魔巨人と巨人王
時は遡る。現在、非戦闘員の魔族は地下のシェルターに避難している。大量の食料が備蓄されており、長期に渡っても大勢の分が確保されている。数あるシェルターの一つで、魔族の少年が不安げに呟く。
「ねぇ、お母さん……? 僕たちのおうち、大丈夫かなぁ?」
「大丈夫よ。四乱狂華の方々が総出で戦ってるし、いざとなれば魔王様だってお戦いになられるんだから」
少年の母親は安心させるような笑顔で答える。魔族は定期的にシェルターへの避難訓練を行っているので、少年たちにとってもここはなじみの場所だった。だが、本番でここを使うのは初めてである。それ故の不安は母親にもあったが、子供の前ではそれを見せない。
「それに、お父さんだって戦ってるのよ? 絶対に負けないわ、魔王軍は」
「そうだよね……お父さんは強いんだもんね!」
少年は父親の顔を思い出し、安心の表情を浮かべる。自慢の父親は彼にとって魔王よりも強い、最強の戦士である。魔王軍として数々の戦いに参加し、その度に帰ってきた。そんな父親は今回の戦闘で活躍し、絶対に無事で帰ってくる。少年はそう確信していた。すると地鳴りと共に、空間が揺れる。
「うわっ、また揺れた!」
少年は思わずその場にいた人族の少女に抱き着く。彼女は少年の家で飼っている人族であり、奴隷である。魔族の中流以上の家庭では人族の奴隷を飼っているのが常識である。彼女達は労働力としてそれなりの待遇を受けている。
「大丈夫です。このシェルターはとても頑丈ですから」
「本当に……?」
「本当です」
少女は少年を抱きしめ、安心させるように言う。すると少年の母親が口を開く。
「いつも悪いわね、面倒見てもらっちゃって」
「いえ。魔族の方々のお役に立つ事だけが、私達劣等種族の存在価値ですから」
「そういう事言わないの。あなたは私達の娘でこの子の姉だって、いつも言っているでしょ?」
恭しい少女の言葉に、母親は呆れる。魔族は神代怜悧により、人族を敵視するように設定された。しかし魔族の中には、奴隷として自分達の為に役に立ってくれる人族に情が移り、好意的な感情を持つ者も少なくない。
「しかし、本当に愚かなものですね。私達劣等種族にとって、魔族の方々にお仕えする事こそが何より幸せな事でありますのに。このような戦争を仕掛けて、本当に許せません」
人族である少女は、この戦争を仕掛けた同族に向けて憤る。彼女は魔族に拉致された人族の子孫であり、生まれた頃から奴隷として育った。よく働く上に頭の回転が速い事から飼い主には気に入られている。彼女は今の暮らしに満足していて、魔族から人族を解放する為のこの戦争を苦々しく思っている。
「……そうね。でも、あなたは本当なら――」
「何でしょう?」
「いや、何でもないわ。……本当に嫌よね、戦争って」
母親は何かを言いかけ、取り消した。少女はそれに 頷く。その場をしばしの静寂が支配する。しばらくして少年は天井から水が滴り落ちるのを感じた。
「うん?」
「いかがなさいましたか?」
「なんか、水が」
そう言うと、更にポトリと水が落ちた。何事だろうかと少女が上を見ると、ちょろちょろと水が流れてくるのを感じた。他の避難民も同様に見上げ、疑問を口にしている。
「雨、でしょうか」
「それは無いと思うわ。このシェルターの上は頑丈な金属の壁で守られているから、雨漏りなんかしない……と思うんだけど。何かしら、変ね……」
母親も不思議そうな顔で上を見る。すると彼女は異変に気付く。流れ落ちてくる水量がみるみる増えているのだ。
「念のため、別のシェルターに逃げましょう」
シェルターは通路によって繋がっていて、使い物にならなくなった時は別のシェルターに移る事が出来る。母親は外に出るための分厚い扉に目を向けると、その扉が乱暴に開かれる。
「クソッ、こっちもか!」
扉の外からは男の大声が発せられる。避難民達が何事かとざわめきだす。すると他の扉も続々と開き、このシェルターの水を見た魔族は落胆の表情となる。
「何だ何だ、次々と!」
元からこのシェルターにいた男が声を上げる。すると、流れ出る水がごうごうと勢いを増す。
「何だよ……何なんだよ……?」
「オレ達が最初にいたシェルターもこうだったんだ……まずい、別のとこを探さないと……!」
「別のとこってどういうことだよ!」
シェルター内に混乱が巻き起こる。そうしている内に水量が急に堰を切ったように落ちてきた。
「お母さん!」
「ど、どうすれば……上に、外に出るべきかしら」
「落ち着いてください。水は上から来ているんですよ」
「そ、そうね……。それじゃ……」
