最終章エピローグ・幻術使いは暗躍する
魔勇戦争から十年。かつて世界最強と目されていたラフトティヴ帝国は、先代皇帝シュレイナー・ラフトティヴの死後に勢いを失い、各地の領主が次々と国家として独立を宣言した。現皇帝にはシュレイナーの妹であるリネ・ラフトティヴがなっている。カリスマ性こそ兄には劣るが、持ち前の頭と思い切りの良さでなんとか国を保っている。もっともこの国が成り立っている要因は、シュレイナーの従者を務めていたマニーラ・シーンの働きが大きい。
「あの戦争でお兄様が亡くなって、もう十年が経つのね……」
「はい。時が経つのは早いものです」
リネとマニーラは現在、シュレイナーの墓前にいる。ラフトティヴ大宮殿の敷地内に造られたその豪奢な墓の中には、彼の死体は入っていない。生前、正式な儀礼の時に彼が身に纏っていた礼服が飾られているだけである。そこで祈りを捧げる二人のもとに、修道服を着た女が近付いてくる。
「二人とも、毎日お疲れ様です。お墓のお掃除は私達シスターに任せてくださって結構なのですが……」
「良いの。私達は好きでやっているんだから。ねっ、マニーラ」
「はい。ですからシスター・カズハラもシュレイナー様のお墓は例外という事でご納得してして下さい」
シスター・カズハラ――数原藍は戦争後、修道女になっていた。そこにはかつての不良少女の面影が無く、清廉潔白な成人女性でしかない。戦争終盤、彼女は死者と話す能力を手に入れた事を切っ掛けに修道女となり、表向きはロヴルード七曜大罪神の教えを広める仕事をしている。しかし彼女は、世界を掌握しているといっても過言ではない神代聖騎と戦う為の活動を水面下で行っている。
「そうでしたね……。申し訳ありません」
「それよりもシスター・カズハラ。私は後日、聖剣の様子を見に行く予定なのですが一緒に行かれますか?」
マニーラの言う聖剣とは、シュレイナーが愛用していた神御使杖・キャリバレクスの事である。四乱狂華パッシフローラとの戦闘後、ヘカティア大陸の大地に突き刺さったキャリバレクスは如何なる怪力の持ち主であろうとも引き抜く事が出来なかった。しかし、誰ともつかない者が万が一でも引き抜くような事をマニーラは許容出来なかった。そこで彼女は信頼できる者にキャリバレクスの守護という任務を与え、ヘカティア大陸に派遣した。マニーラの言葉に藍は横に首を振る。
「いえ……私はここを守らなくてはなりませんので。それに私の身は神の物……。彼の地に赴いてしまえば、抑え込んでいた思いが溢れてしまう可能性があります。修道女としてそれは許されません」
「そうですか……」
マニーラは気まずげに呟く。そして愛した者が命を落とした地に思いを馳せた。
◇
時は同じくして、ヘカティア大陸。滅魔聖剣キャリバレクスを囲うように何重にも壁が立てられ、それを基にして城が建設された。その城主はラフトティヴ帝国から侯爵の位を与えられた国見咲哉である。
「ねぇねぇおかあさん! みてみて!」
「上手に描けてるわね。凄いわ! もっと見せて」
「うん! これがおとうさんで、これがおかあさん! それで、これがぼく!」
城のとある部屋では、一人の幼い少年が自分の描いた絵を、隣の母親に自慢げに見せている。母親の名は桐岡鈴改め国見鈴。そして少年の名は国見夏樹、今年で七歳となる咲哉と鈴の息子である。
「夏樹は本当に絵が上手ね。お父さんに見せてあげたら喜ぶわ!」
「うん!」
鈴は夏樹の頭を優しく撫でる。夏樹は嬉しそうに笑う。その時、部屋の扉が開く。
「あっ、おとうさん!」
「夏樹、剣の時間だ」
夏樹の父親――咲哉が二本の木刀を携えて入室してきた。
「おとうさん、みてみて!」
「上手く描けてるな」
「そうでしょー」
咲哉に褒められて夏樹は頬を緩ませる。
「夏樹。俺は少し母さんと話す事がある。先に訓練場に行っててくれ」
「うん、わかった!」
夏樹は咲哉の言葉に素直に頷き、短い木刀を受け取って指定された場所に向かった。それを確認した咲哉は言う。
「なあ、鈴。俺達がやろうとしている事は正しいのか? 世界を救えなかった尻拭いを自分達のガキにやらせるなんて。自分達のガキを、あの神代と戦わせようとするなんて」
咲哉は渋い表情で言う。長い寿命を持つと推測されていて、その上で綿密な計画を練っている聖騎への対抗手段として、咲哉達は世界の行く末を次の世代に任せる事を考えた。勇者の血を引く夏樹は戦闘の才能を持って生まれた。そこに幼少期からの英才教育をする事によって、強力な戦士を作ろうとしている。それに気が乗らないながらも実際に行っている咲哉は今もまだ自己嫌悪に陥っている。
「これまでだって何度も話し合ったでしょ。夏樹への教育は、積極的には戦わないにしても、自分を守るためには必要だって。私達は夏樹に力は与えるけど、戦う事は強制しない。あの子がやりたい事をやらせてあげる。それが私達の教育方針のはずよ」
鈴は、先程まで夏樹に向けていた優しげな表情とは違う、やや厳しめの表情で言った。それを受けても、咲哉の表情は晴れない。
「それは理解している。だが、夏樹は優しすぎる。困ってる奴を放っておけなくて、悪は絶対に許せない。俺は、アイツが戦いの道に向かう事を確信している。もしも力が無ければ、戦いを諦めるかもしれない。意思も力もあるアイツは――」
「じゃあ聞くけど、子供の頃のアンタがもし弱かったとして、絶対に許せないヤツがいたとして、弱い自分を許せたと思う?」
咲哉の言葉を遮って鈴は言う。そして咲哉は絶句する。今こそ自分の限界を知って慎重に生きている咲哉だが、文字通り広い世界を知る前の彼ならば迷わず強くなる事を目指しただろうと考える。夏樹にも同じ事が言えるなら、前もって力を与えるというのは正しいように思えた。
