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第六章エピローグ・三者面談

「はぁ……」


 メルンが皇帝になって以来、聖騎は多忙な生活を送っていた。メルンから公爵の爵位を授かり、領地として大陸東部のとある無人島を貰った彼は、帝都にてサリエル、アジュニン達と共に繋世ゲートについての研究を始める為の下準備をしていた。その一環として、国内の貴族の次男以下の者や娘、ひいては平民を対象とした、優秀な研究員の卵の発掘をしていた。


 そもそも聖騎がメルンの配下となり、彼女を皇帝にする為に戦ったのは権力を手に入れる為である。そして現に、メルンを皇帝にした功労者であるパラディン・・・・・には莫大な権力と財力が与えられ、それらを存分に使って研究員を雇う事を考えた。しかし、誰でも彼でも採用するわけにはいかない。そこで、サリエルが作った試験問題で一定以上の成績を記録し、その上で面接に合格した十人前後を第一期生として採用する……という事を計画していたのだが、志望者が予想以上に多く、合格者を絞り込めないという状況にある。当初は胡散臭い研究をやりたいなどと言う人はそれほどいないだろうと高をくくっていた聖騎達だが、提示した報酬は魅力的で、一獲千金を狙う農民を中心に志望者が続々と押し寄せた。農民の多くは字が読めなかったが、試験で試したのは知識量よりも地頭であるため、その辺りのフォローに骨を折る事となった。


 ともあれ二次面接についての打ち合わせをした後に、今度は孤児院の子供達への読み書き計算の授業を行った。この仕事をメルンにやって欲しいと言われた時、聖騎は子供は苦手だと言って断ったのだが、彼女の熱意に押し切られ、しぶしぶ承諾した。授業中にも構わず騒ぐ子供達は異常なまでに彼にストレスを与えた。


 そんなこんなで疲れた身体をフラつかせて自室のドアを開けた聖騎は溜め息をついた。聖騎の為に与えられたその部屋は人一人が寝泊まりするには十分以上に広い。ベッドと机と椅子と本棚くらいしか置かれていないその部屋は殺風景な印象を与える。一度この部屋を見たローリュートは後で部屋に飾る用の絵を描く事を申し出た。


「はぁ……」


 またも溜め息をつきながら、パラディンの仮面を外して投げ捨て、ベッドへと突入する。余所行き用のローブ姿であるが着替えずに眠る体勢に入る。風呂も夕食も済ませていないが、そんな気分にはならなかった。


(貴族……それも公爵がこんなに疲れるなんて……。貴族なんて優雅に紅茶でも飲んでいるうちに一日が終わるような生活を送れるんじゃないのかな。いや、この道を選んだのは僕自身だけれども)


「はぁ……」


 憂鬱な気分になりながらも、布団の中で眼を瞑る。その時、彼に声が届く。


 ――――随分とお疲れのようだな。


 それは脳内に響くような声だった。あまりにも疲れすぎて幻聴を聞くようになったのだろうか、等と適当に考えていると、声が再び聞こえた。


 ――――これは君の幻聴ではない。神代聖騎君。


 自分の思考に答える様に聞こえたその声から、聖騎はその正体を推測する。


(まさか、この世界を見ている神様とかじゃ無いよね?)


 ――――中々鋭いではないか。そうだ、私は神だ。


(厳密には『神様ぶっているだけのただの人間』だよね?)


 声を出さずとも会話が出来る事に気付いた聖騎は、敬語を使うかどうか悩みつつも、結局タメ口で尋ねた。


 ――――ああ、そうだったな。私は人間だ。


(何なのかな、その実は人間じゃないみたいな含みのある言い方。どうでも良いけど寝させてくれないかな? 神様なら僕が今どれだけ疲れているのか分かるよね?)


 この世界を見ている神のような存在との接触は以前から望んでいた。しかし、猛烈に疲れている今はそんな気分にはならなかった。


 ――――問題ない。すぐに眠気も吹き飛ぶ。


(何を言っているのかな……ん?)


 聖騎は突然違和感を覚える。彼の第六感は突然目の前に何かが現れた事を感じ取る。するとそこには突然水がベッドの上から噴水のように湧き出した。そしてそれは一人の女を形作る。暗闇に包まれたこの部屋において、それを視認することは聖騎には出来ないが。しかし重さを感じた聖騎は急いでベッドから降りようとする。だが、身体はベッドの上の存在に拘束されていて動けなかった。聖騎は上から声を聞く。


「逃げようとするなんてつれないではありませんか。私はあなたにずっと会いたかったと言いますのに」


 それは冷淡でありながら成人女性の色気漂う声だった。その声に聖騎は聞き覚えがあるように感じた。しかし、それが誰のものなのかが思い出せない。


 ――――どうやら彼は君が誰なのか分かっていないようだぞ。


「それは傷付きますね。泣いてしまいそうです」

「どなたなんですか、あなたは」


 泣く気配など微塵もない抑揚の無い声に問い掛けながら、聖騎は手甲型神御使杖エンジェルワンドにより光属性魔導を発動して室内を照らす。それは聖騎にも見覚えのある顔――彼の母親である神代怜悧のものだった。


「お久しぶりですね、聖騎さん」

「お母様……どうしてあなたが……」


 この世界にいるはずの無い人物の姿に聖騎は困惑する。すると彼女の次の言葉は困惑を増させた。


「聖騎さん、厳密に言えば私はあなたの母親ではありません。私は魔王軍配下、元四乱狂華のバーバリー・シーボルディです……と言っても理解は難しいでしょうね。少し長くなりますが、構いませんか?」

「はい」

「わかりました」


 本心としては今は眠りたいから明日にして欲しい、と思っているのだが、聖騎はあえて頷く。すると脳内にからからとした笑い声が響いた。


 ――――彼は今は眠りたいそうだぞ。言いたい事も言わせて貰えないなんて可哀想だと思わないか?