シェルター内の空気が絶望に満ちていく中、母親は冷静さを失って慌てる。やがて水が徐々にシェルターに溜まっていく。
「クソッ、こんなことになったのは全部お前達のせいだ!」
魔族の男は激昂して、人族の少女を殴る。
「うっ」
「お前達劣等種族がオレ達を陥れたんだろうが! この、この!」
「やめてよ!」
殴られている少女を庇うように、魔族の少年が立つ。
「んだとこのガキ! コイツの肌の色がわかんねぇのか?」
「でも、お姉ちゃんは関係無いよ!」
何倍も体の大きい男相手にも臆する事なく、少年は啖呵を切る。その言動と行動に少女は驚き、それを見て母親は思う。
(本当に、戦争なんかしなくちゃいけないのかしら? 人族とか魔族とか関係無く、仲良くする事なんて出来ないのかしら。……いや、出来るはず。現に二人は本当の姉弟みたいに助け合ってるんだもの。それなのに……)
人族に比べて長く生きている彼女は、今の少女の前にも様々な人族を奴隷として飼っていた。赤子を受け取り、労働力にするためにきちんと食べ物を与え、仕事はさせるが十分な休息も取らせ、時には好きな衣服も買い与えた。そうしていく内に、奴隷としてではなく対等な友人になれるのではないかと思うようになっていった。魔族達が恐慌状態に陥り、水に満たされていく中で、生を諦めた母親は叫ぶ。
「もっと、人族の事を知ってから死にたかった!」
その叫びは、誰も彼もが騒いでいるこの空間では際立つ事なく消えた。だがその声は少女の耳にしっかりと響いた。少女の眼から涙が滴る。
「おかあ……さん!」
母親は少女と少年をぎゅっと抱き締める。やがて彼女達は満ちた水の中で溺死した。
◇
時は更に遡る。ヘカティア大陸北部から巨人の軍を率いて攻め込んだミーミルに与えられた指令は、魔族が使用している農地を使い物にならなくすることである。魔族は基本的に人族と変わらない物を食べる。人族の親は「良い子にしていないと魔族に食べられちゃうぞ」と言って子供をしつけているが、実際に人間を食べる者はほとんどいない。
湿気が多いこの地域に適した、小麦や野菜の畑が広がる地域には、魔族の平民の集落がある。平民は前述したように、現在は地下シェルターに避難しているが。
「ったく、セコい真似考えるよな。アイツらしいっちゃらしいが」
ミーミルは水魔法でひたすら畑を水浸しにしていく。湿気に強い作物であろうと、彼が生み出す理不尽な量の水には耐えられない。畑は使い物にならなくなる。
「にしても、まともな敵は出てこねぇのか。あまりにも退屈だぜ。あの悪食戦闘狂の気持ちも今はすこし分かるな」
当然ながら畑は魔族にとって生命線であり、ミーミルの前には数多の魔族が立ち塞がった。しかし彼らはミーミルの巨体を活かした格闘戦と水魔法の前には塵と変わらなかった。とある魔族の少年の父親も、ミーミルの軽い蹴りによって生まれた風に飛ばされ、死亡した。
「あーあ。つまんねぇつまんねぇつまんねぇ……ん?」
無駄に水魔法による高波を起こしながらごねるミーミルは地鳴りのような音を聞く。ズシン、ズシンと鳴る音は、何かが近付いてくる音だろうと推測する。ミーミルが音の聞こえる方向に顔を向けると、そこには大きな山があった。巨人であるミーミルが見上げる程の。
「……いや、違う」
ミーミルは自分の検討を否定する。そこにあるのは山ではなく巨人だ。それもミーミルにとって特別な存在である。
「久し振りだな、オヤジ」
ミーミルの父親で、最強の巨人と言われる巨人王は森の木々を蹴り倒しながら近付いてくる。そして下を見下ろし、息子の姿を見るなり口を開く。
「随分、青、なったな」
「ああ、強くなるために必要だったんでな」
「小人、敵」
「敵じゃねぇよ。確かに中にはムカつく奴もいるが、小人の中にも良い奴はいる。ああ、オレは小人から名前も貰ったんだ。ミーミル・ギガントってな」
父親がたどたどしく、息子は流暢に話す。
「俺、名前、アルビオン、魔王」
「あー、オヤジも名前貰ったのな。それも魔王に。なぁ、オヤジ。それで良いのかよ? 今は魔王軍の手下なんだろ? 結局小人の奴隷になってんのと変わんねぇだろ」
父親――アルビオンの方針にミーミルは文句をつける。するとアルビオンの右拳が振り下ろされる。巨大な岩石のようなその拳は、超高速で移動するだけで暴風を生み出す。並の巨人でもその場に留まるのが不可能な程に。だがミーミルは並の巨人ではなかった。
「いやぁ、やべぇなコレは」
敵の迫力に引きつつ、ミーミルは前面に水の壁を作る。壁に拳がぶつかると、激しい水しぶきが飛び散った。アルビオンは右手に痛みを覚え、左手でさする。
「ぐぅ……」
「やってくれるじゃねぇかよ! そんなら、こっちだって」
