悪事千里を走る
司東煉達エルフリード軍と振旗二葉の率いる軍が繰り広げる戦闘は、この大陸で最も戦力が拮抗し、被害も最も大きかった。煉側の勇者が八人、二葉側の勇者が五人と、勇者のおよそ三分の一が集結していた。一人一人がかなりの戦闘力を有する故に、殲滅可能な敵兵の数も多い。とりわけ際立った活躍を見せるのが鳥飼翼である。彼のユニークスキルは『馴らし』、自分より知能が一定以上劣る生物を支配下における彼は、ゴブリン、オーガ、オークなどの魔物を我が物として扱い、敵と戦わせている。敵を減らし仲間を増やすという単純な方法ながら、効果は覿面だった。
それと同等に成果を上げているのは武藤巌だ。ユニークスキル『高まり』は自分の肉体を強化する能力であるが、それは単に腕力や脚力を強く出来るだけの能力ではない。単純な格闘能力の向上は巌の基本戦法であるが、彼が強化出来るのは筋力に限らず、体のあらゆる機能を強化出来る。それは、脳に関しても例外ではない。脳の強化による思考能力の向上は、彼に指揮官という役割を与えた。その一方、脳を強化したまま舌や口周りの筋肉を強化することにより、魔術の超高速詠唱を可能とした。
「――」
巌は一瞬だけ口を動かす。出鱈目な速度で唱えられた呪文は岩石を生み出し、敵を葬っていく。そして近くの敵とは直接格闘戦を挑む。遠近両方に隙のない、完璧な戦士がそこにいた。だが、彼にもそろそろ疲労が見えてきている。彼の無茶苦茶な動きは敵だけでなく自身の体力もごっそりと削る。
だが、魔王側にも彼らに負けない活躍をしている者はいる。草壁平子のユニークスキル『防ぎ』は周囲に壁を作り出す能力である。彼女が作り出す壁は非常に堅固で、勇者の攻撃でも容易には砕けない。そしてその壁を何重にも建てる事で、彼女は安全地帯を常に確保している。また、地面から突如生えてくる壁は下から不意打ちで攻撃する事も可能で、猛威を振るう。
(俺達の目的はあくまで時間稼ぎ……だが問題は、人質を解放しようが関係無く魔王軍につくであろうアイツだ。……殺す気でやるか?)
魔王側の勇者では唯一、二葉だけは自らの意思で敵対している。そして敵として最も厄介なのが彼女である。二葉のユニークスキル『吸い』は触れた相手の魔力や体力を奪う能力で、闇属性魔術によって生み出した霧と組み合わせる事で、もくもくと広がる霧に触れた対象を攻撃し、力を奪いつつ、自分だけは回復できるという理不尽さを発揮している。
(緑野はどうにか話を聞こうとしているようだが、無駄だろう。正直邪魔だ)
ユニークスキル『浮かし』により二本の剣を宙に浮かせて自由に操りながら、煉は思考する。彼にとって緑野星羅という少女は頭を悩ませる存在だった。好奇心旺盛なのか、事あるごとに質問をしてくる。そして最近は自分達の素性について色々と質問をしてきている。そしてあくまで煉の推測だが、鳥飼翼と協力関係になり、彼を使って調べものをしている。御堂小雪やフレッド・カーライルと相談した結果、同じ結論が出ている。
(そろそろ振旗に仕掛けるか)
鞭を右手に、神御使杖を左手に持ち、霧に包まれた中で周囲から力を奪う二葉の様子はさながらサキュバスを思わせる。そこに剣を一本飛ばす。狙うは二葉の喉元。それは一直線に飛んでいき、二葉は鞭でそれを弾く。だがそれで煉の支配下から離れる訳ではない。執拗に二葉を狙い、二葉はその都度打ち落とす。あらゆる方向からの攻撃に対応する二葉の技量の高さに煉が舌を巻いていると、二葉は笑う。
「うふふっ……司東君、意外と激しいのね」
「黙っていろ阿婆擦れが」
「ひっどぉーい。女の子にそんな事言っちゃダメよ?」
「自分の歳を考えてから発言しろ」
