王国待機組
美奈の帰国に、彼女の親友である渡瀬早織は涙を流して喜んだ。そして武藤巌、鳥飼翼、浅木初音、緑野星羅といった面々と共に彼女の報告を受ける。ラグエルと名乗った妖精族にはめられて魔王の側近だと言う男に捕まり、そこで真弥と再会し、リノルーヴァの新皇帝の臣下となった聖騎達の手で助けられ、しかし魔王軍を裏切る訳にはいかない真弥は北を目指し、それに秀馬と椿がついていった。そして美奈達はリノルーヴァ改めロヴルード帝国に協力するという形で帰国した。
「秀馬……大丈夫だろうか」
勇者達に与えられた館の食堂で夕食を取りながら、秀馬の幼馴染みである巌か心配げに呟く。そんな彼に星羅は目をやり、初音もそれを追う。それを尻目に翼が質問する。
「にしてもさー、みなっちが持ってきたソレ、結局なんなん?」
彼の視線の先にあるのは、美奈が乗ってきた獣人力車に積まれていた本である。A5サイズ程度の紙により出来ている本は厚すぎず薄すぎず、地球の時間で言えば二時間程度で読み終えられそうな厚さだった。翼の質問に美奈は苦笑する。
「あーコレねー。神代君が書いた小説」
「なんでそんなことしてんだよアイツ」
予想外の答えに疑問をこぼす翼は一冊手に取りパラパラとめくる。この世界の文字で書かれているそれは彼にも当たり前のように読めた。七つの大罪をモチーフとした神の話だということは何となく分かった。
「なんでも、これで国をまとめようとしてるみたい。小説に出てくる神様を信仰させて、税金をそんなに取らない代わりにお金とか農作物を信者に寄付させるとか、皇帝のメルンを絶対神の末裔って設定にして崇拝させたりとかね。お母さんが平民だったってことで『自分も皇帝になれるかも』なんて思っちゃった他の国の平民を諦めさせて無駄な争いをやめさせるなんて事もしたよ」
「へぇー、ちゃんと理由があったのな。ただ中二病こじらせただけかと思ってたぜ」
「それもあると思うけどね。まぁ、私は神代君のパシリとして、これを色んな国に広めてる訳なの。反応は神を信じるかどうかは別として、純粋に娯楽として歓迎されてる感じの所が多いかな」
美奈の報告に一同はふむふむと頷く。すると星羅が食いつく。
「で、その神代君は何してるの? 夢の貴族生活満喫中? 皇帝陛下の側近ってどれくらいの権力があんの?」
「さぁ……私も詳しい事は。なんかちっちゃい子供に文字の読み書きとか計算とか教えてたけど」
「文字? 日本語?」
「いや、異世界語……で良いのかな? なんていう名前の言語なのか知らないけど」
「異世界人に異世界語を教える日本人ってシュールだね。いや私もこの世界で文字を読めない人は何人も見てきたけどさ。どうでも良いけどこの世界って何でどこの国に行っても言語が同じなの?」
「私に言われても」
質問を飛ばし続ける星羅に美奈は肩をすくめる。星羅は「ゴメンゴメン」と手を合わせ、そして再び質問する。
「何で神代君はそんな慈善事業みたいな事してる訳?」
「なんでも、メルンの方針らしいんだよね。孤児にもそれなりの教育はしてあげたいって」
「どうでも良いけど、美奈ちゃん皇帝にすごく馴れ馴れしいよね」
「うん、だって友達だし」
メルンは美奈達より一つ歳上の十七歳だという。自分と同年代の少女が大国の皇帝となり、国の大改革を行っているという話は星羅にとって現実離れした話だった。実際に内政を取り仕切っているのは老人や壮年の貴族だというが、そもそも自分よりずっと年上の人間を配下にしているという話が信じられなかった。つまるところ、日本で言う内閣に指示を出せる立場にいるという事なのだから。そして、そんな人物と友達になったという美奈や、彼女よりも近しい位置にいるらしい聖騎がどれだけすごいのか、考えるだけでワクワクする。彼女もこのエルフリード王国では子爵の位を承ってはいるが、ただの戦闘員という扱いであり、国王など雲の上の存在である。
「すごい……!」
「いやいや、私なんてただタイミングが合っただけだよ。何もしてない。神代君はともかくね」
「じゃあじゃあ、神代君とメルン皇帝はどんな関係なの!? 君主と臣下以外の関係があったりするの?」
「えぇ……」
その質問に美奈は考え込む。同性である善や練磨と話している所はちょくちょく見たが、彼女自身は聖騎と会話をほとんどしていない。精々、任務を受けた時にそれに対する質問をしたことがあるぐらいだ。故郷の世界での聖騎は恋人はおろか友人がいるのを見たことがない。常に孤独で誰の事も求めないし、誰にも求められない。いじめっこに何をされても反応を見せなかった。しかし教師からは異様に好かれていたのを覚えている。そんな聖騎がメルンにどのような感情を抱いているのか、想像がつかない。
(うーん……)
彼女は思考を続ける。思えばこの世界に来てから聖騎は変わったように見える。教室の隅で静かにしている印象があった彼は異世界に来て、初対面だったこの国の姫、エリス・エラ・エルフリードに悪意のある言葉をぶつけた。その後クラスの中心人物となってクラスメイトに指示を出したり、ハイドランジアとの戦闘では魔術系に特化したステータスとユニークスキル『騙し』を駆使し、激戦の末に勝利した。その後聖騎は西のシュヌティア大陸、美奈は東のエルティア大陸にそれぞれの仲間と向かい、八ヶ月後、リノルーヴァ帝国にて再会した。そして事情あって魔王軍のマスターウォートに従わざるを得ない状況にあった自分達に、容赦なく攻撃をしてきた。しかし色々とあって、現在は上司と部下のような関係になっている。
(って、これメルンじゃなくて私との関係じゃん!)