「人に可哀想だと思われることは、それこそ聖騎さんが嫌う事です。本人の了承は頂いたのですから、そこに追及するのは野暮です」


 ――――そうか、余計な事だったか。


 自分の内側と外側の声が会話をしている事に妙な感覚を覚えつつ、聖騎は疑問に首を捻る。目の前に母親と瓜二つの魔王軍の女がいるのは百歩譲って良いとして、それが自分の事をよく知っているのはどういう事かと考える。そこで彼が思い出したのは、魔王の近衛騎士サンパギータである。サンパギータはかつて聖騎の育ての親であり、怜悧の親友だった近衛茉莉と瓜二つの存在。しかしサンパギータは聖騎の事を知っている様子が無かった。そんな事を思い出しているうちに、バーバリーは話し始めた。


「まずは私が何者か、それを説明するためにはまず、魔族というものについて知ってもらう必要があります。……しかし魔族について説明する前に、そもそもこの世界について話さねばなりません。率直に聞きます。聖騎さん、あなたはこの世界とはどのようなものだと考えていますか?」


 突然の質問に聖騎は戸惑いつつ、自身の見解を述べる。


「ステータスがあって、敵を倒すと経験値が入ってレベルが上がるこの世界は、電脳世界なのではないかと思いました。そして、パソコンか何かで僕達の事を観察している人がいるのだろうと。しかし、ゲームにしてはあまりにもリアル過ぎます。二十一世紀が始まって二十年も経っていない現在、ここまで精巧なグラフィックを作れるとは考えられません。……となると、自分でも信じられませんが、夢か幻というのが一番現実的なのではないかと思います」


 疲れた脳を何とか回転させて考えを言う聖騎。それにバーバリーは真顔のまま首を横に振る。


「残念ですが、これは夢でも幻でも……そして電脳世界でもありません。紛れも無く、あなたが生まれた世界とは別に存在する異世界です。しかし、そうなるとステータスとは一体何なのかという疑問が残りますね。『元々そういう世界だった』と言って納得出来ますか?」

「納得は出来ませんね。やはりアレは、人為的に作られたものなのですか?」

「はい。しかし不思議に思いませんか? 私は先程『この世界は異世界だ』と言ったばかりです。しかしステータス等は人為的に作られたもの。これはつまり――」

「この世界そのものの法則が、何者かによって改変された」

「御名答です。……実はこの世界全体は電磁波による影響を受けやすい物質で構成されているのです。この世界の観察をしている人間が世界と世界とを繋ぐゲートのようなものを発見し、詳細は省きますが色々あって、天振学園の研究チームがコンピュータを用いて異世界を思い通りにする方法を確立したのです。この世界の全生物にステータスという概念を持たせ、それによって管理を容易にしました」

「それが『コロニー・ワールド』ですか。確かこの世界には0207という数字が割り当てられていたと思いますが、やはり同じように観察されている世界があるのですか?」

「あることはあります。しかし多くの世界は実験の過程で滅ぼしてしまいました」


 さらっとバーバリーは世界を幾つも滅ぼしたと言った。それはつまり、今自分達がいるこの世界『コロニー・ワールド0207』ももしかしたら無くなっていたのかもしれないという事を意味する。サリエル、ノア、メルン、ローリュート、ミーミル……この世界で生きていた者達が理不尽に、抗う間も無く存在を滅ぼされていたかもしれない。それどころか、今ここにいる自分自身もひょんなタイミングで世界ごと消される可能性もある。そこまで考えた所で脳内に声が響く。


 ――――安心したまえ。この世界は貴重なサンプルだ。そう易々と手放しはしない。


(あなたがそう思っても、コンピュータのマシントラブルが絶対には起こり得ないなんて言い切れないんじゃ……)


 ――――はははっ、確かにそうだな。しかし君にはどうしようも出来ない。気にするだけ無駄だ。


(確かにそうなんだろうけど……そもそもあなたは誰なんですか? 天振学園の人間――つまり教師なんでしょうけど)


 ――――その通りだ。天原考司郎と言えば分かるだろうか?


(学園の設立の為に尽力された方だと聞いてます。つまり、この研究の首謀者といったところでしょうか)


 ――――その通りだ。……まぁここで私の事を話しても良いのだが、そろそろバーバリーも待ちくたびれているだろうから後にしよう。


 そう言われて聖騎が意識を前に向けると、バーバリーの真顔があった。その表情は窺えず、本当に待ちくたびれているのかは分からなかったが、聖騎は軽く頭を下げる。


「失礼しました。続きをどうぞ」

「私にも天原先生の声は聞こえます。次に天原先生とお話する時は口でお願いします」

「分かりました」

「では……次に、何故この研究が行われているかについてです。あなたの予想をお聞かせください」

「コロニーは植民地という意味ですが、創作物では『スペースコロニー』という、宇宙に作った居住地がよく出てきますね。そこから察するに、僕の生まれた世界の人間を異世界に居住させようとしているのではないでしょうか」

「素晴らしい回答です。しかし補足させて頂けば、開発の進んでいないこの世界は資源が豊富です。特に西のシュヌティア大陸と南のバルゴルティア大陸は顕著ですね。この世界からあちらの世界へと物資を移送する手段さえ見つかれば、日本は独自に資源を調達する術を手に入れられます。また、魔術や魔法を引き起こす魔粒子も、新たなエネルギー源として期待できます」


