧れの対象となった。面倒見の良い彼女は彼らを可愛がり、意地悪な兄弟に苛められた時には庇うこともあった。
そんなメルン・ラクノンの小さな館に来客があった。それは五人の妖精族である。ラートティア大陸東部に位置するリノルーヴァ帝国では、西の大陸に棲む妖精族の目撃例がほとんどない。そんな妖精族は揃って美青年、あるいは美少年だった。館に仕える犬の獣人奴隷は、館の扉の前で応じる。
「何か用でしょうか」
「ああ。ちょっとそちらのお姫様に提案が有ってきた」
妖精族のリーダーらしき青年――ラグエルの言葉を獣人の青年は訝しむ。
「妖精族がメルン様に、一体何を提案するというのです?」
「それはお姫様御本人に直接話したい」
獣人はますます怪しむ。
「ではせめて、あなた以外の方々には席を外して頂きたいのですが」
「それもそうだな」
ラグエルがそう答えると、他のメンバー四人はどこかへと飛んでいく。一糸乱れぬ彼らの動きを不思議に思いながらも獣人は頷く。
「では、お呼びします。私はウロス。メルン・ラクノン様に仕える者でございます」
「俺はラグエル・レシルーニア。我らの主の命令を受けてここに来た」
「左様ですか。それではラグエル様、しばしお待ちを」
ウロスは館へと入り、メルンの下へと向かった。しばし経つと彼は再び扉を開け、ラグエルを中に案内した。