茶番は終わりだ
決闘を見ていた者達は誰一人動けずにいた。目の前の光景が何を意味しているのか、理解するのにそれなりの時間を要した。そして彼らはぽつぽつと理解する。自分達の主がギリギリの勝利を果たしたことを。
「うおおおおおおおおおお!」
歓声が沸き起こる。彼らはただ感覚的に、主の勝利に歓喜した。その最中、聖騎は涙を流して戦闘の跡を呆然と見つめる真弥に声を掛ける。
「彼女の回復をして貰って良いかな? あの傷のまま放って置いたら死んでしまう。そしてあの状態の人間を何とか出来るのは君しかいない」
大量の骨折と出血をしている上に身体を無理に酷使したメルンは、決して放置できる状態ではない。確かにと思いつつ聖騎を見た真弥は息を呑む。
「神代君……?」
それは彼女にとって意外な光景だった。常に無感情に淡々としている、それが彼女の神代聖騎という人間への評価だった。そんな彼の左眼からは一筋の涙が流れている。そして聖騎はその事に気付いていない。
「何をしているのかな? いいから早く」
「そ、そうだね!」
聖騎の言葉に真弥は我に返り、決闘の勝者に手をかざし、ユニークスキルを発動する。目一杯の魔力を消費し、瀕死の少女を癒していく。兵士達は続々とメルンへと走り寄っていく。聖騎がそれを眺めていると、背後から声が掛けられた。
「神代君」
振り返るとそこには秀馬がいた。彼だけではなく他の仲間達もそこにいる。椿、練磨、美央は敵意を剥き出しにしている一方で、善と美奈は決闘に感銘を受けたのか涙ぐんでいる。そして秀馬は優しげな笑みを浮かべていた。聖騎は彼らの接近に気付かなかった事に内心で歯噛みする。そして自分が涙を流していた事に気付き、左の袖で軽く拭い、無言で秀馬を見る。
「神代君も、あの戦いに感動していたんだね」
その秀馬の指摘に聖騎は顔を不快げに歪める。
「そんなことは無いよ。いやぁ、あまりに退屈な試合で欠伸が出たなぁ」
「君は他人の気持ちが分からないと思ってるみたいだね。でも、それは少し違うと思うよ」
聖騎の言葉を無視して秀馬は言う。聖騎は首を傾げる。
「何を言っているのかな? そんな知ったような事を言って……」
「ぼくには分かる」
「大きなお世話だよ。それ以上余計な事を言えば殺すけれど」
表情を消した聖騎は冷徹な視線を秀馬に向ける。すると椿が前に出る。
「調子に乗らないでよ。藤川君があなたを許しても、あなたが藤川君にした事は許さないんだから」
「どうして君が許さないのかな?」
「か、関係ないでしょ!?」
聖騎が質問すると椿は顔を赤らめる。その彼女の変化に聖騎は首を捻った。秀馬は口を開く。
「君が自分の事をオープンにしたくないという事は分かる。でもね、ぼくはあえて、みんなが聞いてるここで言う。……良いかい? 君は他人だけではなく自分の事も分かっていないんだよ」
紡がれたその言葉に、聖騎はしばしの間沈黙する。そしてゆっくりと口を開く。
「僕が自分の事を分かっていない……? 何を根拠に?」
「君は、さっき自分が流した涙の理由を知っているかな?」
「不愉快だな」
聖騎は珍しく言葉に怒気を込める。その気迫に椿や練磨、美央は圧される。しかし秀馬は動じない。周囲がメルンの勝利に沸いている中、聖騎の周りだけが異様な雰囲気に包まれていた。
「別に自分の事を何一つ分かっていないと言ってるわけじゃないよ。ちょっと覗いただけのぼくよりもずっと、君自身の方が君を分かっていると思う。でもね、君が知らない一面だって、君の中にもあるんだよ」
「うるさい……!」
「確かに君の価値観は、いわゆる『普通』とは違う部分が多いかもしれない。でも、今の君は多くの人が感動した戦いを見て、みんなと同じように心を震わされたんだよね? それに、さっきの四本腕の女の子についてもそうだ。今の君は人間性ではなく勇者としての強さだけを仲間達に求められている。それはつまり、強さを証明出来なければ彼らにとってお役御免という事になる。そんな状況の中で無条件に好意を見せてくれた女の子に心を許していたんだよね? だから……」
「うるさいと言っているんだよ!」
聖騎は声を荒げる。その叫びに何人かが首を向けたが、彼らの意識は再び勝利の余韻へと浸っていく。多少の注目を集めた事に不快感を感じながら聖騎は開口する。先程「余計な事を言えば殺す」と言った聖騎だが、口しか出していない相手に手は出さない程度のプライドはある。