思考がズレていた事に気付き、修正する。とにかく、彼女の知る限り神代聖騎という少年は、誰にも心を許さない、孤高で孤独なイメージである。そんな彼がメルンの事をどう思っているのか、想像が付かない。そもそも何か感想を抱いているのかという疑問すら湧く。
「うーん、やっぱりよく分からないなぁ。ゴメンね」
「別にいいよー。えーっと、それじゃあそれじゃあ……」
両手を合わせて謝る美奈に、星羅は次の質問を投げかけようとする。するとそこで初音が口を挟む。
「星羅、そこまでにしときなよ。伊藤さんだって疲れてるんだから」
「いや、構わないけど……」
「伊藤さんが構うべきなのは……」
美奈を見ていた初音は、その視線を早織に移す。長い間離れていた親友への再会を誰よりも喜んでいるのは彼女だった。未だに涙が収まっていない。そしてそれは星羅の目にも映る。
「あぁ……そうだねー。そんじゃそろそろ、部屋に戻るとしますか」
「そうしよ、星羅。……伊藤さん、星羅が悪かったね」
「うぅん、お話しできて楽しかったし構わないよ。それじゃあ早織、私達も行こうか」
彼女達がいる館は勇者全員でギリギリ住めるような大きさで造られているが、今ここにいるメンバーはクラスの六分の一であり、かなり空きがある。しかし与えられた使用人により常に掃除は全体へと行き届いている。一人一部屋ずつ使ってもお釣りがくる状況なのだが、女子三人は同室を使っていた。しかし今日からは早織は星羅達と別れて美奈と一緒に部屋を使う。決して美奈が星羅達と仲が悪い訳ではない。単にそれぞれ親友同士のペアで過ごしたいだけである……のだが。
「ねぇねぇみなっち、オレも一緒に混ぜてよー」
翼が美奈と早織の間に入り、二人の肩に両脇から腕を掛ける。早織の肩がビクン、と上がった。美奈はさりげなく腕をよけて答える。
「ダメ。今日はちょっと、二人で話したいから」
「えー。……そういや神代のパシリって事は、いつかは帰るんだよね?」
「うん。陛下や元老院の人の会議の結果が出次第だけど」
軽薄に接してくる翼に内心嫌なものを感じながら、美奈は返答する。
「そっかー、大変なんだな」
「そういう訳だから、貴重な時間を親友同士水入らずで過ごさせてよ」
「うーんまぁそうだな……。わかったよ」
「なら良かった。……さっ、行こう、早織」
「うん」
二人は部屋を目指す。残っていた巌は翼に言う。
「鳥飼。女子の寝室に行こうとするとは、感心しないな」
「あぁ? 別に良いだろ? ただクラスメイトと親睦を深めるだけだっての。それともアレか? 何かキモい想像でもしてんのか?」
翼はあからさまに不機嫌な表情で答える。しかし巌はまったく態度を変えない。
「随分と口数が多いものだ。端的に答えれば良いものの」
「うるせーな。老け顔だからって大人ぶってんじゃねーよ」
「……俺の顔の事などどうでも良いだろう。率直に聞くが、お前に肩を触られた時に渡瀬が怯えた表情をしているように見えたのだが、理由に心当たりはあるか?」
コンプレックスである顔の事を言及され、感情を爆発させたいのを抑えて巌が質問すると、翼の表情が分かりやすく歪んだ。
「知るかよ」
「ふん、まあ良い。呼び止めて悪かった」
「あーあ、白けたぜ」
一応謝った巌を無視するように翼は呟き、夜の王都へと繰り出した。それを見て巌は何も言わず、ため息をついた。