「そうだな……。何より俺自身が、自分の無力さを痛感したんだ。夏樹が戦いの道を歩むのなら、俺と同じ思いはさせたくない。……鈴、今日から俺は鬼になるぞ」
「ええ、頑張って」
「もしかしたら俺は夏樹に嫌われるかもしれない。夏樹は心が折れかけるかもしれない。だからお前は、何があってもアイツに優しくしてやってくれ。お前が飴で俺が鞭だ」
「任せて」
決意した咲哉に鈴は微笑む。そして声に出さずに咲哉への想いを告げる。
(私が飴でアンタが鞭。それは夏樹にとってもそうだけど、アンタにとっても同じよ。アンタが本当にダメになりそうになったら、思いっきり甘やかしてあげる。だから、思いっきり無茶をして。悔いが残らないように、やりたい事を全力でやって。これからもずっと、自分が正しいと思った事を迷わずやれる男でいて、咲哉)
既に二十年以上の付き合いとなっているとはいえ、その言葉を口にするには鈴の中に照れ臭さがあった。それでも自分の想いは伝わっている。そう確信しながら、鈴は自分の木刀を持って部屋を出る咲哉を見送った。そしてふと彼女は思い出す。自分達と一緒にヘカティア大陸に来て、しかし今は任務でラートティア大陸に行っている仲間、佐藤翔の事を。
(アイツ、またあそこで油売ってるんじゃないでしょうね)
◇
同時刻、エルフリード王国。魔勇戦争後、異世界から勇者を召喚した実績を評価されて現在はロヴルード帝国に次ぐ国際的発言力を持っているこの国の王都に構えている酒場『グリーン・スター』。ここでは今日も昼間から、賑わいを見せていた。
「はっくしょーん! チッ、風邪でも引いたか?」
「おいおい、オレに移すなよ? オレまで風邪引いたらウチの天使に会えなくなっちまう」
「うっせーリア充! お前なんかこうだ! ゲホッ、ゲホッ」
「あっ、おい、バカ、やめろ!」
麦酒の入ったグラスを片手に揃って顔を赤くしているのは佐藤翔と面貫善である。翔は咲哉の部下でありながら技術者として世界中を飛び回っている。彼は世界中を鉄道で繋ぐ計画を練っていて、その為の支援を集めようと行動している。一方で善はエルフリード王国の兵士の教官を普段はしているが、休日である今日は朝から飲んだくれている。妻子持ちであり、妻は彼の教え子だった。将来を有望視されていた凄腕魔術師が妊娠し、その相手が教官だったという事件は王都中を騒がせたが、それも今では収束し、一度は取り消された教官としての資格も再びその手に戻っている。
「というか善、せっかくの休日なのに家にいなくて良いのか? お前の天使が待っているんだろう?」
そう言ったのは百瀬錬磨だ。彼もかなりの量の酒を飲んでいるが、酔っている様子はない。すると善は彼に近寄る。
「ウチの嫁が、たまには酒でも飲んでこいって言ってきたんだよ。毎日仕事で疲れてるんだから羽を伸ばして来いってな。それにな、ウチの天使が言うんだよ『パパ、おしごとおつかれさま。いっぱいいっぱい楽しんできてね』ってな。チクショウ、なんでこの世界にはレコーダーがねぇんだよ!」
「この親バカが」
大声で喚く善に練磨はぼやく。すると、ニヤニヤと笑う翔が絡んでくる。
「まぁまぁ、昔のお前も似たようなモンだったぜ、百瀬。お前の場合親バカじゃなくてバカップルだったけどよ」
翔は少年時代の練磨と、当時の恋人だった久崎美央との関係について言及している。練磨と美央は悲劇的な別れを経験しており、素面であれば出さない話題であるが、今の彼はそれを判断する思考力が欠けていた。だが練磨は特に不快感を覚えない。逆に嬉しそうに表情を緩めて言う。
「何を言っている? 俺達は今でもラブラブだ」
その言葉に翔と善はより一層大きく騒ぐ。
「ヒューヒュー、あっついねぇ。二人がどんなに離れていても心はいつも一緒ってか?」
「オレ達も負けてられないぜ」
練磨の言葉に強い情熱を感じた善は、自分達も家族とそんな関係を築きたいと思う。だが今度は、練磨はキョトンとした表情で言う。
「何を言っている? 美央は今でも俺と一緒だ。いや、今は家で待ってるから一緒ではないがな」
「あぁ?」
その言葉に翔は首を捻るが、酔っぱらいの戯言だろう、と特にこれ以上の言及はしない。すると錬磨は急に勢いよく立ち上がる。
「こうしてはいられない! 俺は美央が待っている我が家に帰る」
「そっかー、じゃあなー」
すぐに店を出た練磨に、店内で待っていた彼の従者が肩を貸し、店主に支払いをする。彼は美央がパイプを築いたとある貴族の家に世話になっていて、彼女が自分に託した娘と共に静かに暮らしている。磨美と名付けられた娘は美央の面影をハッキリと残していて、彼女の幼少期の姿だと言われても疑われない容姿をしている。男子が生まれれば練央、女子が生まれれば磨美という名前をつけるという約束は、学生時代の時点で既にしていた。
「まさか、ねぇ……」
練磨の様子を見ていた『グリーン・スター』の店主――緑野星羅が、練磨が娘に美央を投影しているのではないかという嫌な予感を覚えながらも、所詮は酔っぱらいの言葉だと自分に言い聞かせる。この店を構えてそれなりの月日が経つが、客がおかしな事を言う例は枚挙に暇がない。
(一応血は繋がっていないからもし間違いがあっても大丈夫……なんて笑えない冗談は置いといて、百瀬君の事はちょっと調べておいた方が良さそうね)
星羅がこの店を構えた理由は、情報を集める為である。人通りの多い通りにあるこの店は良い酒が飲める事で有名であり、故に常連客も多い。そして星羅はこの国で最も信頼できる情報屋という肩書きも持っている。そして諜報活動に長けているフレッド・カーライルも常連客の一人である。
(フレッド君、今どこに行ってるんだろ?)