 要するに、この世界の資源は出来る限り搾取するというバーバリーの発言。しかし聖騎は別の部分が気になった。


「この世界から物資を送る方法が無いのですか? 世界と世界とを繋ぐゲートがあるのではないんですか? そもそも僕達はそのゲートを通ってこの世界に送られたんでしょう?」

「そうですね、確かにあなた達はあなた達の教室下部に隠されたゲートによりこの世界に送られました。その時、エルフリード王国の王女様の魔術によって召喚されたという体になっていましたが、それはあなたがだいぶ前に推理した通りです。あの王国には『勇者伝説』というものが伝えられているという『設定』を与え、それに沿って適当な呪文を唱えさせて、そのタイミングに合うようにあなた達を送りました。……話が逸れましたね。たしかにあなた達は『あなた達の世界のゲート』を通って、世界を出ました。本来ならばゲートの外側には幾つもの世界があるのです。……そうですね、地球、月、太陽……それらすべてを含んだ宇宙が『あなた達の生まれた世界』であるのですが、それを一つの惑星だとします。そして惑星というのは宇宙の中にあります。この宇宙のようなものを私達は『世界群』と呼んでいます。つまりゲートの外には別の世界が有るのではなく、宇宙が広がっているようなものなのです。そして宇宙に漂う星々が世界に値します」

「つまり、普通に・・・ゲートを出た場合、ただ宇宙をプラプラと彷徨う事になるのですね。しかし天振学園の技術を使えばその限りでは無い、と」

「はい。天振学園は任意の行先を指定して、その世界に対象を飛ばす方法を生み出しました。分かりやすく説明するならば、某国民的漫画に登場するどこにでも行けるドアを一方通行にしたようなものです。もっとも、ゲートの場所は固定されているので持ち運びなんてできませんがね」


 常に無表情な母親の化身のような人物が、例えに漫画を使った事を意外に思いつつも、聖騎は言葉を返す。


「なるほど……一方通行だから、この世界から戻る事は出来ないと。僕はエルフリードの王女様から、魔王様を倒せば元の世界に帰れると聞いたのですが、デタラメだったということですか」

「それも『勇者伝説』によって王女様に言わせた嘘です。あなた達を異世界で行動させるには理由が必要でしたから。しかしヴァーグリッド様を倒す事は現状のあなた達では不可能です」

「そう簡単に倒せてしまえば、王女様が言った事が嘘ということになってしまいますからね。しかしそれを聞いてしまうと、僕が魔王様のところに行く理由が無くなってしまうのですが」

「まあ、ヴァーグリッド様に関するお話は後に回すとします。私達の大まかな目的を分かって頂けたところで、次は研究の経緯について説明します。魔族についてもここで触れますよ。さて、先ほど言った通り、天振学園はこの世界をコンピュータにより思い通りに操作する事が出来るようになりました。例えば、プログラミングして創った新種の生物を具現化させる事も」


 その言葉に聖騎は納得するように頷く。


「ドラゴンやゴブリン、オーガなど、創作のファンタジーに登場する生物が存在するのはそういう事ですか」

「はい。それらの生物は魔物と呼ばれていますね。それに、魔族も創られた存在です。この私――バーバリーも、サンパギータも、マスターウォートも、そしてヴァーグリッド様も」

「あなたが僕の母親の姿をしているのは、そういう風に創られたからという事ですね」

「その通りです。私は神代怜悧の姿を模して設計され、神代怜悧の思考パターンをコピーして創られた人工知能です。同様にサンパギータは近衛茉莉、マスターウォートは天原先生の思考パターンをコピーしています。そしてヴァーグリッド様は……うふっ、うふふふふふふっ」


 ヴァーグリッドの話題を出した瞬間、バーバリーは突然笑い始めた。今まで怜悧の顔は真顔しか知らなかった彼は、本当に目の前の女が母親をモデルにした人物なのかを疑ってしまう。すると、天原の声が脳内に届く。


 ――――君の気持ちは分かるが、彼女は正真正銘、君の母親のコピーだ。こちらにいる彼女も、ヴァーグリッドの話題となると別人のように発情する。


「発情……ですか? 発情なんかするんですか? あのお母様が」


 ――――はははははっ、随分な事を言うじゃないか。怜悧君もれっきとした人間であり、生殖機能を備えているからこそ君を産んだんだ。


「つまり……魔王ヴァーグリッドは僕の父親のコピーなんですか? お母様は僕の父親を愛していて、それで……お母様のコピーだというあの人もあんなことに」


 ――――そう言えば君は自分の父親を知らないんだったな。君の考えは惜しい。確かに怜悧君は君の父親を愛しているし、その父親は怜悧君にとって理想の男性だ。だが、君の考えとは少し違う。


「でも、それじゃあどうして……。天原さんは僕の父親を知っているんですか? というか、お母様……じゃない、バーバリーさんの豹変に持って行かれた感がありますけど、あれが人工知能って相当性能高いと思うんですけど。ラグも無く当たり前のように僕と話していましたが」


 ――――凄いだろう。アレらは君も良く知る近衛君が開発した人工知能『PALADIN』だ。ちなみに君の名前の由来でもある。魔族全員が『PALADIN』という訳では無く、さっきバーバリーが名前を出したバーバリー、マスターウォート、サンパギータ、ヴァーグリッドのみが該当する。確かに高性能ではあるが、絶対的な欠点として、実際に使うのにはかなりの手間がかかる。思考パターンをコピーすると簡単に言うが、その為には気の遠くなるような量の質問にイエスかノーで答え続けなければならない。その中には微妙にニュアンスが違うだけの質問も含まれるのだが、これが本当にうんざりする。億を超える質問への回答から対象者の思考パターンを読み取り、再現するという仕組みだ。性能は良いが、実用性に乏しい欠陥品だと近衛君は言っていたな。


