契約
聖騎と『お姫様』は『棒輪の間』の至るところを出来る限り見回った。聖騎は彼女に2進数や64進数、及びその変換方法について教え、頭の回転が速い彼女はあっさりと理解した。そして彼女に羊皮紙と鉛筆を渡し、メモと変換をしてもらう様に頼んだ。聖騎自身も変換作業を行い、更にその意味の翻訳もした。これに関しては『お姫様』には困難である。しかし、元の文と聖騎の言葉から、ある程度の単語の意味を理解しており、聖騎は舌を巻いた。もっとも、聖騎の英語力にも限界は有り、理解できなかった部分もあったが、取り合えずメモは残しておく。クラスメートであるアメリカ合衆国から来た留学生のフレッド・カーライル辺りに翻訳を頼もうと聖騎は決めた。ここから出ることが出来ればだが。
研究の結果聖騎はここを、「Colony World」と呼ばれるこの世界と重なり合うように存在する空間で、ここに存在する全ての物体の状態をデータとして保存している空間だと考えた。ある場所を調べていた時に、この世界の人間の名前と共にステータスと思われる数値を見付けた時は目を疑った。色々と捜していくと彼のクラスメートのものもあり、その中に「Kamishiro Masaki」という文字列とステータスを発見した。おおよそはステータスカードにあるものと同じ情報だったが、身長や体重の他に、存在する地点座標と思われる数値などのカードには乗っていないデータも見つけた。この数値を改竄して自分のステータスをパワーアップできるかを試してみたが、ここからデータに干渉することは不可能なようだった。だから彼はひたすら、情報収集に努めた。そして「Maijima Mizuki」のデータを発見。聖騎はそれを食い入るように見る。
「『plunderer』……なるほど、やはり彼女は『奪う者』だったか。そして、スキルを奪った際に、奪った相手によって体力をゼロにされたら、そのスキルは持ち主に戻る……。次に出会ったら容赦なく叩き潰すしかないね。そして『空間魔法』――おそらくここでは『魔法』を『Sorcery』、『魔術』を『Magic』として訳しているのだと思うけれど――これがこの空間と元の空間を繋ぐ為の魔法なんだね」
「なんというか、君の言う事は難しいわね……」
聖騎の呟きに『お姫様』は首を捻る。
「大丈夫。僕もほとんど理解できていないから」
「ふぅーん」
気の無い返事をする『お姫様』。水姫のスキルの欄にある「cheat」という単語から眼を離し、聖騎は魔族――魔王ヴァーグリッドのステータスを探す。しかし、一向に見つからない。それでもひたすら探し続ける彼に『お姫様』は声をかける。
「君が言う『勇者伝説』っていうのでは、魔王を倒せば君達は元の世界に帰れるって書いてあるのよね?」
「そうだと聞いたけど、僕自身は読んでいないから本当のところは分からない」
「まぁ、それはこの際どっちでも良いわ。それが本当だという体で言うけど、『勇者伝説』を書いたのは神を気取る君の世界の人族、君はそう考えているのよね?」
「まあね」
彼女の意図が分からないまま、聖騎は頷く。
「では、その神は君達が元の世界に帰ることを望んでいるのかしら?」
「どういうことかな?」
「神がこの世界を意のままに操れるというのなら、相手が魔王だろうとどうにでも出来るはずよね? にも拘らず、わざわざ君達をこの世界に飛ばした。その理由は何故なのかしら?」
「さぁね。強いて言うなら、観察かな。魔王という脅威がある世界で人類がどんな行動を取るのかというシミュレーションをしているのではないかな?」
思考を巡らせながら、聖騎は答える。
「そんなところでしょうね。そして、私も観察は好きだから分かるんだけど、出来るだけ多くの情報が知りたい訳よ。つまり、出来るだけ長く――いえ、可能なら一生観察を続けたい。もしも私が神なら、魔王は絶対に倒せないようにするわ」
「何が言いたいのかな?」
「つまり、魔王を倒そうと考えるのはナンセンスって事よ」
そう告げる『お姫様』を聖騎は睨む。なお、標準的な中学生男子より身長が低い彼は長身である彼女を見上げる姿勢になっている。
「そんなもの、僕には関係ないよ。僕の目的は元の世界に帰る事ではない。この世界の仕組みを知ることだよ。僕はどのようなメカニズムでこの世界に来たのか、僕の世界とこの世界の他にも世界は存在するのか、そして……今も僕の様子を見てニヤニヤと笑っているであろう神様を、この世界に引きずり込む事は出来るのか。僕はそれが知りたいんだよ。その為のヒントが得られるのなら僕は何だってやる。それがたとえどんなに滑稽であろうともね」
珍しく感情を露にして語る聖騎。その真剣な眼差しに『お姫様』は笑う。