煉の言葉に二葉だけではなく、敵味方の勇者女子組が一斉に振り返り、睨んできた。その中には小雪もいる。学年で言うと大学三年生に値する彼女達は全員二十歳を超えている。もっと言えば、この世界において成人とされるのは十五歳の国がほとんどである。つまり文字通り『女の子』と言うに値する者はここにはいない。いないのだが、その意見に物申したい者はたくさんいた。
「煉君……訂正してください」
「毒入りの氷をこっちに飛ばそうとするのはやめろ小雪! 大体俺は振旗に言ったのに何でお前らが反応する」
「……分かりました。確かに振旗さんは特別でしたね」
小雪がさりげなく呟いた言葉に二葉は反応する。
「まあ、流石に知ってるわね。ねぇ、『神世七代』の司東君に御堂さん。そうそう、『KMM』のカーライル君もかしら?」
二葉は勝ち誇るような顔で三人の名を呼ぶ。
「流石に知っていたか」
「それはそうよ。司東君と御堂さんが九条先生、カーライル君がアイシャム先生の手引きで天振学園に来たことは神代博士も看破していた。その上であなた達を泳がせていた。イレギュラーの介入による影響がどれほどのものなのか、観察して記録する為にね」
二葉の言葉は渦中の人物以外に首を捻らせる。九条、アイシャムというのはそれぞれ天振学園の日本史と英語を教えている九条琴乃とアイザック・アイシャムの事である。その二人の事は星羅達もよく知っている。だが、神代博士という人物に心当たりは無い。神代、という名字自体への心当たりはあるが。
「何を言っているの? 神代博士って?」
「相変わらずあなたは首を突っ込むのが好きね。さてさて司東君、この際色々とバラしちゃおうと思うんだけど、良いかしら?」
「俺が首を横に振ろうどっちにしろ話すのだろう? 何故わざわざ確認をとる?」
「話すのに集中したいから剣を止めて欲しいのよ」
「知るか。勝手に話せ」
「つれないわねぇ……。緑野さんなんかは感付いてると思うけど、私達、元天振学園中等部三年二組はね、学園の陰謀によって意図的にこの世界に行かされたの。その事を私は知っていたし、司東君も御堂さんもカーライル君も知っていたの」
煉が諦めたように言うと、小雪とフレッドも仕方ないというように頷く。それを受けた二葉の口にした言葉は、星羅や翼を除いた面々を驚かせた。
「司東、それは本当なのか?」
巌は質問する。その表情は怒りの前に困惑があった。自分達が学園によってこの世界に送られたという説は彼の頭の中にもあった。だが、学園がやろうとしている事を知った上で黙っていたのであれば、それは裏切りである。そして、そんなことをする者は仲間達の中には存在しないと巌は信じていた。それは巌だけではなく、勇者の多くも同様だった。そんな彼らの思いを知りつつ、煉は答える。
「ああ、本当だ」
その答えを聞いて、未だ戸惑う者と怒る者とに反応が分かれた。怒った巌は煉へと詰め寄る。
「貴様……何故今まで黙っていた!」
「俺はとある組織に属するエージェントだ。お前達に隠し事をしていた事は申し訳ないと思っている」
「申し訳ないで済むか!」
戦場の中にいるのも構わずに、巌は煉の胸ぐらを掴む。戦闘を忘れて呆ける者も出てくる中、飛ばした剣で敵に対応する煉は淡々としている。
「鈴木と石岡は死んだ! そこの山田達は魔王軍に協力することを強いられた! これも全部この世界に来たからであろう! 貴様達が前もって教えてくれていれば俺達はこんな所に来ないで済んだのではないか!?」
巌に親友である石岡創平の事を持ち出され、彼を自分の目の前で失った煉は動揺する。五年経っても彼の死に対する責任は消えない。だがそれを巌達は知る由もない。彼らが感情を剥き出しにする中で、二葉は楽し気に笑う。
