荒れ狂う獣
ヴェルダリオン格納庫にて、巨人への恐怖で震えていた高橋梗。友人の翔が自分に与えてくれたヴェルダオンを見て、乗ろうか乗るまいかの葛藤をしていた。
「戦いたくねぇ……でも……」
ブツブツと呟く梗。そんな彼の背後から声が掛けられる。
「あなたは何をそこまで恐れているのですか?」
その無機質な声に梗は振り向く。藍色のボブショートが似合うメイド服に身を包んでいたその美女の肌は紫がかっている。魔王軍の近衛騎士であるメイド・サンパギータだ。この場にいるのは自分一人だけだと思っていた梗はビクリとする。
「い、いつからここに……」
「質問にお答えください。あなたは何をそこまで恐れているのですか?」
サンパギータはあくまで淡々と話す。梗は明らかに人間ではない女に震えつつ、ボソボソと答える。
「きょ、巨人と、戦うことです」
「そうですか」
無表情に頷くサンパギータはゆっくりと歩き、梗の背後に迫る。梗は心臓が高鳴るのを感じる。サンパギータは梗の体に腕を回し、耳元でささやく。
「巨人と戦うのが怖いですか」
「はっ……はっ、はい」
背中に柔らかい物が触れるのを感じた梗は、どもりながら何とか頷く。彼の耳には甘い息がかかり、極限状態にあった彼は得体の知れない興奮状態に陥る。
「それならば、あなたの不安を私が取り除いてあげましょう」
「えっ……」
「簡単な事です」
妖艶な雰囲気の美女の言葉を、梗はただ聞いていた。サンパギータはねっとりと彼の服に手を掛け、そして自分もゆっくりと服を脱ぐ。ほぼ理性を失っていた梗は獣となった。
◇
帝都での戦いは熾烈を極めていた。孤児院前で不良娘三人組と合流したメルンは、孤児院を物理的に潰した空撃巨人への報復を果たした。可愛がっていた子供達の変わり果てた姿に怒りの感情が沸いている所に、「どうしてもっと早く来なかった!」と激昂した優奈達と一悶着ありつつも、今は激戦が繰り広げられる大宮殿前に向かっている。
そんな大宮殿前の大通りでは、四乱狂華パッシフローラ率いる巨人軍団と、皇帝シュレイナー率いる親衛隊や鈴、翔、亮が操る魔動兵器の戦い。強敵であるパッシフローラを無視して巨人を優先して倒そうとすれば、パッシフローラの能力により回復される。 しかしパッシフローラを攻撃しようとすれば、巨人達がそれを阻む。
「チィッ、アンタは一人でも強いんでしょ? なのに何でわざわざ巨人なんて」
「わたくしは用意周到なのよぉ。あなた達勇者の戦闘力は甘く見ていいものではないからねぇ。どこかのギリギリの戦いが大好きな同僚とは違ってねぇ」
「そんなに余裕なんだったら、少しくらい油断しろっての……」
鈴とパッシフローラがそんな言い合いをする。その最中に鈴は氷属性魔術で巨人を攻め、凍り付いたそれをパッシフローラが戻す。いたちごっこが延々と続いているこの状況を打破する為に、鈴は耐える。
(物の時を戻す、なんていう凄い能力。あれだけ常識離れした能力を使うのにはかなりの魔力を使うはず。エネルギー切れしたタイミングを狙って全力の攻撃を叩き込む)
鈴は翔と亮にはこっそりと巨人を優先して攻撃するように伝えてある。だが、こちらの考えを読まれて対策をされても困るので、兵士達には何も伝えていない。
(最初の方に比べて、回復させるスパンが長くなってきてる。でも、あせったら負け。まだまだ耐える)
鈴はそう考え、集中する。が、翔と亮が焦れたのかそろそろ仕掛けようと提案してくる。それを突っぱねて、鈴は巨人への攻撃を続ける。
一方で、兵士の方の被害は甚大である。回復されて疲れ知らずの巨人達は、絶望により士気を失っていく兵士達を加速度的に殺していく。途中で他の都市からの援軍が何度も来たのだが、巨人の前には雀の涙である。
「なぁ姉御、そろそろ!」
「まだ待てっての。ここでミスったら今までのが全部水の泡よ」
「だからって、ずっと待ってたら全滅しちまうよ! ビビってるうちにみんな死んじまったじゃ本末転倒だろ!」
「ビビってるとかじゃないわよ。強敵相手に慎重になるのは基本よ」
「だから慎重すぎなんじゃねぇかって言ってんだよ!」
