代償
十日後。美奈が持ってきた、一年後の首脳会談についての議論は未だ結論が出せずにいた。「今すぐにでも参加を表明しても良いぐらいだ」と主張する賛成派と「国を危険に陥れる可能性は徹底的に排除するべきだ」と主張する反対派と、「悪くない話だとは思うが他国の反応を見てから結論を出すべきだ」と主張する中立派とによる議論は熾烈を極めている。
よって美奈もロヴルード帝国へと帰る訳には行かず、戦闘の訓練をしたり、初音のアイドル活動をサポートしたり、周辺都市に攻めてきた魔王軍を撃退したりと忙しい日々を送っていた。そんな彼女の生活に今日、新たな変化が訪れた。
「あっ、美奈、早織」
美奈が友人三人と魔術の訓練をしていた所に声が掛けられた。聞き覚えのあるその声に振り向くと、そこでは彼女の親友の波木静香が手を振っていた。その周辺には司東煉、御堂小雪、フレッド・カーライル、マリアの他に見覚えの無い幼女と龍人族がいた。しかしそれらに疑問を抱く前に彼女達は手を振り返し、友人の帰還を歓迎した。
◇
「まあ、俺達からは以上だ」
勇者達に与えられた館の食堂にて、全員が集まっての状況の報告会が行われた。静香達の壮絶な体験に美奈達は何も言えなかった。妖精王と名乗る妖精一人相手に部隊は壊滅寸前になり、そこで振旗二葉とはぐれ、全員が満身創痍の中彼女を泣く泣く見捨てて必死に逃走し、そこを四乱狂華アルストロエメリアに追撃され、その過程で石岡創平が命を落とし、やっとの思いで倒せたところで舞島水姫が彼女を回収して倒せずじまいとなり、しかし何とかここへと帰ってくる事が出来た、という内容の話を主に煉がした。彼が創平と仲が良かった事は元の世界の頃からクラスでは知られていた事であり、その部分を話している時の彼の表情にいたたまれないものを美奈は感じた。
ちなみに、彼が話をする前に巌と美奈がそれぞれの報告をした。リノルーヴァ帝国の内戦の終結は、美奈同様その戦争の切っ掛けを作った小雪を安心させた。
「なるほどねー。本当に私からは御愁傷様としか言えないんだけどさ、それは置いといて。そこの幼女は? 見たところ、魔族な気がするけど」
星羅が指差すのは赤みがかった肌と燃えるような赤髪の少女だ。十歳くらいだろうと彼女に推測された少女は、えへんと薄い胸を張る。
「ふんっ、中々目敏い者もおるようじゃのう。妾はコーラムバイン、史上最強の炎使いじゃ」
「ふーん、それで私への答えは? あなたは魔族じゃないの?」
自信満々に名乗ったコーラムバインに星羅は表情を変えずに聞き返す。
「何じゃ何じゃ、そこは妾の言葉に畏れ、戦くところであろう!?」
「うるさい。御託は良いから早く答えて」
「……いかにも、妾は魔族じゃ」
いつになく剣呑な雰囲気の星羅に圧され、コーラムバインは顔を俯かせて答えた。そこに小雪がフォローに入る。
「彼女は敵ではありません。アルストロエメリアさんとの戦闘では私達の事を助けてくれましたし、とても優しい方です。ただ、記憶を失っているようでして、自分が何故洞窟にいらしたのかも分からないそうです」
小雪の言葉の途中で、コーラムバインは何かを言いたげに口を開こうとして、しかしすぐに閉じた。それを星羅は見逃さなかった。
「小雪ちゃんがそう言うなら、確かにいい子なのかもしれないね。でもさ、記憶が無いなんて創作の悪役が付く嘘の典型じゃん。アルストロエメリアとの戦闘も八百長で、一旦私達に信頼させてから騙し討ちをするかも――」
「確かに、その可能性は完全には否定出来ない」
星羅の言葉を遮ってそう答えたのは煉だ。すると、彼と同行していたメンバーが目を見開く。
「煉君――」
「お前がコイツを疑うのは自由だ。信じろと言っても簡単に説得できる気がしないしな。だが俺は、コイツを信じている」
今度は小雪の言葉を遮る煉。
「なるほどねぇ。まあ、これは実際に付き合いがあるかないかの差かな? ところであなたは、魔王軍との戦いに参加するの?」
「愚問じゃ。妾も彼奴等には少なからずの恨みがある」
「そうなんだ。じゃあとりあえずは期待しておくかな」
星羅は言葉とは裏腹に、疑いの視線をコーラムバインに向ける。しかしこの場ではこれ以上追及しない事を彼女は決めた。
(まったく、仲間すらまともに信頼できない状況なんてハードすぎるよ。……仕方ない)
内心でぼやきつつ、星羅は煉と話そうとしていた翼に近付き、耳打ちする。
「後で二人きりでお話したいことが有るから、今日の夜、一人で私の部屋に来て」
その言葉に翼は驚く。
「も、もしかしてせらっち!」
「ふふっ」
有る期待を胸に表情を明るくする翼に、星羅は妖艶に笑いかけた。
◇
そして夜。翼は言われた通りに星羅の部屋の前まで来た。
「せらっちー、入るよー」
「いつでも良いよー」
間延びした声に翼は心臓を高鳴らせながらドアを開ける。そこでは寝間着姿の星羅がベッドに座っていた。
「本当に一人なんだな?」
