吐き気を催す邪悪
ヒーシルとカトーナ5人ずつを連れた聖騎達は、目的地であるネクベト王国西端の都市、ヘスオスにたどり着く。既に夕方に差し掛かっていたため、この日は宿を取る事となった。部屋は男子組と女子組に分かれる事となり、例によって見張りを立てる事となり、男子部屋は龍、女子部屋は彩香が担当したが、特に何も起こらなかった。なお、ヒーシル達が店主に聖騎達をタダで泊めるように言った為、宿代は払わずに済んだ。このことから、妖精族のこの国における影響を聖騎は思い知った。翌日、近隣国を荒らしているという海賊に、西の大陸に連れて行って欲しいと頼んだ。海賊は勇者女子組を見ては下卑た笑みを浮かべていたが、彩香の眼にも止まらぬ抜刀に怖気付いた。
ともあれ彼らの乗った船は出航した。食糧も数十日分は積んである。木属性と水属性の魔術師もいるため、万が一のことが有っても問題ない。海賊達は長年海を渡る熟練者であり、特に船長は嵐などの前兆が勘で分かると部下達が得意げに自慢した。シュヌティア大陸に今まで行ってみたいと思っていたこともあり、彼らは意気揚々と船を操る。しかし、問題が一つ。
「ううぅっ、きもちわるい……」
聖騎は船酔いしていた。彼らが乗る船を襲う荒波は、確実に聖騎にダメージを与えていた。一度真弥の能力によって一時的に回復はしたが、またすぐに吐き気が来た。聖騎の能力なら吐き気を感じなくする事も可能であるが、根本的な解決にはならない為、止めた。
そんなことが有りつつも、出航から七日が経った。海賊達は陽気に、甲板で騒いでいた。彼らは毎日の様に楽しげに歌う。一方聖騎は、気分が悪いのはそれが原因なのではないかと思い始めつつ、彼らから距離を取って海を眺めていると由利亜が話しかけてきた。
「神代君、今日も気分は良くないのですか?」
「……うん、そうだね。君はみんなの所にいないのかい?」
「そうですね。最初は楽しかったんですけど、最近はちょっと疲れてきました」
「へぇ」
聖騎としては特に彼女に関心があるわけではなく、出来れば一人でいたいと思っているのだが、由利亜は更に口を開く。
「ところで神代君は、どうしてそんなに頑張るのですか?」
「えっ?」
予想外の質問に聖騎は言葉を詰まらせる。彼が沈黙していると由利亜は言葉を重ねる。
「私、失礼かもしれないですけど神代君ってあまりやる気を出さないタイプだと思ってたんですよ。でも今は、クラスの中心になって、一生懸命色々な事を考えて……私なんかには出来ないことをやっていて……素直に凄いなって思うんです」
そういう彼女の目はキラキラと輝いていた。聖騎は面倒だと思いつつも話を終わらせるべく適当に言葉を紡ぐ。
「特に褒められるような事をしている訳ではないよ。君を含めてみんなが自分の出来る事を精一杯頑張っているように僕は思う。そして、たまたま僕がやっていることが目立ってしまっているだけさ」
「それでも!」
由利亜はまだ食い下がる。
「それでも、やっぱり気になるんです。神代君がどうしてそこまで本気になっているのか。神代君が何をしようとしているのかを」
「それは当然、魔王様とやらを倒して元の世界に帰るんだよ」
「いえ――」
聖騎は答えを由利亜は否定する。
「――あなたは、何か別の目的に従って行動している。そうでしょう?」
その指摘は聖騎を絶句させた。彼は龍や蛇、エルフリードで待機している秀馬を含めた数人には己の目的を話している。彼らには幻視を見せるなどをして自分のイエスマンにしており、目的を他の者には話さないように言ってある。故に、由利亜は聖騎が裏で暗躍していることなど知らない。聖騎はそう考えていた。
「そう思う根拠は何かな?」
「単純に、この世界に来てからのあなたは変だと思ったからです」
