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魔王の使命

 ヘカティア大陸、ヴァーグリッド城のとある一室には獣の様な咆哮が響き渡る。


「あああああああああああ!」


 声の主は舞島水姫。魔王軍の中でも四乱狂華という高い地位にいる彼女は、自分に割り当てられた部屋の中で一人、手入れのされていない長い黒髪を掻き毟っていた。


「あああああ……なんで、私だけ……あの人を助けてあげられるのは私だけなのにいいいいぃぃぃぃぃぃぁぁぁああああああああああああああ!」


 感情の赴くままに叫ぶ水姫。彼女はスキル『空間魔法』により、棒輪の間に閉じ込めていたはずの神代聖騎の顔を拝もうとしていた。水も食料も存在しえないこの空間での生存は困難であろうとは思っていたが、生きていたとしても、ほぼ死にかけているだろうという予想が有った。しかし彼女は聖騎の姿を見付けられない。それが意味するのは、何者かによりこの空間から脱出したことに他ならない。毎日のように棒輪の間に潜り、捜索していたのだが、やはりそれしか無いのだろうと悟った。


「あの人は……特別な人ぉぉぉぉぉぉぉ! 孤高で、至高で、最高な人……! そんなあの人を助けられるのは、あの人と同じく特別な存在である……私だけなのにぃぃぃぃぃぃいぃいぃぃぃ!」


 ヒステリックに叫ぶ彼女の部屋がノックされる。しかしそれは彼女の耳には届かない。


「あの時、あの時だって……私が助けてあげた! 私じゃないと出来なかった! あの人は誰にも理解されない可哀想な人! だから私が……私じゃないと……ひゃっ」


 ブツブツとうわ言のように呟いていた水姫は不意に両肩に手を乗せられて声を上げた。


「うふふっ、かわいい声出しちゃって」

「お姉様……」


 水姫に『お姉様』と呼ばれた、部屋に入ってきた人物は振旗二葉だ。二葉はにっこりと水姫に微笑みながら、手を彼女の小さな胸に伸ばす。


「どうしたの? すごく怒ってたみたいだけど」

「……なんでも、ないです」

「そう? 『あの人』っていうのが誰なのか、気になるんだけどなぁ」


 話しかけられた水姫は顔を俯かせる。そこに二葉が頬ずりしてくる。


「……」

「なぁーんてね。本当は知ってるよ。神代君でしょ?」

「……!?」


 正解を当てられて水姫は息を呑む。


「ど、どうして……ひゃう!」

「んっ……実は私、あの世界にいた頃から知っていたの。水姫ちゃんが神代君に特別な感情を抱いてた事をね」


 水姫は耳たぶを甘噛みされて変な声を出す。二葉は色気の漂う声でねっとりと囁く。


「あぁっ……」

「でもね、あなたが神代君をそんな風に思う理由は分からないの。ねぇ、折角だから教えてちょうだい」


 そう言われて水姫は顔を紅潮させ、しかし何も答えない。その時、背筋に冷たいものが走る。


「はぁぁ……」

「うふふっ、教えてくれないと、こうよ」

「あぁぁぁぁっ」


 頑なに答えようとしない水姫の首筋に舌を這わせる二葉。水姫は声を上げ、身体を震わせる。


「わ、分かりました。話します、話しますから……!」


 根負けして叫んだ水姫はぽつぽつと話し始めた。



 ◇



 三年前、水姫達が中学一年生になってそれなりに経った頃、クラスメイトの聖騎は周囲の生徒からのからかいの的になっていた。その原因は水姫には分からなかったが、小学生の頃常にいじめを受けていた水姫は彼に親近感を持った。その頃から、彼に無意識に視線を向ける機会が増えた。