「うふふふっ……今の君の言葉、神様も聞いてるんでしょ? 神様を敵に回すような事を言っちゃって大丈夫なの?」
「関係ないよ。今までの僕の行動を全て把握している神様は既に、僕の目的に気付いているはず。というか気付いていないとしたら憐れだね。絶対に無いとは思うけれど、もしそんな神様がいるんだったら止めた方が良いよ。才能無いから」
そう呟く聖騎は上を向き、挑発的に笑う。
「神様程度の存在が僕より上に立っているだなんて思わない事だね。君は――もしくは君達はいずれ、この世界に来る事になるよ。僕に喧嘩を売ることの愚かさを教えてあげる」
「ふふっ……それなら私も宣言するわ。神様、君達はいずれ私の観察対象になるわよ! 光栄に思いなさい!」
聖騎と『お姫様』。自分の目的の為ならば神だろうと敵に回す二人は改めて互いを同士として認めた。
「ところで、『契約』については知ってるかしら?」
『お姫様』は聖騎に聞く。
「うん。妖精族によって召喚されるか、互いの血を混ぜて飲むことで、人族と妖精族が力を得られるっていう話は聞いたことがあるよ」
「ねぇ、私と『契約』してみない?」
誘うような目付きで『お姫様』は言う。
「そうだね……構わないよ。出来るかは分からないけれどね」
「きっと出来るわ。何となく、そんな気がする」
聖騎の同意を受け、『お姫様』は金属を操る妖精族の魂を召還する。その魂は、金属製の杯を作る。そしてナイフも作り、『お姫様』は自分の指を切る。そこからは黒い血がたれる。
「いっ……」
「それでは、僕も……」
痛みに小さく呻く彼女を見ながら、聖騎は自分のナイフを取り出す。こんな時ユニークスキルが有れば、痛覚を消して痛みを誤魔化せたのに、内心で思いながら、彼も自分の指を切りつけ、赤い血を流し、彼は顔をしかめる。黒と赤の二色の血液は杯の中で混じりあう。聖騎は回復魔術により二人の傷を癒す。『お姫様』は新たに作り出した小さな二つの杯に血を注ぐ。
「準備は完了ね。ところでえーっと……君の名前は何だっけ?」
「神代聖騎だよ」
本気で頭を悩ませる『お姫様』に、聖騎は再び名乗る。
「そうだった! マサキ、お願いが有るんだけど……私に名前をくれないかしら?」
「名前?」
思わず聞き返す聖騎。
「そう。私達妖精族には人族のように個体に名前が付けられてないの。私は、名前があったら良いなぁー、なんて思ったんだけど、どんな風につけたら良いのかが分からなくてね。そこで、君に頼みたいって訳」
「へぇ……」
突然そう言われて聖騎は悩む。最初に彼の脳裏に浮かんだのは「ツンツンしているから」という理由で名付けられたツンである。しかし、中学生特有の病気のようなものを持つ彼としては、その様な単純な名前を付ける事は憚られた。彼は自分の息子に聖騎と名付けた神代怜悧の血を受け継いでいる。
「そうだね……サリエル、とかどうかな?」
「サリエル?」
聞き慣れない言葉に『お姫様』はキョトンとする。
「そう、サリエル。僕の世界の伝承で魂を司ると言われている天使――あるいは堕天使の名前だよ。……そうだね、レシルーニアという種族のサリエルということで、サリエル・レシルーニア」
少しだけ得意げに聖騎は言う。すると『お姫様』は眼を輝かせる。
「サリエル・レシルーニア……気に入ったわ! 今から私はサリエル・レシルーニア。ありがとー、マサキ!」
「気に入ってくれて嬉しいよ。では」
聖騎は自分の分の杯を持ち上げる。すると『お姫様』改めサリエルは怪訝に首を傾げる。
「それは?」
「乾杯。お互いの杯をぶつけて、仲間である事を確かめる人族の儀式」
「へぇー」
サリエルはニヤリと笑い、もう一つの杯を取って持ち上げる。
「では『契約』を結ぼう、サリエル・レシルーニア。僕は僕の目的のために、君は君の目的のためにこれから同じ道に進む。しかし、もしも僕達の進むべき場所が別の所にあるのなら、僕達は別の道を歩む」
「ええ。私達は目的の為『契約』を結ぶ。私の進む道を君が無意識でも邪魔をするのなら、容赦なく排除する。構わないわね?」
「うん。その時は全力をもって君を潰す」
聖騎とサリエル。『味方』ではなく『同士』となった彼らは、互いに互いを利用し合うという『契約』を結ぶ。彼らは揃って杯に口を付ける。異種族同士の血が混ざった液体が、彼らの口に入っていく。舌を刺激するその味に聖騎はすぐに吐き出したくなる衝動を堪え、一気に飲み込む。
「契約……完了」
口元を袖で拭いながら、聖騎は自分のステータスカードを確認する。称号の欄には『妖精使い:レシルーニア』『死霊使い』、スキルの欄には『死霊召還』が追加されていた。また、新たに『契約妖精』という欄が出来ており、サリエルの名が記されていた。