決戦前夜(2)
旧ディルーマ帝国にいるのはロヴルード帝国の人間だけではない。ラフトティヴ帝国やエルフリード王国にもそれぞれ支配している土地を持っている。そしてエルフリード領では明日の出陣に向けて、士気を高める為の宴会が行われていた。流石に酒こそ出されていないものの、食事はかなりのバリエーションのものが用意されている。一通り騒ぎ終え、お開きの時も近いこの場にはエルフリードの人間のみならず、他国の兵も参加していた。その中にはラフトティヴに所属している国見咲哉達も参加していて、エルフリードの勇者組との話に花を咲かせていた。彼らはクラスでは不良生徒として特殊な位置にいたが、行事等の時に一丸になる程度には協調性があった。だが、この宴の主役は彼らでは無い。
その主役こそがファルコン騎士団の面々である。父と従者の仇を討つ為に出国したエルフリード王国第一王女、エリス・エラ・エルフリードと、王家に仕えるメイド、ナターシャ・スカーレット。そして極めつけは、ディルーマ帝国皇族唯一の生き残りである女騎士……改め姫騎士、セルン・ドルーア・ディルーマである。エリスはアリスと偽名を名乗り、セルンは家名を隠して騎士団としての活動を行っていた。その活動というのは、魔王軍に支配された地の解放である。その過程で次々と配下の組織を増やしていき、小国の首都程度まで勢力を大きくした。
この世界における『冒険者』とは、端的に言えば傭兵である。元々国の兵士だった者が素行不良により除名されたり、国そのものが滅ぼされたり、あるいはそもそも兵士として認められなかった者が主とされている。彼らは各地でギルドと呼ばれる集団を作り、各地の紛争や戦争に参加する事により収入を得る。だがその収入はかなり不安定である。だから悪質な冒険者ギルドは国の首都から離れた地域に本拠地を構え、「その周辺の住民の安全を守ってやっている」という体で金銭や食料を巻き上げている。同じ事を考える組織は多く存在し、自分達の支配する地域の取り合いによる抗争なども行われる。平たく言えばヤクザに近い。ファルコン騎士団の前身だったギルドもその類だったが、そのギルドの幹部の一人だった剣士ギリオンが協力者と手を取り合い、悪徳な首領や幹部、及び彼らの腰巾着を追放、討伐して新たにファルコン騎士団を結成した。そのメンバーがエリスでありナターシャであり、元奴隷の獣人少女ミークであり、そして勇者の一人である古木卓也である。なお、セルンは新ギルド結成後、魔族の配下の魔物オークに蹂躙されていた所を救われたという過程で加入した。
ファルコン騎士団の現在のリーダーであるのが古木卓也である。成り行きでリーダーになった彼は当初こそ、時間制限がある『謎の力の解放』に頼りきりだったが、六年の冒険者生活にて泥水をすするような苦難を乗り越えた彼は素の実力も精神も生半可では無いものになった。だが、六年の年月が変えたのは強さだけでは無い。
「いやー、お前ホントに変わったよな。名前言われても全然信じらんねぇし」
「そんなに変わったか? 自分じゃよく分かんないけど。それを言うならお前達だって結構変わってるだろ」
「いやいや、オレ達と比べてもめっちゃ変わってるから。変わってるっつー言葉すらもったいねぇレベルで」
鳥飼翼の驚嘆の言葉に一同はうんうんと頷く。しかし当の卓也本人は首を傾げる。中学三年生の十四歳の時にこの世界に来て、現在二十一歳という大学三年生相当の年齢になった彼のかつて太っていた体型は引き締まった筋肉質なものになり、それに伴い顔もワイルドな男らしいものに成長した。話し方も自信に満ちたものとなり、以前の彼を知っている人物ならば別人だとしか思えない。