「きめぇんだよ、女みてぇな顔しやがって」

「DQNネームの癖に生意気なんだよ」


 水姫がよく耳にしたのは、中性的な顔や珍しい名前についての言及だった。水姫的には中性的な顔にはどこか神秘的な雰囲気を感じたし、漢字に辞書に無い読み方を当てている訳でもない名前に問題があるとも思えなかった。むしろ「神代聖騎」という名前には憧れてすらいた。そして色々と言われて言い返せない・・・・・・彼への同情を強めていった。


「チッ、邪魔だ、どいてろ」


 聖騎は勉強が出来て、授業中に当てられれば模範解答を答える一方で、体育の授業では鈍臭い一面を見せた。また、休み時間には読書をしている光景をよく見かけた。それは彼女にも同じことが言え、自分との共通事項が多い彼に、自分を同一視していく事となった。彼への想いはやがて「この人の味方になってあげられるのは自分しかいない」という感情に変わっていった。そしてゴールデンウィークが明けた頃、彼女は行動を起こす事となる。


(私が守ってあげなくちゃいけない。だから、私があの人の代わりになる)


 彼女は聖騎の代わりに自分がいじめの対象になり、聖騎を助ける事を考えた。口下手で不器用な彼女なりに考えた結果だが、それが絶対に正しいと彼女は確信していた。


(私はあの人を助けてあげられる。それに、あの人は助けた私を見てくれる。私とあの人は『私達』になれる……!)


 聖騎との共依存を信じて疑わずに、授業中突然奇声を発してみたり、わざと本人に見付かるように聖騎に絡んでいた連中の机に落書きしたり等、クラス内で悪目立ちした結果、いじめのターゲットは彼女へと移っていった。聖騎へのいじめには加担していなかった女子達が加わり、より陰湿ないじめを受けるようになった。だが、聖騎が彼女を見ることはなかった。それでもいつかは自分を見てくれると思った彼女は二週間ほど耐えたが、変化は無かった。藤川秀馬や永井真弥、古木卓也のような正義感の強い面々がいじめをやめるよう言っていたが、いじめは止まなかった。やがて真弥が担任に報告した事によって、担任からクラス全員に注意がされたが結局無意味だった。いじめは収まらないし、聖騎も彼女に目もくれない。


「なん、で……」


 裏切られた・・・・・彼女はあまりのショックに引きこもるようになった。時折担任や、担任に家の場所を聞いた真弥が家に来るようになったが、彼女が求める相手は決して姿を見せなかった。やがて二年と数ヶ月が経ち、教師数人が家に来て「明日は何がなんでも学校に来てほしい」と言ってきた次の日に学校に行き、想い人と再会したと思ったところでこの世界に飛ばされた。



 ◇



 水姫は人と話す事が苦手な少女である。そんな彼女の話は拙く、時に不明瞭な部分もあったが、それでも大体の事情は分かった二葉は優しげな笑みを浮かべる。


「よく話してくれたわね。ありがとう」

「は、はい……。こちらこそ、その、ありがとうございました」

「えっ?」

「あっ、その……今までお母さんとか、誰にも話した事がなかったから……でも、お姉様が聞いてくれて嬉しかったです」


 礼を言われて思わず聞き返した二葉に、水姫はしどろもどろになりつつ答える。


「うふふっ、これからも私は水姫ちゃんの味方よ。悩んでいる事があったら、何でも話して」

「お姉様……」

「神代君はダメね。水姫ちゃんみたいないい子を相手にしないなんて。でもね、私は違うわ。何があってもあなたを見ていてあげる。だから、水姫ちゃんも私の事を見ていてね」

「うぅ……」


 自分を全面的に受け入れてくれる二葉の胸に、水姫は頭を預けて泣き崩れる。その背中に腕を回し、抱き寄せながら二葉は考える。


(これまで誰にも心を許せなかったのね。だからこそ、一度親身に接すれば容易く心の中に入り込める。……それにしても、この子は思い込みが激しいというか、視野が狭いところがあるわね。神代君の事をちょっと理解してない)