 自分の名前の由来をこんなところで知った事を意外に思いつつも、天原の話す『PALADIN』を素直に凄いと思う。茉莉がどんな仕事をしているのか、彼は知らなかった。


 ――――バーバリーは怜悧君、マスターウォートは私、サンパギータは近衛君がベースだ。まぁ厳密にはマスターウォートは魔王に忠誠を誓わせるために性格を調整して少し変えているのだがそれは良いとして、ヴァーグリッドだ。これは、怜悧君の理想の男性像の思考パターンを怜悧君自身が作り出したもの。そしてバーバリーにのみ特別に、怜悧君の記憶を移植し、随時更新している。つまりバーバリー・シーボルディは神代怜悧と同じ存在だと言っても過言ではない。


「要するに、お母様は自分で作ったキャラクターにあんなに興奮しているという事ですか……でもさっき、僕の父親はお母様の理想の男だって……いったいどういう……?」


 聖騎の目の前のバーバリーは今もにやけが止まらず、体をくねくねと動かしていた。ベッドの淵の部分に体の一部を擦り付けている様に見えたが、それは見なかったことにした。


 ――――簡単な事だ。怜悧君は自分の理想の男性像であるヴァーグリッドのデータを基に人工精子を作り出した。それを彼女の体内に入れて妊娠させ、そして産まれたのが君だ。


 天原の告白。その意味を聖騎は瞬時に理解できなかった。彼の言葉を信じるならば、自分の父親は人間では無いという事となる。


「そんな……それじゃあつまり、僕の父親は魔王……?」


 ――――そう。つまり君は人族と魔族のハーフ、半魔族だ。君はこれまでの人生の中で、自分に人間として欠けている物があると、人間としておかしい所があると思ったことが有るか? 


 人間としておかしい所……それに聖騎は心当たりがあった。幼少期から、幸せそうな人間を見るのが嫌いで、不幸そうな人間を見るのが大好きだった。一部を除いて他人は自分よりも格下の存在だと無意識に思っていた。自分を不愉快にさせる羽虫を殺す事と、自分を不愉快にさせる人間を殺す事の違いが分からなかった。自分が多数派の人間と相容れない存在だと思ったからこそ、他人に興味を持つことをやめ、出来る限り関わらないように努めた。この世界に来てからは他人との関わらなければならなくなったので、その限りではないが。そんな内心を読んだ天原は言う。


 ――――魔族はこの世界の敵として設定された。故に、この世界でも最上位に位置していた種族である人族に、無意識に敵意を持つようにした。人族が増えると不快感を覚え、人族か死ぬと快感を覚える。さて、母親の化身の前で聞く事では無いかもしれんが、聖騎君。君は性的な事についてどう思う? 自分の事を性欲が強いと思うかね?


 その質問を聖騎は不快に思う。そしてそれが天原にとっては答えになった。


 ――――そう。君はそういったものに対して、並々ならぬ嫌悪感を持っている。無論性欲というものを嫌う人間は決して少なくないが、君はそれとは比較にならないほどに嫌悪している。そこのバーバリーの様子についてもな。性欲とは人間を増やす為の欲求。出産とは幸せの象徴。君はそれを本能的に忌み嫌っている。君達はもうすぐ高校一年生の終了を迎える年齢だ。君の級友の中には三日に一回は自分を慰める者もいるし、実際に相手と――そう嫌そうな顔をするな。……とにかく、君は人間として破綻しているのだ。


 天原の話題に心底嫌悪しながら、しかし疑問を抱く。


「僕が人間の生殖活動に嫌悪感を持っているという話は分かりました。ですが、そこのバーバリーさんは魔族なんですよね? 僕が魔族の仲間なのなら、魔族の性欲にはさほど嫌悪しないのではありませんか?」


 ――――その疑問も当然だ。だがその辺りは君が元来持つものというより、環境によるものだ。本来魔族は自分達を至高の存在だと思っていて、自分達以外のものを見下している。しかし君の周りには同族がいなかった。だからこそ、自分以外の存在は全て同等の存在で、自分よりも格下だと思うようになった。羽虫も人族も魔族も巨人も妖精も獣人も、君にとっては等しく下だ。


 天原が告げる言葉には思い当たる事が多い。だが、聖騎としても反論したい部分もあった。


「いくらなんでも、僕はそこまで器が小さい覚えはありません。僕を育ててくれた茉莉さんには感謝していますし、自分には出来ない様な事を出来る人の事は尊敬しています」


 ――――ああ、分かっているとも。君はそのままの自分を受け入れてくれる人間がいないと思っているからこそ、人に有用だと思われれば受け入れてもらえると思い、元の世界では勉強に励んでいて、この世界でも色々と忙しくしている。そんな君だからこそ、相手にも有用性を求める。確かに君が、傷だらけになりながら執念で兄を討ったメルンや、優秀な技術者であるローリュートを尊敬しているのも分かる。だが、逆に言えば、役に立たない者に対しては冷淡だし、その考えを自分ではおかしいとは思わないだろう?