「でも、タクヤの本質的な所は変わってないよ。優しくて、でも無鉄砲な所は」
背中の羽をパタパタと動かして飛んでくるなり言ったのは、レミエル・レシルーニアだ。サリエルの命令で卓也の動向を観察し、時にはやって欲しい事を伝える役割を与えられた。当初彼女にとって卓也とは観察対象というドライな関係だったが、近くで彼を見ているうちに惹かれていき、無茶な任務を与える様に言われた時は反論する事もあった。サリエルはそれに怒ることなく、むしろ彼女の変化を面白がった。そんなレミエルの言葉に緑野星羅が反応する。
「へぇ……ベタ褒めだね。どんだけ好きなのよっと」
「ベ、ベタ褒めなんて」
「照れちゃって、か-わいい。それにしても古木君もすごいよねー。中学生の頃はただのデブでコミュ障でぼっちなキモオタだったのに、今では最強になった上にハーレムなんか作っちゃうなんて。王女様にメイドさんにネコ耳美少女に姫騎士にイケメン剣士に妖精って、よりどりみどりじゃない。やっぱり異世界で冒険者ギルドに入ると人生変わるものなの?」
「最強じゃないしおかしいの混じってるし。っていうか異世界来る前の俺の評価酷過ぎない!?」
「しまった! つい本音が」
卓也のツッコミに星羅は両手で口を押さえる。するとそこに国見咲哉が近付いてきた。西崎夏威斗と桐岡鈴も一緒である。彼らに苦手意識を持つ星羅はさりげなく少し距離をとる。
「古木……」
「何だよ」
「本当に、済まなかった!」
中学生時代は自分の天敵だった咲哉が躊躇うように話しかけてきた事に卓也が戸惑っていると、咲哉はなんとその場で土下座をした。それに続いて夏威斗と鈴も平身低頭する。その光景に勇者達は驚愕する。
「な、何だよお前達……」
「あの世界にいた頃、俺はお前を苛めてたな。ダチを引き連れてたった一人だったお前をよ。言い訳はしねーし、許して欲しいとも思わない。だが、これだけは謝らせて欲しかった」
「お、おい……やめろって」
教室にいた頃では考えられない咲哉の態度に、卓也は困惑しかできない。だが彼にはそもそも疑問が有った。
「っていうかさ、国見って俺になんかしてたっけ? 佐藤とか鈴木とかには色々されたし、アイツらは確かに国見と仲良くしてて、リーダー的なものになってたのは覚えてる。学校の先生から一番嫌われてたのもお前だ。でも、今思うとお前が直接俺に何かしたのはあんまり無かった気がするんだけど。いや、まったくって訳じゃなかったけどさ」
「お前……気付いてたのか?」
「流石に当時は分かんなかったよ。でも、ある日中学に行ってた時の事思い出してたらおかしいなって思ってさ」
「そうか……。いや、それでも俺は止めようと思えばアイツらを止められる立場にいた。だが、それを止めたとしてアイツらは別の奴を標的にしてたかも知んなかったし、誰も標的にしなければそれはそれでアイツらのストレスを発散する場所が見つかんなくてイライラさせたかも知んねぇ。だから俺はお前を犠牲にすれば全てが丸く収まるって、そう思ってお前を――」
「良いんだよ。当時の俺も、他の人が傷付くのを見るくらいなら、自分が傷付けば良いって思ってたから」
咲哉の告白にまったく怒る事無く、むしろ卓也はにっこりと笑う。するとネコの獣人ミークが口を挟んできた。
「タクヤ、まだそんな事言って……」
「だから、それは昔の話だよ。でも、俺が誰かが傷付くの見るのを嫌だったみたいに、俺が傷付く事を悲しむ人もいた事に気付いた。真弥なんかがそうだった。だから俺は俺自身を含めて、誰もが笑える世界を作るんだ。それは魔族だって同じだ。魔王とだってきっと話せば分かり合える。もしお前が俺に申し訳ないって思ってるんだったら、その為に協力して欲しいんだ。だからさ、頭を上げてくれよ。西崎も、桐岡さんも」