「うふふふふっ。哀しいわよねぇ、武藤君。それなりに長い間仲間として付き合ってきた人の中に裏切者がいたなんて。まあでも、今はそれは置いておいてくれるかしら」
「調子に乗るな。貴様だって司東と同罪……いや、それ以上の罪なのであろうが」
「見た目通りガツガツしてくるわね。でもそうやって急かさないで。天振学園が私達をこの世界に送るようになった元凶。それがさっき私が名前を出した神代博士なの」
「その人って、神代君の関係者なの?」
星羅が質問した。彼女は他の者に比べれば割と冷静であるものの、だからといって怒りの感情が無い訳ではない。
「そうよ。神代怜悧――神代君のお母様よ。彼女こそが学園で行われている研究の責任者の一人。生物工学が専門の、人を人とも思わないマッドサイエンティスト。魔族や魔物を生み出して、この世界に戦乱をもたらした張本人よ。今も多分、天振学園のどこかでこの会話も聞いているんじゃないかしら?」
「そうなんだ……それじゃあ神代君も知っていたの?」
「いいえ。神代君は神代博士にとっての研究対象だもの。何も知らせずにここに送って、何を成し遂げるかを見ているはずよ。その結果が、ロヴルード帝国設立の貢献者で、この作戦の立案者。すごいわよね。この大陸に攻め込んでるこの軍は、全部神代君の命令で動いているんだから」
聖騎についての話に耳を傾けている者はそれほどいない。それよりも何故自分達がこんな状況に陥っているのか知りたい者の方が多数である。だが星羅はしっかりと話を聞き、その上で言葉を返す。
「なるほど。ところで二葉ちゃんはさ、神代君の事話す時顔がちょっと怖かったんだけど、嫌いなの?」
その言葉は星羅自身の思った以上に、二葉に突き刺さった。
「うふっ……うふふふふふふふふ…………。あぁ、そうよ。私はあの、文字通りの人でなしが大っ嫌いなのよ」
「文字通りの人でなし……?」
「あぁ……つい口を滑らせてしまったわ。そうそう、神代君は厳密には人間ではないのよ」
その言葉は星羅の頭上に疑問符を浮かべさせた。
◇
二葉の言葉は、旧ディルーマ帝国にいる聖騎も聞いていた。彼の搭乗するリートディズに搭載されたアジュニンはリアルタイムであらゆる情報を集め、必要な情報をピックアップする事が出来る。
「これは予想外だね……。彼女にはもっと早くから接触しておくべきだったか」
「行動予定の変更の有無について質問」
「うん……そうだね。僕が恐れるのは僕の正体が公の場に晒される事。あそこにいる数人に知られるくらいならまだ放置していても構わないだろうね。でも、彼女はどうやら僕を憎んでいるらしい。つまり何をしでかすか分からない。余計な事をする前に、今すぐ消すのはどうかな?」
「この状況でフルハタ・フタバを殺害した場合、彼女の話を聞いている者達から不信感を集める恐れが有ると忠告」
「既に不信感は持たれているさ。ペラペラと僕の事を勝手に話されるのは気分が良くない。一体僕が何をしたのだろうか?」
「カミシロ・マサキとフルハタ・フタバの関連性に関して検索開始……検索結果、カミシロ・マサキは最低最悪のゴミクズ野郎」
アジュニンが導き出した結論に含まれた俗な言葉に聖騎は驚く。
「えっと……どういう事?」
「失礼……あくまでデータベース上に存在する人々の価値観と照らし合わせて一言で結論を表した結果、今の言葉が適切であると自動的に判断。決して私自身の意志ではないと表明」
「うん」
「八年前、天振学園中等部一年生時のカミシロがフルハタに交際を申し込んだ事についての話については心当たりがあるかと質問」
その言葉に聖騎は合点がいく。
