覚醒する無能
時は遡る。マリーカの巨大苦無に屈したファレノプシスは、自分が王都に来た目的を話す。
「私はこの王都に、魔王様を倒すために勇者とやらが召喚されたという話を魔王様からお聞きした。そこで、その中でも厄介な存在になるであろう存在を拉致し、味方として引き入れよ、そして可能ならばこの王都を滅ぼせとの命を受け、ここに来た」
「左様ですか。だとしますと、魔王は『勇者伝説』を知っていた……?」
「『勇者伝説』?」
聞きなれない言葉にファレノプシスは呟く。
「古くからこの国に伝わる伝承です。あなたに知る必要はありません。それは良いとしまして、その勇者としてフルキ・タクヤ様を連れていこうとしたと言うことですか?」
「その通りだ。魔王様が仰った条件――召喚された勇者の中でも浮いている、ステータスは低いなどといったものにフルキが相応しいと判断した」
「なるほど。では、次の質問です。魔王が人間へと攻撃をするのは何故でしょうか?」
「魔王様は口数の少ないお方。その目的を他人に言う事はない。故に私も知らない。だが、魔王様が貴様ら人間を憎んでいる事だけは分かる。その理由も知らないがな」
「そうですか。では、あなた自身が戦う理由は?」
「私は魔王様を崇拝している。ただ、それだけだ」
淡々と質問を続けていたマリーカは、曖昧に答えるファレノプシスに巨大苦無をチラつかせる。ファレノプシスはブルリと身を震わす。
「ひっ……」
「質問には明確に答えなさい」
「ま、魔王様が何を考えておられるのかは本当に知らない! そして私は生まれたときから魔王様の元で育ってきた。私にとって魔王様こそが生きる理由であり、そこに理由を求められても困る!」
「仕方有りませんが、それで納得しておきましょう」
「あの!」
不意に水姫は声を上げる。ファレノプシスに睨まれた彼女は怯えて、マリーカに軽く触れながら、声を震わせて言葉を紡ぐ。
「ま、魔王軍というのは、な、な、仲間になる人を探しているんですよね?」
「そうだけど?」
ファレノプシスの言葉は冷たい。その気迫に負けず、水姫は言葉を続ける。
「その、わ、私じゃダメですか?」
沈黙が訪れる。ファレノプシスもマリーカも、怪訝に思いながら水姫を見る。水姫は再び口を開く。
「えぇと、わ、私を魔王軍に入れてみるのはど、どうかなって思ったんですけど……。その、私もクラスではぼっち……えーっと一人ぼっちですし……」
その言葉を聞いた二人は目を見開く。
「マイジマ様、正気ですか!? 魔王軍に与する事は私達を……いえ、あなたのお仲間達を敵に回すことになるのですよ?」
「あんな奴ら、仲間じゃない」
水姫は落ちていた苦無をさりげなく拾う。
「前の世界では、私は無力だった。でも、今は違う。今の私には力がある!」
その苦無を、マリーカの背中に躊躇なく刺す。
「かはっ」
「アイツらは元の世界に戻ろうとしてる。でも、私は嫌。私はあんなとこに帰りたくない。だから……私は魔王とやらの味方になって、その邪魔をする!」
豹変した水姫に、ファレノプシスは驚く。そしてマリーカはハッとする。
(まさか……私から『第六感』のスキルを……)
そのマリーカに、水姫は苦無を執拗に刺す。
「分かる! あなたがどんな風に動くのかが分かる!」
「どう、して……」
マリーカの目は虚ろだ。そして水姫はその心臓を刺す。
「レベル……アップ……!」
「がぁっ……!」
吐血したマリーカは部屋のドアを見る。
(言わな……ければ……。エリス様……お逃げ、下さい…………!)
