女子会
この館の部屋はそれなりの広さがあり、中央には三、四人で使用できる大きなベッドが置いてある。クローゼットもかなりの量の衣服を収納でき、棚には様々な種類の茶葉が備え付けられている。使用人は常に近くで待機しており、呼べばいつでも飛んでくる。当初、元々ごく普通の中学生だった勇者達にとっては気後れするものが有ったが、今ではすっかりその機能を存分に使っている。
「この部屋も全部、私達への期待の結果なんだよね。魔王を倒して世界を救えなんていう途方もない事への期待が」
「うん、そうだね……」
室内を見渡して何となく呟いた美奈に、早織は気乗りしない表情で答える。
「早織、だいじょぶ? 何かあったの?」
「うん……いや、えっと……」
曖昧な声を出す早織は、何かを言うか言わないかで悩んでいるように美奈には思えた。それに踏み込んで良いものなのか迷う。彼女の様子がおかしくなったのは、翼に話し掛けられてからだったように美奈は思う。それまでは自分の帰還に喜んでいたのがありありと伝わってきて、自分も喜びつつ微笑ましいと思っていたのだが、その親友の変化に美奈は戸惑う。
(あの時鳥飼君は私達の部屋に行って良いかなんて聞いてたけど、まさか……ね)
美奈の中に嫌な考えが思い浮かぶ。彼女もこの世界の旅の過程で、自分とそう変わらない年齢の少女の腹が膨らんでいたり、赤ん坊を抱いていたりする光景を見てきた。後者は年の離れた弟や妹という可能性も否定できないが、それでも自分の同世代でそういった行為を経験している事が珍しくないという事実に衝撃を受けた。しかしそんな光景を見ていても、自分の身近な人物がそれを経験しているかもしれないというのは、受け入れがたいものがある。
「あのね、美奈……私、その……」
葛藤する様子の親友に、美奈はどうするべきか迷う。苦しむ彼女に曖昧な言葉は投げ掛けられない。「言って」か「言わなくて良いよ」か、どちらでも良いからはっきりとした言葉で背中を押すべきなのだろうとは思うが、どちらが正しいのかは分からない。下手な言葉を無責任に言って、傷付けるような事はしたくない。だが彼女は決意する。このまま何も言わないのも、それはそれで苦しめる事になるからと。
「あのね早織……。私達は親友だよ」
「うん……」
「親友なんだから、早織が何をしていたって、絶対に軽蔑なんてしない。早織の全部を私は受け入れる。だから、何でも言って。私なんかに出来ることなんて高がしれてるかもだけど、それでも私を信じて欲しいの」
自分の目を見つめて紡がれる美奈の言葉に、早織の眼が潤む。そうは言われても、彼女の胸に秘められている事は、やはり言いづらくはあった。しかし、自分の事を真剣に気遣ってくれている美奈に、自分も誠意を示さねばと思う。
「えっと……美奈とか静香が出掛けてからね、私は最初一人で部屋を使ってたの。しばらくは特に何も起きなかったんだけど、ある夜ね。その……えっと…………」
そこで言葉が止まる。だが美奈は何も言わない。ただ次の言葉を微笑みながら何も言わずに待つ。
「その、落ち着いて聞いてね」
「うん」
「あの夜……部屋で寝ようとしてた所に……と、と、鳥飼君が入ってきてね……その、うぅっ……」
言葉を言い終える前に、当時の事を思い出して号泣してしまう。その様子から、やはり自分の予想は間違っていなかったと確信する。
「もう良いよ。辛かったね……」
「うぅ……」
「大丈夫。私がついてるからね。何ならずっと一緒にいてあげる」
肩を震わせて咽び泣く早織をぎゅっと抱き締める。
「うぅ……でも、良いの……? やらなくちゃいけない事が……あるんじゃ…………」
「良いんだよ。何の心配もしなくて。なんなら、私と一緒にロヴルードまで行こう」
美奈は怒りを覚えつつも今はその思いを押し殺し、精一杯の笑顔で提案する。早織はそれに対する答えを出せず、結局一晩中泣き明かす事となる。美奈は彼女が眠るまで付き合い、ロヴルード帝国での出来事などを語った。
◇
一方、星羅と初音の部屋。星羅は明かりを灯し、聖騎が書いた小説『ロヴルード神話』を読んでいる。元々アニメ好きで特にボーイズラブを好んでいた(あくまで『特に』であり、異性愛のものも普通に楽しんでいた)彼女は、この世界に来てから娯楽に飢えていた事もあり、手に取っていた。そして、読み終えた彼女が一言。