 水姫の聖騎に関する話を聞いていて、二葉は違和感を覚えた箇所がいくつかあった。例えば、水姫は絡んできた生徒に対し聖騎が「言い返せない」のだと思っていたようだが、聖騎はそもそもいじめを苦に思っていない。故に言い返す必要が無いのだ。


 それに、聖騎へのいじめが無くなったのは、何をしても反応が無く、いじめっ子達が飽きたからに過ぎない。水姫が何をせずとも、聖騎は解放されたのだ。強いて言うならば、古木卓也が次のターゲットになるのを二週間だけ遅らせたという功績が有ると言えなくも無いが、後に卓也はそれから二年間いじめられ続けることとなるので、結局のところ水姫の作戦は、ハイリスク・ノーリターンに終わった。


 その上、聖騎は他人に興味を持たない。水姫が余程の行為をしない限り、聖騎からすれば路傍の石と同程度の意識しか向けられない。授業中の奇声も、教師からのいじめへの注意喚起も、聖騎には届かなかった。


「お姉様?」


 思考に夢中になり、腕の力が抜けた二葉に水姫が戸惑いの声をかける。二葉は我に返る。


「あぁ、何でもないわ。……そうだ、あなたにすごいこと教えてあげる」

「すごいこと……?」

「ええ。私達が何故この世界に来たのかをね。特別よ?」


 二葉はこの『コロニー・ワールド』と呼ばれるこの世界で行われている計画について、水姫に語った。そして彼女は知る。神代聖騎という少年の特別さを。


「私がこの世界に来たのは、あの人のお母さんのせい……?」

「ええ、正確には原因を作った一人なんだけどね。それで、あなたは怜悧さんが憎い?」

「いいえ、感謝してます」


 二葉の問に水姫は即答する。彼女は元の世界にいる限り、自分は底辺の存在なのだと思っていた。あのまま普通に過ごしても、コミュニケーション能力に難ある自分は就職など出来ず、仮に就職してもまともに仕事が出来るとは思えなかった。だが、この世界ではトップクラスの力を持っている上に権力があり、身の回りの世話はメイドがやってくれて、今では目の前の理解者もいる。まさに理想の生活だった。


「でも、いずれこの魔王城に来て、魔王様を倒そうとする勢力がやってくるわ。きっと神代君もここに来るでしょうね。ねぇ、もし次に神代君に会ったらどうする?」

「今度こそ分かって貰います。あの人を理解してあげられるのは私だけで、助けてあげられるのも私だけで、受け入れてあげられるのも私だけ。それを、私の力で分からせてあげます」


 完全に上から目線な水姫。しかしそれについて二葉は言及せず、ただ姉が妹に向ける様な視線を注ぐ。


「そう、応援しているわ」

「ありがとうございます、お姉様」


 水姫は狂気を秘めた眼で、激励に答えた。



 ◇


 ロヴルード帝国への国号変更から六十余日後。陸を越え海を越え、胴体のみのマスターウォートと真弥、秀馬、椿はヴァーグリッド城に到着した。真弥の能力さえ使えばマスターウォートの身体の完全回復は可能であるのだが、他ならぬマスターウォート本人がそれを固く拒んでいる。胴体だけのまま長い間生き永らえたマスターウォートの生命力に驚きつつ、彼らは出迎えに来たサンパギータの案内により、とある部屋に招待された。そこに待ち構えていたのは、魔王ヴァーグリッドだった。黄金の衣服と仮面に身を包み、豪奢な椅子に腰を下ろし、圧倒的な威圧感を見る者に与えている。