「いや、実際におかしくなんてないじゃないですか? 役に立たない人間に何の価値があるのです?」


 ――――まったく、嘆かわしい事だ。君は愛を知らない。もっとも君は誰からも愛を受けず、あるいは向けられた愛に気付かずに生きてきた。もしも君に、頭が悪く体が弱く、多額の借金を抱えているが、性格はよく無償の愛を与えてくれる相手がいたとして、その者と結婚する事は出来ないだろう?


「当然です。愛を向けられることによる心地よさはもしかしたらあるかもしれませんが、役に立たない所か足を引っ張る相手なんてメリットが有りません。もしも僕にすり寄ってきたら全力で拒否しますし、それでもしつこければ顔面だって殴ります」


 ――――君がそれを心の底から思っているのが問題だ。しかしだ、怜悧君は違う。ヴァーグリッドには魔王という役割を持たせるために富も力も何もかもを与えているが、もし彼が全てを無くしたとしても、怜悧君はヴァーグリッドを愛するだろう。それこそが人間の本来のあり方だ。


「分かりました。僕には絶対に愛なんて理解できません。今一受け入れられませんが、僕は半魔族なんでしょう。僕のステータスカードには人族だと書いて……」


 言いながら、自分のステータスカードを見た聖騎は、種族の欄に『半魔族』と書いている事に気付く。天原は笑う。


 ――――言っただろう、私達はこの世界を支配している。カードの内容を捏造するなどお手の物だ。今カードに書かれている内容こそが真実だ。


「まぁ、良いです。とりあえず受け入れます。僕は半魔族です。……で、そもそもの問題として、何故魔族なんていうものを創ったんですか? 世界の敵だなんて言っていましたが」


 聖騎がその質問をした時、いつの間にかまともな状態になっていた怜悧が言う。


「驚かないで聞いて下さい。魔王ヴァーグリッド・シン・ダーイン・アーシラトス様はあなたのお父様なのです」

「それは天原さんに聞きました。僕が聞いているのは、何故魔族というものを創ったのかという事です」

「ああ、それは失礼しました。しかし天原先生、こういうことは私が言うべきではありませんか?」


 ――――君を待っていては話が進まないだろう。


「確かにそうですね。さて、ここであなたの本名もお教えしましょうか」

「本名……ですか?」

「はい。神代聖騎という名前は日本で円滑に生活を送る為の仮の名前です。あなたの真の名は、聖騎・アーシラトス・神代。私の姓の他にお父様の姓を付け加えた、素晴らしき名前です。ちなみにあなたの母親の名も怜悧・アーシラトス・神代です」

「自分でそれを名乗るんですか」

「神代怜悧だってTPOを考えて名乗っていますよ。それにあなたも常に本名を名乗る必要はありません。アーシラトスの名はこの世界の人間にとって禁忌に等しいですからね」

「いや、そうではなく自分でそんな名前を考えて……いや、なんでもないです」


 微妙にズレた回答をするバーバリーを会話が苦手なのだろうか、等と聖騎が考えていると彼女は言葉を紡ぐ。


「あなたは周囲の人々との価値観の違いに悩んでいましたね。しかし価値観が違うのは当然の事だったのです。あなたと彼らとでは、生物学的に違う存在だったのですから」

「僕は悩んでなんて……」

「私の前では強がらなくて結構です。さて、聖騎さん。魔族とは長命の種族で、千年以上の寿命を持ちます。あなたの場合半分は人間ではありますが、それでも寿命は長いと予測されます。故に、身体の成長も標準的な人間より遅れています。小学生までは『少し成長が遅れている』で済む程度でしたが、同年代の方達が成長期を迎えてからは、その差がハッキリと出ます。そして彼らが青年となっても、あなたは今の少年か少女か分からない容姿のまま変わらずにいるでしょう」

「つまり、僕がただの人間では無い事はいずれ周囲に発覚するという事ですね。それも、近い未来に」

「はい。もしもあなたが元の世界に帰れたとして、まっとうに生きる事は極めて困難です。それを踏まえて聞きます。あなたはこれからどうしますか?」

「どうするって……」

「あなたの考えは前々から分かっていました。あなたは元の世界に帰った際に『異世界に行っていた特別な存在』と評価される事を危惧していました。実際にはマスコミの方はこちらで黙らせているのですが、あなたはマスコミを恐れていました。それに、人一倍勉強を頑張っていたあなたは、異世界に行ったことにより同年代の方々に遅れを取る事も危惧していましたね。人間としての自分が受け入れられる事を諦めているあなたは、自分の有能さをアピールするしかありません。となると、就職活動の際に普通に大学を卒業した方よりも年上になることは絶対に避けねばなりません。……だからこそ、あなたはあの世界の人間を全てこちらの世界に召喚し、ある程度経った後に自分達を含めた全員で帰還し、リセットされた世界の中で普通の存在として生きる事を目論んでいましたね。しかしそれは無理だということがたった今判明したのです。そもそもにしてあの世界よりも脆弱なこの世界の空気を吸い、水を飲み、食べ物を口にして、この世界の物質をある程度取り込んだあなたたちの身体は、あの世界の重力に耐えられない可能性があります。実証した訳ではないので絶対にとは言い切れませんが、恐らくはそうでしょう。……ですがそれは置いておくとします。あなたは、これからどうしますか?」


 自分の目的を全て知られていた事に聖騎は戸惑いつつも、現に今天原に内心が全て筒抜けである事を考えれば当然だとも思う。だが、その質問への答えは思い浮かばない。それなりの時を掛けて考えてきた事が無駄になったどころか、これまでの自分のアイデンティティが否定されたこの状況で、これからどうするかと言われても――


