風を読め
アルストロエメリアへの因縁があるエリスとセルン、そして彼女達の仲間であるメイドのナターシャ、獣人の元奴隷ミーク、剣士ギリオン、妖精レミエルはアルストロエメリアを囲んで戦っている。前衛でセルン、ナターシャ、ギリオン、ミークが息の合った連携で攻め、エリスとレミエルは後方から魔術と魔法によってサポートしている。彼女達はこの世界でも屈指の戦闘力を誇るが、アルストロエメリアは余裕である。
「まったく、たぎらんな」
愛刀により敵の連撃をいなしつつ、アルストロエメリアは退屈そうに呟く。神速で振るわれる刀身は無数の隙の無い動きで、敵に幾つもの傷を作る。
「舐めるなぁぁぁ!」
セルンは片手剣を力いっぱい振り下ろす。アルストロエメリアは最低限の動きでそれをかわし、剣先を左手で掴む。そこから血が滴る……という事はなく、華奢なようで力強いその拳に新たな傷は生まれない。
「舐められないに値するだけの力を手に入れてからほざけ」
「黙れ……!」
セルンは剣を離さずに、左手の盾で殴る。するとアルストロエメリアは剣を思いきり引っ張り、セルンの体勢を崩させる。
「ぐっ」
「セルン!」
猫の獣人であるミークは自慢の身軽さでセルンへと飛び付き、体を救い上げ、アルストロエメリアから距離をとる。彼女の刀は空を切った。
「すまない!」
「別に良いって」
セルンとミークがそんなやり取りをする一方で、今度はギリオンが仕掛ける。両手持ちの大剣は並の筋力では持ち上がらない。その四分の一以下の重さであるアルストロエメリアの刀は、大剣と対等に鍔迫り合いを繰り広げる。
「なるほど、この中では貴様が一番マシなようだ」
アルストロエメリアの言葉にギリオンは答えない。答えられる程の余裕が無かった。足を力の限り踏み込んで、両手で持つ剣を振りきろうとする彼とは対称的に、アルストロエメリアは片手で刀を軽く持っている。
「後ろががら空きですよ!」
アルストロエメリアの背後から、苦無を両手に持ったナターシャが飛び掛かる。だが、アルストロエメリアは空いている左手から風魔法を発動する。ナターシャは呆気なく吹き飛ばされる。
「私に死角は無い。視覚が無いが故に第六感を限界まで鍛えているのでな」
「くっ……洒落のセンスは全然鍛えてないみたいですけどね!」
「気に召さなかったか。この戦闘があまりにも退屈なので、暇潰しがてらに考えていたのだが」
着地したナターシャの軽口に、アルストロエメリアは皮肉げに笑って答える。
「そうですね。あなたでは到底、エリス様のユーモアセンスに叶いません」
「ほう。ならば、ご教授願おうか。この私を楽しませてみろ」
「えぇっ!?」
水属性の回復魔術により傷付いた仲間達を癒していたエリスは、突然の無茶振りに驚く。そもそも何故、母を殺した因縁の相手を笑わせなければならないのか。隣のレミエルに助けを求めようと顔を見ると、彼女は楽しげに笑っていた。
「うふっ、頑張って。もしかしたら首を差し出してくれるかも知れないし」
「何でこんなことに」
エリスが嘆く。そうしている間にもアルストロエメリアは四人との近接戦を繰り広げている。このシリアスなはずの空気の中で、彼女達はエリスの言葉を今か今かと待ち構えている。
「えーっと……」
気が乗らないながらも、エリスは頭を振り絞って考える。その横でレミエルが回復魔法を使っているのを見て、本当にこんなことをしていて良いのかと疑問を抱きつつ、彼女は今の状況に合った言葉を口にする。
「魔王を倒してしまおう!」
アルストロエメリアは左右から同時に来るギリオンとセルンの攻撃をバックステップによって回避する。そこに目掛けてミークが跳び蹴り食らわせてくるが、腕をクロスさせてガードした。ミークは即座に後方へと跳び、それと同時にナターシャが苦無を五本投擲する。心臓目掛けて放たれたそれらは刀により全て跳ね返され、その内の一本はナターシャの右腕を貫く。
