魔王からの任務
ヘカティア大陸、ヴァーグリッド城。円卓に座る魔王ヴァーグリッドは発言する。
「彼の者が此処に現れてより、十二度目の夜が過ぎようとしている」
『彼の者』とは、この城の地下牢に幽閉されている舞島水姫の事である。彼女が先日手に入れた『空間魔法』を使用すれば地下牢からは容易に脱出出来るのだが、水姫はそれをしない。それを踏まえた上でヴァーグリッドは言葉を続ける。
「そこで余は、彼の者が真に余の配下となるかを確かめるべきであると考えた」
「まさか、あの人族の言葉を信じると仰るのですか!?」
驚きとともに声を上げたのは円卓に付く四乱狂華の一人、アルストロエメリア。そんな彼女に、ヴァーグリッドは言葉を返す。
「余に不服を申すか?」
「い、いえ……決してそのような事は」
「構わぬ。余とて万能な存在ではない」
「しかし……私から魔王様に申すことはございません」
アルストロエメリアは顔を俯かせる。そこに、同じく円卓に付く四乱狂華のパッシフローラが口を挟む。
「わたくしは魔王様に賛成でぇす。あの子は面白い能力を持っている様ですしぃ、味方にしたらなかなか頼もしいんじゃないかと思いまぁす」
「そうか。ではファレノプシスよ、誰よりも彼の者を知るそなたは如何に考える?」
そう問われ、円卓に付く最後の一人、ファレノプシスが重い口を開く。
「はい、私が見る限りではあの女の発言は正しいと思われます」
「根拠を申せ」
「あの女は仲間と思われる女を容赦なく殺していました。あれを演技であるとは言い難いかと」
ヴァーグリッドは満足げに呟く。
「ほう、同朋殺しか……」
そして立ち上がる。
「アルストロエメリアよ、彼の者を此処に連れて参れ」
「はっ」
命令を受けたアルストロエメリアは素早く立ち上がり、静かに、しかし迅速に地下牢へと向かった。
◇
数分後、ヴァーグリッド達のいる部屋の扉のノックが鳴る。ヴァーグリッドはノックの主に入室を許可した。アルストロエメリアは後ろに水姫を連れて部屋に入る。水姫の顔を見て、ヴァーグリッドは仮面の中の口を開く。
「マイジマよ。此処にそなたを呼び出したのは当然ながら理由がある」
すると水姫は、誰に言われるまでもなくその場にひざまずく。
「はい。私に出来ることなら何なりと」
「そなたには余の為ならば、如何なる命にも従う覚悟が有るか?」
「いいえ」
予想外の返答にアルストロエメリアは声をあげる。
「貴様!」
ファレノプシスも彼女同様に驚愕の表情を浮かべる。パッシフローラは興味深そうにニコニコと微笑む。そして、水姫に殴りかかろうとしたアルストロエメリアをヴァーグリッドは制する。
「良い。……マイジマよ、如何なるつもりか?」
「私がしたいことを実現するには魔王様に味方するのが都合が良いと考えています。しかし、私に何か不利益な事が有れば、その限りではありません」
「貴様、ふざけた事を……!」
「アルストロエメリア」
怒りに震えるアルストロエメリアをヴァーグリッドは再びたしなめる。そして水姫に言う。
「そなたの正直さ、余は気に入ったぞ」
「ありがとうございます」
「だが」
顔を伏す水姫を、ヴァーグリッドはただ見つめる。それを見ていないにもかかわらず、水姫は寒気を覚えた。
「余を甘く見るな、人族」
淡々としたヴァーグリッドの言葉。水姫は体の震えが止まらない。そして吐き気を催す。しかし、ここで吐くわけにはいかない。それをしてしまえば、一貫の終わりであると水姫は全身で感じ取った。迫り来る嘔吐感を必死で抑え込む。
「ふん」
ヴァーグリッドは小さく声を漏らす。同時に、水姫を襲っていた不快感が消え去った。
「面を上げよ」
「は、はい!」
泣きそうになりながら水姫は返事をする。
「そなたに命じよう」
ヴァーグリッドはゆっくりと告げる。
「西の大陸の妖精族の一部が、余に反抗的な姿勢を見せていると言う。そこでそなたには、それらの者共を滅ぼして貰いたい」
水姫は未だに体が震えるのを感じながら答える。
「わ、分かりました」
「また、余の敵に手を貸す者が存在すれば、その手で滅せよ。たとえ、人族であろうともな」
水姫は迷わずに頷く。
「了解しました」
「ならば直ちに向かえ。西の大陸北部へと。そなたの能力なら可能であろう?」
「はい。……しかし、北部と仰られてもどこに行けば……」
「すまぬがそれ以上の事は余にも分からぬ。そなた自身に探してもらいたい」
「わかりました」
水姫は『空間魔法』を発動。異空間への扉を作り、中に入っていく。それを確認したヴァーグリッドは口を開く。
「アルストロエメリアよ。そなたにはマイジマの監視を命じる」
「はっ」
「龍を使っても良いのだが、今回は余に協力する巨人族にそなたを運ばせる。本来ならばこの任務はファレノプシスが適任であるのだがな」
ファレノプシスは申し訳なさそうに頭を下げる。