その瞬間、ドアが開く。そこにはエルバード、エリス、そして卓也がいた。三人の表情が驚愕を示す。
「マリーカ!?」
「マリーカさん!?」
エリスと卓也が同時に叫ぶ。そしてエルバードは水姫を睨む。
「役立たずの引きこもりが何をしている!」
この国の王である男の怒鳴り声を受ける水姫。彼女は黒い笑みを浮かべる。そこにはオドオドとした少女の面影はなかった。エリスはマリーカの元へと走る。
「マリーカ! これを!」
水色の液体――体力回復薬が入った小瓶をエリスは取り出す。しかし、彼女の想定外の速度で水姫が突進し、小瓶は落下して割れる。
「すごい! これがレベルアップ!」
水姫は自分の身体能力が急激に高まった事に喜ぶ。エリスは床にこぼれた回復薬に指で触れ、それをマリーカに塗り付ける。
「マリーカ! マリーカ……!」
「何をしているんだ! 舞島さん!」
卓也は叫ぶ。水姫は皮肉げに笑う。
「この人には、私の経験値になってもらった」
「どういう意味……何!?」
急に、水姫の姿が消える。卓也は辺りを見渡す。しかし水姫は何処にもいない。
「舞島さん、どこに!?」
「ぐうっ!」
突然、エルバードが呻き声を出す。卓也がその方向に首を向けると、水姫が苦無で彼の腹部を刺していた。
「あなたも、強いって聞いた。あなたを倒して、私はもっと強くなる……」
水姫は再び消える。次の瞬間、エルバードの頭上に現れた。その右足は彼の頭蓋骨を砕く。赤い液体が四方八方に飛び散る。
「お父様ぁぁぁぁぁぁ!」
「何でそんなことをするんだよ! ……うぅっ」
絶叫するエリス。そして怒りに叫ぶ卓也の右手を再び疼きが襲う。
「レベル……アップゥゥゥゥゥッ!」
エルバードから苦無を抜きながら水姫は歪んだ笑みを浮かべる。涙を流しながらエリスは叫ぶ。
「どうしてマリーカを! お父様を!?」
彼女は杖を構える。今は泣いている場合ではない。目の前の少女を無力化しなければ被害はこれ以上広がってしまう。それを認識し、呪文を詠唱する。
「クーア・ゴド・レシー――」
エリスは水姫が消えたのを確認して詠唱を中断。しかし余計な声を出さずに辺りを見回しつつ続きを唱える。
「――ハンドレ・ト・ワヌ・スフアン・ラープン」
球体状のバリアを自分の周りに張る。
「がはっ……」
バリアの中に水姫が出現する。そして苦無をエリスの背中に突き刺す。
「エリスさぁぁぁぁぁぁぉぁぁん!」
卓也は叫ぶ。そして右腕の痛みに顔を歪ませる。
(なんだよ、こんな時に……!)
その痛みに卓也が苛立っていると、突然声が脳内に響く。
――――力が、欲しいか?
(何だ?)
――――我は貴様の中に宿る力。
(何を、言っている?)
突然の青年の様な声。戸惑う卓也は問い掛ける。
――――我は貴様の力を糧に生きる者。貴様の右腕に宿り、その力を増幅する事で生きる存在。
(どういう、事だ?)
――――貴様の持つ魔力、攻撃力、防御力、魔法攻撃力、魔法防御力、俊敏性。それらは我を存在させるために消費されている。そして、我をその身に宿すために必要な体力を貴様は持っている。それによって、貴様は体力だけが取り柄の役立たずとなっていたのだ。
(つまり、俺が弱いのはお前のせいだと言うのか?)
――――その通りだ。だが、我を存在させるために必要な力を貴様に与えることで、貴様は膨大な力を得られる。元々は貴様の力だ。代償など無い。その代わり、ある程度時が経てば貴様は再び力を失う。再度貴様が戦う力を得たいなら、我の力が溜まるのを待つ必要がある。さあ、どうする?