「厄介ですね。ただ力が強いだけでなく芸達者な相手は」
「ふん、今更それを言うか」
「慢心する事を期待したのですが、無駄だったようですね。あくまで当たり前の事をしただけ、と」
ナターシャは顔を歪めて苦無を抜きながら言う。その傷をレミエルは癒す。ギリオン、ミーク、セルンはどうにか好機を見付けようと隙を窺うが、どうにも見付からない。ピリピリした空気が辺りを支配する中、エリスはおずおずと言う。
「あの……何か反応無いの?」
「何をしてるのエリス? 私一人で回復し続けるのはキツいから、手伝って」
「あ、うん……そうだね。ナターシャ!」
レミエルの真顔での言葉にエリスは釈然としないものを感じつつ、神御使杖を構えて、呪文を詠唱し、水属性の魔術をナターシャに向けて放つ。
「ありがとうございます、エリス様」
感謝の言葉を言いつつ、ナターシャはサイドステップでそれを回避。水の塊はその向こうにいたアルストロエメリアに当たる。エリスが使ったのは回復魔術ではなく攻撃魔術だった。その水の塊はそれなりの密度があり、直撃したアルストロエメリアを吹き飛ばす。
「エリス様、私が気付かなかったらどうするつもりだったんですか?」
「うるさい! ナターシャなんかどうなったって知らないんだから!」
「さて、何の事でしょう」
エリスとナターシャ、幼少期からの付き合いである彼女達は意思疏通が完全に出来ている。そしてエリス自身は気付いていないが、最初は母の仇を目の前にして焦り気味だったのが、今のやり取りによって平常心を取り戻している。
「どうでも良いが、退屈だ。イリスは私を退屈させなかったぞ」
「お母様……」
昔を懐かしむように語り出したアルストロエメリア。エリスは母の名を出されて困惑する。
「ああ、あの女は強かった。個人として、そして部下を導く者として優秀な魔術師だった。私が唯一認めた人族だ」
アルストロエメリアの身体を包むように、風が激しい音を伴って渦巻く。危険なものを感じたナターシャ達は距離をとる。
「よく分からないけど、なんかヤバそうね」
レミエルは雷使いの妖精族の魂により、アルストロエメリアに雷撃を放つ。それにより肌を焼かれるアルストロエメリアだが、様子は変わることなく、ただ風の勢いだけが増す。
「気持ち悪いヤツ……。エリス」
「うん!」
レミエルの意図を察し、エリスは魔術により生み出した水のドームでアルストロエメリアを包む。風に水が弾かれそうになるが、魔粒子を制御してそれを押さえ込む。彼女はステータスでこそ勇者とは大幅に負けるものの、母譲りの才能に努力を重ね、神業と言えるほどの魔粒子制御術を有している。
アルストロエメリアの口からはぶくぶくと泡が立つ。彼女に息をさせまいと、エリスは必死に水を操る。
「上出来よ。ということで……!」
レミエルは再度雷撃を放つ。魔力を振り絞り、全力の雷を敵へと落とす。濡れて、導電率の高くなっているアルストロエメリアの全身を電撃が走る。強い光源がそこに生まれ、外からはその様子が分からなくなっていて、バチバチという音だけが鳴り響く。
「これで……やれるのか?」
セルンが不安げに呟く。これまで圧倒的な速度でこちらの攻撃を回避してきたアルストロエメリアが、突然魔術攻撃を受け入れた事に違和感しか覚えない。同様な懸念を他の者も抱く。
「祈るしかあるまい」
ギリオンがそう答える。現状として遠距離への攻撃方法を持たない彼らは、今出来ることが無い。
「エリス、レミエル、頑張って!」
「お願いします」
ミークとナターシャが激励する。状況はしばらく均衡する。その後、爆音が高鳴った。
「なっ」
突然の爆音にセルンが声を出す。発生源はアルストロエメリアだった。彼女を渦巻いていた風は嵐となり、爆発的に拡大した。それは広範囲に被害を生み出す。エリス達六人も嵐に巻き込まれ、それぞれ別の方向へと飛ばされる。
「ぐっ……」
ギリオンは錐揉みしながら空中で体勢を取り戻そうとする。だが次の瞬間、眼前にアルストロエメリアが現れた。