「申し訳ありません。私が能力を奪われていなければ……」
「構わぬ」
そう言われてもファレノプシスの内心は穏やかではない。そんな空気を断ち切るつもりはなかったが、ここでパッシフローラが発言する。
「おこがましいかも知れませんがぁその役割、このわたくしにお任せ頂けませんかぁ?」
ヴァーグリッドは彼女に首を向ける。
「ほう、何故だ?」
「単純な興味でぇす。あの子の戦いをちょっと見てみたいのでぇ」
「そうか。アルストロエメリア、構わぬか?」
「構いません」
「ならばパッシフローラよ、期待しているぞ」
「お任せくださぁい」
パッシフローラは丁寧にお辞儀をする。
「巨人族は地下の大部屋に在している。分かっているな」
「元々巨人族が来ることを想定して造られたあの部屋ですねぇ。では、行って参りまぁす」
素早く退室するパッシフローラを見送ったヴァーグリッドは、思い出したように言う。
「ところで、ハイドランジアの向かった洞窟を調査させたところ、彼奴の死体が発見されたとの事だ」
その言葉にファレノプシスとアルストロエメリアが動揺を見せる事は無かった。気にせず、ヴァーグリッドは続ける。
「既に死体は回収済みだ。拝見するか?」
「いいえ、私は興味などありません」
ファレノプシスは無表情で答える。一方でアルストロエメリアは何も言わない。
「手が震えているぞ」
ヴァーグリッドに指摘され、アルストロエメリアは瞬時に左手を右手で覆う。
「いえ。私は決してそのような事は」
「そなたは憤りを感じているではないのか? ハイドランジアが殺されたことに」
「これまでにも同朋は幾人も失って来ました。今更憤ることなどありません。この震えは武者震い……。そう、武者震いです。ハイドランジア程の実力者をも打ち倒せる者がいるのであれば、久しぶりに楽しめるかと思うと震えが止まらないのです」
「そうか」
言いたいことはあるが、ヴァーグリッドは追及をしない。そして二人には解散を言い渡す。ファレノプシスとアルストロエメリアは丁寧に頭を下げ、部屋を退出する。自分以外誰もいなくなった部屋で、ヴァーグリッドは呟く。
「さて、ハイドランジアの後釜を決めねばならぬな。加えてファレノプシスも、四乱狂華としての実力があるとは言いかねる」
彼はカツカツと音を立てて部屋を出る。そしてこの城で最も高所にある部屋――彼の寝室に向かう。部屋に入ると、藍色がかった肌で、肌色よりも濃厚な藍色の髪をボブショートに切り揃えた、メイド服を着た数名の女性が扉の内側で待っていた。彼女達は一様に同じ顔をしていた。横に並んでいた中の一人が前に出る。
「御召し物をお預かりいたします。ヴァーグリッド様」
「毎度すまぬな、サンパギータ」
「いえ」
ヴァーグリッドは立ち止まる。メイドは彼の背後に回り、宝石が散りばめられた金色の重厚なマントを脱がす。次に別の者が同じく金色のスーツを脱がせる。中からはシンプルな漆黒の肌着と、それとは対照的な純白の肌が露になった。そして、四乱狂華の前では一切外さなかった仮面を外す。雪の様に白い肌と艶やかで長い黒髪、そして中性的な顔立ちは妖艶なものだった。メイド達は重い服装一式を形が崩れないようにクローゼットへと運び、収納する。そして別の者が綿に近い高級な素材によって作られた寝間着を運び、主に着せる。
「この程度の事など余自身がするのだが」
「ヴァーグリッド様のお手を煩わせる訳には参りません。お茶などはいかがでしょうか」
「貰おうか」
ヴァーグリッドの答えと同時に部屋の扉が開く。ティーカップの載った盆を持ったメイドが入り、そのティーカップをヴァーグリッドに差し出す。彼は茶の香りを楽しみ、そしてカップに口を付ける。飲み頃の温度となっているそれを、彼は満足げに味わう。
「さて、そなた等に問う。マイジマ・ミズキは四乱狂華に相応しいか?」
口からカップを離したヴァーグリッドは徐に呟く。メイドの一人が答える。
「四乱狂華に相応しい条件とは、ヴァーグリッド様への絶対的な忠義と圧倒的な強さ。後者については現時点では不明ですので保留と致します。では前者のみで考えますと、先程の円卓でのお言葉にある通り忠義は見られません。よって、現状では彼女が四乱狂華として相応しいと判断する事は私には困難であります」
「そうか。ならば何奴が相応しいと考えるか?」
その問には別のメイドが答える。
「候補といたしましては数名ほど挙げられますが、エルフリード王国王都にてファレノプシス様が苦戦された事を考えますと、いずれも勇者の相手としては心許ないかと思われます。従って、四乱狂華に相応しいものは誰か、という質問には『該当者なし』と答えさせていただきます」
「余も同意見である。だからこそ、マイジマには期待している。では、頼むぞ」
「了解しました」
ヴァーグリッドの意味深な命令に、メイド達は一斉に頷いた。