いざ、西へ
妖精族という種族には、土地に名前を付けるという慣例がない。その場所にある花や生物、棲む妖精の種類などで場所を表す。彼らが生息しているシュヌティア大陸という名は人族がつけたものである。人族側としては便宜上の理由であったが、妖精族はこれを有り難がった。その後人族と妖精族は度々交流をするようになったが、人族が妖精族を捕獲している事が発覚したのを原因として人族を憎む妖精族が現れるようになった。それでも「悪いのは人族の中でも一部だけだ」と主張した妖精族は人族を嫌う者達から離れて暮らすようになった。嫌人派の妖精族は人族と関わろうとする同族に注意喚起をし続けた。
心の底から心配する同族から隠れた者達の一部は、シュヌティア大陸北部の大樹『ナナウルド』の近くに集落のようなものを作って棲みはじめた。かつてはそれ程大きな樹ではなかったが、長い時と共に大陸屈指の大樹へと成長した。それに伴うようにその集落自体も肥大化していき、やがて人族に感謝する妖精族にとってのメッカのような土地になった。
そんな『名もなき土地』では、人族を崇める妖精族が見つけた『とある文献』に基づいた方法によって異世界から人族を召喚した。老若男女、様々な人族が召喚された。
召喚された人族は混乱している。妖精族はそれを見て心から気を病みつつも、この世界の状況と自分達についての説明をした。そして全員のステータスカードを配布した。ステータスカードの仕組みはこの世界では種族や地域に関係なく共通であり、神代聖騎達と同様に自らの血を垂らしてカードを作成した。自分の血を流すということに召喚された者達は誰もが戸惑ったが、一人が試して無事だったことを皮切りに他の者も己の指を差し出した。なお、カードに示される彼らの職業は『妖精使い』となっている。これについての説明は、今は割愛する。
自分達が召喚した人族が人を探していることを知った妖精族は話し合った結果「ラートティア大陸』に行けば会えるかもしれない」と結論し、快く彼らに協力することを決めた。
◇
シュヌティア大陸最北端の海岸、ここに舞島水姫は移動した。「大陸北部に行け」と言われてもどこに行けばいいのか分からなかった彼女は取り敢えずここに来た。彼女は早速妖精族を発見する。
「え?」
人間と変わらない大きさの1匹の妖精が、突然現れた水姫の姿に戸惑いの声を出した。
「あなたは、魔王様の敵?」
先程声を上げた者とは別の妖精が、戸惑いながらも笑顔で答える。親人派である彼にとって人間は信仰対象のようなものである。
「うん、ボクたちは人族の味方。つまり、人族を嫌ってる魔王の敵だよ」
「そう」
水姫はにっこりと笑って頷く。
「それなら、私の事を案内してくれる?」
「もちろんだよ!」
二匹の妖精は、人族の役に立てると思うと笑みがこぼれる。そんな彼らの背後で、水姫は黒い笑みを浮かべるのだった。
◇
エルフリード王国王都エルフリード。神代聖騎達勇者は分けられたグループ毎にそれぞれの目的地を目指して歩いていた。東西に長いラートティア大陸の中心辺りに位置するエルフリード王国からシュヌティア大陸に向かうのは神代聖騎、永井真弥を含めた8名。交渉もむなしく馬車を貰えなかった彼らは歩いて東へと向かっていた。
「つーかさぁ、本当にどうすんのよ。まさかこのままずっと歩いてるだけって訳じゃないんでしょ?」
歩きながらぼやくのは真弥の親友、土屋彩香。歩き続けておよそ五時間が経ち、その顔色にも疲れが見えていた。
「はぁ、はぁ……そのつもりだよ。そろそろ見かけてもいい頃なのだけれど……」
聖騎はよろよろと歩き、息も絶え絶えになりながら答える。両脇からは山田龍と柳井蛇が彼の体を支える。蛇はふと口を開く。
「しかし神代氏、そろそろ貴殿がどうするつもりなのか教えて欲しいですぞ」
「そうだねぇ、割とすぐに見つかると思っていたから言わなくてもいいと思っていたけれど、言っておくとするかな。他の班のリーダーには既に伝えていることだしね――」
へとへとになりながら聖騎が口を動かしていると、二頭の馬によって牽かれた一台の大きな馬車が向かってくるのが彼の視界に入った。
「まさかこのタイミングで見つけるとは思わなかった。僕らの移動手段はあの馬車だよ」
「えっ? 誰が乗っているの?」
「それは見てのお楽しみということで」
真弥の質問をはぐらかす聖騎は龍と蛇にもう大丈夫だと伝え、二人は彼の体を離す。たちまち馬車は聖騎達の目の前で止まる。馬車の荷台は外から見えないようになっており、馬を操る御者のみが外に出ている状態である。御者である男は聖騎に顔を向けて言う。
「やあ、嬢ちゃん達は旅人かね?」
「旅人です。そして僕は男です」
聖騎の答えに、御者は驚く。
「これは驚いた。すまんな、坊ちゃん」
「いいえ、よく言われますので構いません。ところで御者さんは商人か何かでしょうか?」
「あー。そんなところだね。長旅にうってつけの商品をいろいろと取り扱っているよ。見るかい?」
