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人を憎みし炎華(6)

 とある国の辺境にあった小さな農村。ここにはある少女が暮らしていた。幼い頃から働いている彼女の生活は苦しいものだったが、それでも彼女は前向きに生きていた。


(これはあたしの……。でも、どうして?)


 ハイドランジアは突然見えた、見覚えのある景色に戸惑う。そして、この状況について分析する。


(そうだ……これはカミシロが見せた幻。本当にムカつくお兄ちゃんだね)


 怒りながらハイドランジアは上を見上げる。そこには雲一つ無い青空が広がっていた。たとえ幻だと分かっていても、これを無視する事など彼女には出来なかった。


(空……)


 彼女は過去を懐かしむ。ハイドランジアという少女は空が好きだった。辛い毎日も、空さえ眺めれば救われたような気がした。彼女にとって空とは、親友のようなものだった。


『気に入ってくれたかな?』


 いつの間にか、ハイドランジアの目の前には一人の少年がにこやかに笑っていた。少女と見間違いそうな中性的な顔立ちに黒いおかっぱ頭、華奢な体型が特徴的なその少年の名は神代聖騎。彼の声を聞いたハイドランジアは顔を歪める。


「何のつもりかな? お兄ちゃん」

『そうだね……強いて言うならば、僕は君と仲良くなりたいんだよ。僕は君に世界を見せる事が出来る。君の大好きな空だって、いつだって見せてあげられる』

「アハハッ、うぬぼれないでよお兄ちゃん」


 笑っているハイドランジアだが、その表情は厳しい。空を仰ぎながら、彼女は言葉を続ける。


「この空は所詮偽物。あたしは騙されるのがこの世で一番嫌いなの」

『違うよ』


 聖騎はやんわりと否定する。その反応にハイドランジアは苛立つ。


「何が違うのよ!?」

『確かにこれは偽物かも知れない。君が大好きだった景色。君が今までどの様な人生を送ってきたのかは知らないけれど、君の心の中にあったこの風景は今でも君の支えになっているはずだよ。僕はそれを、ただこうやって形にしただけ――つまり、これは本物の空と同じ役割を果たしている。本物か偽物かなんて、些細な問題だよ』

「えっ……?」


 ハイドランジアは思わず両手を顔に当てる。


「たとえ偽物でもあたしの支えになるのなら、それは本物と同じって事? ……そんなこと、考えたことも無かった」

『僕は君の事をもっと知りたい。だから、僕の仲間に――――いや、友達になってくれるかな?』

「友達……?」


 ハイドランジアは戸惑う。


『そう、友達。さっきまで僕達は敵として戦っていたけれど、やっぱり君を傷つけるのは辛い。だから、友達になればお互いに傷つかずに済むと思うんだ』

「そんな……。あたしは魔王様を裏切るわけにはいかない。それに、師匠だって…………。お兄ちゃんとお友達にはなれないよ」


 俯くハイドランジアに、聖騎は天使のように優しく微笑む。


『そんなことは無いよ。その人達とも戦わずに済む道を歩むことだって出来る。その為の第一歩が、僕達が友達になる事だよ』

「で、でも……」


 いつしか、ハイドランジアの瞳からは涙が流れていた。


「でも、もしあたしが裏切ったことを知ったら魔王様はあたしを許さない。そんなことになったら――」

『大丈夫』


 聖騎はハイドランジアの小さな体をぎゅっと抱きしめる。


『僕が君の『空』になる。何が有っても、僕は君を守るよ』

「うっ……うう、うわあああああああああん!」


 優しげながらも力強い聖騎の言葉に、ハイドランジアの感情は溢れだす。 ただ泣き叫ぶことしか、彼女には出来なかった。そんな彼女の背中を聖騎はポンポンと叩く。ふとハイドランジアは、自分の意識が薄れていくのを感じる。


「お兄、ちゃん……」


 聖騎の胸の中でハイドランジアは呟く。


「あ、れ……」


 不意に違和感が彼女を襲う。体が思うように動かないような感覚。そして、ぼんやりとした意識の中で僅かに感じる、体を縛られているかのような重圧感。彼女はある可能性に思い至り、意識を覚醒させる。


「こ、れは……」


 気力を振り絞って幻覚を頭から振り払う。神経を尖らせ、戦士としての感覚を取り戻す。そこで彼女は、自分が今ドラゴンになっていたことを思い出す。腹部を魔術による攻撃の他、剣で斬られたり槍で突かれたりしており、おびただしい量の血液が流れているのを感じるが、痛みは感じない。自分へと虫のようにまとわりつく勇者達を振り払おうと思ったが、倦怠感を感じて体を動かせない。