「これはひどい」
真顔でそう言った星羅に初音は戸惑う。
「どんな話だったの?」
「話っていうかアレだね。これを書いた人は『物語』じゃなくて『設定』を伝えたいって事が分かる。『僕の考えた神様はこんなにすごいんだよー』っていうのが全面に出てる。一言で言えば、独りよがりなのかな。一人キャラが出てくる度に、そのキャラの説明を長ったらしく書いてて、全然情景が伝わってこない。序盤に伏線っぽいのがいっぱい出てきたけど最終的に拾われてないのばっかだし、一ページの中だけで展開が矛盾してる所もある。ろくに推敲しないで、勢いに任せてる感がすごい」
「そ、そうなんだ……」
マシンガンのように飛び出した酷評に、初音は聖騎を気の毒に思いながら相槌を打つ。
「いや、でも何だかんだで小説を一本完結させるのはすごいと思うよ。偉そうに言ってるけど私だって書けって言われても簡単には書けない。一度BL小説を書くのに挑戦したことがあるけど、挫折したし。それに設定厨……ああ、設定に自信があるらしいだけあってキャラはそれぞれ個性的だと思ったし、私自身お気に入りのキャラも出来た。でもね、やっぱり物語としては凡作という言葉すらおこがましい。まぁ、私自身目が肥えてる自覚はあるよ。でも、娯楽が発達してないこの世界では確かに受けるのは分からなくもない。何しろこの世界の住民は常日頃、魔王軍という驚異に怯えている。だからこそ、あからさまに魔王っぽい敵相手に無双する神様の話に希望を持つのも当然かもね。しかも主人公は新帝国の皇帝陛下のご先祖様なんだって言ってる。良いプロパガンダだね。主人公達は過去に大罪を犯したから、その償いとして巨悪との戦いを強いられて、苦難の末に大勝利。これは英雄譚であると同時に、信者に生き方を導いている。罪を犯すと罰を受けるだとか、神を信じていれば助けてくれるだとか、神に思いを届ける為には金でも農作物でも良いから納めろだとか。確かに国を治める上では効果的かもね」
「う、うん。そうだね」
立て板に水を流すように捲し立てる星羅に初音は少し引く。なお、あまりに早口で話すので内容は入ってきていない。
「初音ちゃーん、私の話聞いてた?」
「ゴメン聞いてなかった」
「正直でよろしい。まぁ、まとめるとね。私はこの小説がすっごーく、気に入らない。神代君にも神代君の考えがあるんだと思うよ。書いた本を広めて人々の意識を導こうっていう考え自体は良いと思う。キャラの設定集としてはまあまあ。でもね、これを小説として評価するのならば、駄作も駄作。ダメダメだね。本当にこれは……」
「ストップ! ストーップ! 分かったから! 本格的に神代君が可哀想になってきたからもうやめてあげて!」
更なる長々とした批評が始まるのを察知した初音がストップをかけると、星羅はむっつりと彼女を睨む。
「むぅ……まぁ私も暴走しすぎた感は否めないけどさ」
「ほら、夜ももう遅いし、寝よ?」
「そうだね」
初音の提案に頷き、明かりを消す。そして布団に入り、口を開く。
「さてさて、やることが出来た。懸念してた早織ちゃんのことは美奈ちゃんに任せるから良いとして、神代君の小説をもっと深く読み直したい」
「あんなに文句言ってたのに? なんでそんな、時間をわざわざ消費して嫌いなものに粘着するアンチみたいな事を」
「あのね、アンチ活動は期待の裏返しなの。確かに私はアレを酷評しまくったけど、別に全否定はしてない」
「ただ自分が気に入らない物の存在は絶対に許さない! っていうスタンスで最初から全否定するアンチもいるけどね」
「でも私はそうじゃない。それにね、文章って書いた人の人間性っていうのが出てくるものなの。元々クラスではちょっと勉強が出来ることを除けば空気みたいな存在だったのに、今ではそれなりに大きな国の上層部にいる神代君がどんな人なのか、気にならない?」
「それはまぁ、確かに」
初音は元の世界にいた頃はローカルアイドルとして活動していた過去があり、その経験からいわゆるアンチと呼ばれる、特定の対象に厳しい言葉を投げつける存在を人一倍嫌っている。一方で星羅はインターネットの掲示板やSNS等が荒れる事などお構いなしに躊躇無く正直な意見を述べるタイプである。正反対の感覚を持つ二人だが、喧嘩らしい喧嘩はしたことが無い。