亮は集中力が切れたのか、声を荒げる。だがあくまで鈴は冷静だ。ちなみに亮はユニークスキル『増やし』によって自分の体を乗機ごと十個に増やして巨人に対抗している。この戦闘において最も貢献しているのも彼だ。本体を倒されない限りやられる事はなく、その上本体としての機能は好きなタイミングで別の個体に移す事が出来るので、生存率もかなり高い。ただ問題としては、分身する数やそれを続ける時間に比例した魔力を消費し続けなければならない。よって、本来ならば彼の能力は短期決戦に向いているが、逆に今回のような長期戦には向いていない。それが彼を焦らせる。すると、そこで翔が言う。
「それじゃ亮、分身の数を減らせ」
「何言ってんだよ。そんなことしたら余計にアイツを倒せねぇだろ!」
「大丈夫だ、その分俺達がフォローする。だよな、姉御」
「ああ」
亮は苛立ちをぶつけるが、翔は冷静に提案し、鈴も頷く。提案を了承した亮は、自分の数を半分の五人にした。すると、そこでパッシフローラが笑う。
「あらぁ、もう疲れちゃったのぉ?」
「うるさい!」
「すぐに果てちゃう男は歓迎されないわよぉ? わたくしはまだまだ元気なんだから、もうちょっと張り合いが欲しいわねぇ」
パッシフローラは、自身は決して戦わずに巨人のフォローだけに回っている。それは、少しでも自分の魔力を長持ちさせる為だろうと鈴は考えている。
「ずいぶん下品な物言いね。魔族っていうのはみんなそうなのかしら?」
「そんな安い挑発になんて乗らないわよぉ。あなたのような下等生物の言葉なんてわたくしには何一つ響かないものぉ。それにしても人族とは愚かな種族ねぇ。わたくしの言動だけで魔族全体にレッテルを貼るなんて。あぁ、本当に愚かねぇ」
「急に口数が増えた上に特大ブーメラン投げてるわよ?」
「うるさいわぁ。本当にあなた程度の言葉なんて何とも思ってないわよぉ。本当に」
にこやかな表情とゆったりとした話し方だが、パッシフローラが苛ついているのは鈴にとって一目瞭然だった。それにより攻撃魔法を使われるかもしれないとは思ったが、パッシフローラは戦闘スタンスを崩さない。すると、彼女は口を開く。
「あらぁ、いつの間にか半分になっちゃってる?」
まるで、たった今亮の数が半分になったことに気付いたかのような言葉を、パッシフローラは吐いた。それに鈴のみならず、辛うじて生き残っていた兵士達も意味がわからないような表情になる。だが鈴は瞬時に気付く。
(そうか、自分の時を戻して……)
パッシフローラは兵士達の表情と、彼女自身の経験から状況を察する。
「ねぇ、知ってるかしらぁ? わたくしは何百年も前から魔王様の下で戦い続けているの」
「それが、何だって言うの?」
「そんな戦士の中の戦士であるわたくしが、自分の弱点を把握していないと思う?」
戸惑っていた鈴だが、パッシフローラの言葉の意味を理解し、そして絶望する。
「……まさか!」
「これまでもそこそこ頭の切れる人族とは何回か戦ってきたわぁ。わたくしと戦ううちに能力を把握し、その弱点を見抜いた人族達。彼らはこぞって、わたくしに長期戦を挑んできたわぁ。それこそが、わたくしの本領であるのにも気付かずに」
その時、空撃巨人達は一斉に飛び上がった。鈴がその理由を考える間もなく、大地が震え始めた。日本にいた頃はそれなりに経験し、異世界に来てからは一度も経験していなかったそれは、地震であった。
「あ、姉御!」
「どういうこと……って言っても仕方ないか! コイツらの屋根になるわよ」
「了解!」
大地の揺れは周辺の建物を破壊する。その瓦礫が残った兵士達に降り注ぐのを防ぐべく、鈴達は機体を四つん這いにして彼らを覆う。そんな大地の上を、パッシフローラは顔色一つ変えずに佇んでいた。
「ところで問題なんだけどぉ、私の魔力はいつまでもつと思う? ……答えはぁ、いつまでも!」
自問自答と同時に揺れの大きさが増す。そして、その範囲も。建物は次々と崩れる。この揺れの一番近くにある大宮殿を残して。パッシフローラは興味深そうな顔でそれを一瞥する。
「どうやらあの建物には、何か特別な力が働いているようねぇ。というか、この都市の建物全体自体が、かしらぁ? 普通なら、この程度の規模の魔法なら都市をまるごと壊滅出来るんだけどねぇ」
「特別な……力?」
揺れになんとか耐えながらシュレイナーはその言葉が気になった。
「あなたは何も知らないのかしらぁ? 恐らく、力の原因はあの無駄に大きい銅像だと思うんだけどぉ。エメリアちゃんなら何か分かりそうなんだけどねぇ」
彼女が指差すのは、大宮殿の向こうに見える英雄ヴェルダルテの銅像。そこにはほとんどの国民の敬意が込められている。ヴェルダルテは彼らにとって、神に等しい存在である。