『へぇ、気が付いたみたいだね』


 彼女の脳内に優しげな声が響く。先程まで聞いていた聖騎のものだった。


「どういうこと、お兄ちゃん? あたし達、友達になるんじゃ……」

『あははっ、冗談きついよ。君が僕の友達だなんて、おこがましいと思わない?』


 ドラゴンになっているハイドランジアは人の言葉を話すことが出来ない。聖騎は秀馬に彼女の内心を読んでもらい、それを教えられる事で会話を実現している。


「あたしを、騙したのか!」

『うん、なんと言ったって僕は『騙す者チーター』だからね。色々な方法で君を騙させてもらったよ』

「色々……?」


 怪訝に思うハイドランジア。彼女は不意に、腹部から激痛を感じる。


「ううっ」

『僕は相手の感覚を騙す能力を持っていてね、視覚や聴覚、嗅覚の他に温度感覚や平衡感覚に痛覚なんかも騙せるんだよ。幻覚を見せている間、君が痛みを感じないようにしていた』

「こ、の……!」

『それにしても、魔王軍配下の最強の四人の戦士、四乱狂華も大したことは無いみたいだね。本当なら最初から君の痛覚を操って激痛を与え続けても良かったのだけれど、そんなことしなくてもあっさり倒せた。もっとも、その方法を思い付いたのはたった今なのだけれどね』


 聖騎は退屈そうなニュアンスを込めて、ハイドランジアに声を送る。


「こう言うのもアレだけど、あたしは四乱狂華の中でも最弱……いや、今は二番目に弱かったんだっけ。まあそれは良いとして、いい気にならないでね。あなたなんか師匠の足下にも及ばないんだから」

『へぇ、忠告ありがとう。他にも色々話を聞きたいから、捕まってくれるかな? 満身創痍な今の君では僕達に勝てないよ』

「言ってくれるね……! あたしは魔王様の脚を引っ張る事はしない。あたしの選択肢は2つだけ――あなた達を全員殺すか、あたしが死ぬかだけだ!」


 ハイドランジアは力を振り絞り、力強く立ち上がる。それによって、その近くにいた者達が吹き飛ぶ。


「あたしはあなたを許さない。人が大切にしているものを踏みにじって、このあたしを騙したあなたを!」


 ハイドランジアは跳躍する。彼女の巨体はかなりの風圧を生み出し、勇者達を更に吹き飛ばし、地面にはヒビを入れる。彼女は聖騎を目指す。聖騎は思わず笑みを浮かべる。ハイドランジアの体が聖騎の眼前で止まったからだ。ハイドランジアは咆哮する。


「ガアアァァァァァァァッ!」

『悪いねぇ、ちょっとワナにハマって貰ったよ』


 聖騎はハイドランジアに幻覚を見せている間、自分の前に魔術による網を作っていた。大きく薄く、そして強靭な網はハイドランジアの巨体を包みながらダメージを与える。


「あなたはまた、私を騙して……!」

『君はこの世界の人達を苦しめている魔王軍だよね。それなら何をされたって文句は言えないと思うけどなぁ。まあ、君が冷静だったらこんな単純なワナに引っ掛かる事は無かったかも知れないのだけれど』

「ふざ、けるな……!」


 ハイドランジアはもがく。しかし、網は決して破けない。


『ふざけてなんかいないよ。そうそう、さっきは君から話を聞きたいから捕まって欲しいと言ったけれど、アレも嘘。知りたいことは、こっちの心を読む能力者が暴いてくれたから君は用無しかな。残念だねぇ、魔王様とか君の師匠とかがどの様な戦い方をするのかとかも分かっちゃったよ。あーあ、脚を引っ張っちゃったねぇ』

「そうとも限らないよ」


 ハイドランジアは己の全ての力を振り絞る。彼女が選んだ最後の戦略は自爆。肉体をエネルギーに変換し、爆発させようとする。彼女の体はみるみるうちに小さくなっていき、それを赤い光が包む。その様子を見ながら、聖騎は呟く。


「ストラ」


 次の瞬間、聖騎の杖からは1本の巨大な槍が飛ぶ。彼はあらかじめ『リート・ゴド・レシー・テーヌサザン・ト・ワヌ・ラヌース』とだけ呪文を唱えておき、その後は一言も声を出さないでいた。そして、最後のキーワードを口にした事で魔術が発動し、光の槍を飛ばしたのだ。それはハイドランジアの腹部を貫く。


「ゴァァァァァァァァァァァ!」

『君が何をしようとしてるのかとか、弱点は何処なのかとか、そういったことも全部分かってしまうんだよ。君のコアとなる部分がそこに有ることもね。いやぁ、危ない危ない。自爆を実行されてしまってはさすがに網も僕達も無事ではいられなかった』


 ハイドランジアを包む赤い光は発散していく。体がすり減っていくのを感じながらハイドランジアは内心で言う。


(イヤだ……こんな奴に遊ばれた上で死ぬなんて絶対にイヤ! 人間なんかに、あたしは…………!)


