祝杯
演説終了後、メルンの居城の大広間では宴会が行われた。参加者はメルン及び彼女の側近――ウロス、フェーザ、聖騎、サリエル及びレシルーニア数人、ノア、ローリュート、フレイン、ミーミル、善、練磨、美央、美奈のみという比較的小規模なものなった。貴族等を招いてしまえばメルンも色々と気を使う事になる。だから貴族等を招いた大規模なパーティは後日開くとして、今回は身内だけで気軽に楽しもうという趣旨で宴会が開かれた。巨人であるミーミルが入っても余裕があるほど広いこの空間には所狭しと食べ物が広げられ、酒もたっぷりと用意されている。なお、十五歳で成人と認められるこの世界の基準で言えば、ここにいるメンバーは全員成人だった。とはいえ、全員が全員酒を飲むわけでもない。
「ふぅ……」
大広間の片隅で聖騎は、疲れたようにため息をつく。この城の使用人という事になっていて、メイド服を着せられている彼だが特に仕事をする訳ではなく普通に食事をしていた。だが、酒も大勢で盛り上がるのも苦手な彼はこっそりと部屋の隅に退避した。
(まったく、幸せそうな人を見るのが不快で、不幸な人を見るのが楽しいというのは難儀だな……。異世界に行けば治るかもと思ったけどそんなことはなかった)
その感情を表に出さず、食べ過ぎて苦しくなったように振る舞う聖騎。そこに大きな影が迫る。
「もう腹一杯か、マサキ」
「うん、まぁね」
そこに来たのはミーミルだ。現在生物学者のティト・サイド・マッスエンによる改造手術を受けているが、ずっと拘束されている訳ではなく、問題なく外を歩く。
「オレなんか全然腹一杯になんねぇんだけどな」
「巨人の君と比べられても」
「そうは言うが、小人の中でも食ってなさすぎなんじゃねぇか?」
ミーミルが指し示す方向では相も変わらず食べたり飲んだりの楽しげな宴会が続いている。新顔である善達もすっかりと溶け込んでいる。
「彼らはお話しながらご飯を食べてるからね。ただ黙々と自分の食べる分を食べ終えた僕と比較するのはナンセンスだよ。……それより、手術は順調かな?」
「あのジジィが言うには、もうすぐ終わるらしい。だけどよ、自分じゃ何かが変わったっていうのはわかんねぇな」
「見た目では変化ははっきりと分かるけどなぁ。そんなに青ざめて」
聖騎と出会った当初のミーミルは浅黒い肌色をしていた。そして現在の施術を受けた彼は海のように青い肌になっている。水属性魔法を使えるようにする為に体内に魔臓を埋め込んだ影響によるものである。
「いやそれはオレだって分かる。でもよ、結局は変わったのはそこしかわかんねぇんだよ」
「まぁ、あの博士の事を信じて待つしかないね。それが終わったら……」
「ああ、オレは故郷の連中をまとめて、魔王との戦争の為の軍団を作る。そしてオヤジをぶん殴ってやるんだ」
聖騎の言葉を受け継ぐように決意を口にするミーミル。彼の父親は巨人族の王のような存在であり、自分達の仲間を奴隷にした人族に反抗する為に魔王軍と協力している。しかし実際のところ魔王軍に良いように扱われており、上にいる者が変わっただけで立場は変わっていない。ミーミルも最初は魔王軍の命令であえて、ラフトティヴ帝国に奴隷として捕まった。しかし内心ではそれに反発していた。だが彼は力が足りないことを自覚しており、魔王軍の傀儡となった父に従うしかないと考えていた。だが聖騎に出合い、彼の力と野望を知り、彼となら巨人の完全な解放を実現出来ると思った。
「父親、ね」
「ん? どうかしたか?」
「あぁ……いや、何でもないよ」
感慨深く呟いた聖騎にミーミルは反応する。聖騎は横に首を振る。するとそこに現れたローリュートが口を挟む。
「いぃやぁー、今のは何でもある顔だったわよぉー?」
フラフラと歩み寄って来たローリュートの顔は赤い。そして背後から聖騎に抱き付いた。聖騎はそれを振りほどこうとするが、思いの外強く逃げられない。
「ローリュート、放してくれないかな」
「うるっさいわねぇ……言いなさぁい。アンタ、父親に何か思い当たるものでもあるのぉ?」
「何もないよ。だから何処か行ってくれないかな。臭いし」