「分かった。僕だって全知全能ではない。他人だからこそ分かる事だってあるだろうね。……でも、だから何なのかな。僕に『普通』の人と共通点が有ったとして、それを僕に言った君は何が目的なのかな?」
「目的なんて大層なものは無いよ。ただ、君には分かって欲しいんだ。君は世界に絶望して、世界を壊して、君にとっての理想の世界を創ろうとしているみたいだけど、世界だってそう捨てたものじゃないって事を。……だから、君にはそれをやめて欲しい」
秀馬はにこやかな表情から一転、真剣な面持ちとなる。
「まぁ、そんな事だろうと思ったよ。でも、そう簡単に止められると思うのかな? この目的の為に、僕がどれだけ苦労してきたか、君には分かる?」
「言葉を返すけど、僕達の世界の人達がどれだけ苦労して生きているのか、君には分かるのか?」
「漠然とだけど、僕には想像も及ばない様な沢山の生き方があって、誰も彼もが必死に生きているのだろうという事は分かるよ。だからこそだよ、僕の生まれながらの特性を知っているであろう君には、分かるよね?」
聖騎にとって業とも言うべき「人の苦しむ姿に愉悦を感じる」という本能を、彼の心を読んだ秀馬は知っている。それを哀しい事だと思い、同情した。だが、だからと言って、彼の思い通りにしてはいけないと秀馬は思う。
「……そうだね、君の説得は難しいみたいだ」
「難しいんじゃない、出来ないんだよ。僕は今後君が何を言おうとも、僕の目的を果たす。それに、これは既に僕だけの目的ではないしね」
「残念だよ」
秀馬は心から残念そうに言い、振り返る。そしてこの場を去ろうと仲間達に提案しようとする。
「待って」
そこに聖騎の声が掛かる。秀馬は振り向く。
「何かな?」
「君は僕に偉そうに、自分の事を分かっていないと言った。では、君はどうなのかな? 君は自分の事を分かっている?」
その質問は秀馬にとって意外だった。他人に興味を示さないはずの聖騎が、自分の個人的な事に関する質問をしてきた。秀馬はそれを少しだが、嬉しく思う。
「そうだね……」
突然の事に何を話そうか迷う。何となく辺りを見回し、そしてある一点を見る。そこには心臓を貫かれたシウルを回復させようとして、上手くいかずにそれを呆然と見ている想い人、真弥の姿があった。
「すぅ……」
緊張に深呼吸をする。だが決意を固める。次に後ろの椿を見る。
「数原さん、ごめんね」
椿はその言葉に一瞬呆け、そして彼の言いたい事に気付く。彼女は想いこそ伝えていないものの秀馬に好意を持っており、秀馬も薄々それに気付いていた。そして椿もずっと秀馬を見ていたからこそ、彼が真弥を好いている事にも気付いていた。気付いていながら、目を逸らしていた。
「……うん」
想いの全てを呑み込んで、椿はただ頷く。そして秀馬は大きく息を吸い、叫ぶ。
「ぼくは、永井真弥さんが好きだ!」
告白。透き通るようなその声は勝利に酔いしれる兵士達の注目が集まる。彼の仲間達も鳩が豆鉄砲を食らったような顔で驚き、真弥も言葉の意味の把握に手間取る。そして把握し、動揺する。
「えっ、藤川君……? 一体それは……」
「告白だよ。これはぼくの本心だ。別に付き合ってほしいとかそういうのじゃなくて……ただ、ぼくが一番大切に思っている感情を表に出したかったんだ。突然の事で、しかもこんな時にごめんね」
思わず秀馬へと駆け寄った真弥に、秀馬は頭を下げる。
「いや……藤川君の気持ちは嬉しいよ。でも……」
「本当に身勝手なことを言っているのは分かってる。でも、これだけは伝えたかった。あの世界で、ぼく達の生まれたあの世界にいた時から、ぼくは君のことが好きだった」
頭を上げて言葉を紡ぐ秀馬。真弥は混乱しながら言葉を選ぶ。
「ごめんなさい。私は藤川君みたいな素敵な人に釣り合うような女じゃないよ。私は魔王軍配下四乱狂華の一人として、あなた達と戦わなくちゃいけないの。だから……だから、ごめんなさい」
「ぼくに出来ることが有れば何だって協力する。別にぼくを好きになって欲しいなんて思わない。でも、ぼくは君の力になる」
「やめて……!」
真弥は声を張り上げる。その眼には小さく涙があった。
「私に協力するっていう事は、魔王軍に協力するっていう事だから……! 藤川君は手を汚しちゃいけない。藤川君は勇者じゃないといけない。だから……ダメなの。本当に……ごめんなさい」
心から申し訳なさそうに頭を下げる真弥。気まずい雰囲気が漂う中、やっと聖騎が声を出す。
「それで、これは何の茶番?」