「……」
無言のままに振り下ろされた刀は、ギリオンの左肩から右腰にかけて袈裟斬りにする。どっと血が溢れ出す。それに背を向け、アルストロエメリアは風の中を器用に飛び、今度はナターシャに近付く。敵の接近に気付きつつも、この暴風の中では何も出来ず、一刀のもとに斬り伏せられる。
「があっ」
叩き付けられた衝撃により、ナターシャの身体は勢いよく落下する。その末路を確認しないまま、ミークとレミエルを立て続けに斬った。レミエルは魂により立ち向かおうとしたが、風の中で制御する事が出来ず、盾として使うことも出来なかった。
「……」
次に彼女はエリスを標的として定める。そして暴風の中を翔て、刀を振り上げ、そして一撃で片付けようとする。
「とんだ期待外れだ。雑魚は消え失せろ」
その呟きは風の音により掻き消え、誰の耳にも届かない。その直後、彼女の刀は人肉を斬る事では奏でられないはずの金属音を鳴らした。
「エリスは私の大切な仲間だ。消させはしない!」
いつの間にかエリスの正面に移動していたセルンの盾が、一閃を受け止めていた。アルストロエメリアは驚く。
「貴様……何をした」
「私はお前を倒す為に、とある山で修業をした。その山の頂上はすこぶる風が強くてな、そこで私は風を理解した。もはやここは、私の戦場だ」
セルンは風の動きを読み、それに合わせて自由に動き、先程斬り倒された仲間達が地面に激突する前に救い、安全な位置から地上に落とした。そして今は風に飛ばされるがままのエリスを庇える位置をキープし続けている。
「これは驚いた。まさか私の風を理解するとは。だが、動けるだけでは話にならん。貴様の剣は私には届かない」
アルストロエメリアはセルンの神業を心より賞賛しつつ、事実を突き付ける。だがセルンは動じず、エルフリードを守る。そのエリスが口を開く。
「ねぇ、お母様ってあなたとどんな風に戦ったの?」
その質問にアルストロエメリアは真顔のまま答える。
「あの女は、一言で表すならば修羅だった。自分どころか部下の命に価値を認めず、我らを一人でも殺す為に、ひたすら野獣の様に杖を振るっていた。あの気迫は、今思い出しても私の身体を震わせる」
「お母様が……?」
エリスにとって母イリスは優しい人物である。彼女の言う人物像とは噛み合わない。するとアルストロエメリアは、表情に怒りを張り付けて続ける。
「だが奴はある日を境に、戦場から姿を消した。私はどうしようもない寂寥感を抱いていた。私の知らないところでくたばったのだろうかと思うと、虚しさが溢れた。……だがしばらくして、奴は帰ってきた。だがそれは、私の知っていたイリスではなかった」
「それは……どういう?」
「再び私の前に現れたイリスは、死を恐れていた。私を殺す為ならば己の死すら恐れなかったあの女がだ。ひたすらに破壊を愛するイリスは死んだ。そして今なら分かる。私の好敵手を殺したのは貴様だ、エリス・エラ・エルフリード。奴は貴様という存在が生まれたせいで、価値を失った!」
アルストロエメリアは感情を爆発させる。一方でエリスはこの危機的状況の中で安心感を覚えた。
「あぁ……そういう事ね」
だから自然と笑みを浮かべてしまう。その様子にセルンは訝しむ。
「エリス?」
「いや、やっぱりお母様は正しかったんだなって思うと嬉しくて」
一頻り笑った後、エリスは感想を述べる。それにアルストロエメリアは黙っていない。
「正しかっただと!? あんなものが正しくてたまるものか! 貴様は本当のイリスを知らないからその様な口が叩ける!」
エリスは態度を変えずに言葉を返す。
「でも、お母様は龍になったあなたに殺されたって聞いたわ。それはつまり、あなたの言う『本当のお母様』ではないお母様が、あなたをそこまで追い込んだっていう事よね?」