◇
「フレディ、助かったよ。やっぱり君の調査の腕は流石だね」
「シューマの頼みは断れないヨ。これからも思う存分ボクを頼ってくれて良いヨ」
エルフリード王国の伯爵である藤川秀馬は、フレッドに渡された紙に目を向けながら礼を言う。
「それにしても、五人か……」
呟く秀馬が目を通しているのは、彼の妻のここ数日の行動記録である。そして彼が口にした人数は、その妻が不貞を働いた人数である。妻の様子が怪しいと思った秀馬に依頼されたフレッドがこれを調べた所、彼の予想以上の結果が露になった。
「それで、どうするのカナ? これを突き出して大人しくさせるカイ?」
「うん……そうだね。あまり気は乗らないけど、やるしかない。子供達を守る為にもね。その前に手を打っておかないといけない。頼まれてくれるかな?」
「もちろんサ! でも少しだけこの仕事を引き受けた事を後悔しているヨ。これを知らなければ、ボクは幸せなままでいられたのカナ?」
フレッドは寂しそうに呟く。彼の気持ちは秀馬もよく分かる。何せ彼の妻とは、中学生時代は誰にでも優しく接するみんなの人気者だった永井真弥、改め藤川真弥である。そんな彼女の変貌は、フレッドにとって夢を壊された気分だった。
「フレディ、あまり真弥を嫌わないでほしいんだ。彼女が変わってしまったのは全部……」
「分かっているヨ。だからシューマもマヤを懲らしめようとは思っていナイ。ただ救ってあげたいだけなんだよネ?」
「本当にゴメンね」
そう謝る秀馬の声は震えていた。フレッドは彼が何に対して怒っているのかを知っている。十年前の戦争により全てを手に入れ、そして真弥を大きく変える原因を作った張本人、神代聖騎に対してである。
「構わないヨ。それじゃあボクはマヤの様子をチラッと見てから帰るヨ」
「うん、本当に助かったよ。じゃあ、また今度」
秀馬に見送られ、フレッドは部屋を後にした。
◇
「はぁ……、はぁ……」
とある城の庭。ここでは未来の戦士となる子供達が訓練をしていた。子供達は四人いて、それぞれ七歳の少年、六歳の少女、五歳の双子の少年と少女である。四人はひたすら木刀の素振りをしていて、皆一様に疲労の表情を浮かべている。そして彼らの目の前の椅子に指導役の女が険しい表情で座っている。その腹部は大きく膨らんでいて、新たな命が宿っている事が明らかだった。
「零駆斗、有愛、手を止めない! 勝耶、フラついてる! 背筋を伸ばして! 悠鈴、アンタは素振りが終わったら庭五周!」
女――真弥は鬼のような形相で自分の子供達に怒鳴り散らす。その命令に子供達は怯えている。すると最年長の悠鈴が一歩前に出る。
「お、お母様……。オレは勝耶達の分も訓練をがんばります。だから勝耶達をもっと休ませてあげてください」
「黙りなさい! 私達の敵は、そんな甘えた意識では倒せないのよ! 私に口答えした罪で、全員素振り五百回追加!」
「ま、待ってください! どうしてオレだけじゃなくて勝耶達も……」
「連帯責任よ。それが嫌ならさっさと神代聖騎を殺してきなさい! 今すぐに!」
真弥の剣幕に悠鈴は委縮し、素振りを再開する。腕を動かすのもやっとだが、ここで休めば真弥の怒号が飛んでくる。だから必死に木刀を握り締め、ひたすらに振る。
(クソ……何でオレ達がこんな目に)
悠鈴は自分達の状況に納得がいかない。彼ら兄弟はひたすら体を鍛え、あるいは魔術の呪文を唱える練習をさせられている。今は幼い弟や妹も、五歳になれば自分達と共に訓練する事を強いられる。悠鈴は真弥を恨むと同時に、父親である秀馬の事も嫌いだった。秀馬は真弥がいない所でこそ優しく接してくるが、真弥の前では頭が上がらず、反論しても真弥の剣幕の前に黙らせられている。そんな暮らしをしていく内に、悠鈴の中には沸々と、両親に対する殺意が芽生えてきた。
(オレは絶対に強くなる。ムカつく母親も、情けない父親も、すべての元凶らしい神代聖騎って奴も……全員まとめてオレがブッ殺してやる! オレがアイツらを守るんだ)
幼いながらに心が荒んだ少年は、ただひたすらに強さを求める。
◇
「……なんて事があったんダ」
数日後、ラートティア大陸の北東部に位置する国、ヤマト帝国にてフレッドは報告する。十年前、この地には神代怜悧に敵対した神世七代、KMMの人間が飛ばされた。気候に恵まれず、食物が育たず、荒れに荒れていたこの地域の治安は最悪なものだったが、ここに飛ばされた司東焔らによって皇族は討たれ、新たな国が成立した。司東煉、御堂小雪、フレッド・カーライルの三人はこの国を見つけ出し、そして所属する事となった。
「本当に、意外としか言えんな。それほどまでに永井にとってアイツの……古木の存在が大きかったという事か」
「そうですね。……私も真弥さんの気持ちは分かります。ですが、自分の怒りを子供に向けるなんて……絶対にやってはいけない事です。私は決めました、直接真弥さんに文句を言いに行きます」
フレッドの報告を聞いた司東煉と御堂小雪、改め司東小雪はそれぞれに感想を述べる。フレッドは藤川家の家庭の事情の他に、星羅の酒場で仕入れた様々な情報を報告した。特に小雪は真弥がしていることに嫌悪感を抱いている。その傍らで寝ている五歳の娘、司東爛を見つめながら。その言葉に煉は言う。
「俺も行くか?」
「いえ、あなたは残っていてください。暴徒鎮圧の為の戦力に、あなたはこの国に必要です」
「そうか」
「という訳で、私は陛下に出国許可を求めに行きます」
「ああ」
早足気味に小雪は陛下――司東焔の所に向かう。そしてフレッドは煉に言う。