その発言に椿が食らいつく。
「茶番って……あなたには藤川君と永井さんの気持ちが……」
「分からないよ。本当に分からない。実に退屈な三文芝居だったよ」
椿に冷徹な視線を向けた聖騎は、次にその視線を真弥に向ける。
「なんだかフィクションに出てくる悲劇のヒロインみたいだね。そうやってわざとらしく泣いて、同情を誘っているのかな? 構って欲しくないのなら冷たく接すればいいものの。もしかして、魔王様からの命令?」
「違う……私は……」
「いや……もしかしたら人格を操作されている可能性も有るね。何せ魔族と人族は敵同士。服従させる方法が人質だけとは言い切れない。まあ、魔王様に脅威だと認識されていなければその必要も無いんだろうけど。まぁ良いか」
秀馬の目が鋭いものになっている事に気付いた聖騎は言葉を止める。場にピリピリとした空気が蔓延する。その時、空から一人の女が落ちてきた。
「何だ?」
善が呟く。その女は紺色の髪に紫がかった肌の上にメイド服を着ていた。聖騎達が上を見ると空には穴が空いておりそこから翼を広げる純白の天使が現れた。眩い光を放ちながら舞い降りるその光景は、まさしく降臨と呼ぶに相応しかった。その天使の正体を聖騎は知っている。
「アジュニン、どうしたの?」
「カミシロ。棒輪の間を監視していた所、その個体を発見。本ユニットの姿を見るなり攻撃行動を見せたため反撃した所、撃破に成功」
「お疲れ様。それで、後どれくらい動けるの?」
「カミシロの基準ですと、残り五分程度だと推測」
「そうなんだ。それじゃあとりあえず休憩してよ」
「了解」
会話の末に機械天使アジュニンは光を放ち、立方体に変形する。その出来事に善が表情を輝かせる。
「おい神代! なんだよそれ! なんかスゲー!」
「彼女はアジュニンという……ロボットかな。僕達とは別の異世界からこの世界に来たみたい」
「マジかよ! オレも欲しい!」
「僕は東のシュヌティア大陸で見付けたから、もしかしたらそこにあるかもね。……まぁ、それは良いとして、そこの女の人を倒した訳だけど、彼女が何をしていたのか分かる? 僕の予想では、君を監視していたんじゃないかなと思ったんだけれど」
興奮する善に投げやり気味に答えてからの聖騎の言葉を最後まで聞く前に、真弥は声を震わせる。
「この人は……こことは違う別の空間から私達を監視してた。よく分からないけど、この人が見たものは随時魔王様の所に報告される」
「なるほどね。では、監視役がやられた以上君が何をやらかしても向こうには伝わらない。彼女は君にはどうしようも出来ない所にいたから君に落ち度はないと判断され、それによるペナルティを君が被る事はない……という事で良いのかな?」
聖騎の確認に、真弥は少し考え込んだ後に答える。
「そう……かもしれない。でも魔王様の所にはみんながいるから、私は魔王様を裏切れないよ。それに、マスターウォート様だってここにいるんだから」
「問題ないよ」
真弥の懸念を一蹴する聖騎。真弥は怪訝に思う。
「どういう事?」
「ノアが彼と戦っているからね」
その一言から、真弥を含めた一同は聖騎のノアへの信頼が伺えた。だが秀馬達は一度ノアを撃破直前まで追い詰めた。確かに強かったが、マスターウォートの恐ろしさを知っている彼らとしてはノアが勝つビジョンが思い浮かべられない。彼らを代表するように善が聞いた。
「大丈夫なのかよ……アイツに任せて」
「大丈夫なんじゃないかな。ノアだし」
「何だよその謎の信頼感は」
ケロリと答える聖騎に善は呆れる。するとその時、遠くの方で何かが地面から次々と浮いていくのが見えた。
「何……?」
その異様な光景に美奈が戸惑いの声を漏らす。そして、彼女の近くで立っていた、シウルと真弥を乗せてここに来た死体の馬も空中へと浮いていく。他に浮いている物も全て、マスターウォートの支配下にある死体だった。膨大な量のそれらは一点を目指して集まっていく。それはこの国だけではなく、魔王軍の支配するヘカティア大陸をはじめとした様々な所から集められている。マスターウォートは世界中の至る所に戦力を備えていた。それが集まり、やがて一体の未知の生物を造り出した。遠くからでも姿を拝ませる巨大なそれは、体中に何本もの腕や脚を生やし、幾つもの目や口や鼻が付いていて、この世のものとは思えない様な異臭を放っていた。
(クトゥルー神話にあんな邪神がいそうだな)
聖騎はそんな感想を持った。