「うん。初音ちゃんには、今日は美奈達のとこに行って貰ってる」
「へぇー……へへっ」
自然と笑みが零れる翼は星羅の許へ歩いていく。
「しっかし意外だなー。せらっちがオレを呼んでくれるなんて。何? 二人きりでしたい話って」
「やだ、鳥飼君。上着脱いじゃって」
「そう恥ずかしがんなって。でっ、話って? それともオレを呼び出す為の口実?」
そう言いながら完全に上半身が裸になった翼は、その手を星羅の頭の後ろに回す。
「違うよ、本当に話があってね」
「またまたー、照れんなよ」
「話っていうのは、早織ちゃんの事なんだ」
その名前を出され、翼の動きが一瞬固まる。
「さおっちがどうしたって? まさか、あの事をチクったんじゃ」
「早織ちゃんは何も言ってないよ。ただ、ある夜、今まで一人で寝てた早織ちゃんが突然私達と一緒に寝たいなんて言ったから、まあ何かがあったんだろうなって。で、その反応は私の考えが正解だったって事かな? 嫌がる早織を無理矢理……ぐっ」
星羅の言葉は、翼に首を絞められた事によりそこで途切れた。
「ふざけるなよ……女なんて黙ってオレに抱かれてれば良いんだよ! こんな風にな」
翼は右手を星羅の首から離さずに、左手で強引に彼女の上着を破る。その瞬間、星羅は右手の力が緩んだのを見計らって体を横に回転させ、その場から逃れる。
「ハァ……随分とマヌケだね。さてさて、街の噂話にも精通してる星羅ちゃんはこんな話を聞いたの。『勇者様の一人が娼館に入り浸っている』ってね。そういえば、ちょくちょくこのお館にいない時あるけど、どこに行ってたのかな」
「……黙れぇぇぇ!」
「いや、別に良いと思うよ。英雄色を好むなんて言葉もあるし、男の子がそういう欲求を持つことを責める気はないよ。ただ、嫌がってる相手にそれをするのはどうかなーって思うだけで」
口調だけでは余裕を感じられるものの、星羅は胸をはだけさせた状態で部屋の隅に退避している。その表情には怒りと軽蔑と恐怖が混在していた。
「黙れって言ってんだろうが!」
「そうやって大声を出してると、部屋の外に響いちゃうよ。さて、私はあなたの弱みを握っている。あまり人に言いふらされたいものじゃないでしょ?」
「そんなの……ここでお前を殺せば」
「言い忘れてた。私が死んだら、初音ちゃんには、皆にあなたが私に殺されたって事を伝えて貰うように頼んでるの。ついでにあなたの弱みもね」
「クッ……」
そこで翼は冷静になる。もしもここで星羅を殺せば、自分はこの国で居場所を失うだろうという事は容易に想像できた。
「だから、取引をしようと言ってるの」
「取引……?」
「うん。あなたの秘密を誰にも話さない代わりに、私の言うことを聞いて欲しいの。まずお願いしたいのは、司東君についてちょっと探る事なんだけど」
星羅は会話の主導権を握ろうと、早口に言葉を紡ぐ。その内容に翼は戸惑う。
「探るって、何をだよ」
「あくまで勘なんだけどさ、司東君は多分私達に何か隠してる事があると思うんだよね。意味ありげに布を巻いてる右腕とか、やたらと懐いてるロリババァとか」
「それを聞いたとして、教えて貰えるモンでもないんじゃねーの」
いつの間にか真顔になっていた翼に、星羅も真剣な表情で話す。
「司東君自身はガードが堅そうだしね。でも、彼の周りの人にそれとなく彼をどう思うのか。何か変わったことは無いか聞いて断片的な情報を集めれば、何かが分かるかもしれない」
「周りって言うと、アイツと一緒に北に行ってた連中か?」
「そんなところだね。で、話には乗ってくれるのかな?」
「まあ、やるしか無い訳っしょ……でもよ」
星羅の提案に頷く翼は何時しか、その眼前まで迫っていた。
「今すげームシャクシャしてんだよ。だから、責任とって貰うぞ」
その眼に睨まれて、星羅はすくむ。
「あ、あはは……そんなことしたら、後で皆に――」
「言えるってか?」
声を震わせる星羅の体を力強く床に押し付ける翼。星羅は諦める。
(まぁ、こうなるかもって覚悟はしてたし)
体から力を抜き、されるがままの状態となる。彼女は全く抵抗しないうちに、服を全て取り上げられていた。
「良い子だ」
「あのね、鳥飼君。お願いがあるんだけど」
星羅は声を震わせて言う。
「何?」
「私のことはどうしてくれたって良い。娼館に行くのも止めはしない。だからその代わり、他の子には手を出さないでほしいの」
「じゃあ、オレがしてって言えば、いつでもしてくれるって事か?」
「…………う、うん」
ねっとりと聞いてくる翼に星羅は躊躇いがちに頷く。体が熱くなる感覚の中で彼女は考える。
(やっぱり、言わなくてよかった)
先程彼女は嘘をついた。自分が死んだら初音から情報をばらまくと言って脅していたが、実際は初音を含め誰にも話さずにこの作戦を実行した。もしも話せば確実に反対されると思ったからである。
(でも、これでいい)
今までに感じた事のない感覚に何とも言えない思いを抱きながら、彼女はゆっくりと目を閉じた。