「待ちかねたぞ、勇者の長よ」

「……!」


 敵の親玉が突然自分達の前に現れ、しかも自分の称号を呼ばれた事に秀馬は息を呑む。その隣の椿も同様な反応だ。彼らは何を言えばいいのか分からず、戸惑う。


「ヴァーグリッド様! 申し訳ございません! 私は任務を遂行する事が出来ず、その上こうしておめおめと姿を見せて生き恥を晒す始末。どうかこの私めに懲罰を――」

「よせ」


 主の顔を見るなり捲し立てるマスターウォートは、その一言で黙る。


「そなたが謝る様な事は何一つない。ナガイよ、そなたならばマスターウォートを回復させるなど造作も無かろう? 直ちに癒せ」

「お、仰せのままに!」


 命令された真弥は背筋をピンと伸ばして直ちにユニークスキルを発動。マスターウォートの肉体を完全なものにする。手足を取り戻したマスターウォートは一瞬にして平身低頭の姿勢になる。


「ヴァーグリッド様、私はこの身を滅する事で責任を――」

「それは単なるそなたの自己満足に過ぎぬ。そなたが自害したとして、余に何を求める?」

「はっ、私のヴァーグリッド様への忠誠を――」

「それが自己満足だと言っている。そなたが真に余に忠誠を尽くさんとするのならば、その力でこれからも余を支えよ」


 その言葉にマスターウォートは涙を流す。


「はっ、微力ながら必ずや尽力してございましょう」

「良きに計らえ。では、席を外せ」

「了解しました……!」


 感動も収まらないまま、マスターウォートは退室した。ヴァーグリッドは残された三人に視線を向ける。


「さて、問おう。そなたらはどのような意図をもって、あのような姿のマスターウォートをここまで連れてきた?」


 その問に真弥が、緊張しながら答えを述べる。


「はい……空間魔法を使えるサンパギータさんが倒れたので、私自身がマスターウォートさんをお連れしました。私はマスターウォートさんを回復させようと思ったのですが、本人がそれを拒まれましたので、仕方なくあのまま……」

「ふむ。しかし、あのような姿の側近を見せつけられ、余が宣戦布告だと受け取らぬとは思わなかったのか?」

「私には、そんなつもりはありません!」


 宣戦布告という不穏な言葉に、真弥は動揺して声を上げる。


「成程、私には・・・と申すか。ならば更に問おう、余に宣戦布告をする人物に心当たりはあるか?」


 ヴァーグリッドのその言葉を聞いて、真弥は聖騎の顔を思い出す。しかしそれを言うべきか迷う。厳しい事を言われたとはいえ、元クラスメイトを危険に晒す可能性を作りたいとは思えなかった。彼女が葛藤する一方で秀馬が口を開く。


「ぼく達の仲間の一人……神代聖騎君に言われて、ぼく達はマスターウォートをお連れしました」

「ちょっ……藤川君!?」


 あっさりと聖騎の名前を出した秀馬に真弥は動揺する。そしてヴァーグリッドが反応を見せる。


「ふむ、またしてもカミシロ・マサキか」


 妙に納得した様子のヴァーグリッド。その反応を三人は怪訝に思う。


「随分と不思議そうな表情をするものだな。余は彼奴の活躍を幾度と無く耳にしている。ハイドランジア撃破の中心となり、リノルーヴァ帝国の統一に貢献し、数多の曲者を引き込み、大陸全土の兵士を終結させてこの地へと攻め込まんとしている。……しかし不思議であるな、報告を聞く限りではカミシロは慎重で狡猾な印象を受けた。宣戦布告などせず、音も無く効率的に余の首を狙うものかと思ったのだが……そなたの考えを申せ」

「わ、私ですか!?」


 突然ヴァーグリッドに首を向けられ、指名された椿は肩をビクッと揺らす。


「左様だ」

「分かりました……。その……コソコソと隠れる事に意味が無いと考えたのだと思います。私も今回改めて知りましたが、この大陸のセキュリティ……じゃなくて、警備はかなり強固です。……それを彼は知らないはずですが、予想していたんでしょうか。その上で『不意打ちしようとしている側なんだから安全だ』と慢心せず、逆に緊張感を高めようとした……といったところでしょうか」