「アレを壊したらどうなるのかしらぁ?」
「やめ……」
「るわけ無いじゃなぁい。あんな大きな銅像を壊せば、影響もすごそうだしぃ。物理的にも精神的にも」
よろけながら睨んでくるシュレイナーをパッシフローラは煽る。
「やめろぉぉぉぉ!」
「そうして欲しかったら、その愉快なリアクションをやめたらぁ? 楽しくなっちゃうじゃなぁい……と、言いたいところだけど」
悲痛な叫びを気にも留めないパッシフローラは、自分の状態を戻す。これにより体力や魔力が回復するが、記憶も戻る。
「あらぁ? どうしたのそんな顔して」
周囲の状況から、自分が地震を起こしたことをパッシフローラは察する。
「随分暴れたようねぇ、そろそろ帰り時かしらぁ?」
「何で……?」
「うん?」
独り言を言うパッシフローラに、ヴェルダリオンの中の鈴が声を掛ける。
「何でアンタ達はここに来たの?」
「簡単、魔王様の命令だからよぉ。詳しい事はあなたには言えないけどねぇ」
その問にパッシフローラは、余裕の笑みで答える。だが、次の鈴の言葉でそれは崩れる。
「その魔王様とやらは、どうして人間を襲わせるの?」
「黙ったらぁ? 下等生物の分際で魔王様を語らないでくれる?」
「キレるポイントが分かりやすすぎてウケるんだけど。とにかく欲深い俗物である魔王様は、人を屈服させて、ちっぽけな欲望を満たしたいのかしら」
「ふざ……ッ!」
鈴の挑発に激昂しかけたパッシフローラは、自分を挑発を受ける前の状態まで戻す。
「あらぁ? どうしたのボーっとして」
「本当に面倒な女ねぇ。でも、アンタが怒りっぽくて助かったわぁ。ちょっと冗談言ったら『あたちの大好きな魔王ちゃまの悪口を言うなー!』なんて言っちゃって、本当に可愛い」
「あなた…………!」
奥歯が砕けるほどに噛みしめ、ギリギリと鳴らすパッシフローラは地面から大きな岩を生やして鈴の機体を狙う。鈴はそれをかわそうとするが、機体の右部分を損傷する。機体が受けたダメージは、搭乗者に痛みとしてフィードバックされる。だが、鈴は怯まない。
「わたくしを愚弄するなど、万死に値する!」
「うっ……、アンタのしゃべり方がそうなったのは、今回で二回目よ。アンタは覚えてないでしょうけどね」
「そんなことどうだっていい! あなたは絶対に――」
「一回目は、感情が高ぶり過ぎたのかなんだか知らないけど言っちゃってたわよ? あなたの魔王様への想い」
その言葉に、パッシフローラは固まって、魔法攻撃も止まる。
「な、何ですって!?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔で驚くパッシフローラ。鈴にとってそのような反応が出るかどうかは一か八かだった。時間遡行魔法を使えば記憶も元に戻るパッシフローラの欠点として、ダメージを受けている間等の会話を覚えていない、という事に気付いた鈴は揺さぶりをかける。
「いやぁ、凄かったわよ? 欲望にまみれてドロドロした感じがね」
「わたくしの言葉を聞いたであろうあなた達、全員生かしては帰さない……。空撃巨人、何をしてるの? やってしまって良いわ!」
鈴の煽りにパッシフローラは怒りを爆発させる。空中に退避していた巨人達はその怒気に慌てた様に降下する。
「あぁー! 姉御のせいでオレ達全員ターゲットになっちゃったじゃねーか!」
「女の戦いってホント嫌だな」
「ええい、黙れ。気を引き締めな」
亮と翔がげっそりとしたように言うが、鈴は開き直る。だが亮は言葉を返す。
「気を引き締めなって言っても、魔力切れを待つ作戦は、アイツ自身がチマチマ回復してたって事で失敗したんだろ? これからどうすりゃ良いんだよ!」
「さぁね、でも結局いつかはやらなくちゃいけない相手なのよ。それに、あの巨人共だって」
鈴達は空中の巨人を見る。それには首から上が無かった。
「えっ……?」
その声は誰の口から洩れたものか。そうしている間にボトリ、ボトリと何かが落ちる音がする。鈴、シュレイナー、パッシフローラ……この場の全員が空を見上げる。そこには破壊の化身とでも言うべき獣の姿が有った。
「あなた……こんなところでまた会うとは思わなかったわぁ」
パッシフローラはそう言うが、獣――ノアはそれには答えない。彼は無言のままパッシフローラへと降下して、その首にかぶりついた。