剛弓女帝 メルン・アレイン・ロヴルード
目覚めたメルンの目の前には、見慣れた天井が有った。彼女の暮らしている館の自室の天井である。ベッドの傍には幼い頃からの付き合いである獣人奴隷従者、ウロスとフェーザがいた。
「う、うーん……」
「メ、メルン様!」
メルンが呻き声を出すと二人は安堵に笑みを浮かべる。メルンは体のあちこちが痛む感覚に顔を小さく歪める。そして気絶する前の事を思い出す。兄シウルとの死闘により全身から血を流し、腕やら脚やらがまともに動かなくなるほど殴り合ったのは覚えている。しかし、軽く腕や脚を動かしたところ失った部分は無いらしいと判断する。だがそれ以上に、彼女には気になることが有った。
「私……どうなったんだっけ」
彼女は決闘の結果を知らない。最後に何とか右腕を動かしていた記憶がうっすらとあるが、その後にどうなったのか覚えていない。そんな彼女の質問にはウロスが答える。
「勝ちました……。メルン様はシウル様との決闘に勝利しました……!」
ウロスの笑顔での言葉に、メルンは安堵すると共に気がかりが出来る。
「それで、お兄様は……?」
「シウル様は……お亡くなりになりました。……メルン様の手によって」
その質問にウロスは一瞬答えを言い淀んだが、隠す事に意味は無いと考え、真実を伝えた。メルンは彼を安心させるために、柔らかく笑う。
「そう……お兄様が。お墓造らないと。それとも、私には造られたくないかな?」
「メルン様とシウル様は敵です。お気持ちは分かりますが、その辺りは別の御兄弟――アリウ様やサティヤ様辺りにお任せしましょう。御遺体は回収しております」
「お兄様たち……私がシウルお兄様を殺したって言ったらどんな顔をするのかな……? 私の事を殺しに来たりとかするのかな? 自分が皇帝になる、とか言って」
「もしそうなったら、どうなさるおつもりで?」
「受けて立つしか無いね。必要なら殺すかも」
フェーザの問にメルンは即答する。そしてウロスは新たに話題を提供する。
「さて、カミシロ様は帝国中の貴族やラフトティヴ帝国、エルフリード王国等の諸国にメルン様が正式に皇帝になるという情報を流させています。以前決定した通り、一年後に全国家と同盟を結びたいから各国代表には可能であれば集まって欲しいとの連絡も同時に」
「マサキが言ってたコクサイレンゴーって奴を作るんだよね。うわぁー、それの取り敢えずの代表というか話のまとめ役みたいなのを私がやるんだよね。めちゃくちゃ緊張しそう。ウロス、代わりにやって」
「私は皇帝ではありませんので」
「えー」
きっぱりと断ったウロスに頬を膨らますメルン。ウロスは呆れ、フェーザはニコニコと笑っている。そんな彼らを見てメルンはポツリと呟く。
「シュルも、ここに居たら喜んでくれたかな?」
その呟きにウロスとフェーザの表情が曇る。メルンを逃がす為に兵士達の殿を務め、命を落とした猿の獣人は彼らにとって長い間付き合ってきた家族である。彼がこの世を去った事は衝撃的で、そう簡単には実感できない。
「はい。彼なら喜んで宴会をやろうと騒いでいたでしょう」
「そうそう、弱いくせに酒をバカスカ飲んで、赤い顔でバカみたいに騒いでます……よ」
ウロスの話にフェーザも乗っかる。言い終えぬうちにフェーザは感情を抑えきれず、何とか笑顔を保ちつつも涙をこぼす。ウロスも顔を俯かせる。悲しみに暮れる従者達に、メルンは笑顔で提案する。
「それじゃあさ、やろうよ宴会! みんなで集まって、シュルの分も騒ごうよ。祝勝会って事でさ!」
その提案に従者二人は表情を輝かせる。そして全力で賛成した。
「でもその前にやらなくちゃいけないことがあるんだった。えっと……お洋服は」
「はい。ローリュート様がデザインし、フレイン様がお作りになった正装ですね。いつお召しになっても良いように準備してあります」
「それじゃあ、今すぐに着替える。フェーザ、衣装部屋に行くからついて来て」
「仰せのままに」
「メルン様のお姿、楽しみにしております」
メルンの言葉にフェーザは頷く。そしてウロスはその言葉を残して退室する。メルンとフェーザは衣裳部屋に向かった。
◇
メルンが身を包んだ、桃色を基調としたドレスは高価な宝石を散りばめられていながら派手すぎず、上品な雰囲気を醸し出していた。そして女性でありながら力強いメルンを象徴する弓矢をモチーフとした紋章が刻まれている。これはこの国の新たな国章である。優美で高貴で豪胆で、それでいて民にとっても親しみやすい女帝がそこにいた。姿見に映る自分を見て、様々なポーズを取ってみたり、色々と笑顔を浮かべてみるが、浮かない顔である。
