新興国のエージェント
リノルーヴァ帝国を統一したメルン・ラクノンが皇帝となり、メルン・アレイン・ロヴルードと名を変え、国号をロヴルード帝国に変更したという知らせは世界中を駆け巡る。それはエルフリード王国にも当然ながら届いた。その知らせの発行日から一年後に、各国のトップを集めて会議をしたいという知らせと共に。そしてロヴルードからの使者として獣人力車でこのエルフリードに来たのは伊藤美奈だった。
「……という訳で、どうしますか? 陛下」
「そ、そうだね……」
報告をし終えた美奈に言われ、エルフリード王国国王エリオット・エレ・エルフリードは考え込む。先代国王である兄エルバードに比べると凡庸で、以前に比べると元老院の発言力が大きくなっている。答えあぐねるエリオットに、立派な白い髭を蓄えた元老院の老人が言う。
「なりませぬぞ、陛下。これは間違いなくリノルーヴァ帝国の罠でございます。噂によると件の新皇帝は皇帝になる為に実の兄すら手にかけたという人でなし。そんな女の国に足を踏み入れたが最後、陛下の命を狙う腹積りでしょう」
「そんなことはありません! それに、リノルーヴァではなくロヴルードです」
「どちらでも良い、小娘。大体、この新皇帝による弊害を分かっているのか? 半分平民の血を継いでいるという新皇帝に便乗して、くだらん幻想を抱いた平民共が乱をこぞって始めおったのだぞ。聞くところによれば、他の国も似たような状況が起きているとの事。そのような悪魔の如き女の言う事など聞けるわけが無かろう」
国号を訂正した美奈に老人は声を荒らげる。この国を目指す旅の最中最、彼の言うような光景を何回も見てきた美奈としては、その言葉に黙らざるを得ない。すると禿頭の、別の老人が口を開く。
「大体、小娘の分際で使者を遣わせるなど、この国を馬鹿にしているとしか思えんな。それでいてこちらには陛下に足を運ぶよう言ってくるとは、思い上がりも甚だしい!」
「いや……メルンは内政で忙しいですし……それに他の国にも声を掛けてる以上その全部にメルンが行くなんて無理ですし……」
「知った事か! それならば会合の日時をもっと後にすれば良かろう。……そもそもの話だ、仮に本当に陛下を殺すつもりなど無いとして、各国の長を自国に集めようとするという考えが思い上がりなのだ! まるで自分が全世界の頂点だとでも言いたげだな!」
白髭の男に比べ禿頭の男は気が短いのか、語気が強い。その雰囲気に美奈は呑まれてしまう。異世界で過酷な状況にあったとは言え、一年と少し前まで彼女はごく普通の女子中学生だった。常日頃危険が迫るこの世界で長年生き抜いていた老人相手には一枚も二枚も下回る。そんな彼女に助け舟が出される。
「まぁまぁ、待ってよ。ミナちゃんはあくまで、メルン閣下の言葉を伝えに来ただけなんだから、責めるのはかわいそうだよ」
言ったのはエリオットだ。優秀だがきつい性格の兄とは対照的に、彼は情に厚い人物として知られている。その評価に違わず、失礼とも取れる申し出をしてきた涙目の美奈を庇う。だが禿頭の男は口を閉じない。
「陛下はお甘すぎます。思い上がった小娘には相応の洗礼が必要なのですぞ!」
「でも……」
「陛下、いい機会なので申させて頂きますが、国の長たるもの、他の国に舐められるような事は控えねばなりません。決して差し出された手を跳ね除けろという訳ではありません。自分の立場も見極められない様な若造の言う事を全て受け入れれば、いずれこの国は奴らの食い物にされます。そのような事が起きてからでは遅いのですぞ!」
「うん……そうだね……」
禿頭の言葉にエリオットは頷く。彼は三十代後半で十二歳の息子と十歳の娘もいるはずなのだが、その雰囲気は子供らしい。それこそ、彼を反面教師として育ってきた息子の方がしっかりしていると評価されるほどに。その息子は現在、この王座の間にはいないが。言いくるめられたエリオットを見て美奈は思う。
(仕方ない。力尽くで言う事聞かせるしかないか)
勇者である美奈はこの老人二人を瞬殺できる程の戦闘力を保持している。だが、彼女の言う『力』はそれの事では無い。
「周知の事ですが、ロヴルード帝国はラフトティヴ帝国と同盟関係にあります。この申し出を断るのなら、ラフトティヴ帝国を敵に回しても良いっていう意思表明をされたと報告しても良いんですが」
現在ラフトティヴ帝国皇弟キリルがメルンと婚姻関係になることで、両国は同盟を結んでいる。現在キリルはロヴルードではなくラフトティヴにいて、聖騎の命令で色々と動いているという状況である。自他共に認める大陸最強国家ラフトティヴの名を出され、老人二人は閉口する。