「でしょ? という訳で星羅ちゃんにはやることがいっぱいあるのです。泥くさーい訓練だとか、街を巡っての情報収集だとかに加えてね」
「がんばってー」
「他人事だね。まぁそういう訳で初音ちゃんのマネジメントはしばらく出来なそうだから、そこんとこよろしくね」
「おっけー」
初音はこの世界でもアイドルのような活動をしている。歌ったり踊ったりして国民に少しでも元気を与えられたら、という事で励んでおり、星羅はマネージャーとしてそのサポートをしていた。やがて二人はどちらからともなく眠りについた。
◇
翌朝。美奈が早織と食堂に行くと、既に星羅と初音、そして巌が朝食を食べていた。山盛りになっている巌の皿に目を奪われつつも挨拶をする。
「みんな、おはよう」
「おっはよー! 美奈ちゃんに早織ちゃん。よく眠れた?」
「まぁ、ゆうべはちょっとはしゃいじゃって寝れてないかなー」
美奈は元気よく返事をしてきた星羅と軽く話す。他の面々とも挨拶を交わしている内に、使用人は二人分の朝食を持ってくる。二人も早速それに手を付ける。そして会話が繰り広げられる。
「そう言えば、北の大陸に行ってるメンツは無事かな? 静香、小雪に司東君……それに――」
「フレディ君に石岡君。それと二葉ちゃんだね。北の大陸に潜入して情報収集するなんて言ってたけど、上手くいくのやら」
「安全第一で、少しでも危険だと思ったら逃げるって言ってたし、きっと大丈夫だよ」
懸念する星羅に元気付ける言葉をかける美奈。そうは言うものの、彼女自身安心出来ていない。空気が重くなる中、今度は初音が話題を提供する。
「魔王軍に協力させられてるのは永井さん、土屋さん、草壁さん、宍戸さん……龍蛇兄弟に黒桐君だったっけ。後は、自分から協力してるらしい舞島さんか。永井さんは何だかんだで伊藤さん達と会って、藤川君、椿さんと一緒に北の大陸行くんだったね」
「うん。満身創痍の敵のお偉いさんと一緒にね」
「それ、どう考えてもケンカ売ってるとしか思えないんだけど」
他にも高橋梗が鈴木亮を殺害して新たに協力した、という言葉を呑み込んで頷く。クラスメイトが友人を殺したなどという話をする度胸は彼女には無かった。そんな彼女の言葉を受けて、星羅が感想を呟く。
「もしそのお偉いさんが魔王に会ったら、確実に神代君の事は報告されるだろうね。そこで神代君が敵視されるのは確実として、ブチギレた魔王に永井さん達がどんな目に遭うかは分からない」
「まぁ、でも客観的に見れば神代君がしたことも仕方ない気もするよね。人質が囚われてる以上真弥ちゃんは北の大陸に行かざるを得ない。他の人も人質取られてるのには変わらないけど、沢山いる人質が誰にとって効果があるのかはバレてないはず。だから、本来ならば今まで捕まってない人がわざわざ北に行くのは下策。そして神代君は真弥ちゃんに一人で行くことを提案した。藤川君と椿ちゃんはあくまで自分の意思で行った」
「椿に行くよう促したのは私なんだけどね」
「それでも、別に強要はしてないんでしょ? なら、厳しい事を言うけど何か起きればそれは椿ちゃんの責任だし、藤川君に何かが起きたら藤川君の責任。美奈ちゃんは悪くない。強いて言うならば魔王軍だけが悪い」
最初は軽い話をする事を美奈も星羅も考えていた。しかし彼女達の状況はどうしてもそれを許さない。すると、いつの間にか食事を終えていた巌が皿を片付けながら口を開く。
「さて、俺はさっさと席を外すとするか。男である俺がいてはし辛い話もあるだろう。魔王との戦いに備えて俺達に必要なのは心の余裕だ。他愛ない話でもして、心を休める事も必要だろう」
それだけ言い残し、巌はその場を去る。その大きな背中を見送って、星羅が一言呟く。
「何あのお父さん。包容力の権化だね」
「お父さんって」
「それに引き替え……おっと、そういえば鳥飼君がいないね。まだ寝てるのかな」
初音のツッコミを無視して星羅が言うと、早織が一瞬ビクッと震え、美奈も表情を強張らせる。すると話を聞いていた使用人が答えた。
「トリカイ様はお出かけになっておられます」
「へぇ、ありがと。ところでどこに?」
「申し訳ありません。私は存じておりません」
「そう」
星羅は軽く頷くと、改めて口を開ける。