「分かりません」

「そうでしょうね。突然の事だらけで戸惑う気持ちも分かります。まあ良いでしょう」


 戸惑う聖騎を無視して、バーバリーは言葉を紡ぐ。


「私達が手を付ける前のこの世界の文化水準は、日本で言うと縄文時代レベルに相当していました。空気中には私達が魔粒子と名付けた、魔術などにより私達の知る法則とは別の法則を生み出す現象を引き起こす可能性を秘めている物質が有るにも拘らず気付かずに、ある程度の争いや病気はあるにしても、比較的のんびりと日々を過ごしていたのです。そこで、彼らには敵を与える事にしました。それが魔族です。『常に霧が立ち込めていて日の光が届かない北の大陸に昔から住んでいた。千年前にヴァーグリッド様が魔王となり、人族の殲滅を宣言した』という設定をプログラミングして導入しました。すると、その設定に合わせて変化が起こりました。つまり、この世界の過去を改変したという事です。それによって人族も魔術で戦う方法を確立する事を期待していたのですが、私達ですら調査しきれていない謎の物質は、種の存続の危機に立たされていたという状況でも扱えず、結局武器で物理的に戦いました。そして敗北し、人族は一人残らず魔族の奴隷になりました。それでは失敗なので、新たな設定を与えました。『この世界には過去の文明が有った。彼らは『魔術』と呼ばれる超常の力を使って敵と戦っていた』と。また、魔術を使う為に必要なものもこちらで用意しました。神御使杖エンジェルワンド神力受球プロヴィデンスフィア、そして呪文です。『古代語』という言語は英語を適当にもじって設定しました。例えば『光』は英語のライトをもじって『リート』、『槍』はランスをもじって『ラヌース』のようにですね。割と適当です。魔術は神から力を借りて発動するものという設定が与えられています。人が持つ魔力とは、いわばお金のようなもの。それそのものには何の効力もありませんが、お金があればある程、神からは魔粒子という商品を買い、自由に行使出来ます。最近あなたは『魔導』という、空気中の魔粒子をそのまま使う技を身に付けたようですが、それは誤解を恐れずに言えば、お金を使わずに商品を手に入れる万引きのようなものです。もっとも、現時点で魔粒子の万引きは違法とはされてはいないので、それを咎める気はありませんが……話がまたも逸れましたが、後にラフトティヴ帝国の初代皇帝となる、ヴェルダルテ・ラフトティヴは魔術の使い方を示した説明書『グリモワール』を発掘して読み、同梱していた神御使杖を片手に戦場を駆け、世界最初の魔術師となったのです。それを皮切りに、やがて魔術は世界中に広まりました。辺境の国等には普及していない所もありますがね。現在グリモワールはラフトティヴ大宮殿内に保管されていて、皇家の血を継ぐ者にのみ読む事が許されるそうです」


 相変わらずの淡々とした口調で語られる言葉を聖騎は聞く。その長々とした言葉は、自分の目的を失った彼にとってもはやBGMであり、内容は頭に入っていなかった。その様子に気付いた天原が言う。


 ――――好きな事について語り始めると止まらなくなるのは君の悪い癖だぞ。厳密に言えば君のオリジナルの、だが。それも相手は、あれだけの事を聞いたばかりの聖騎君だぞ?


「確かに、思慮が足りませんでしたね」


 ――――せめて説明する順序を考えて話すべきだったな。彼の正体に関する話はもっと勿体ぶるべきだったのだが、君は話があちらこちらに脱線する上に、話したい事を後先考えずにしてしまうからな。君のオリジナルの大学時代のプレゼンなんか酷いものだったぞ。


「私にも神代怜悧としての記憶はありますので、当時の天原先生の苦い表情も覚えています。ですが、今はその話は良いでしょう」


 ――――そうだな。さて、聖騎君。心身ボロボロ共になのは察するが、聞きたい事、言いたい事はあるかね?


 そう言われ、聖騎は質問する。


「アジュニンは、あなた達の差し金ですか?」

「いえ、アレの正体は私達も調査中です。この世界ともあなたの生まれた世界とも違う世界から送られてきたロボットです」

「そうですか。正直信用できませんが参考にしておきます」


 謎の多い天使型ロボットについての質問への回答に、聖騎はふてぶてしく頷く。


「それで、私達に聞きたい事は以上ですか」


 バーバリーは相変わらずの真顔のまま問う。聖騎は冷めた目を向けながらゆっくりと口を開く。


「お母様の目的は何ですか?」

「先程言ったでしょう。異世界を居住地とする為の開発や、資源の確保の為の――」

「あなた……失礼、お母様はそんなことをする様な方では無いでしょう。あなたの基となったのは利己的で自分勝手な人間のはずです」

「その根拠は?」

「もしも他人を思いやる心がある人間なら、ただの中学生だった僕のクラスメイト達をいつ死ぬか分からない異世界に送ったり、その世界に勝手に脅威を作ったり、研究の過程で無関係の世界をいくつも滅ぼしたりなんかしないでしょう。……ですがそれ以上に、僕の母親だからというのが何よりの根拠です」


 侮蔑を込めた表情で言った聖騎に、バーバリーの表情がほころぶ。


「うふふっ、実の母親に対してあんまりな事を言うではありませんか。しかし確かに、説得力はあります。良いでしょう、特別にお教えします。……神代怜悧は不老不死の存在となる事を望んでいます」