卓也の言葉に三人は申し訳なさそうに、ゆっくりと頭を上げる。そして卓也は咲哉の腕を引き上げ、立たせる。中学生時代からボーイズラブを愛好していた星羅はきゅんきゅんするものを感じた。
「古木……申し訳ない」
「オレからも謝るよ。オレも咲哉と同罪なんだからな」
「私も。クラスの女子がアンタをキモがってたのは、あからさまにキモがってた私の影響ってのもあっただろうし。本当にゴメンね」
夏威斗と鈴も咲哉に続いて謝罪の言葉を述べる。実の所当時の鈴が卓也を気持ち悪いと思っていたのは本心からであるのだが、それは口にしない。
「良いんだよ。どうしようも無い事だったと思うしさ。それにさ、俺がここまで強くなったのは国見のお陰ってのもあるんだしさ」
「どういう事だ?」
「この世界に来た最初の日さ、佐藤達に言って俺を串刺しにするよう言ったんだろ? 攻撃すればするほど攻撃力は上がって、攻撃を受けるほど防御力は上がる。だから佐藤達は俺を集団で襲ってきた。あの時は本当に嫌だったんだけどさ、ファルコン騎士団に入ってからの俺は自分を徹底的に苛めて、強くなるための特訓をしたんだ。体力だけは無駄にあったしさ。そのヒントをくれたのはお前の言葉だ。本当にありがとう。……ああ、嫌味とかじゃなくて本当に感謝してるんだ」
感謝する卓也は軽く頭を下げる。咲哉はそれを申し訳ないと思う前に、戸惑った。
「何を……言っている? 俺が、お前を集団で串刺しするように言っただと?」
「そんなことは無いはずだ。咲哉とずっと一緒にいたオレもそんな言葉は聞いてない。でも、佐藤はそう言ったのか?」
「あ、ああ……そうだった。確かエリスが開いた歓迎会が始まる前だったと思うんだけど。いや、本気で言ってる……ぽいよなぁ」
咲哉の態度から、彼がしらばくれている訳ではないと判断した卓也は戸惑う。鈴は件の佐藤翔を呼びつけ、当時のことを聞いた。彼から帰ってきた答えは要約すると「確かに咲哉から言われた。だが、この話題は二度と出すなと言われた」というものだった。咲哉はそんな言葉に聞き覚えが無く、翔はその反応に戸惑った。すると、その会話にフレッド・カーライルが参加するなり言う。
「ショーは確かにサクヤにやれと言われタ。バット、サクヤはそんなこと言ってナイ。だったら、ショーが聞いたのは幻聴か何かなんじゃないカナ?」
「何だと……俺は確かにそう聞いた。亮と梗だって一緒に聞いてて、それで……」
翔はそこまで言って、魔王軍に寝返った梗と、彼に殺された亮のことを思い出して言葉が続かなくなる。一方で、鈴は何かに気付いたように呟く。
「幻聴……まさか!」
「ソウ、ボク達の中には幻術を使えた人がいたね。彼ならショーに、幻聴と幻視を使って、タクヤを攻撃させるなんて事も出来たんじゃないかな?」
「神代かー。確かにアイツならそんな事してもおかしくないな。能力的にも、性格的にも」
納得したように頷く夏威斗。だが、卓也は逆に不思議に思う。
「俺が神代に何かされる理由なんてあるのかよ……? そんな根拠の無い事で人を責めるのは良くない」
「うん。アンタって本当にいい子ね。でもね、丸くなる前のアイツを知らないからそんな事言えるのよ」
「丸くなる前? アイツ、不良だったのか?」