「あの戦争以降、この世界は変わっタ。そして人も変わっタ。ミスター・カミシロはあまりに大きな影響を世界中に与えタ。そして更に世界の変革を続けようとしてイル。それはあまりに身勝手で、傲慢ダ」
「ああ、そうだな。だが、世界を変えているのは奴一人ではない。確かに先陣を切って民を導いているのは奴だが、実際に世界を変えているのは民自身だ。だからこそ、そこに勝機が見出せる。……それより、奴の居場所は突き止めたか?」
煉の質問に、フレッドはニヤリと笑う。
「イエス、ミス・フルハタの居場所は突き止めたヨ。彼女ハ――」
◇
「うふふっ……」
ラフトティヴ帝国から独立した国の一つ、ギエル王国の某所にて、振旗二葉は夜空に浮かぶ三日月を背にして妖艶に笑う。静寂の中に感じる夜風に髪をなびかせながら、ねっとりとした声音で呟く。
「あなたを潰す為の戦力は整いつつある……。待ってて、今度こそあなたを私の目の前に跪かせてあげるんだから」
二葉は現在、ラフトティヴ帝国各地の勢力に取り入り、まとめ上げ、自分の為の軍隊を作ろうとしている。そして聖騎が支配するこの世界を壊すべく活動をしている。武力と色香と頭脳を存分に使い、権力を手に入れた彼女は、次に取るべき戦略を頭の中で巡らせる。
「それにしても、あなたに出会えてよかった」
二葉が振り向きがてらに呟くと、そこにいた紫髪青肌の女が不愛想に口を開く。
「それは私も同じよ。……認めるのは癪だけど」
その女は元魔王軍、四乱狂華の一人ファレノプシスである。魔勇戦争後も魔族達を率いてテロ活動を行っていた所で二葉に撃退され、その後は紆余曲折有って互いの目的の為に手を組んでいる。それでも人族に対する見下しの感情が消えないファレノプシスは、二葉の能力こそ評価すれども好意は持てない。
「そろそろ私に、もっと心を開いてくれても良いと思うんだけど。ねぇ、今日は一緒に寝ない? 最近は貴族のおじさんが相手だったから、たまには綺麗なお姉さん相手も良いかなーなんて思うんだけど」
「黙りなさい」
「つれないわね。まあ良いわ、それじゃあ明日もよろしく頼むわ」
二葉の言葉に答えずに、ファレノプシスはその場から去る。二葉は彼女の逆方向――とある貴族の邸宅へと向かった。その表情は笑っている。だが、目だけは笑っていなかった。
「たとえ何年かかろうと、あなたは絶対ただでは済まさない。あなたを処刑台に送って、命乞いをする惨めな姿を世界中に晒してあげる」
心に憤りを満たせつつ、二葉は静かに歩いていく。
◇
エルフリード王国北部のとある都市。ギルド『ファルコン騎士団』の支配下にあるこの都市は、王国の中でも特殊な環境にあった。ギルド長で、都市の実質的な支配者であるのが、王族でありながらその地位を捨てているエリス・エラ・エルフリードである。
「エリス様。そろそろお休みになられては」
「ううん、ちょっと待ってナターシャ。書類の山をあと二つ片付けてから寝るわ」
「先程もまったく同じことを仰っていましたが」
執務室にて書類に目を通すエリスに、彼女の従者であるナターシャ・スカーレットが淡々と言う。
「いや、今回は本当よ! 寝るから! ちゃんと寝るから!」
「エリス様はお疲れです。とりあえずはぐっすりと休んでから作業を再開した方がはかどります」
「それは分かっているんだけど……」
「分かっているのならお願いします」
「はーい……」
拗ねた様子のエリスは椅子から立ち上がり、ふらふらとした足取りで歩く。そして倒れそうになるその体をナターシャは支える。
「おっとっと……ゴメンね、ナターシャ」
「もう三十路を超えていらっしゃるのですから、夜更かしは禁物です。二十代の私とは違うのですから、しっかりと自分のお体を気遣ってください」
「うぅ……私と三つしか変わらないクセに。……それにしても、私も三十一なのね。十五歳の時、卓也達を召喚したのが、まだ最近っていう感じなのに」
ナターシャに身を委ね、エリスは遠い目をしてしみじみと呟く。それを聞いてナターシャも同意する。確かに異世界からの勇者召喚以降、彼女達は濃密な人生を送ってきて、出来事の一つ一つが鮮明に脳に焼き付いていて、昨日の事のように思い出せる。
「それが、歳を取って三十路になるという事なのですね」
「覚えといてよ、その言葉はすぐ自分に返ってくるんだからね。三十歳なんてあっという間になってて、あっという間に超えてるんだから」
「その言葉がいかにも年齢を感じさせますね」
「うるさい!」
従者にからかわれてエリスが声を上げると、隣の部屋とを隔てている壁からドンと音がした。隣の部屋は寝室であり、ギルドの幹部である剣士ギリオンと、姫騎士セルンの夫婦が使用していて、彼らの娘も一緒に寝ている。恐らく壁を叩いたのはセルンだろうと予想しつつ、エリスはシュンとする。
「ご、ゴメンなさーい……」
「まったく、エリス様は年相応に落ち着かれたらどうですか。三十路なのですから」
「う! ……うるさい。でも、セルンが本当に羨ましい。私も卓也と一緒に隼也を育てたかった」
再び大声を上げかけたエリスは声のボリュームを落とす。そして呟く。ヘカティア大陸に赴く前に、エリスは古木卓也と愛を確かめあった。その時に彼女は子供を身籠った。男子だったその子供には、卓也の世界の名前を付けたいとエリスは思った。すると彼女の相談に乗った星羅が『隼也』という名前を提案した。ファルコン騎士団の名前の由来となった、卓也が好きだった鳥である隼と、卓也の也をとって名付けられた。
「星羅には本当にお世話になったわね。あの世界の言葉も教えて貰った」
