高慢なる氷華(3)
「まったく、強情なものですね」
王宮の拷問部屋。マリーカはファレノプシスを引きずりながらここに連行し、苦無を彼女の身体に刺し続けながら話を聞こうとしていた。しかしファレノプシスはまったく口を割ろうとしない。
「私の魔王様への忠義を甘く見るな」
「忠義ですか。さぞかしご立派な方なのでしょうね。魔王ヴァーグリッドは」
ファレノプシスは満身創痍で寝ている状態ながらも目の色を変える。
「軽々しくその名を呼ぶな。人間風情が」
マリーカは彼女を蹴る。
「くっ……」
「調子に乗るのはお止めなさい。あなたに与えられた権利は私の質問に答える事のみです。さあ、あなたがここに来た目的、そしてあなた達が我々人族に攻撃する理由をお教えください」
マリーカは苦無をファレノプシスの右肩に向けて振る。振る。振る。しかし苦悶の声を上げ、紫色の血を流しながらもファレノプシスは答えない。
「仕方ありませんね。この光景をお見せするのは心苦しいのですが……マイジマ様」
マリーカが呟くと、部屋の外で待機していた水姫が部屋に入る。ファレノプシスの無残な姿を見た水姫は思わず口を両手で覆う。人の傷を見て吐き気を催す事を失礼だと思いながらも、彼女の本能は抑えきれない。あくまでそこにいるのは人間の敵だから問題ない、と水姫は内心で自分に言い訳する。
「失礼、します」
「こちらこそ失礼をお詫び申し上げます、マイジマ様。さて、彼女は触れた相手のスキルを奪う能力を所持しています。それは、痛めつけられているあなたがドラゴンになっていないことからも明らかでしょう。あなたが何も答えないのならば、彼女の能力によってあなたのスキルを1つずつ奪って頂きます。ではマイジマ様、先程ご確認になったという『空間魔法』をお奪い下さい」
マリーカは人の悪い笑みを浮かべる。水姫はそっとファレノプシスへと近づき、触れる。
「『奪い』、発動。『空間魔法』を選択」
この瞬間、水姫のステータスカードには『空間魔法』の文字が追加された。水姫は試しに『空間魔法』を発動しようと思ったが、強力な2つのスキルを立て続けに奪った彼女の魔力はほぼ尽きかけており、発動はできなかった。そこでマリーカはメイド服から小瓶を取り出して水姫に渡す。
「魔力回復薬です」
「ど、どうなってるんですか、そのメイド服の中」
「エルフリード家のメイドには色々あるのです。さあ、お飲みください」
言われた通り、水姫は小瓶の中身の緑色の液体を飲む。柑橘系の爽やかな酸味が彼女の口の中に広がる。
「美味しい……」
「それではマイジマ様、是非使ってみてください。『空間魔法』とやらを」
「は、はい!」
水姫は左手を前に伸ばし、念じる。すると、その手には円状の何かが発生したのを彼女は感じた。水姫が左手を押すと、手は中に入っていく。端から見ると、彼女の左手は消えている様に見える。気持ち悪さを感じた水姫は手を引き抜き、『空間魔法』を解除する。それを見たマリーカは笑みを深める。
「ご覧の通り『空間魔法』は彼女のものになったようです。試しに使ってみてください。発動する際にある程度の隙が生まれるようですがご安心を。私は何もいたしません」
ファレノプシスはマリーカを睨みつける。
「優位に立ったつもりか。舐めるなよ人間」
「御託は結構です。とにかく試してみてください」
「チッ」
舌打ちをするファレノプシスは右手を上げようとする。そこで激痛に悶える。
「ううう……!」
「そちらは冷気を出す方でしょう? 空間魔法は左手をお使いになられてたはずです。分かりますか、あなたにとってまだ無事な方の手です」
水姫が彼女のステータスを覗いた際に得た情報は既にマリーカと共有してある。そこで、マリーカはあらかじめ右肩を集中的に傷付けていたのである。
「くっ、仕方ない」
左手に意識を集中して『空間魔法』を使おうとするファレノプシス。しかし一向に発動しない。
「……まさか、本当に!?」
「ひっ」
ファレノプシスは鬼のような形相で水姫を睨む。するとマリーカがそこに立ちふさがる。