 彼女は思い出す。百年程前、突然現れた盗賊が自分達の村に襲ってきた事を。村が焼き払われた事を。その際に逃げ遅れた妹が捕まった事を。妹の代わりに自分が捕まることを震えながら提案し、それを承諾したにもかかわらず妹は殺され自分も捕まった事を。犯され、人としての尊厳を踏みにじられた事を。そして、見える現実から目を背ける為に、自らの目を潰した事を。


(人間なんか信用しちゃいけないのに、あんな甘い言葉に引っ掛かって……。あたしのバカ!)


 彼女の回想は続く。その後、魔王・ヴァーグリッドと四乱狂華の一人、アルストロエメリアによって解放され、その恩に報いるために魔王軍に入り、その際にヴァーグリッドから魔族としての力と『ハイドランジア』という名を与えられた事を思い出した。


(師匠、あたしが自分で目潰ししたって言ったら凄く怒ってたなぁ……。でも、そんなあたしを抱き締めてくれた。そして戦い方も教えてくれた。魔王様は、普段は無愛想だけど優しかった。師匠の特訓についていけなくて叱られた時、後でこっそり慰めてくれた)


 魔王軍に入ってからも様々な苦難があった。ヴァーグリッドやアルストロエメリアから贔屓にされていると妬まれつつも、強くなり、より多くの人間を殺すことだけを考えていた。最初は足軽として戦っていたが、次々と功績を上げた結果として、四乱狂華という名誉ある地位に立つことが出来た。


(せめてもう一度だけ空を……本物の空を見たかっ――――)


 彼女の言葉は突然割り込んできた声により遮られる。


『お姉、ちゃん』


 その言葉に、ハイドランジアの思考はしばし止まる。そして呟く。


「クレア……?」

『久しぶりね、お姉ちゃん』

「クレア! クレアなの!?」

『そうよ、私はクレア。お姉ちゃんのたった一人の妹のクレア』


 自分を「お姉ちゃん」と呼ぶ人間は一人しかいない。ハイドランジアは声の主を探す。しかし辺りは暗闇。最愛の妹の姿など何処にもない。


「クレア? どこにいるのクレア?」

 

 静寂。それだけがこの場を支配していた。ハイドランジアはその後何度も妹の名を呼ぶ。するとしばらくして声が響く。


『私はもういないのよ、お姉ちゃん』


 依然として、妹の姿は見えない。ハイドランジアは声が聞こえたと感じた方を向く。


「どうして? クレア……かくれんぼはもう終わりよ…………? いるんでしょ? そこにいるんでしょ?」

『ううん、私はどこにもいないよ。だって――――』


 再び静寂が訪れる。焦燥感に苛まれながらハイドランジアは言葉の続きを待つ。すると続きはすぐに聞こえた。




『――――私はお姉ちゃんに見捨てられたんだから』




 その言葉はハイドランジアに衝撃を与えた。


「違う! あの時はあの人間達があたしを騙したから……!」

『私はいない。お姉ちゃんのせいで。お姉ちゃんが私を裏切った。お姉ちゃんは私を助けてくれなかった。信じてたのに。お姉ちゃんは私を助けてくれるって信じてたのに。許さない。私はお姉ちゃんを許さない。私を殺したお姉ちゃんを許さない』


 最愛の妹の淡々とした言葉。ハイドランジアの精神は崩れ始めた。


「ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………! クレア、あたしはあなたを助けられなかった。決して許される事じゃない……、でも……………………」


 彼女の懺悔の言葉は続く。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――――――――」


 ハイドランジアが冷静ならば、クレアの声が自分の知っているものとは違う事に気付いただろう。しかし彼女は気づけなかった。自分が幻覚によって騙されている事に気付く事が出来なかった。


『それじゃあ、これでお別れだね』

「え?」


 騙された事で人間を恨んだ少女は、最期に騙されたまま死を迎えることになる。


「さようなら」


 申し訳程度に装備していた小さなナイフで、聖騎はハイドランジアの腹を突き刺す。鮮血が彼の右手を赤く染めた。

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