四乱狂華は体力が残りわずかになった時に最後の力を振り絞り、巨大な龍となってパワーアップする。そしてエリスの聞いた話では、アルストロエメリアは一度しか龍の姿を見せていない。すなわち、彼女の言う『本当のイリス』は、彼女をそこまで追い詰めた事がない。
「黙れ! だがそのイリスですら、龍化した私の前には歯が立たなかった! 今の私にすら苦戦する貴様に、私に勝てる道理は無い」
「確かにそうね。……まともに戦えば」
激昂するアルストロエメリアに対してエリスは、その口調を冷たいものにした。次の瞬間、アルストロエメリアの右手が突然爆発する。緑がかった肉片と血液が飛び散り、吹き荒れる風の中に消える。
「なっ」
その時アルストロエメリアは察する。自分の体内の水分が急激に体積を増やしている事に。思考の最中にも左手、左脚、右脚と、ポップコーンが弾けるように、徐々に体のパーツが爆発していく。
「ぐっ……貴様、一体何を?」
「さっきあなたを水の中に閉じ込めたでしょう? その時の水があなたの体内に入っているの。そして今、話をしている間に私の水をあなたの体全体に行き渡らせたの。細かい操作は相手に近寄らなくちゃいけないから大変大変。後は、タイミングを見計らってドカンよ。龍化する暇なんて与える前にね」
エリスが解説する中、アルストロエメリアの体は段々と消えていく。しっかりと鍛えられた太股、岩石の如きたくましさを主張する腹筋、堅牢な城壁を思わせる胸部を失い、やがて頭部も消え失せた。これに伴い、彼女が生み出した風も勢いを失っていく。
「よくやったな、エリス。本当なら私が直接とどめを刺したかったのだが、致し方無い」
「悪いね。この女はセルンにとっても仇敵なのに。でも、セルンの『風読』が無かったら私はあっさり倒されてた。本当にありがとう」
エリスはセルンの胸の中に抱かれながら降下し、そんな会話を交わす。
「礼には及ばん。それよりもギリオン達だ。かなり深手を負っていたからお前の魔術で助けてくれ」
「もちろん!」
エリスは頷き、神御使杖を構える。今回の戦闘でかなりの魔力を消費した彼女は、ここに倒れる四人をギリギリ助けられる程度の魔力しか残っていない。これ以上戦うには時間を少し置いて、回復を待つしかない。
「なぁ、タクヤは無事だろうか?」
「大丈夫よ。頼もしいお友達だって一緒なんだから」
セルンの心配げな問い掛けにエリスは、自信満々に答えた。その答えにセルンは複雑な表情を浮かべる。
「それはそれで、少しばかり妬けるな。この決戦でアイツの隣に立っているのが私達以外の者だというのは」
「同感。でも、しょうがないのよね。私達とタクヤとの間にはものすごい差がある。そして勇者の皆様の強さはタクヤに匹敵する。私が無理矢理戦いに巻き込んだ勇者達は、ね」
エリスは表情を曇らせる。自分の発動した魔術により勇者達を召喚した事は、今も彼女の心に棘として突き刺さっている。そして石岡創平と鈴木亮という二人の勇者が命を落としたという話を聞いた時は胸が締め付けられるような思いを抱いた。彼女にはいまいちイメージ出来ないが、勇者達のいた世界の日本という国の大多数の人間は、平民でも毎日の暮らしが保証されている、平和な環境で過ごしていたという。国の行動の指針となっていた、エルフリード王国に代々伝わる書物『勇者伝説』にはそう書いてあった。
「だから私は、勇者様方を帰さなくちゃいけない」
「それはタクヤも、という事になるが?」
「そうよ。タクヤにはこの殺伐とした世界は似合わない。元の世界に帰るべきなのよ。お別れになるのは寂しいけどね」
そう言うエリスは複雑な表情だった。そんな彼女にセルンは言う。
「とにかく、私達も休み終わり次第すぐに魔王城へと向かうぞ」
「うん」
エリスは力強く頷いた。すると彼女は急に、吐き気を催す。
「エリス、やはりお前……」
「いやぁ……私ももしかしたらって思ってたんだけど、やっぱりそうなのかな?」
「私も経験が無いので分からないが、そうなのだろう」
意味深な会話をしながら、エリスは卓也の顔を思い浮かべた。