(虎の威を借る狐みたいで嫌だったんだけどね。手段は選ぶなというのが神代センセーからのありがたいご命令だし)
美奈がそんなことを考えていると、エリオットが質問する。
「そ、そうまでして、君の国は何をしようと考えているのかな?」
「人族みんなで手を取り合って、魔王軍に立ち向かおうとしています。その為に各国の代表が集まって魔王軍への対策を話し合う場を作ろう、という試みです」
「それは良いね。戦争も無くなって、魔王軍にも対抗出来て、良い事尽くしだ!」
エリオットは心から嬉しそうに表情を輝かせる。そこに白髭が苦言を呈する。
「しかし陛下……本来魔王軍を倒すのは勇者達の役目です。その為に我が国は『勇者伝説』に従い、あのような大規模魔術まで使用したのですから。しかしこの娘は自分の役割を投げて、他人にそれをやらせようとしている。これを怠慢と呼ばずになんと呼べば良いか」
「そ、そうですぞ……こやつらのような自分の使命も理解していない連中の言う事など信用してはいけませぬ。自分達に力が有るのを良い事に、好き勝手生きようとしているような俗物でございますぞ」
比較的平然としている白髭に比べて禿頭はラフトティヴ帝国の名を出されてから、ややおびえた表情をしているが、それに反して語気は強くなっている。彼らの言葉に美奈は舌打ちしたい気分を必死に抑える。
(人を無理矢理こんな世界に連れて来といて偉そうに……!)
その苛立ちを隠し、エリオットを攻める。老人二人には何を言っても聞かないと判断した。
「魔王軍との戦いの事は置いておくとして、国と国とが集まって話し合うというのは良い事だと思いませんか? 先程陛下が仰ったとおり戦争は無くなりますし、大規模な貿易による経済的な効果も期待できます」
そうは言う美奈だが、彼女自身それが理想論にすぎない事は分かっている。彼女の故郷の世界で、彼女よりずっと頭が良い政治家が頭を捻ってもなお戦争の根絶は実現できていないし、貿易による国家間のトラブルは少なくない。だがそれでも、会談の場を設ける事そのものに興味を持たせる事が大事だとは思う。
(まったく、随分と遠回りをさせられてるなぁ。弱い魔王を倒してみんな揃って元の世界に帰れるーっていう簡単な話なら良かったのに。なんでこんな政治家みたいなことを)
美奈としては他に適任がいたのではないかと思う。それでも彼女が使者に選ばれたのは、エルフリード王国と関わりがあったから説得も容易だろうという理由だ。それなら聖騎が行けばよかったのにと思うのだが、彼も彼で忙しい事を知っている上に彼には借りがある以上何も言えない。
「すごい……すごいよ! よし、僕もそれに参加するよ!」
「お待ちください、陛下。そのような発想自体は誰にでもできます。しかし現実問題として、そんなものを実現できるはずが有りません。仮にリノルーヴァが本当に心から全ての国で同盟を結びたいとの意図を持っていたとしても、他国もそうであるとはありません。いえ、多くの国が集まれば確実に良からぬことを企てる者共が出て来ないはずがありません」
「そうですぞそうですぞ。そして何よりリノルーヴァは確実に何かをしようとしています。間違いありませんぞ」
美奈はため息を堪える。ここにいない聖騎に恨み言をぶつけたい気分になりながら、言葉を絞り出す。
「でも……色んな国が何かしようと考えているのは、いつもの事じゃないですか。しかしこの話に乗れば、他国の人と近くにいることになります。そうすると、他国の動向を近くで見られる分良いと思うんですけど」
「ふむ……」
白髭は唸る。美奈と話し始めてから初めて、否定的ではない態度となった。肯定的ともいえないが、状況が僅かに好転したことを美奈は感じる。
「それにですよ、言うまでも無いかもしれませんが、この会談は他国だけじゃなく、みなさん自身も利用できると思います。別に全部の国と仲良くならなくても、今まで交流の少なかった国とパイプを繋ぐチャンスだとも思いますし、悪い話では無いと思うんです」
「なるほど、一理ある」
白髭は頷き思案する。一方で禿頭は不信感を募らせる。
「しかし……無駄に我が国を危険にさらす可能性は否定できませんぞ! ここは静観すべきです」
(このハゲ、ギャンブルは絶対しなそうなタイプ)
美奈が禿頭の禿頭を見ながらそんな事を考えていると、白髭は椅子から立ち上がる。
「陛下、この議題は我々の一存で結論を出すのは早計かと思われます。後日元老院の他の者を集めて話し合うべきでしょう」
「うん、そうだね。ミナちゃんもそれでいいかな?」
白髭は穏やかながらどこか腹黒さを思わせる顔で笑い、エリオットも笑顔で美奈に問う。美奈はとりあえずホッとしながら頷いた。