「ひっどーい! 乙女に臭いとか言うなんて最低よ。罰としてコチョコチョの刑よ!」
「あはははは……やめっ、やめて……あははははは!」
女装の男であるローリュートにくすぐられる女装少年聖騎という何とも言えない光景が繰り広げられている。しかしそれは大広間のちょっとした騒ぎの一つに過ぎず、特に注目を集めるという事も無かった。あるところでは善とウロスとノアが誰が一番多く食べられるかを競いあっていて、あるところでは練磨と美央がひたすら愛の言葉を囁き合うのを見て囃し立てている連中がいて、あるところではサリエルとメルンが下着姿で絡み合っている。そしてあるところでは急に眠りに落ちたローリュートを見て聖騎が溜め息をついた。
「はぁ……」
「大丈夫か? マサキ」
「うん。大丈夫だよ……」
取りあえずローリュートを床に寝かせた聖騎にミーミルが声をかける。聖騎は見るからに疲れた表情で頷く。
「なぁ、お前もお前のオヤジと何かあったのか? 答えたくねぇならそれで良いんだけどよ」
ミーミルが投げ掛けたその質問は正直なところ、聖騎にとってあまり答えたくないものだった。だが、周囲の状況を見ているうちにどうでもよくなった聖騎は答える。
「大したことでもないさ。僕は父親が誰なのか知らないんだよ。母親ですらたまにしか会っていないんだけどね」
小学生時代、聖騎は自分の父親について聞かれた時に正直に答えた。その結果周囲からはあからさまに同情するような態度を取られた。それにより聖騎は自分が多数派の価値観から見れば同情されるべき存在である事を知った。それ以降聖騎は自分の事を語らなくなった。なったのだが、今の彼は少したがが外れていた。
「そんなの、ホントに大したことねぇな」
聖騎の言葉にそんな感想をミーミルは抱いた。
「えっ」
「だから、それほど勿体振る事か? って思うんだよ。オレの同族じゃあ、生まれてすぐ、親の顔も見る間もなく小人共の奴隷として生きてく事を強いられる奴がいっぱいいんだよ。それに比べちゃお前は幸せもんだ」
そう語るミーミルに聖騎は少し唖然とする。
「そういうものかな。君達巨人と僕達人族とでは環境が違う訳だけれど」
「だけどお前は言ってたろ。結局のところオレ達と小人の違いなんて所詮体の大きさくらいだってな。それなら、オレ達とお前らを別物だと考えるのは間違ってんじゃねぇか?」
その言葉に聖騎は幼少期から抱いている疑問を思い出す。邪魔な虫を殺すことと邪魔な人を殺すことは何が違うのかと。彼にとって自分以外の万物は平等である。そんな彼のポリシーに反する発言を聖騎はしていた。
「あぁ、そうだね。君の言う通りだ」
「ま、そうは言っても確かにお前の言う通り、オレ達とお前達とでは色々と違う。んなことは分かった上で言うんだが、気にすんな。お前は恵まれてる」
「恵まれすぎるのも考え物だけれどね。恵まれているが故に周囲からは嫉妬される事も珍しくないしね。同情されたり嫉妬されたり、僕は昔からとにかくみんなの注目の的だった」
「でもそんなの誰だってそうなんじゃねぇか。オレだって自分に無い物を持ってる奴に嫉妬する事も有れば、自分に有る物を持ってない奴を見下す事もある」
「そうだね。だけど僕の場合は極端だった。昔から何度も思ったさ。何でみんな平等じゃないんだろうってね」
「自意識過剰だ。それに昔からってのはどんぐらいの期間だ? まさか百年以内だなんて言わねぇよな?」
巨人族の寿命は千年近くだと言われている。そしてこのミーミルは現在およそ二百歳程度だ。彼にとって、人族の使う『昔』という言葉は軽い。
「ミーミル、君は随分と僕に手厳しいね」
「お前が自分に甘いだけだ」
「あはは……そうかもね。そういう事を僕に言ってくる人は君が初めてだよ。今思えば、随分と甘やかされて育ってきた自覚はある」
「言われなくても分かる。お前は甘やかされてきた」
「ひどいなぁ」
言葉とは裏腹に聖騎は穏やかな表情である。ふと周りを見渡すとほとんどの宴会参加者は既に眠りに落ちていた。辛うじて起きている者もかなり酔っていた。
「そろそろお開きだね。僕は大きめの毛布を何枚か持ってくるから、みんなの体を男女別にまとめてくれないかな」