「うーん、どれが良いのかなー」
「中々決め難いですね……。どれもこれも素晴らしく、甲乙付け難いです」
「私的にはむしろ、どれもあんまりピンとこないんだけどね」
「それは恐らくメルン様がこの服を着る姿を見慣れていないからでしょう。今のメルン様は何時にもましてお綺麗でございます」
「そうなのかな……」
フェーザの言葉を受けてもメルンの感情は微妙である。その時、衣裳部屋の扉がノックも無しに開けられた。
「あらぁ、やっぱりいいじゃなーい」
「ちょっと、勝手に入ってくるんじゃないよ! ここは男子禁制の神聖な場所なんだから」
「アタシは女だから問題ないわよ」
騒がしく入室してきたローリュートにフェーザは怒鳴る。しかしローリュートはそんなものなどお構いなしにメルンの背後に近寄る。
「そうねぇ……こうかしら」
「ちょっ……」
ローリュートは自然な手つきでメルンの腕に触れる。そして鏡を見ながら真剣な表情でメルンの腕や肩、腰などに触れる。そこには微塵の下心も無く、ただ純粋に『美』を追及していた。はじめは戸惑っていたメルンや不審げだったフェーザは何も言わなくなり、彼の試行錯誤を見守っていた。
「よし、こうね。どうかしら」
鏡に映る自分の姿にメルンは息を呑む。そこには勇ましさと慈悲深さを兼ね備えた美しき少女――否、女性がいた。
「うん、良い! 良いよ! フェーザはどう思う?」
「悔しいですが、これは認めざるを得ませんね」
「もっと褒めてくれても良いのよ?」
「調子に乗るな……と言いたいところだけど、感謝するよ」
「私からもお礼を言わせて。ありがとう、ローリュート」
メルンとフェーザは揃って礼を言う。するとローリュートは照れ臭そうに頭をかく。
「別に良いのよー。それじゃあメイクと髪型のセットもやってあげる」
「うん、お願い!」
三人は化粧部屋に向かった。
◇
現在改装工事中のメルンの居城。その真正面の広場には、この国の民が集められていた。農民や兵士、貴族など、身分を問わず集まった多くの人間がいるという光景は圧巻だった。彼らは皆一様に城を見詰め、新皇帝の登場を今か今かと待ちわびている。
「うぅ……緊張する」
「メルン陛下、君は国民に勇気を与える心強い存在なんだよ? そんな姿を見せちゃうと、民も不安になっちゃうよ」
「うるさいんだよ、マサキ。自分は何もしないからって……」
窓からの光景に足をガクガクと震わせるメルンを聖騎はからかう。そんな彼は今、フリフリのメイド服を着ていた。メルンの忠臣である謎の魔術師パラディンと、神代聖騎が同一人物であるという事は多くの民には知られてはいけない。だが、パラディンとは無関係の一般人である神代聖騎がこの城に住まい、歩き回る事になる以上、理由が無くてはいけない。そこで聖騎は表向きこの城の使用人として住む事になったのだが、彼に与えられたのはメイド服だった。嫌がる聖騎はサリエルに無理矢理着せられ、彼は今超絶に不機嫌だった。そんな彼に、美奈が言う。
「それじゃ神代、メルンの前座で演説みたいなことして会場を温めてきなよ」
「なんで僕がそんな若手芸人みたいなことを……」
「だってアンタ、メルンをこの地位にまで連れてきた功労者なんでしょ? むしろ、何の言葉も無い方が不自然じゃない?」
美奈の思いつきに、この場にいる面々も納得した様に頷く。サリエルは意地の悪い笑みを浮かべる。
「それはいいわねぇー。よし、がんばってマサキ」
「無理だよ。メルン・ラクノンを皇帝の地位にまで引き上げたのはあくまでパラディン。今の僕が出て行ったって『誰?』としか思われないよ」
「こんな事も有ろうかと、こちらをどうぞ」
聖騎が首を横に振ると、フレインが黒のローブと白い仮面、そして大鎌イマギニスを持って現れた。それらはすべてパラディンを象徴する物だった。
「何でこれを……」
「正直、アタシもマサキは何か言うべきだと思ってフレインに用意させてたのよね」
「謀ったな、ローリュート……!」
「なんてったって、今の服の上からローブを着て、仮面を付けて、イマギニスを持つだけで良いんだからお手軽よねぇー」
ニヤニアと笑うローリュートに聖騎は後ずさる。そしてかすかな希望を抱いて右を向く。