卓也は固まっているエリスを見る。誰よりも親しいマリーカと尊敬する父親、エルバードを失い、自分自身の命も終わりかけている。彼に迷う余地などなかった。
「それなら、力をくれ。エリスさんを、そしてこの世界を救うための力をおおおおおおおお!」
――――了解した。これより貴様は『疼く者』ではなく『契る者』だ。力ある限り存分に戦え。そして、貴様が守りたいものを守れ…………。
卓也は叫びに反応し、その声は優しげに響く。そして世界に時が戻る。球体状のバリアの中で、水姫がエリスにとどめを刺そうとしていた。
「させるかああああああああああっ!」
卓也は全速力で走る。ある程度の力が無いと壊せないバリア軽々と破り、そしてエリスを抱き抱えて水姫から距離をとる。
「フルキ、様……?」
予想外の出来事にエリスは戸惑う。
「大丈夫? エリスさん」
「え、いや……、どうしてバリアを……」
エリスは混乱する。すると卓也は申し訳なさそうに言う。
「ごめん……」
「えっ?」
「俺がこの力の存在にもっと早く気付いていれば、マリーカさんや陛下だって救うことが出来た。俺みたいなクズに助けられて、屈辱に思うかもしれない。……でも、エリスさんの気持ちがどうだろうと、俺はエリスさんを絶対に守る! そして、この世界を救って見せる」
今の卓也には迷いなど無かった。同級生の女子生徒からは『キモい』と評価される容姿である彼だが、エリスは彼を『カッコいい』と思った。卓也は水姫を睨む。
「舞島さん、どうしてマリーカさんと陛下を殺した?」
水姫は苦無を右手で遊びながらシニカルに笑う。
「……強くなる為。この世界では人を殺せば殺すほど強くなれる。だから、殺した」
「訳が分からない。君は戦いたくないんじゃ無かったのか!?」
怒りを隠すつもりは全くない卓也。
「確かに今まではそうだった。この世界では何もしなくたって生きるのが許される。でも、アニメもネットも無い世界でただ引きこもってるだけの生活はちょっと退屈だった。そして私には特別な力がある。私はこの力でどれだけ大きな事が出来るのか、確かめてみたいの」
「そんな、事のために?」
楽しげに笑う水姫。彼女はこれまでの人生の中でここまで目を輝かせた事は無かった。
「あなたにも私の経験値になって貰う」
水姫の姿はそこから消える。 卓也の後ろに出現し、苦無を背中に突き刺す。しかし、苦無は彼の背中に入らずに止まる。
「えっ?」
水姫はグリグリと苦無を押す。しかし苦無は動かない。
「どう、なってるの?」
「俺も今一よく分かってないけど、どうやら俺はものすごく強くなってるみたいだ」
卓也は表情も変えずに言う。
「それなら……」
水姫は左手で卓也の背中に触れる。そして彼のスキルを覗こうとする。しかし、そこには何も表示されない。
「どういうこと?」
「何がしたいかは知らないけど、俺は女の子を殴るのは好きじゃないんだ。今の君では俺に勝てない。そんな俺に免じて、エリスさんには二度と手を出さないで欲しい」
振り返った卓也は言う。彼の言っている事が事実だと感じた水姫はその場から消えて、倒れているファレノプシスの元へ行き、そして彼女と共に再び虚空へと消えた。卓也は迷わずエリスの元に向かう。
「エリスさん」
「フルキ様……」
再び水姫が出現しても守る事だけを考えて、卓也は限界までエリスに密着する。
「大丈夫、エリスさんは俺が絶対に守ります」
「えっ、その、ちょっと……近いです」
顔を赤らめるエリスに言われ、自分が大胆な事をしていた事に気付いた卓也は慌てて離れる。
「あ、ごごごごめんなさい!」
「い、いえ、こちらこそ……」
二人揃って赤面した彼らは、マリーカとエルバードの姿を見て、真面目な顔になる。
「舞島さん、本当に魔王軍に入るつもりなのかな……?」
「絶対に許しません。よくもマリーカとお父様を……!」
エリスの声は怒りに震える。その目には涙があった。
「エリスさん……」
「フルキ様、私は決めました」
エリスは涙を拭う。
「私は魔王軍に父も母も……そして愛する者も奪われました。今まではこの安全な王宮に閉じこもるだけで、何もしてきませんでした。古い伝承にすがるだけで。……ですが私は戦います。私は今から北の大陸――魔王軍が住まうヘカティア大陸に向かい、彼らを滅ぼします」
「そんな……無茶ですよ!」
エリスの宣言に卓也は反論する。
「無茶かどうかなんて関係ない……私はしなければならないのです」
「でも、無茶なものは無茶です。あなただけでは舞島さんにすら手も足も出なかった。だから俺も一緒に行きます」
卓也はエリスの両肩に手を乗せる。
「いけません! あなたに戦う理由は――」
「ありますよ。あなたが傷付くのは嫌だという理由が。エリスさん……いや、エリス」
卓也の真剣な表情に、エリスは引き込まれる。彼女の目からは再び涙が滴り落ちる。
「フルキ様……」
「マリーカさんには俺もお世話になった。一緒に敵を討とう」
「はい!」
満面の笑みを浮かべてエリスは答えた。