 椿は独特の緊張感の中、何とか言葉を絞り出した。しばしの沈黙の後、ヴァーグリッドは声を出す。


「ふむ、緊張感か。そなたの申す事が正しいとなれば、その度胸は無知故か、それとも本物か……是非とも相見あいまみえて確かめたいものだ」


 仮面を被ったヴァーグリッドの表情は誰にも読めない。そして秀馬は本能的に『読みリード』を使えないと思った。能力を使った瞬間が最期だというのが、この世界でそれなりの時を過ごした上で成長した彼の本能が出した結論である。


(これからぼく達、どうなるんだろう。何の御咎めも無く帰されるとは思えないけど)


 そう思う一方で、秀馬はヴァーグリッドがどのような人物であるのかを考えている。実際に話した限りでは温厚な印象を受け、悪とは思えない。マスターウォートとの会話からは部下思いで、部下からはかなり慕われているように思えた。


(もしかしたら、この世界の人達が魔族に苦しめられているのはこの人じゃなくて、部下のせいなのかもしれない。でも、その部下に人間を苦しめるのは止めるように言ってくれるように頼めば、何とかなるかもしれない)


 そこまで考えて、この世界に来た時に聞いた「元の世界に帰る為には魔王を倒さなくてはならない」という言葉を思い出す。


(『倒す』というのは文字通り殺すのではなく、説得してこの世界に平和を取り戻すという意味なのかもしれない。それなら……戦いなんて無い方が良いに決まっている!)


「あの、ヴァーグリッド様。少しよろしいですか?」


 緊張しているのを悟られないよう、出来るだけ感情を押し殺して秀馬は声を掛ける。ヴァーグリッドはゆっくりと彼に首を向けた。


「申せ」

「この世界の人達は魔族によって苦しめられています。この城でも捕えられた人達が奴隷のように扱われていると聞いています。その人達を、どうか助けて貰えないでしょうか」


 深々と頭を下げて懇願する秀馬。すると彼の隣の真弥と椿も同様に頭を下げる。


「私からもお願いします、ヴァーグリッド様」

「お願いします……!」


 必死の思いで頭を下げる三人をヴァーグリッドは見る。そして仮面の中の口をゆっくりと動かす。


「そなたらの思いはよく理解した。永きに続く魔族と人族との争いを終わらせて、平和を望むと。ああ、痛い程に分かるとも」

「それじゃあ……!」


 その答えに希望を見出した秀馬はわずかに頭を上げる。だがその直後、笑顔になりかけたその表情が凍りつく。


「魔王として、それに応える事は出来ぬ」


 抑揚の無い声で紡がれたその言葉に秀馬達は耳を疑う。


「そんな……どうしてですか!?」

「余が魔王であるが故だ」


 その答えに秀馬は論理性を感じられない。何故魔王だと戦争をやめられないのか、理由が分からない。


「ふむ、不思議そうな表情をしているな。そもそもにして魔族と人族との争いは、四百年前に余自身が引き起こしたものなのだぞ? それを余が終わらせてどうする?」

「どうして……」

「それこそが魔王たる余に与えられた使命であるからだ。……しかしそうだな。勇者の長よ、そなたに機会を与えよう。実は先程より、腹心をこの部屋へと呼びつけている。その者が姿を見せる迄に如何なる手段を用いてでも、余の右腕を移動させてみせよ」


 突然のヴァーグリッドの挑発。それに秀馬は戸惑う。


「それは……何の為にでしょうか」

「そなたの申し出を受け入れても良いと言っておるのだ。その代わり、失敗すれば余に従ってもらうぞ」


 申し出を受け入れる……その言葉に秀馬は警戒心を持つ。魔王だから戦いは終わらせられないと言ったばかりにも拘らずそんな事を言う等、裏があるとしか考えられない。真弥も椿も挑戦を受けない方が良いと判断する。