「ノア、僕を助けて」
「野郎の癖にそんな恰好していて気色悪い。さっさと着替えろ」
「僕だって好きで着てる訳じゃ……」
「往生際が悪いよマサキ」
ノアにも裏切られた聖騎はあくまで抵抗するが、そこに楽しげなメルンの声が届く。聖騎はこの場を改めて見回し、味方がいない事を察する。彼はフレインからパラディンの装備一式を受け取る。着替え終えた聖騎は自棄になって、広場を見渡すベランダに出る。
「おお! ……おう」
聖騎がベランダに出た瞬間、広場からは歓声が上がりかけたが、それは急に止む。集まった民達が内心で「お前かよ」と思っているであろうということは、人の感情を読み取るのを苦手とする聖騎ですら感じられた。
(正直何を言えばいいのか分からないけれど、今更引けないか。こんな目に遭わなくちゃならないない程、嫌われるような事したかな)
アウェーな空気の中、聖騎は覚悟を決める。そして一度深呼吸をし、仮面の中の口を開く。
「皆様、本日はお忙しい所お集まり頂き、誠に感謝申し上げます。私は敬愛するメルン様の臣下・パラディンと申します」
聖騎は下の様子など気にしない。ただ自分の言葉を淡々と伝える。
「現在皆様方に集まって頂いたのは、我が主メルン様からの御言葉をお聴き頂く為でございます。しかし、その前に私から簡単なご挨拶をさせて頂きたいと思います」
苦手な敬語を使って演説をする聖騎だが、正直な所自分でも何を言っているか頭に入っていない。
「この度新たな帝都となったロヴルードを歩いていますと、私に対する皆様の声を耳に入れる機会がそれなりにありました。皆様それぞれ十人十色のご意見をお持ちでしたが、特に『私の活躍でメルン様が徐々に勇名を轟かせている』という声が特筆して多かった印象を受けました。確かに私はメルン様の為に微小ながら、自分なりに出来ることを致しました。ですが私はこの場をもって、そのご意見を否定させて頂きたいと思います」
下がざわめくのを聖騎は感じる。だが気にせずに続ける。
「メルン様が晴れてこの様な立場に至れた一番の理由はメルン様自身の頑張りによるものです。ですがそれに大きな影響を与えたのは皆様方のご協力あってこそでございます。貴族の皆様の御援助、兵士の皆様の武勇、そして農民の皆様の農作物。その全てがあってこその、メルン様の勝利です。つまるところは、メルン様や私、そして皆様を含めた全員の活躍こそが勝因なのです!」
その言葉に広場は歓声に包まれた。自分の言葉が正しかったのだろうかとホッとしつつ、締めの言葉を口にする。
「主に代わって私から礼を言わせて頂きます。御協力、ありがとうございました」
そう言って深く頭を下げる聖騎。その頭にパチパチと鳴り響く拍手を受ける。聖騎は頭を上げる。
「それではお待たせしました。只今より本日の主役、メルン様の御登場となります。そのまま拍手でお迎えください」
その言葉に、拍手がより一層大きくなる。突然登場を促されたメルンが背後で「えっ、ちょっと待って……!」などと慌てている。続いてサリエルの「ほら、呼ばれているんだから行かないと」という声が聞こえた。聖騎は内心でほくそ笑みながら、民衆に便乗して手を叩く。
「メルン! メルン! メルン! メルン!」
広場では新たな君主の名を連呼し、登場を待ち望んでいる。メルンは心臓がバクバクに高鳴るのを感じながら、意を決したようにベランダに出る。聖騎はベランダ中央をメルンに譲る。歓声はさらに高まった。
「やってくれたね……!」
「いい感じにテンションを上げておいたんだからむしろ感謝して欲しいな。ここで滑ったら悲惨な事になるけど」
「あなたねぇ……」
「ほら、みんな待ってますよ。メルン陛下」
小声でそんな言い合いをするメルンと聖騎。そのやり取りは遠目からは、互いに信頼しあっている君主と臣下のアイコンタクトのようにも見える。メルンは聖騎を睨み、その眼をにこやかなものにして前を向く。
「はーい、おまたせー! 私はこの国の新しい皇帝になったメルンです。いきなりだけど、今のパラディンの言葉を聞いて、何か違和感があった人はいるかなー?」
まるで友達と話すような口調でメルンは言った。豪華でありながら微塵の嫌らしさもないドレスに身を包み、結い上げられた髪の上には冠を乗せ、メイクもされた彼女の微笑む姿は一種の神々しさを醸し出していた。そんな彼女は彼女を象徴し、しかし国の長となる者にとっては似つかわしい、弓が背負われていた。だが不思議と違和感を覚えさせず、ドレス、冠とこれ以上無いほどにマッチしていた。彼女の言葉に民衆は戸惑う。その反応を受けてメルンは言う。
