普通ごっこ
一部内容を改編しました。
ローリュートはパラソル型神御使杖・オーブリューを用いて空撃巨人と戦闘していた。オーブリューは空気中に浮遊する魔粒子を強引に集め、魔力に変換する機能を持っている。これで戦闘の才能がない自分でも戦える……そう思ったローリュートだが、どんなに魔力が多かろうと、ステータス上で魔法攻撃力が圧倒的に低い彼には猫に小判だった。とは言え、標準の巨人相手となら問題なく戦えた。相手が桁違いの能力値を持つ空撃巨人だったのが、彼にとっての不幸だ。遠くから狙撃して戦っていた彼は、気付かれないようにこっそりと退却する。
「もー、まさかあそこまで役に立たないなんて想定外よー! ……ん?」
彼が間抜けな声を出したのは、ふと見上げた空に何か未知の物体が有ったからだ。全体が緑色のそれは北から南に向かって、かなりの速度で飛んでいる。
「何かしら……? ええい、何でもいい! とりあえずアタシは逃げるのよ!」
ものすごい剣幕で、ローリュートは走り去った。
◇
一方、絶体絶命の聖騎。彼と協力しようとしていると空撃巨人に判断されたミーミルも苦戦中である。もう終わりだと判断した聖騎は、巨人の拳によって自分が飛ばされると確信した。
(まったく、名残惜しいよ。たとえ偶然に偶然が重なって、運良く次の攻撃をかわせたとしても、敵の攻撃がそれで終わるわけじゃない。だとしたら、足掻くのは無駄だ。意味が無い)
そこまで考えたところで、新たな気配を感じ取る。その小さな気配は明らかに巨人のものではない。人間、あるいは人間サイズの生物。それが単独だ。
(やれやれ、隊からはぐれた兵士といったところかな。何やら急いでいるようだけれど……って!)
「ぐぅぅっ!」
聖騎の考えは、突然の衝撃によって遮られた。それは巨人による上からの攻撃ではなく、横からの衝撃だ。
「何……誰?」
「パラディンさん!」
聖騎が思わずつぶやくと、彼の体を吹き飛ばした正体である少女――ミオンが声を上げる。聖騎は仮面を被ろうとして、それがその場に無い事に気付く。
「大丈夫ですか!? パラディンさん!」
「どうして……?」
「私の隊が壊滅状態になって、それで当てもなく走っていたらミーミルさんを見つけたので、急いで走ってみたらパラディンさんが危なかったので……」
疲弊した様子のミオンは激しい呼吸をしながら口早に答える。その顔には血が滴り、服もところどころ破けている。
「そういう意味ではなく、どうして私を?」
「その話は後でです! 逃げましょう!」
戸惑う聖騎の手を引いて、ミオンは走る。しかし空撃巨人も呆けてはいない。逃げようとしている獲物を追う。
「逃げても無駄ですよ、僕達と巨人とじゃ移動速度が桁違いです」
「そうかもしれません! でも、やれる事はやらないと……!」
「そんなことをしたって無駄です。一度彼らの間合いに入った時点で、私の死は確定しているのですから」
何とか林の中へと逃げ込めた聖騎は諦めの言葉を口にする。巨人は木々をバキバキと折りながら進む。だが、その勢いは抑えられた。抑えられたが、一定の速度で聖騎達を追ってくるのには変わらない。もしも林を出てしまえば、その時が一巻の終わりである。どうせ終わるのならば早い方が良い。聖騎はそう考える。だが、ミオンは違う。
「そんな事言わないでください。このまま進んで距離さえ取れれば、呪文を詠唱する時間だって取れるでしょう?」
「イマギニスはどこかに落としました。今の僕にあるのは安物の第八階級の神御使杖だけです」
「つまり、何も無い訳じゃないんですね」
そう言うミオンの様子を見る聖騎は違和感を覚える。多肢族であるミオンは四本の腕が通せる、特別な服を着ている。だが、そのうち二本の袖の部分は中に何も無いかのようにブラブラと揺れている。
「その腕……」
「ああ、これですか。実は多肢族には奥の手のスキルが有りましてね、腕や足を一本犠牲にすることで、致死攻撃を無効化出来るんですよ」