ミーミルは五本の水流を生み出し、アルビオンへと飛ばす。そこには肉親を攻撃する事に対する抵抗は無い。ただ、敵として倒すだけである。しかし、樽のような腹を貫くべく放った水流は、弾かれて終わった。
「何、したい?」
「チッ、加減なんかしてる場合じゃねぇか」
まったく動じた様子の無いアルビオンを見てミーミルは舌打ちする。そして今度は特大の一本の水流を放とうとする。しかしその為に必要な魔粒子を集めるのに、それなりの時間を要する。アルビオンはチャージなどさせるものかと言わんばかりに、ミーミルへと殴りかかる。ミーミルは咄嗟に魔法の発動を中断し、後方へと跳ぶ。
「チッ」
ただ攻撃するだけでは勝てないと踏んだミーミルは、地面に向けて水を流す。大地をぬかるませ、アルビオンの足をとる算段である。勢いよく放出された水は想定通りどろどろの地面を作った。
「あっ」
アルビオンは間抜けな声と共に転倒する。百メートルを優に超える巨体の転倒が生み出す衝撃は、大陸の広範囲を震わせた。木々は倒れ、庶民の家等は軽々と崩壊する。アルビオンが地面に手を付けると、そこは金属になっていた。彼の知るよしも無いが、それは地下シェルターの天井である。彼があっさりと倒れたのも単純にぬかるみのせいではなく、濡れた金属の上に立っていた事が原因である。シェルターの天井は歪む。それも気にせずにアルビオンは立ち上がろうとする。
「充分にスキは出来た」
ゆっくりと起き上がるアルビオンに向けて、ミーミルは豪雨を降らせる。雨の一つ一つが刃となっており、それらはアルビオンの強靭な肉体に傷を刻む。それに留まらず、大地に、そしてその下のシェルターに 細かい傷を付けていく。それなりに深いところにあるはずのシェルターも、巨人にとっては浅い。
「からの」
そこでミーミルは先程撃ちかけた、特大の水魔法を放つ。小さな村ひとつを丸ごと水没させられそうな水量は、立ち上がりかけたアルビオンを再び地面に叩き付ける。衝撃が再度起こり、地震も起こった。それでもミーミルは執拗に、激流を出し続ける。アルビオンが倒れている所に窪みを作り、そこに水が溜まる。ミーミルはたった今、意図せずして小さな湖を作った。
「ハァ……ハァ……」
やがて魔力も尽き、水魔法も自動で止まる。父親を倒す為に必死になりすぎて、力の加減も出来なかった。だが、自分の全力の攻撃は確実に敵を葬ったと彼は思う。ヘカティア大陸の地図を書き換えなければならないほどの水圧を受けたアルビオンはもう生きていない。そう思った。
「やったか……?」
その言葉をミーミルが呟いた瞬間、異変が起きる。水の中で倒れていたアルビオンが立ち上がったのだ。
「やって、くれた」
アルビオンは明確に怒りを剥き出しにしている。それにミーミルはおののく。魔力を使いきり、完全に消耗している彼は魔法を使えない。だからといって、自分の数倍大きいアルビオンと格闘戦を行うなど無謀で、笑い話にもならない。
「あー、やっぱオレ、あの悪食戦闘狂みたいにはなれねぇや。アイツだったらこんな時嬉々としてるんだろうけど、オレにゃあ無理だ」
戦意を喪失したミーミルはどうしようかと迷いつつ、ふと空を見上げる。するとそこに小さな光を見付けた。その光はみるみるうちに大きくなり、やがて彼の目の前に光の柱を描いた。ミーミルはその目映さに、目を右腕で隠す。
「な、何だァ?」
その尋常なものではない光にミーミルは疑問を抱く。今も光の残滓が辺りを漂う。やがてそれが晴れて、右腕を目からどけてみると、アルビオンの姿が消えていた。
「消えた……? まさか何処かに潜んだのか?」
突然の敵の消失にも安堵せず、警戒をするミーミル。次の瞬間彼は笑い声を聞く。
「あはは、安心していいよ。脅威は消し去ったから」
聞いているだけで神経を逆撫でさせられるその声は、彼の恩人であり忠義の対象である聖騎のものだった。しかし、声はすれども姿は見えない。
「どこにいる?」
「あぁ、上だよ。ちょっと待ってて」
やがてミーミルの目の前には巨船フリングホルニが落ちてきた。そこから聖騎の声が聞こえる。
「何だよ、今のは」
「いやぁ、やっとリートディズが飛べるようになったからさ、ちょっと空からビームをドカンとね」
軽い口調で言う聖騎にミーミルは戦慄する。自分の全力の攻撃でも無事だったアルビオンを一瞬で骨も残さず消した彼は別次元の存在だと思った。
「さてさて、ミーミル。フリングホルニに乗ってよ。快適な空の旅をさせてあげるからさ」
「随分と呑気だな。一応戦争中だぞ?」
「気にしたら負けだよ」
飄々とした聖騎の態度に苛立ちつつ、言われるがままにミーミルはフリングホルニに乗船した。