「実はパラディンは私の事を一度もフルネームで呼ばないで、メルン様って呼んでたの」
民衆は「そういえば確かに」と納得する。そして同時にそれを疑問に思う。メルンは勿体振るように笑う。そして背中の弓を取り出した。これと言った特徴の無い、安物の弓。しかし彼女にとってそれは何よりも特別で大切なものだ。
「この弓は私の母――アルンから受け継いだものなんたけど、母の旧姓はアレインっていうの。アルン・アレインは私が誰よりも尊敬する弓の使い手で、その遺志を受け継ぎたいと思ってます」
話題が飛躍した事に戸惑いつつも、メルンの言葉を民衆は真剣な表情で聞く。
「そして私が受け継いだのは弓だけじゃないの。今私がここにいるロヴルード。ここにいるみんなは知ってると思うけど、少し前までロヴルードは小さくて田舎だった。平民出身で勿論女だった母が頑張って手に入れたこの土地を受け継いで、私が領主になった。私も子供の頃から住んでた、大好きな土地。私がパラディンと一緒に皇帝になることを決意した時に決めたのは、このロヴルードを世界中のどこにも負けない立派な都市にすること。まだ開発途上だけど、私はみんなの協力のお陰で、その目標に近付けていると思う。本当にありがとう。心から感謝します」
メルンは深々と頭を下げる。下からは歓声に混じって、感極まってすすり泣きをしている声が彼女の耳に届く。メルンは頭を上げて、更なる言葉を紡ぐ。
「話を戻すけど、私は母の旧姓と、この都市の名前を取って、メルン・アレイン・ロヴルードと名乗りたいと思う。いや、名乗るの。父ギザ・ラクノンは自分の私利私欲の為に権力を欲していた。この改名は、そんな父との決別も意味するの。私が目指すのは、民の為の国。決して父も悪いだけの人間って訳じゃなくて、兵の先頭に立って戦っていた所はカッコよくて私もその影響を受けたんだと思うんだけど、国の長になる器じゃなかった。いや、私も偉そうにそんなこと言える立場じゃないかもだけど、国の長として相応しい存在になれるように頑張りたい。その為に私の努力が必要なのは言うまでもないんだけど、みんなの協力も必要です。至らない所もいっぱいあると思うけど、その時はみんなに、このメルン・アレイン・ロヴルードを助けて欲しいです」
メルンは再び頭を下げた。民衆からは「もちろんです!」「私なんかに出来ることがあれば何だってします!」などといった声が上がる。それに感動しつつも涙をこらえ、メルンは言う。
「ありがとう! それと、もう一つお知らせがあるの。リノルーヴァ帝国という国名は、旧皇族であるリノルーヴァ家の名前から付けられたのはみんなも知ってるよね。そうなるとやっぱり、国名もそのままっていう訳にはいかないと思うの。だから、只今をもって、リノルーヴァ帝国はロヴルード帝国として国号を改めます。長年この国で暮らしてきた人達にとって、唐突でそうそう簡単に受け入れられるような事じゃないと思う。だけど、このわがままをどうか許して欲しいの」
その宣言に民衆はざわめく。彼女の言葉通り、今まで住んでいた国の名前が突然変わるのは受け入れがたいものが有る。だが同時に彼女の気持ちは理解できる。リノルーヴァという名前は、一年前に滅ぼされた元皇族の姓から取った物だった。それを考えれば、国号を変えるのも当然だろうと理屈の上では分かる。しかし、それでもやはり簡単には受け入れられない。メルンもその反応は予測していた。
「本当にごめんなさい。……長くなったけど、私のお話を聞いてくれてありがとう。私は皇帝として、みんなに誇りに思ってもらえる様なロヴルード帝国を、みんなと一緒に創っていきたいと思う。これ以上、魔王軍の恐怖に怯えなくて良いような、強い国を目指して。だから……みんな私について来て!」
締めの言葉をメルンが言い、頭を下げると、聖騎もそれに倣ってお辞儀する。民衆は一部戸惑った部分はありつつも、新たな皇帝の誕生を歓迎していて、その意を拍手によって示している。
これにて、後世にも伝えられるロヴルード帝国初代皇帝、メルン・アレイン・ロヴルードの初挨拶が終了した。この光景は後に宮廷画家となるローリュートの『剛弓女帝』という絵画にも描かれ、その作品名は彼女の二つ名として有名になる事となる。