「では、ぜひお願いします」
「そうかい。じゃあ坊ちゃん、中に入って入って」
聖騎は御者の後ろにある扉を開け、荷室の中に入る。次の瞬間彼の右腕は何者かに掴まれる。
「まったく、バカなガキだな」
聖騎が右上を向くと、重厚な鎧に身を包んだ屈強な男が嘲るように笑っていた。
「これはどういうことです?」
「ハハハハハハ! 本当に頭が悪いようだ。お前はたった今、ウチの商品になったんだよ! 世間知らずのお坊ちゃん……ぐはっ」
荷室に入り、聖騎を嘲笑した御者の体が吹き飛ぶ。彩香が彼の体を蹴り飛ばしたのだ。彼女に続くように他の勇者達も荷室に入る。それでもなお、この空間には余裕があった。
「動くな。このガキがどうなっても……うっ」
聖騎の腕を掴んでいた男が突然うずくまる。それに視線を向けることなく、聖騎は言う。
「そのおじさんは必要なのだから、あまり怪我を負わせないでよ?」
「遅いわ! 大体これは何の……」
彩香が荷室の中を見渡すと、奥には鉄格子のようなものが見えた。しかしそこは暗闇であるため、目を凝らしても中身を見る事が出来ない。しかし、聖騎が『商品』と呼ばれていたことを踏まえて察する。
「まさか、奴隷商人!?」
「その通り、王様は禁令を出したけれど、それでも隠れて奴隷の売買をしている人は結構いるんだよ。そして、今の新しい王様になってからは以前ほどコソコソとしなくなった、というところかな?」
聖騎の横では鎧の男が悶え転がっている。それを見た宍戸由利亜が呟く。
「あの、神代君。この人にはどんな幻覚を見せてるんですか?」
「うーん、言葉で言うよりは直接見せた方が説明しやすいけれど、どうする?」
「や、やっぱりいいです!」
まるでこの世の終わりのような表情で絶叫する男を見て、由利亜は身を震わせる。すると彩香が聖騎の頭を叩く。
「いたっ……」
「由利亜をビビらせるんじゃないの。で、このオッサンごと馬車を奪って移動手段にするって事?」
「察しが良くて助かるよ。馬車を手に入れるには奪うか買うかしかない。買う場合には御者さんを雇うために必要な代金も含めてかなりのお金が必要だね。でも、善良な人から物を奪うというのは、みんなは気が引けるよね。そこで、何をされても文句が言えない悪党から馬車を奪おうと考えた、ということ。異論はある?」
「まあ、あたしは別にいいと思うけど。みんなは?」
彩香は仲間達に同意を求める。全員が同意を示す。そして真弥は尻餅をつく御者――奴隷商人に向かって言う。
「ねえ、おじさん。捕まってる人達を解放してくれる?」
「まっ、待ってくれ……。せっかく集めた貴重なコレクションなんだ……ひぃ!」
彩香が剣を取りだし、奴隷商人の顔の真横に突き立てる。
「あちゃー、せっかくの良い馬車が」
「黙ってろ神代。……なぁ、オッサン。あたしらは一人一人がアンタより強いんだよ。言うことを聞け!」
「ひ、ひぃぃぃぃ! わ、私にだって家族がいるのだ!」
「この人達だって、そしてあたしらだって同じだ。クズ野郎」
軽蔑の視線だけを奴隷商人に与える彩香。すると、彼女の頭がポンと軽く叩かれる。
「由利亜ちゃんを怖がらせちゃダメ、でしょ?」
「あ……、ゴメン由利亜。それに平子も」
平子に頭を触れられた彩香は自分の態度によって怯えている由利亜を見て謝る。
「いえ……彩香ちゃんはみんなのためにやってくれたんですから悪くないです。それよりも、私が弱いのがいけないんです」
「あー、泣かない泣かない。大体、由利亜。アンタがいたから、あたしらがこうやって旅が出来るんだから」
自分を責める由利亜を彩香は励ます。先日の話し合いの後に、聖騎は本を元にして描いた地図を仲間達に見せた。しかしそれがあまりにも酷い出来であったため、絵が得意な由利亜が地図を描いたのだ。中学生とは思えないクオリティのその地図は勇者全員から絶賛された。
「そう……ですね。私はちゃんと、みんなの役に立っているんですよね?」
「そゆこと。まあそれは良いとしてコソコソ逃げようとするなオッサン!」
「ひぃっ!」
奴隷商人は声をあげる。由利亜も同時にビクリとする。
「あたしの要望は2つ。奴隷の解放とあたしらを……えっと何処までだっけ」
「ヘスオスまでだね。ネクベト王国の小さな港町」
「そうだ、ヘスオスまであたしらを運んでもらう。文句は言わせないよ」
「ヘ、ヘスオスですか?」
「文句あんの?」
「い、いえ……! 分かりました。言う通りにします!」
奴隷商人は鍵を取り出し、奴隷達の拘束を解く。奴隷は主に屈強な男か美しい女であり、いずれも人族であった。多少の遠回りは必要であるものの、かさ彼らの故郷は現在地からヘスオスまでのルートに位置している為、ヘスオスに向かうついでに一人ずつ帰す事になった。解放された元奴隷達は揃って彩香に感謝した。なお、用心棒の男は道に捨てた。
(あれ?)
聖騎は馬車の中で異様な気配を一瞬だけ感じたが、それはすぐに消えた。歩き続けて疲れていた彼はそれを気のせいだと判断した。