「不老不死……ですか。でもそれは、最終的な目標ではないでしょう? 不老不死になって、何かやりたいことが有るのではありませんか?」

「鋭いですね。確かに神代怜悧にとって不老不死とは通過点に過ぎません。神代怜悧は生物学者として、やりたい研究が沢山あるのですよ。それを全て行う為には、たった七十や八十の寿命じゃ足りません。研究の結果、寿命が千年を超える魔族の因子を創って体内に注入し、ある程度寿命を延ばしたりといった事をしていますが、それでもまだまだ足りません」


 ――――ちなみに、怜悧君や茉莉君が歳の割に若いのは、魔族の因子による影響だ。


「天原先生は黙っていてください。不老不死の実現は、私の精神さえ生き続けられれば成功であると私は定義しています。私の記憶をデータ化し、その都度この世界に保存して、今度はこちらの世界の若い肉体に記憶を移し替えられれば、と思うのですが、最後のステップがなかなかうまくいかないと言うのが現状です。そこで――」


 ――――また悪い癖が出ているぞ。聖騎君はそこまで聞いていない。


「これは失礼しました。聖騎さん、他に聞きたい事はありますか?」

「もう聞きたい事はありません……ですが、言いたい事はあります」

「ほう? 何でしょう」


 怜悧は僅かな興味の色を目に浮かばせる。聖騎はその双眸を射抜くほどの視線を注ぎ、そして言う。


「あなたの話をずっと聞いていて思いました。僕はお母様が嫌いです。自分の欲望の為に世界をどうこうしようと、どうでもいいんです。ですが、その為に僕という生き物を生んでしまった事が、僕は許せません。僕はこの世に生まれたくなかった。僕は生まれてこの方、嫌な事しかなかった。そしてこれからもずっと嫌な思いをさせられることを強いられる。生物はみんな、自分とは違う一面を持つ者を恐れて、自分と同じ価値観の者達で徒党を組んで、多数派の価値観こそが正義とされる。多数派に迎合できなければ迫害され、辛酸を舐める事を強いられる。それはあの世界でもこの世界でも変わらない。そして人間でも魔族でもない、世界で唯一の存在である僕は決して誰ともこの思いを分かりあえない。だから、生まれたくなかった。こんな思いを抱く原因になったのは、あなたが僕を生んだせいなんですよ。……せめて、死ぬことを何とも思わないように僕を創ってくれれば良かったんだ。でも、僕は死にたくない。首を絞めれば苦しいし、手首を切ろうとすれば左手が震えるし、海に沈もうとしても体は空気を求める……。僕は死にたいのに死にたくない。僕は生まれたくなかった! だから、僕を生んだお母様を、絶対に許さない」

「それで、あなたは私をどうしたいのでしょう?」


 聖騎の口からは感情が次々と漏れる。それは支離滅裂で、同じ言葉を何度か繰り返している事からも文の滅茶苦茶さが窺える。


「だからせめて、あなたを絶望させたい。知っていますか? 人間って絶望した時に一番美しい表情をするんですよ」

「だから私を殺すと?」

「殺しはしませんよ。死んだ人は二度と絶望する事が出来ませんからね。そして、人が一番絶望するのは、大事な人を失った時です。……あなたは魔王ヴァーグリッドを何よりも愛しているのでしたね?」


 どこか怪訝な表情をしていたバーバリーは、その一言で明確に表情を変える。そして聖騎は彼女と話してから初めての笑顔を浮かべる。


「まさか……」

「僕はヴァーグリッドを殺します。そして、その瞬間のあなたの表情を脳に焼き付けたい……ぐっ」


 言葉を続けようとした聖騎は、急激に訪れた息苦しさに呻く。肺が何かに満たされるような感覚。しかしそれは次の瞬間には、何事もなかったかのように消えていた。動揺する聖騎の目の前のバーバリーは、はっきりと怒りを見せていた。常に表情が乏しく、珍しく感情を表に出したと思えば気持ち悪く発情していた彼女を見ていた聖騎は、そのギャップに体を震わせる。


「身の程を知りなさい。あなたのような矮小な存在にヴァーグリッド様は殺させません。何故ならばこの私が、全力を持ってお守りするからです。私の能力は水の操作。しかし、ただ身体から水を出すだけではありません。私は自分の身体を水と同化させる事ができます。それは海や雨に留まらず、空気中の水分とですら可能です。私がこのようにあなたの目の前に現れたのも、その能力によるものです」


 そこまで言ったバーバリーは、身体を液体状に変化させる。そして右手の指を伸ばして、聖騎の口へと入れる。


「むぐっ……」

「水は便利ですね。あなたの口を通してあなたの中に入ることが出来る。実際には鼻や耳、尿道や肛門からも可能ですがね。そして、あなたの中の私を膨張させる事によって、内側から物理的にあなたを壊す事も出来ます。良いですか? ヴァーグリッド様を倒すというのは、その前に私を殺さなければならないという事です。あなたは私を殺さずに倒して絶望させるなどとのたまいましたが、そもそも殺す事が出来ますか?」

「……ふぅ、ハァ、ハァ……」


 バーバリーは聖騎から自分を出す。息苦しさから解放された聖騎は何も出来ずに、ただ荒い呼吸をする。


「それと、水を操るという事は、入れるだけではなく出す事も可能だという事です。あなたの水分を全て排除して私の糧とする事だってお茶の子さいさいです」

「……」

「まあ、良いでしょう。最後にヴァーグリッド様からの伝言です。あのお方はあなたの来訪を楽しみにしていると仰せになりました。……次に私達が顔を合わせるのは、おそらくヘカティア大陸でになるでしょう。その時を楽しみにしています」