「それは、絶対にやらなければならない事ですか?」

「やらぬと申すならば一向に構わぬ。もっとも、そなたの身柄はこの地にて預かる事になるがな。それに勘違いしているようだが、余は偽りなど述べておらぬぞ。絶対的な自身をもって、戦の終結を賭けている。今後一滴の血を流さずとも、戦を終わらせられるのだ。魅力的な提案だとは思わぬか?」


 それでも秀馬は迷う。偽りなど言っていないと言われても、それをそう簡単には信じられない。だが、挑戦を受けようが、挑戦に失敗しようが、結局は自由を奪われるのだ。ならば僅かでも、世界を救う可能性がある方法を選びたい。彼は決断する。


「分かりました。受けて立ちましょう!」

「藤川君!?」


 真弥と椿が異口同音に叫ぶ。しかし秀馬の決意は固い。


「気に入った。ならばそなたの思いを見せてみよ」


 ヴァーグリッドの言葉が終わる前に秀馬は剣を構えて突進する。ヴァーグリッドは座したまま利き手ではない左手で受け止めた。それでも秀馬は諦めず、剣を振い続ける。


 ◇



 一方でヴァーグリッドの腹心バーバリー・シーボルディは、現在部下となっている四乱狂華のアルストロエメリアとパッシフローラを自室に呼び付けていた。生物学者神代怜悧の人格をコピーしたAIであるバーバリーは、魔王軍でも研究者の役割にいる。彼女の研究室を兼ねた、薬物や死体等による異臭が漂うこの部屋で、呼び出された二人はこうべを垂れている。


「ここ最近の貴女達は実に情けないものだと耳にしています。劣等種族相手に何回も負けて、恥ずかしいとは思いませんか? 四乱狂華の称号が泣いています」


 バーバリーの言葉に二人は何も言い返せない。彼女の言う通り、魔王軍でも最強の四人に与えられる称号『四乱狂華』をヴァーグリッドから承っておきながらの、ここ最近の敗戦続きは二人のプライドをズタズタに引き裂いた。自分達が『劣等種族』だと見下している相手に負けたというのもあるが、何より敬愛するヴァーグリッドの期待に応えられなかったという事実が何よりも自責の念を抱かせた。


「ヴァーグリッド様は慈悲深き御方。失敗した貴女達を咎める事無く、次の働きに期待しておられるのでしょう。そしてあの方は次に失敗したとしても貴女達を決して責めない。そしてその事は貴女達も想像がついているでしょう。その上で、心の奥底でこう思っているのではありませんか? ヴァーグリッド様はどんなに失敗しても許してくださる、と」

「その様な事は決してあり得ません! わたくしは全力をもって魔王様のお言葉にお応えしようと……」

「……パッシフローラさん、貴女の言葉に偽りは無いようですね。さて、貴女はリノルーヴァで開発されたキメラの獣人に倒されたと聞いています。しかし不思議ですね。便宜的に『七番目』と名付けられたそれは、この城の地下牢に、ヴァーグリッド様の手で幽閉されていたと聞いています。アルストロエメリアさん、何かご存知ですか?」


 バーバリーは淡白な口調で、アルストロエメリアに詰め寄る。その鉄仮面の如き表情は、百戦錬磨のアルストロエメリアを震えさせる。


「それは……」

「何か知っていそうな反応ですね。話して頂けますか?」

「……私が脱獄の手引きをしました」


 隠す事に意味が無いと判断したアルストロエメリアは躊躇いがちに答えた。パッシフローラは軽蔑の視線を彼女に向ける。


「あなた……何を考えて――」

「戦闘狂の貴女の事です。大方、好敵手に手心を加えたとでもいった所でしょうか。しかし件の獣人は貴女だけと戦う訳では無いのです。貴女の我儘わがままのせいで、今後どれほど我が軍の兵士が命を落とすか、考えてみてください。……ああ、戦闘に関する事のみに特化した貴女の脳でそれを考えるのは困難でしたね。申し訳ありません。しかし、その戦闘ですら結果を残せていないというのはどういう事でしょう。貴女には何が残っているのです?」