「そろそろ話す気になりましたか? まだ黙っているようなら、他のスキルも頂きますよ」
「返せ! 貴様のようなゴミクズに、私の能力を使う資格は……!」
ファレノプシスの腹部にマリーカは蹴りを入れる。
「往生際が悪いですね。仕方ありません」
マリーカは苦無を新たに取り出す。黒光りしているそれは、いままでのものよりも桁外れに大きかった。
「もう手段は選びません。何をしてでもお話を聞きます」
◇
拷問室の前。ここで待機していたエリスは、キョロキョロと辺りを見回しながら歩く卓也を見つけた。
「おーい、マリーカさーん! って、エリスさん!」
「フルキ様、マリーカはこの部屋の中でお話を聞いているそうです」
エリスに言われて、卓也は拷問部屋の扉を見る。すると、この世のものとは思えないような悲痛な叫びが彼の耳に届いた。
「な、なにが起きているんですか!?」
「私には分かりません。いつもこの部屋で何をしているのか、マリーカに聞いても教えてくれないのです」
「そ、そうですか」
とりあえず頷いた卓也。するとエリスが口を開く。
「ところでフルキ様……」
「なんですか?」
言い辛そうに俯くエリスを怪訝に思いながら、卓也は聞き返す。エリスは数秒ほど経ってから再び開口する。
「フルキ様、あなたはこの世界を救うためならば、如何なる困難も乗り越えて下さいますか?」
「は、はい。俺も出来ればそうしたいです。でも……俺には何もない。ステータスも低ければスキルも使えない。ダンジョンに行ったときは何も出来ませんでした。俺には……ッ!」
卓也は急に右手を押さえてうずくまる。
「フルキ様!?」
「大丈夫……いつもの事、ですから…………ううっ!」
エリスは卓也へと寄り、その体を支える。卓也は動揺する。
「エ、エリスさん!?」
「ごめんなさい……本当にごめんなさい……!」
「えっ?」
突然号泣し始めたエリスに卓也は戸惑う。彼の右手はなおも痛みを発し続けている。
「私はあなたが戦う事を望んでいます……。誰よりも辛い冒険をして……魔王ヴァーグリッドを倒すための存在になることを望んでいます」
「何を言って……」
「でも、私は嫌です! 心優しいあなたが傷付くのは嫌! お願いです、フルキさん! もう二度と傷付かないで下さい!」
「え、ええ?」
卓也には戸惑うことしかできない。痛みも忘れてポカンとする彼を見て、エリスは正気に戻る。
「あ、ご、ごめんなさい! 私、つい……」
そんなエリスを見て、卓也がどうすればいいかを考えていると、その場に一人の人物が現れた。
「貴様、エリスに何をしている?」
卓也とエリスが声のした方を振り向くと、そこにはエリスの父親であるエルフリード王国国王、エルバード・エラ・エルフリードが厳しい表情で立っていた。
「お父様、これは……」
「そもそも何故勇者である貴様がここにいる? 貴様は今頃、洞窟で一人取り残されているのでは無いのか?」
「お父様!」
エルバードの言葉を受けてエリスが怒鳴る。するとエルバードは激昂する。
「答えろ! 何故勇者である貴様がここにいる!? 勇者としての使命を放棄すると言うのか!?」
「お父様! それをフルキ様の前で言っては!」
我を忘れて怒鳴るエルバード。怒りながら震える彼をエリスがたしなめる。エルバードは深呼吸をして気分を落ち着かせる。
「すなまい、エリス」
「いえ……」
「しかし、しかしだ。此奴がここにいては『勇者伝説』に背く事になってしまう。大体、今頃は此奴以外の勇者共と見届け人が帰ってきてるはずでは無いのか? この王都に魔王軍が攻めてきた事と言い、何が起きている?」
何かに怯えるように言葉を紡ぐエルバードにエリスは答える。
「それは今、マリーカが話を聞いています。その相手は魔王軍の、ドラゴンに変身する能力を持っていたようなのですが……」
「何だと!?」
エルバードは血相を変えて、エリスが制止する間もなく拷問部屋のドアを開く。するとそこには、体中から紫の血を流してぐったりと倒れているファレノプシスと、同じように倒れるマリーカ。そして、その背中に苦無を突き刺している舞島水姫の姿があった。