それはつまり、二本の腕を失ったミオンは、そのスキルが無ければ二回死んでいた、という事を意味している。そして、腕を失うということは体のバランスが崩れやすくなるし、何よりかなりの激痛を伴うはずである。よく見ると、ミオンの体はフラフラと横に揺れていた。何でそこまで必死になれるのか、聖騎には不思議だった。
(後方から追ってくるのは三体。また、二体の巨人それぞれ右と左に散開した。つまり、左右に逃げようものなら彼らに捕まる。前へと進み続けていれば、いずれ林も終わり、すぐに捕まる。後ろに行けばすぐに終われる。だが、ミオンがそれを許さない)
「行かせませんよ……!」
足を止めようとする聖騎をミオンは力の限り引っ張る。この短い逃走劇の間で何回も行われたやり取りだ。
(疲れ……た)
聖騎の体力も限界に近かった。彼の体は大きく前に揺れる。
「うっ……あっ……!」
「きゃあ!」
聖騎の体は派手に倒れ、その腕を引いていたミオンも同時に転ぶ。その隙に、巨人は一気に距離を詰めた。
「っ……!」
巨人の拳が聖騎を襲う。聖騎が死を覚悟したその時、ミオンは彼の体に覆い被さる。
「なっ……!」
「あぁっ……!」
息を呑む聖騎。その間に巨拳はミオンの背中に直撃する。その瞬間、彼女の二本目の右腕が失われた。しかし、そこ以外に新たに傷を負った個所は無い。
「何で、そこまで……!」
「まだまだぁっ!」
「何でだって聞いている! 僕は君の助けなんて求めていない!」
聖騎は声を荒げる。異世界に来てからのみならず、彼の人生でもほとんどない激昂。それにミオンはニコリと笑って答えた。
「それはウソですよ」
「何を言って――」
「だって、パラディンさんの表情は死にたくないって言ってますから」
ハッとして、聖騎は自分の顔に触れる。今、自分がどんな表情をしているのか分からなかった。そんな会話の最中にも、巨人は容赦なく拳を振り落とす。ミオンの最後の腕が失われた。
「僕がそんな顔を……? そんな事はどうでも良い! 今、どういう状況なのか分かっているのか? 君は僕の事なんて助けなければ無事でいられた! 現に今だって、僕が転んだから……! 何で……どうして…………!」
表情を歪めながらのその言葉に、ミオンは穏やかな笑みを作る。
「決まっているじゃないですか。……パラディンさんの事が好きだからですよ」
その言葉に、聖騎は時が止まったような錯覚を覚える。
「何を言って……ありえない。馬鹿げている! 僕のような生物を好きだって……? 何を企んでいる!? 君のそれが人間としてのものか異性としてのものかは知らないけれど、そんなことがあるはずがない! 僕は異端! 誰とも価値観を共有できない異端者だ!」
「ふふっ……随分と自己評価が低いんですね」
「違う、事実だ! 君は僕のことを何も知らないから、そういう事が言える!」
「そうかもしれませんね……。でも、私の知る限りのパラディンさんは、とっても魅力的な男性なんです。マニーラさんからはよく、男を見る目が無いって言われていたんですけどね」
苦笑するミオンの右脚が今、無くなった。だが、それでもミオンは笑っている。
「……」
「だから、パラディンさんは生きて下さい。生きるのを、諦めないで下さい!」
「……!」
ミオンは必死に想いを伝える。それは聖騎の感情を強く揺さぶった。絶望的な状況の中、決してくじける事なく戦い続けているミオン。それを眼にした聖騎の右手はいつの間にか、懐の神御使杖に伸びていた。ローブが破けるのも構わず強引にそれを抜き取り、仰向けのまま、高く掲げる。
「リート・ゴド・レシー・ファイテーヌサザン・ト・ワヌ・ポーリア・ハイアー!」
微塵の加減も無い、全力を込めた魔術を発動する。神御使杖の先からは膨大な光線が撃ち出された。光線は徐々に断面積が肥大化し、やがて巨大な柱となった。光の柱は今まさに彼に攻撃を加えようとしていた巨人達、そして木々を呑み込んでいく。
「くっ……」
暴力的なまでの光量は聖騎、そしてミオンの視力を奪う。そんな中で聖騎は、一度に無茶苦茶な量の魔力を注ぎ込まれた神御使杖が形を失っていくのを感じた。