「はい。それにしても日本語は面白い言語です。私もいつかはあの世界……卓也様達の生まれたあの世界に行って、更に理解を深めたいです」
「ええ、そうね。でも今は……」
そこでエリスは表情を真面目な顔にする。その言葉を引き継ぐようにナターシャが言う。
「そうですね。今はあの忌々しい、神代聖騎の野望を止めなければなりません。卓也様の代わりに、私達が」
「あの優しかった真弥をあんな風にしたあの方……アイツを、私は絶対に許さない」
戦争後、隼也を生んだエリスは真弥の許に行き、自分と卓也がどんな関係になったかを報告した。真弥が卓也に思いを寄せていた事は王都から旅立つ時から気付いていた。だからこそ、真弥に真実を告げない訳には行かないと思った。だが、隼也が卓也の子だと知った真弥は、彼をエリスから奪おうとした。そしてエリスが隼也を守ろうとすると、真弥はエリスと隼也を殺そうとした。それは近くにいた秀馬やナターシャの手により未遂に終わったが、エリスはしばらく真弥と会えないであろうという事を察した。
「確かに私がしたことは、真弥からすれば抜け駆けでしかないわ。だから、私が恨まれるのは仕方ない。『真弥はそういう事をするような人じゃない』なんて押しつけをするつもりはないけれど、それを伝える前から真弥は雰囲気が違っていた」
「真弥様だけではありません。神代聖騎の行いは、更に多くの人を不幸にします。だからこそ……」
「そう、私達は強くならなくちゃいけない。志半ばで命を落とした卓也の分も、多くの人を笑顔にしなければならない」
エリスは呟き、窓の外に浮かぶ月を何となく見上げた。彼女はどうしようもなく泣きたい気持ちになる。だが、気を強く持って涙をこらえる。
(私はもう二度と泣かない。私を二度と泣かせないって、卓也が約束してくれたんだから……だから、私も泣いちゃいけない)
満月に卓也の顔を浮かべて、エリスは優しく微笑んだ。
◇
「これで丁度三万回目ですね」
「そうねぇー。我ながらよく頑張ったと思うわぁー」
ロヴルード城の地下にある研究室。ここでは神代怜悧とサリエル・レシルーニアが共同実験を行っていた。研究テーマは、魂の体への憑依と定着についてである。あらゆる魂を操れるようになったサリエルは、それを他の体に移した場合どうなるのかの観察を辛抱強く行っている。舞島水姫が聖騎の体を乗っ取った事にヒントを得た怜悧がサリエルに提案した研究である。サリエルはこの世界、あるいは異世界で命を落とした生物の魂を、この世界の死体、あるいは生きている体の中に入れて、どのような反応を見せるのかを調べている。その過程で、魂には価値の差がある事が分かった。一定以上の価値を持つ魂を使おうとすると世界群のバランスが崩れるという。だから価値の低い魂を使う事を強いられる。
その価値とは、その命が生前に何を成したかで決まるらしいことが分かった。この研究で使われる魂は、前世では引きこもりだったり、働く意思のないニートだったり、いじめられっこだった場合が多い。それらの魂にサリエルは女神を名乗り、この世界に転生させている。その結果として、前世の体と似た身体構造をした生物の体以外に入れると拒否反応が起こる事や、死体に魂を入れても動かない事や、魂が入ったら入ったで元の体の持ち主と争う事が分かった。
「そうですね……やはり自我を持つ前の、母親の胎内にいる赤子の体に魂を入れてみるべきでしょうか。その為の準備が面倒ですが、時間はたっぷりとあります」
「今更だけど、君って本当にマサキの母親なのねぇー。その外道さを見ているとよく分かるわぁー」
「随分と失礼なことを言いますね。そんな私の研究に嬉々として協力しているあなたに言われる覚えはありません」
「うふっ、それもそうね」
そんな言い合いをする怜悧とサリエルに、メイド服を着た近衛茉莉が紅茶を渡す。
「どうぞ」
「ありがとねー、マツリ。あなたのお茶はいつも美味しいわ」
「お褒めに頂き光栄です」
サリエルは満足そうに紅茶を啜る。一方怜悧は遠い目をして呟く。
「紅茶も良いのですが、私はコーヒーが恋しいです。どこかにコーヒー豆に近い種は無いのでしょうか」
「申し訳ありません。部下に調査をさせているが芳しくないようでして……」
「茉莉が謝る事ではありません。元々あるかどうかも分からないものなのですから」
丁寧に頭を下げる茉莉を怜悧はなだめる。するとサリエルはそれよりも、と前置きしてから言う。
「意識のある体の中に別の魂を入れれば、魂同士の体の奪い合いが起きる。だけどマサキの体では、マサキとミズキの共存が実現出来ている。これを人為的に実現させるには、他にどういう条件があればいいのかしらぁー?」
「水姫さんの場合は自分の意思で、聖騎に体を委ね、かつ聖騎の拒否を受け流していますからね。これを人為的に作るには……水姫さんと同じ思考をするように洗脳するしか思いつきませんが……現実的ではありませんね」
「そうねぇー。あの子もマサキに負けず劣らず狂っているわぁー。一体どんな思考回路をしていればアレをあそこまで好きに……おっと、お母様の目の前だったわねぇー」
サリエルはわざとらしく両手で口を覆う。しかし怜悧は、息子を散々に言われようが気にしない。
「そうですね。話を伺ってみた所、水姫さんは聖騎に自己投影をしているようです。そして自己愛も強い。つまり、自己愛と自己投影が化学反応を起こした結果とでも言うのでしょうか」
「でもマサキは自分は誰からも理解されない存在だと評してる。どうにか殺す方法を考えてるみたいだけどダメダメ。っていうかミズキの魂はマサキの支配下にあったはずなのに」