「随分と失礼な事を言うね」
内心動揺しつつも聖騎は言葉を返す。
「そうですね、ごめんなさい。でも、やはりあなたは何かを見据えている。魔王ヴァーグリッドを倒した後の何かを。そうでしょう?」
由利亜の言葉を聞いて、聖騎は特に隠す意味は無いと判断した。
(どうするかな? ここで彼女を洗脳して味方に引き入れるべきか)
思考しつつ聖騎は彼女の双眸を見て言う。
「そうだね。確かに僕は『魔王を倒すこと』とは別の事を目的としているよ」
「それは、あまり良いとは言えないことでしょう?」
「そうでもないよ。少なくとも僕にとってはね。君はどうする?」
聖騎は慎重に彼女を観察する。しかし彼女の柔和な表情の奥に隠された本音を見透かす事が出来ない。
「ともあれ、魔王を倒すのにあなたという存在が必要なのは確かです。なので、あなたをどうこうするつもりは有りません。ですが、これによって私達が――真弥さんや彩香さんや平子さん達に危害が加わるのなら、許しません」
「そう」
聖騎は短く呟く。すると由利亜は呻きだす。聖騎は彼女に幻覚を見せているのだ。海賊達の騒ぎ声によりかきけされ、彼女の様子に気づく者は聖騎以外にいない。
「ううううううぅっ!」
彼女への幻覚は途切れる。
「覚えておくといいよ。僕は今君にしたのと同じ事を、他の人にも出来るという事をね」
「随分と卑劣な事を、するのですね」
床に手を突きながら、由利亜は聖騎を睨む。
「そうだね。僕は目的の為なら何だってやるよ。ところでどうかな。僕に協力しようと思わない?」
ニヤリと笑って聖騎は告げる。由利亜は察する。彼女に拒否権は無い事に。もしも逆らえば自分、あるいは友人達に危害が及ぶ。
「わかり、ました。あなたに従います。でも、真弥さん達には……!」
「勿論だよ。君が僕に協力してくれる限りは、君にも彼女達にも何もしない。約束するよ」
聖騎は頷く。するとそこに真弥が来た。
「おーい、由利亜! あ、神代君、気分は大丈夫?」
「うん。問題ないよ」
当たり前の様に答える聖騎に、由利亜は吐き気がこみ上げるのを抑えながら笑顔を保つのだった。
◇
彼らの船旅はまだまだ続く。聖騎と由利亜の会話から五日。特に問題は起こることなく――海賊がくだらない事で殴り合いの喧嘩をすることはあったが――順調に船は進んでいた。船の見張りをしていた海賊の一人が声を上げる。
「キャプテン、小島を発見!」
「おう、そんじゃあ船を止めるか。野郎共、準備しろ!」
船長は船員へと怒鳴りつける。やがて島の海岸に接した船は碇が下されて停止する。大きな山が特徴的なその島には降りず、船番として海賊二人と剣人、平子、そして妖精族数名が残った。船を降りた一行がしばらく歩いていると果物が成っている木を発見した。海賊が麻の袋にそれを詰め込んでいくのを見ながら、聖騎は傍らを歩くカトーナの少女に聞く。
「この島は、人族に親しい種族が集まっているのだったね?」
「そうよ。昼にはネクベト王国に行って人族と交流し、夜はこの島に帰っていた。でも、『契約』を知らなかった彼らは私達の圧倒的な力の前に屈し、ネクベトから退いてここに引きこもったのよ」
「人族を支配する対象だと考えていた君達は、その後ネクベト王国を乗っ取ったのだったね」
「え、ええ……」
聖騎の言葉に少女の表情が引きつる。その横ではカトーナの青年がボソボソと呟く。
「セタフ、ギルトリン、モルノン……そしてリルネーバ」
「リルネーバ……」
真弥が反芻する。異世界から人族を召喚し、そして『契約』を結んだという種族。その名を彼女はしっかりと覚えていた。
「この世界を知る為には、絶対に話さないといけないね。リルネーバ」
笑みを浮かべて聖騎は呟くのだった。