「……」


 矢継ぎ早に言葉を畳み掛けてくるバーバリーにアルストロエメリアは何も言えない。


「とはいえ、確かに勇者は戦闘の素人であるにも拘らず一人一人が人族の中でも圧倒的な存在です。それが複数集まってかかってくるとなれば、私ですら相手にするのは困難かもしれません。……私からの話はこれで終わりとしておきましょう。次の任務までに二人とも、自己の鍛錬に励む事です。では、私はヴァーグリッド様に呼び付けられておりますので」


 そう言ったバーバリーの身体が液状になった次の瞬間には、そこには最初から何も無かったかのように消失する。残された二人は何も言えずに呆けていた。が、先に立ち直ったパッシフローラは立ち上がる。


「何をしているの、エメリアちゃん。わたくし達はバーバリー様の仰った通り、強くならなくてはならないわよ。特訓するから付き合って」

「パッシフローラ……」


 眼の色を変えたパッシフローラに、未だ気力が戻らないアルストロエメリアが目を向ける。


「ヴァーグリッド様はあなたを責めないでしょうし、バーバリー様もこれ以上の追及はしてこないでしょう。だからわたくしも何も言わないわぁ」

「……すまない」

「良いのよぉ。容赦はしないから、エメリアちゃんも死ぬ気で来てねぇ」

「ああ。こちらこそ宜しく頼む」


 アルストロエメリアも立ち上がる。二人は早速城内の訓練部屋へと向かった。



 ◇



 椅子に座ったまま、適当に左腕を動かすヴァーグリッドは仮面の中で欠伸を噛み殺す。彼の視線の先では息も絶え絶えになっている秀馬がいた。


「さて……時間切れのようだ」

「まだだ……!」


 フラフラとよろけながら秀馬は剣を杖のようにして体を支え、全力を込めて走る。椿や真弥は悲痛な表情でそれを見る。自分を何度も突き飛ばしたヴァーグリッドへと何とか近付こうとする。そんな彼の目の前に突如透明の液体が発生し、それは女の形を作る。


「参上致しました、ヴァーグリッド様」

「バーバリー、よくぞ来てくれた。彼らが件の勇者であるぞ。この二人はそなたに預ける。好きに使えば良い」

「分かりました」


 ヴァーグリッドはバーバリーに、ぜぇぜぇと肩を上下させる秀馬とそれを労る椿を指し示す。


「待て……ぼくはまだ――」

「お黙りなさい」

「がぁっ!」


 諦めの悪い秀馬の首をバーバリーが掴む。その細腕に似合わぬ握力は彼の気道を圧迫する。


「やめよ、バーバリー。その者は中々の見込みがある。何しろ勇者の長であるのだからな」

「申し訳ありません」


 バーバリーは秀馬を解放する。ゲホゲホと咳き込む彼には目もくれずに主に目を向けると、主は問い掛けてくる。


「さて、バーバリーよ。行くのか?」

「はい。この方達を一旦部下に預けてから、すぐにでもに会いに行こうと考えています」

「ならばそれまで余が預かろう」

「御手数お掛けして申し訳ありません。……では、ヴァーグリッド様からにお伝えしたい言葉はございますか?」

「特に有らぬ。そなたも一時でも早く邂逅を心待ちにしているであろう。行きたまえ」

「では、失礼します」


 バーバリーは一礼し、身体を液状に変えた後に消えようとする。その直前、ヴァーグリッドが声をかける。


「待て」

「何でしょう」


 バーバリーはすぐに姿を戻す。


「やはり余も言葉を伝えておこうと思ったのでな。『そなたの来訪を楽しみにしているぞ』とな」

「承知しました。必ずお伝えします」

「わざわざ止めて悪かった。行け」

「はい」


 ヴァーグリッドに再び一礼し、先程と同様に姿を消した。


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