首を捻るサリエル。それに怜悧は言う。
「魂に関する知識ではあなたの右に出る者はいないでしょう。私にも分かりません。ですが、あえて予測を言うのなら、愛でしょうか」
「愛、ねぇ……。よく分からないわぁー。私は愛なんかとは縁のない暮らしを何百年も続けてきたから。ねぇ、愛ってどんな感情なの? 君の行動原理も愛だったと思うけど」
サリエルは本心から意味が分からないままに、愛という言葉を口にする。そして怜悧の目的は、彼女の最愛の相手、魔王ヴァーグリッド・シン・ダーイン・アーシラトスの復活である。今のサリエルは、ヴァーグリッドの魂も操れる立場にある。最終的に怜悧は、ヴァーグリッドの為に最強の肉体を生み出し、そこに魂を注ぎ込むことで復活させるという目論見である。
「こればかりは考えるな、感じろとしか言えませんね。自分のすべてを捧げても良いと思える感情、それが愛です」
「よく分からないわぁー、本当に」
サリエルは首を捻る。そして怜悧もそれ以上の言葉を語らない。
「あぁ……ヴァーグリッド様。あなたは私の手により再びこの世に蘇るのです。今度こそ決して負けない、最強で無敵で完全な存在として。その為ならば私は何だってしましょう。うふふふふっ……私の中の情熱がたぎる!」
怜悧は興奮しながら床に倒れ、体をくねくねと動かす。
(こんな風になるくらいなら、愛なんて分からない方がいいのかしらぁー?)
サリエルはひっそりとそんな事を思った。
◇
城の地下でそのようなやり取りがされているとは露知らず、この城の城主であり、国の長であるメルン・アレイン・ロヴルードが寝る前の日課である弓の手入れを終えて寝室に向かっていると、夜遅いにも関わらずドアの隙間から明かりが漏れている部屋があった。
(毎日毎日、よくやるよ)
そんな事を思いつつドアを開く。その部屋では机に向かい、忙しなくペンを動かしている者がいた。神代聖騎である。帝国公爵パラディン・デュランダルという地位も持っている彼は、この城にはメイドのエンシャ・ホーリナーとして仕えている。メイドとして城内の雑務の他に国が経営する孤児院の教師役、そして理想世界を創る為の工作活動も行っている。常に何かをしていて、メルンとまともに話す機会はほとんどない。
「マサキ、今日もがんばってるね」
メルンがそう声を掛けると、聖騎はゆっくりと振り向く。
「ああ、メルンか」
そう言ったと思うと机に向き直り、作業を再開した。その反応が面白くないメルンはずんずんと聖騎に近付き、その頭を叩く。
「ちょっと、私が誰だか分かっててその態度なの? 私はこの国の皇帝よ。こ・う・て・い!」
「いたた……」
聖騎は痛みに顔を歪めて頭をさする。しかしそれでもメルンを無視して作業を続けようとする。腹が立ったメルンは彼からペンをひったくった。そこで聖騎は抗議する。
「何なのかな。構って欲しいのなら君の旦那さんに構ってもらえばいいと思うんだけれど。それに君も人の親なんだから、そういう子供っぽい事はそろそろ卒業するべきだと思うよ」
「うるさい。子供っぽいのはあんたの方でしょ! 自分が気に入らないから世界を思い通りにするなんて、子供っぽいの極致じゃない! ばーか!」
「最後に暴言を言う辺りがね。まぁいいや。大体君は大人である以前に皇帝陛下……国の代表なんだからしっかりしないとダメだよ?」
「あー、もう! 私だってその辺は分かってるよ! でも良いでしょ! ここでは良いでしょ!」
聖騎の言葉にメルンは苛立ち、怒鳴る。この国の皇帝になって十年、彼女はきちんと皇帝としての振舞い方を身に付けている。だが、十年経っても顔も話し方も変わらない聖騎を見ていると、ついつい自分も少女時代のような態度を取ってしまう。そもそも身内である聖騎相手に何を取り繕うことがあろうかと彼女は思う。
「そうだね。そうやって邪魔をするのなら僕にだって考えがある。君には徹夜で僕の代わりに、今後の工作活動について考えてほしい。そろそろエルフリード王国にこっそり麻薬を蔓延させる作戦も実行しなくちゃだし、奴隷産業ももっと拡大させなくちゃいけない。それに、この世界のすべてを管理するためにステータスカードを利用して民を管理するシステムについても考えないといけない。どこかの筋肉皇帝と違ってね、僕は……」
「うるさい、筋肉馬鹿にすんな! マサキ、あんたも筋肉鍛えなさい! 人をいじめてる暇があったら、自分の筋肉をいじめなさい! 私はこの筋肉で天下を取るのよ!」
「う、うん。そうだね」
急にスイッチが入ったメルンに聖騎は引く。するとメルンは真顔に戻る。
「それは良いの。あんたが人として破綻してる事は昔からだけどさ、人のねぎらいを無下にするのはどうなのって思うんだけど」
「ごめんね」
「言葉が軽い! まあ、良いよ。何を言っても聞かない、それがマサキなんだから、私はあんたに人としては期待しない」
言葉を捲し立てたメルンはぜぇぜぇと荒い息をする。そして息を整えた彼女は聖騎の眼を見て口を開く。
「あなたが創ろうとしている世界。それを見届ける事は私には出来ないと思う。私の子供か、孫か、更にその子供か……とにかく、気が遠くなるくらいの時間をかけてあなたはこの世界を創り変えようとしている。そして私は、この大国の初代皇帝として歴史に名を遺す」
「うん」
聖騎は頷く。メルンがこの世界で誰よりも嫉妬される存在になる事を目指している事は彼も把握している。誰よりも権力を持ち、誰よりも強い軍隊を所有し、誰よりも広大な土地を支配下に置く。そして、誰よりも語り継がれる存在になる。それが彼女の野望である。