 バーバリーは言いながら、聖騎を見る。俯いている彼は、自分の圧倒的強さの前に心を折られたのだろうかと彼女は考える。彼の肩が震えている事からも尚更、恐怖を感じていているのだろうと考える。再会の時はもう来ないかもしれないと思いつつ彼を見ていると、小さな声が漏れているのが分かった。


「クッ……」


 バーバリーはすすり泣いているのだろうと思った。しかしその声を聴いている内に違和感を覚える。


「クッ、ククッ……ククククッ…………あはっ」


 そして顔を上げた聖騎が満面の笑みになっていた事にバーバリーは驚く。


「あなた……何を笑って――」

「あはははははっ、あははははははははははははは! こ、これは笑わずにいられません……よ。あはははははっ……あなたさっきから散々偉そうな事を言っていますけど、結局は愛しのヴァーグリッド様の犬なんだなって思うと……あははははははははっ。ふぅ、ふぅぅ……」


 聖騎は大笑いしたと思うと、腹部を押さえてうずくまる。バーバリーは指先から水を滴らせる。


「私の愛を愚弄するつもりですか……?」

「愛、愛って言ったよこの人! あはははは……やっぱり愛なんてくだらない! 他人の意思を尊重する為に自分の気持ちを抑えなくちゃいけないなんて、僕には理解出来ない概念だ! 本当だったら今すぐにでも僕を殺したいんでしょ? でもあなたには……君には・・・出来ない。愛しの愛しのヴァーグリッド様はどうやら、僕と会う事を望んでいるんだから! 所詮犬の君には僕を殺す事なんて出来ない! 飼い主に手綱を握られている君に出来るのは、せいぜい吠えて、虚勢を張る程度だ! あははははははは! みっじめだねぇぇぇぇぇぇ!」


 愛という言葉を全否定しながら悶絶する聖騎に、バーバリーは水で作った槍を飛ばす。それはいとも容易く彼の身体を貫くが、致命傷には至らない。


(これは痛いね……でも、どうせこの人は僕を殺せない。この人の魔王様への愛は半端なものじゃない。だからこそ、怒りに我を忘れた程度・・の事では僕を殺さない。まあ、絶対にとは言えないけれど、僕が死んだら死んだで、魔王様の言うことに反したという事で絶望するんだろうなぁ)


 ――――随分と神経が図太いようだ。バーバリーにも怜悧君にも、あそこまで言える人は見たことが無いぞ。そもそも、自分の母親のような存在に対して『君』呼ばわりなど前代未聞だ。


(僕は僕が思っていた以上に負けず嫌いだったようです。そう言えば、本物のお母様はどうしているんです? あなたの隣にでもいるのですか?)


 ――――いや、怜悧君は今は就寝中でここにはいない。起きて今の会話のログを見た怜悧君がどうなるか考えると胃が痛いのだが。どうしてくれるんだね。


(どうしてくれるって、それはこっちの台詞ですよ。こんな存在として僕を創って、こんな世界で生きる事を強いるなんて)


 ――――はははっ、言えてるな。


 天原はからからと笑う。怜悧以上に何を考えているか分からない彼を不快に思いつつ、聖騎は自分の目の前で鬼のような形相になっているバーバリーを見る。常に無表情な彼女がこうして感情をむき出しにしている光景は彼の笑いを誘う。


(それで、この人は何時になったら帰るんでしょうか。早く帰って貰わないと僕の腹筋が破裂しそうです。笑い死になんていう格好悪い死に方、僕は嫌ですよ)


 ――――案ずるな。すぐに帰してやる。


 天原の言葉と同時にバーバリーの姿は跡形もなく消えた。そして同時に聖騎の腹の傷も癒える。


(ああ、そういえばあなたは神だったんですね)


 ――――ああ、パソコンをチョイチョイと弄れば、人を好きな所に動かすのも、致命傷を一瞬で回復させるのも余裕だ。まあ、今のは特別だぞ? 神はそうそう人間に干渉してはならない。


(何というか、僕達のやっている事なんて神様の前では茶番ですよね)


 ――――だが、その茶番がこちらからしてみれば楽しいのだ。


(気に入りませんね)


 ――――私は君の事を気に入っているのだがな。まぁいい、それでは私もお暇するとしよう。


(とはいえ、僕の監視は続くんですよね)


 ――――それは気にしても仕方の無い事だ。これまで通り、普通に過ごせば良いさ。


 その言葉を最後に、天原の声は途切れた。


「はぁ……」


 疲れていた所に起きた衝撃的な出来事の連続に、聖騎は疲労感がドッと出た感覚を覚える。


「僕が何物だろうと関係無い。僕はただ、敵を倒すだけだ。それが僕の存在価値――この国でこんな地位についている理由なんだから。その為なら、たとえ神だって――」


 その言葉を最後まで言う前に、彼は眠りに落ちた。

現時点での勇者達の動向

ロヴルード帝国

神代聖騎 面貫善 百瀬練磨 久崎美央

ラフトティヴ帝国

国見咲哉 西崎夏威斗 桐岡鈴 佐藤翔 鈴木亮(死去) 吉原優奈 数原藍 有森沙里

ヘカティア大陸(北の大陸)

舞島水姫 永井真弥 黒桐剣人 山田龍 柳井蛇 土屋彩香 草壁平子 宍戸由利亜 振旗二葉 高橋梗 藤川秀馬 数原椿

エルフリード王国王都

司東煉 石岡創平(死去) 波木静香 御堂小雪 フレッド・カーライル 武藤巌 緑野星羅 渡瀬早織 御堂小雪 鳥飼翼 浅木初音 伊藤美奈

エルフリード王国北部

古木卓也

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