鈴の言葉に卓也は目を丸くする。神代聖騎への卓也の印象は、常に一人でいる少年で、無愛想な所は有りつつも不良というイメージは無かった。授業中以外は何かしらの本を読んでいて、もしかしたら友達になれるかもしれないとも思っていた。異世界に来る直前に自分の上に虫の死骸を乗せてきたり、異世界に来てから幻術を使ってきたのは少し気が立っていただけであり、基本的には無害だというのが彼の中の認識だった。
「不良……ねぇ。まあ、不良って言えるのかな? 私と咲哉と夏威斗、そして神代は小学校の時からの付き合いなんだけどさ、その時のアイツはヤバかったのよ。一回ヤバい事件を陰で起こして、でも自分はその事件の被害者を演じてたからお咎め無し。まぁ、その時の話は今はやめとくけどさ、とにかくアイツは真性のクズなのよ。人の不幸が大好きな、ね」
「でも、それは昔の事なんだろ? 丸くなったんだったらそんなことをするはずが無いじゃないか」
「頭の中、お花畑だな。『はずが無い』なんて言っちゃってさ。確かにお前を串刺しにした元凶が神代とは言い切れない。だが逆に言えば、神代じゃないとも言い切れないんだよ。お前が神代を信じるのは勝手だが、後で背中から刺されたって文句は言うなよ?」
反論する卓也に夏威斗が冷たく言う。確かに卓也への負い目はあるが、それとこれとは話が別である。気まずい空気が流れる中で、星羅が口を開いた。
「そういえばさ、神代君って『パラディン』とか名乗ってここにいるんだよね? 全然姿を見ないけど何してるのかな? ちょっと話したい事があるんだけど」
「話って、あの黒歴史の事か?」
「黒歴史とか言わないであげて! でも、そうだよ鳥飼君。あの『ロヴルード神話』は何を思って書いたのか、ちょっと聞きたいなーって」
「それ、どんな話なんだ?」
星羅に卓也が問う。彼もロヴルード神話の噂は聞いたことがあったが、詳しい中身は知らない。
「表向きは娯楽小説、その実態は国を治める為に人の意識を導く為の本なんだけど、神代君の思想が手に取るように分かるんだよね。まぁ、それはプライバシーに関する事だから言わないでおくけどさ、ちょっとカウンセラーが必要なんじゃないかって思ってさ」
「それがお前?」
「別に大それた事じゃないんだよ。ただ、ちょっと話を聞きたいかなーって。ロヴルード領に行く度に、皇帝陛下直々に今はいないって門前払い」
「それ、立場が逆じゃない!?」
「私だってそう思ったよー。でも、だからこそ気になるの。あんなにおっきなロヴルード帝国のトップにいる皇帝陛下にお使いをさせる立場の神代君。それにちょっとデジャヴを感じてね……まあ、ここで言ってもしょうがないね。それじゃ私はそろそろおやすみの時間かな。ばいばーい」
星羅は明るく手を振ってその場を去る。それに呼応するように自分達の寝床に向かう者が次々と出てきた。いつの間にか人もまばらになっていた。
「俺達も行くぞ」
「おう、じゃあな古木」
「また明日ね」
咲哉が言うと夏威斗や鈴はラフトティヴ領を目指す。彼らに向けて古木は手を振る。
「またな。そういやお前ら、ロボに乗るんだっけか」
「ああ、この日の為に翔も開発に参加した奴だ。つえーぞ」
「それは羨ましいな。頼りにしてるぜ」
「お前こそな。ドン底から這い上がったお前の力、期待してるぞ」
咲哉はそう言って小さく笑い、その場を去っていく。卓也はその背中を眺めて呆けていると、エルフリード王国軍の将軍が「そろそろお前らも寝ろ」と言ってきた。
「それじゃあ、俺達も行こうか」
振り向いた卓也が言うと、そこにいたファルコン騎士団の面々が頷く。明日の移動と戦闘に向けて、彼らは英気を養わんと、エルフリード領の中にあるファルコン騎士団の拠点として使っている、元は皇族が使用していた宮殿へと向かった。