「メルン・アレイン・ロヴルードの懐刀であるパラディン・デュランダルがボロ負けして、目的を果たせませんでしたーじゃ私の格が下がっちゃうんだよね。だからさ、どんな世界でも良いけど、絶対に完成させてね。その時私は『世界を創りかえた男を臣下にした皇帝』という、世界で何より偉大な存在になるんだから」
メルンは自分の野望を聖騎に託す。その思いを汲み取り、聖騎は笑う。
「ああ、僕はやるさ。この住み辛いふざけた世界を、僕の為だけに最適化させる。君の子孫にもそれを見せてあげるよ」
「うん、楽しみにしてる」
聖騎の言葉にメルンは頷き、視線を横に逸らす。そこにはローリュート・ディナインが聖騎に送った絵画『世界の破滅』が飾られていた。荒廃した大地には無数の死体が転がっていて、その中でただ一人、笑みを浮かべて立っている死神の姿がモノクロで表現されている。たった一人の死神以外にとっては地獄でしかない世界。その圧倒的な画力は見る者を引き込むが、人にプレゼントとして渡す絵ではないだろうとメルンは思う。もっとも、貰った聖騎自身がこの絵を気に入っているので、何も言わなかったが。
「あなたはすぐに死んじゃうけどね、私だけはこれからもずっとこの人と一緒だから」
「おわっ! いつの間にミズキが出てきたの!?」
突然口調が変わった聖騎にメルンは驚く。
「あの人はもう寝ちゃったから」
「そ、そうなんだ……。にしても便利な体だよね。一つの体に心が二つなんて」
「私達は特別だから」
舞島水姫について、メルンは多くを知らない。ただ一つ言えるのは、聖騎に対する重い愛を持っているという事。聖騎がどんなに拒絶をしようとも嫌がるどころか興奮している水姫の事は、聖騎以上に不可解な存在だと思っている。聖騎の場合は「純粋な人間ではないから」で納得できるが、正真正銘の人間だったらしい水姫がどうしてこのような人格になったのか、少しの興味はある。
「そう。それじゃあミズキも頑張ってね。あなたの想いが報われることを願ってるよ」
「今の私は満たされてる。これ以上望むことなんて無い」
「へ、へぇ。よかったね……」
「愛する人と一つになる。それが究極の愛の形」
水姫の掴みどころの無さに戸惑うメルン。そして水姫は自分の内側からの声を聞いていた。
『僕は寝てなんかいない。君はいつになったら僕の中から出ていくんだ』
『私達は一緒。どんな時でも私はあなたで、あなたは私』
『気持ち悪い事を言わないでくれるかな。消えてくれ』
『嬉しい。あなたに罵られるなんて、私はとても幸せ』
聖騎と水姫の会話は噛み合わない。それでも聖騎は諦めない。いつかこの邪魔な存在を追い出してやると彼は思う。だが同時に、彼には弱みがあった。
『確かに、君がいなければ僕は死に、目的は頓挫していた。君は僕の恩人だ。だがそれでも、受け入れられないものは受け入れられない』
『そんな必要はない。あなたは何もしなくて良い。あなたがここにいてくれるだけで、私は幸せなんだから。大好き。愛してる』
自分が誰からも好かれないであろう事を自覚している聖騎にとって、水姫の根拠のない好意はひたすら気持ち悪い。やはり愛とは難しいものだと思いながら、聖騎は体の所有権を取り戻す。
「それじゃあメルン。僕は本当に眠るから」
「えっ、今はマサキ?」
「おやすみ」
「えっ、ああ、おやすみなさい」
いつの間にか入れ替わっていた聖騎にメルンは戸惑いつつも退室し、自分の寝室を目指す。聖騎も明かりを消して床に就く。暗闇の中で目を閉じて、聖騎は心の中で呟く。
(僕はこれまで、何かに全力で取り組んだことが無かった。だからこそ、人が全力で何かをするのを見て憧れていた。そして、人が一番全力を尽くすのが、死から逃れようとする時だった。だから僕は、人が苦しむのを見るのが好きだった)
聖騎は戦争終盤、怜悧に言われた言葉を思い出す。自分はこれまで挫折らしい挫折をしなかった。だが、古木卓也への敗北という大きな挫折を味わった聖騎はようやくスタートラインに立ったのだと。だから彼は卓也に感謝を述べる。
(古木卓也、君のお陰で僕は少しだけ変われた。僕は二度と負けない。どんなに強い敵が現れようとそのすべてを踏みつぶし、目的を叶える。死力を尽くして全力で、僕は世界を変える。どんな困難が来ようとも絶対に諦めない。君が僕にそうしたようにね)
その言葉を最後に、聖騎は眠りに落ちる。その寝顔は、人を不幸にするとは思えない穏やかなものだった。神代聖騎は世界征服を目指して、これからの未来を歩み続ける。彼は世界を敵に回している。時代が動き、かつての級友が大人になり、子供を育てる立場になろうとも、彼は容姿も思想も目的も変わらずに、多くの者の涙を流し続けていく。それはまさに死神。彼の目的の成就はローリュートが描いたように、人間にとって世界の破滅を意味する。そんなものなど気にしない。
幻術使い、神代聖騎はこの世界を暗躍する。
◇
「だ、そうだ。敗北を経て一皮向けたようだな、君の創造主は」
「あはは……そうだね。これで人類の未来は暗い」
とある世界で二柱の神がシニカルに笑う。片方は天原孝司郎と名を変え日本で活動していた、邪神アマツカサノミコト。もう片方は神代聖騎により生み出された全ての概念の上位存在、サタディ・スペルビア。共に悪しき存在として忌み嫌われている彼らは、あらゆる世界を観察している。