「おう」
聖騎の依頼にミーミルは頷く。聖騎は大広間の外に出るなり溜め息をつく。
(人の世話を焼くなんて、僕らしくないなぁ)
今までの自分ならば、人が酔い潰れて眠った所で無視して、自分一人だけ自室のベッドに入っただろうと彼は考える。メイド服を着た結果自分の中のそういった物が目覚めたのだろうか、などと適当に考えていた聖騎の背後からかかる声があった。
「俺も手伝おうか」
聖騎が振り返るとそこには練磨がいた。
「ありがとう。もしかしてずっと起きていたの?」
「いや、あの巨人が俺を運んでた時に目が覚めた。元々眠りが浅かったのかも知れんがな 」
「そうなんだ」
そう頷いた聖騎は歩き、練磨はその後に続く。彼らはしばし無言だったが、不意に練磨が口を開く。
「神代、俺は……俺達はお前に感謝しなければいけない事がある」
「えっ?」
聖騎は呆けた声を出す。彼には何か礼を言われるような事をした覚えがない。
「このロヴルード帝国……前はリノルーヴァ帝国だったこの国の戦争の切っ掛けを作ったのは俺達だ」
「あぁ……」
聖騎は思い出す。一年前、この国を訪れた練磨、美央、美奈、善などの面々は、奴隷として虐げられていた獣人族を解放する為に戦った。その結果として当時の皇族は獣人に全滅され、各地の貴族が自分達が新たな皇帝になると旗を掲げ、戦争が勃発した。その際、聖騎の口添えもあって皇帝を目指したのがメルンだった。この戦争の結果として少なくない数の国民が命を落とした。
「あの時俺達は『奴隷は全て救われるべき存在だ』なんて思い込んでいて……まぁ、色々やりすぎた。実際にはここのウロスとかフェーザみたいに、生まれた時から奴隷として育ってきて、でも虐げられてるだけじゃなくてそれなりに豊かな暮らしをしてる奴もいた。……話が逸れたな。とにかく、俺達は沢山の人が死ぬ切っ掛けを作った。お前がメルンに手を貸さずに放っておいてたら、もっと多くの人が死んでた」
心から悔いるような表情で練磨は語る。聖騎は黙って耳を傾ける。
「本当ならこの戦争は俺達がどうにかするべきだった。でも結局は何もしないまま、呑気に宴会なんてやってる始末だ」
「まぁ、折角の宴会で暗い顔をするわけにもいかないだろうし仕方ないよ」
「とにかくだ、俺達はお前に借りを作っている。だから俺はお前に、出来る限りの事は協力する。この意見は、俺達四人の共通の意見だ。だがその上で、俺はお前に頼みたい事がある」
「何かな?」
聖騎は首を捻る。すると練磨は、土足の廊下に手をついた。すなわち、土下座である。
「俺の事はどうしようが構わない。だが、美央の事はどうにか守って欲しい。アイツだけはどうにか安全でいられるようにして欲しいんだ」
「それは彼女だけで良いのかな?」
「あぁ……これはあくまで俺のエゴだ。何よりも好きな女を守りたいってだけの男のエゴだ。俺達四人に何かをさせようとするなら、優先的にアイツを守って欲しい。ただ、何もさせてもらえないってのもそれはそれでアイツを傷付けるだろうから、何かはさせてやって欲しい。……頼む!」
頭を下げたまま、必死に懇願する練磨。
「随分と注文が多いね」
「お願いだ……お願いだから…………!」
愛する者の為に土下座までする練磨を見て聖騎は思う。
(……ああ、やっぱり僕の本質は変わってないなぁ)
妹の死に泣き叫んだ国見咲哉の顔、自分をよく慕ってきた部下の死に狼狽するマニーラ・シーンの顔……それらを見た時の聖騎の感情は愉悦に染まっていた。そして今も同じように彼は思う。愛する者を失って絶望した人間の顔を見ていたい、と。
「うん……そうだね」
練磨が顔を伏せているのを良いことに、聖騎は邪悪な笑みを浮かべる。そして言葉を続ける。
「分かった。君の言う通りにするよ」
「……! すまない、本当に感謝する!」
眼に涙すら浮かべながら礼を言う練磨。そんな彼の体を聖騎は起こす。
「さぁ、君の大切な人の為に、まずは一時も早く毛布を持っていくとしようか」
「あぁ……そうだな」
涙を拭って答える練磨と邪な思いを胸に秘める聖騎は再び歩き出した。