「ああ、ちょっと前にメルンに話した件についてだね。人を愛する事を知りたくて適当な人に告白して付き合ってみたけれど、結局理解は出来なくて、別れるように頼んだという話。いやぁ……正直その相手の事なんて覚えていなかったけれど、まさか天振学園の関係者だったなんてね。ビックリだよ」
「それを本心から発言している事が、貴方が最低最悪と評価される所以であると推測」
「仕方ないじゃないか。僕は純粋な人間ではないのだから。まあ、要するに僕はものすごく嫌われている訳だけれど、どうすれば良いのかなアジュニン。君の意見が知りたい」
「貴方がこれからどのようになりたいかによって結論は異なると進言。フルハタとの和解を望むのならば、直接生身で現地に向かい、話し合う事を推奨。自身の事を完全に秘匿されたいのならば、フルハタ周辺のリートディズによる破壊を推奨。勇者達のみへの発覚が取るに足りないと考えるならば、この場での待機を推奨」
「うん……そうだね」
アジュニンの提示した選択肢を聞いて聖騎は頭を悩ませる。
「まったく、本当に厄介だ。だが、人の口に戸は立てられないからね。となると放置はありえない。土地ごと破壊して事実を隠蔽するのは最終手段だ。あまり取りたくない。だとすれば……和解かな。僕にそんな事が出来るのかな?」
「その可不可を推測する事は困難。しかし貴方はロヴルード帝国の公爵として様々な国の貴族と交渉する程度のコミュニケーション力を有していると確認。左程難関ではないと判断」
「それは相手が僕の事を知らないが故のハッタリだよ。謎の仮面魔術師パラディンは下手に敵に回してはならないという風潮を作ってね。でも今回の相手は僕の事を知り尽くしている。だから、無理だよ。ねぇアジュニン、どうすればいいのかな?」
頭を抱える聖騎にアジュニンは機械らしい平坦な声で答える。
「一般論として、憤怒している相手と和解する為には誠意を伝える事が最適であると進言」
「誠意ねぇ。あくまでこの面倒な状況をどうにかしたいと思っているだけで、心から申し訳ないと思っている訳ではないんだけれど」
「そうなれば、自分を欺瞞してでも謝罪を行うしか無いと判断」
「だねぇ……そんなことが僕に出来ると思う?」
その場で仰向けになりながら聖騎は尋ねる。アジュニンからの答えはすぐに返ってくる。
「出来なければ、最悪の場合貴方はこの世界で生存を続行する事が困難となると予測……それは貴方の計画も頓挫する事を意味すると警告」
その答えに聖騎は小さく笑う。
「そうだね。僕は今の為にこんな所で躓く訳にはいかない。ああ、やってみせるさ。じゃあ早速向かおう。フリングホルニとの連結はそのままでね」
「パラディオン運用母艦フリングホルニ。以前貴方が当時のリノルーヴァ帝国へと向かった時に使用した船を改良した物。現在は本機と連結中で、メルン・アレイン・ロヴルード、ローリュート・ディナインが乗艦中」
「問題ないよ。事情を伝えるのは任せた」
「了解」
アジュニンが返事をすると同時に聖騎はリートディズを操作。異空間干渉システムを応用し、棒輪の間へと移動。そして即座に目的地の座標を自動で入力し、棒輪の間の外に出る。そこでは二葉がペラペラとコロニー・ワールド計画についての説明をしていた。二葉は突然現れたフリングホルニと、その上に乗るリートディズに少し驚いた表情を見せる。だがその機体の主を一瞬で看破する。
「あらぁ、ずっと我慢してたのに、堪えきれないで出てきちゃった? 神代君」
聖騎は二葉が自分に強い敵意を持っている事をありありと感じた。彼の第六感は相手の敵意に強く反応する。なるほど自分はそれほどまでに嫌われているのかと納得しつつ、聖騎は言葉を返す。
「君と仲直りをしに来たよ。振旗二葉さん」