「やれやれ……困ったものだよ、アマツカサ。僕は全ての世界を世界群の中に組み込み、僕以外の者が一定以上の力を振るおうとすれば世界のバランスが崩れるようにした。それにより、僕に刃向かえる者の力を制限した。それはロヴルード七曜大罪神といえども例外ではない。なのに君は、こうして僕と同じ立ち位置にいる」
「仕方ないだろう。私はその邪悪さ故に日本神話にも描かれなかった存在。これくらいは出来て当然だ」
サタディの非難の言葉に、アマツカサは誇るように笑って返す。それを受けサタディはフッと笑う。
「でも、やはりおかしいよ君は。僕を含めて神という存在は、人の創造によって生まれた。君もよく知るアマテラスやスサノオは古事記や日本書紀に描かれ、それに対する人々の信仰によってこの世に実体化した。そして、神話に描かれた活躍を実現出来るだけの力を手に入れた。僕だってそうさ。神代聖騎が世界中に信仰を広め、それによりここまでの力を手に入れた。神は人から信仰されているからこそ神。つまり、人に認知されていないはずのアマツカサノミコトなどという神の存在はあり得ない」
「何を言っているのかね。現にこうしてここに存在しているではないか」
意味が分からないとでも言いたげな顔で、アマツカサはサタディを見る。だがサタディは自分の言葉を疑わない。
「そうだね。でもさ、君くらいの存在になれば、神の常識を変える事すらできるのではないかな。……ナイアルラトホテップ」
ナイアルラトホテップ、それはクトゥルフ神話にて描かれる邪神の名であり、同神話の中でも独特の立ち位置にいるトリックスターである。如何なる姿にも化ける事が可能で、人間や神を騙し、破滅へと導く事に愉悦を覚える。その名を呼ばれたアマツカサは破顔する。
「ハハハハハハハッ、流石だな君は。神代聖騎はこれほどまでの存在を創造するとは……やはり侮れないな。これから先、ずっと見守っていたいな」
「彼はこれから目的に向けて色々なものを積み上げる。積み上げて積み上げて、彼が目指す高みに近付きかけたギリギリの所で一気に崩す。それはきっと君に何よりの爽快を与えるだろうね」
「そういった物を楽しむ趣味は君にもあるだろう?」
「ああそうだね。だけれど物事には例外があるものだ。気まぐれで身勝手でわがまま……それが僕であり神代聖騎だ。僕は彼を決して甘やかさない。だけれど、彼がどれほど努力してもどうにも出来ない理不尽はこの僕が排除する。たとえそれが、君であろうともね」
サタディは目を細め、アマツカサ――ナイアルラトホテップを睨む。その眼光を受けてナイアルラトホテップはからからと笑う。
「フフフ……。そうか、君を敵に回すのは大変そうだ。約束しよう、私は神代聖騎に介入しない」
そしてそれだけ言い残し、ここから姿を消した。サタディは彼がいた場所をしばらく見つめた後に視線を逸らす。
「神代聖騎。君は僕の創造者だ。だからこそ甘えは許さない。神のような格の違う存在の介入くらいは食い止めるけれど、君が人の手によって犬死しようと救いの手は差し伸べない。さぁ、僕に見せてくれ! 僕を楽しませてくれ! 君の求める世界の創造を、是非実現させてくれ! あははははははははははははは!」
サタディの視線の先では神代聖騎が眠っている。それと同時にあらゆる者の現在の様子が彼によって把握されている。
「敵は中々手強いよ。君と同等の者達がそれぞれに力を蓄え、立ち向かおうとしている。たとえ彼らを滅ぼそうとも、きっと次から次へと新たな敵が現れる。君がそれでもなお諦めずに野望へと突き進めるのか、僕はずっと見守り続けよう」
悪そうな笑みをひたすら表情に張り付けて、サタディ・スペルビアは期待に胸を躍らせる。
これにて本当に完結です。
この作品の主人公である神代聖騎は完全に悪役で、主人公よりも主人公らしい古木卓也に倒されて死ぬことも更生することも無く、更に悪役としてパワーアップを果たし、自分の野望に向けて進み始めました。このラストに思うところがある方もいらっしゃるかもしれませんが、たまには悪役が悪役のまま勝利する話があっても良いと思います。
続きがありそうな終わり方となりましたが、続編を書くかどうかは現時点では未定です。
物書き歴=なろう歴=約二年なだけあって文章を書くことに慣れておらず、稚拙な文章を皆様にお届けする事になった事を少し後悔しております。続編か新作かは分かりませんが、次に作品を投稿するまでには文章の腕をもう少し磨きたいと思っています。
また、本作は非常に登場人物が多い作品となりました。クラス36人にそれぞれ設定があって、それぞれに家族がいて、それぞれ異世界で色々なキャラと知り合って……という話を書いていった結果、数を増やし過ぎて持て余した自覚があります。もしも皆様にお気に入りのキャラや、もっと掘り下げてほしいキャラがいるのであれば、是非感想にお願いします。もしかしたら、後日そのキャラを主役にした短編を書くかもしれません。ただし私は四月から忙しくなるので、すぐには書けません。ご了承ください。
最後に、この小説はいわゆる『テンプレ』のクラス転移というジャンルの作品となっていますが、読者受けというよりも自分が好きなように書いた小説です。そんな作品を400人を超える方々にブックマークして頂けた事を心の底から、本当に嬉しく思います。日に日に増えるブックマーク数を励みに約一年間、この小説を書き続けてきました。日間ランキングには乗る事の出来なかった本作ですが、それでも最後まで読み続けてくださった皆様の心の片隅にでも残る作品であればと思っています。
ご愛読、本当にありがとうございました!