「そういえば、美奈ちゃんって神代君の本は読んだの?」
「まあね。あの本の内容をいろんな国に伝えてほしいって頼まれたから」
「つまり宣教師みたいな感じ? 美奈ちゃんマジザビエル」
「やめてよザビエルは」
美奈は何となく自分の後頭部に触れながら抗議する。星羅はからからと笑う。
「それは置いとくとしてさ、率直にどう思った? 私は昨日サラッと読んで、設定はまあまあ良いけど話は微妙だなーなんて思ったんだけど」
「うーん。最初はなんか難しい事が書いてあるなーって思ったな。まあ、私自身元々読書はしてなかったっていうのもあるけど。でも何回か読んでく内に話も分かってきて……でも、なんだろう。本の感想ってあんまり上手く言えないんだけど、まぁ、面白いのかなー? って感じだったかな。でも、緑野さんは面白くなかったの?」
「そうだね。私の場合元々本が好きで、プロの書いた作品をいっぱい読んでたってのもあって、素人の神代君が書いたアレは色々と足りないものがあるなーなんて思ったよ。……じゃあ、あの中で気に入ったとか気になったキャラはいる?」
星羅の次の質問に美奈は少し考えてから答える。
「うーん、一番のお気に入りはやっぱり主人公かな。サンディなんとか」
「サンディ・インヴィディアだね。人を妬みすぎたあまりに自分に無いものを持っている人を次々と殺すようになって、人を救う使命を与えられた、七つの大罪の『嫉妬』枠。弓の達人で、戦いを続けていく内に、他人が自分に無いものを持っているように、自分も他の人には無いものを持っている事に気付いて、最終的には民を想う、神々の中の王になった。そしてロヴルード皇帝、メルン・アレイン・ロヴルードのご先祖様と」
饒舌に設定を語る星羅に美奈は目を見開く。
「すごい! もうそんな事覚えてるの?」
「数少ない特技だからねー。で、サンディのどこが良かったの?」
「ざっくり言えば、がんばり屋なところかな。確かに昔は悪いことをしたかも知れないけど、それ以上に世界の敵と必死に戦ってたのはカッコ良かった。じゃあ、緑野さんは誰が好き?」
「好きっていうか気になるのはサタディかな。サタディ・スペルビア」
答えを聞いて、美奈はそれを意外に思う。
「サタディ? 出番が少ない癖に、たまに出てきたと思えばやたらと偉そうで、正直あんまり好きじゃないなぁ」
「そうだね、『傲慢』枠なだけあって偉そうだし、作中でも嫌われてる。他の仲間達が戦いを重ねる内に信頼していくようになるのに一人だけ、役に立つという理由で仲間と一緒にいる。そして自分もやるべき以上の仕事をこなすから、他の仲間は何も言えない。何せ戦いを強いられた理由が『自分をこの世の全ての上位存在だと心から思っていた』で、最終的に他の神を含めた何よりも上位存在になっちゃった。やがて敵を倒して神になったサンディ達には人々を見守る使命が与えられ、最高神サンディはそれをまとめる事になったんだけど、そのサンディを含めた神々を陰で操るのがサタディ。確かにすごく悪役臭がしていけすかないのも分かるけど、ミステリアスでいつも余裕な所が、私の琴線に触れたかな」
「それ、最後のとこだけ言えば良くない?」
長々と語った星羅に初音がツッコむ。
「いやいや、今のはまだ読んでない初音ちゃんや早織ちゃんの為の説明を交えてのね……」
「本音は?」
「一晩でこれだけ覚えたのをアピールしたかった」
初音の追求に星羅は首肯する。
「ふふっ」
不意に早織が笑いを溢した。そして三人の視線が自分に集まったのに気付き、恥ずかしそうにモゴモゴと口を動かす。
「え、えーっとね。……あ、その、緑野さんの説明があって、私も助かったから……その……」
「名前で呼んで」
しどろもどろな早織の言葉を遮って、星羅がウインクと共に言う。
「えっ……」
「せっかくだからさ、私達名前で呼び合わおうと思うんだけど良いかな? 早織ちゃん。それに、美奈ちゃんも」
その提案に美奈と早織は顔を見合わせる。そして頷き合う。
「うん、良いよ。星羅」
「その、よろしく……ね。星羅……ちゃん」
二人に笑顔で名前で呼ばれ、星羅は嬉しそうに笑う。
「あはっ、ありがと」
「それじゃあついでに私もよろしくね。美奈に早織」
そう言った初音に二人は頷く。そしてそれから彼女達の楽しげな話が始まった。