(ああ、これ以上戦う事になればもう終わりだね)
そうは思いつつも、聖騎は周囲の巨人は全て一掃出来た事を感じ取っていた。妖精族の魂を呼び出そうにも、魔力を使いきり残量がゼロになったときは、回復するのに時間がかかる為すぐには使えない。そんな彼は未だ視力も戻らない。
「パラディンさん……すごいです……ね」
聖騎の上から、ミオンのか細い声が出る。聖騎の魔術に巻き込まれた彼女は、ダメージこそ受けていないものの、視力は奪われた。聖騎はそのミオンの気配がかなり薄くなっている事に気付く。
「ミオン……?」
「あっ……初めて呼び捨てで……呼んで……くれ……ましたね……」
「そんなことはどうでも良い……」
聖騎はミオンの体に触れる。彼女は腕に加えて、脚も二本とも見付からなかった。
「やめて……ください……。くすぐった……いです……。ふふっ、いつの間にか全部無くなっちゃってました」
強がるように笑うミオン。至るところから血を流す彼女の命がもう長くない事は簡単に察せられた。魔術による治癒を行おうと思った聖騎だが、神御使杖が無い今の彼には不可能だ。
「ミオン、神御使杖は!?」
「あはは……私は……魔術師じゃありませんので……持ってませんよ……。私はもう……終わりですね…………」
ミオンの言葉から力が段々抜けていく。
「僕に生きろなんて言っておいて、今度はそんなことを言うのか……」
「私は本当は……ワガママな女なんですよ……。そんなワガママな私からの……最後のお願いなんですが……パラディンさん、あなたの本当の名前を……おしえ……」
ミオンの声は、ほとんどかすれている。最後の力を振り絞って、なんとか声を出している状況だ。聖騎は、ミオンに見えないと分かりながらも笑顔を作る。
「神代聖騎」
「マサキさん……ですか…………ふしぎな……なまえ……で………………」
ミオンの声はそこで途切れた。そして、聖騎の第六感も彼女を感じ取れなくなっていた。この時、わずかだが彼の視力が戻る。そこには四肢……否、六肢を失い、ダルマのような無惨な状態で、しかし穏やかな表情で眠る彼女の姿がうっすらと見えた。ここに生えていたはずの木々は根本から上をごっそりと失っていて、空から見れば、林の中にぽっかりと円形の穴が空いているように見える。
(……いやぁ、本当に?)
聖騎が戸惑ったのは、第六感で新たな強敵が数体、空から飛んでくるのを感じ取ったからだ。恐らくは光の柱が目立ってしまった為に、彼らを集めてしまったのだろうと考える。
(生きるのを諦めないで……とは言われたものの)
ようやく視界がクリアになった彼が空に見たのは、十体の空撃巨人だった。聖騎はシニカルに笑う。
(あれ、おかしいな……)
聖騎は天空を見つめる。その眼には一筋の涙があった。
(僕は人の不幸が、絶望が大好きな人格破綻者。いつもの僕なら目の前で人が死んだら嬉しくてたまらない。そのはずなのに……)
彼が考えているのは、たった今のミオンとのやり取りについてである。彼女が指摘していた通り、確かに彼は死の恐怖に顔を歪めていた。そして命を救われた。本来自分を助けに来なければ逃げ続けられたかもしれない少女によって。
(ありえない……。これじゃまるで僕が、普通の人間みたいじゃないか)
その時、聖騎の口が大きく開く。
「あははははははははは! あはははははははははははははは!」
喉が張り裂けそうな程に聖騎は笑い声を上げる。双眸から涙を溢れさせながら。
(ああそうか。僕が好きなのは理不尽な眼にあって絶望した人を見ること。逆に言えば自分のやりたい事をやり遂げて、満足そうに笑ってる人を見るのは違うんだ)
聖騎は横たわるミオンの頭をそっと撫でる。
「ごめんね」
自分でも不思議なくらい穏やかな口調での呟きに、聖騎は驚く。そして空に眼を向ける。迫り来る巨人達の姿に、哀しげに言葉を溢す。
「生きるのを諦めないでっていう約束、守れそうにないよ」
もしかしたら人を心から好きになれたかもしれない。そんな想いを抱きながら聖騎は死を覚悟する。