親近感
「ひぃっ、だ、誰か! 私を守れぇ!」
ところ変わって南部では、突然現れた空撃巨人にキリルが腰を抜かしていた。だがこの場に他者を気にかけられる余裕がある者は存在しない。そんなことなど構わず彼はただ、走り続ける。
「な、なぜ私がこんな目に……!」
彼の計画では、自分が率いた(実際には部下のフレインが率いるのだが)部隊が巨人を殲滅し、帝都に戻ればその様子を報告し、国内での自分の地位を高めるという算段であった。だが、予想外に現れた空撃巨人の強さにより部隊は大損害を被った。
「ひっ、ひいいいいい!」
彼の前には、彼を何倍も身体能力が上回る兵士達が脇目も振らずに逃げている。これ以上の損害を被るのは得策ではないと判断したフレインの命令によるものだ。まだ南で巨人と戦っている部下達がいて、彼らを見捨てる事は心苦しいが、残った部下達を一人でも多く救う為の苦渋の決断である。だが彼女には心残りがある。
(パラディン様……)
自分の上司的な存在であるローリュートが気にかけている人物である聖騎も南に取り残されている。彼が桁外れの強さを持っている事は知っているが、あれだけの数の空撃巨人を倒せるとは到底思えない。
(大勢の兵士も残してしまっています。ここで彼らを見捨てるのは本当に正しいのでしょうか)
命令を出しながらも、フレインの中には迷いがあった。使える戦力を全て注ぎ込めば残りの兵士も救えるのではないか。そもそもこのまま逃げ続けたとして、逃げ切れずに結局やられるのではないか。だとすれば立ち向かった方が良いのではないか。いや、それは結局犬死にするだけだろう。そんな葛藤が彼女の頭を駆け巡る。
「ま、待て! 私を見捨てるなぁ!」
だらしなく涙や鼻水を滴らせるキリルの声になどフレインは耳も貸さない。腐っても皇族である彼に取り入ろうとしているやかましい貴族もここにはいない以上、自分の命すら危うい状況で、無能を救うなど馬鹿げていると思う。
(心優しい皇妹殿下は悲しむでしょうが、危険を犯して皇弟殿下を救うメリットは少ないですし……まぁ、救えれば救いますが)
フレインはその様に判断した。だが兵士達の中にはキリルを救っておいた方が後々得をすると考え、後退する者も出てきた。別にフレインはキリルを助けるなという命令は出していない。だから彼らをとがめるつもりもない。
「殿下!」
「ええい、なぜ私を見捨てようとした!」
「そ、それは……」
自分を助けに戻った兵士たちに、あろうことか罵声を浴びせるキリル。自分は助けられて当然という考えが、彼の中には根付いている。フレインはそれに何を言うこともなく、後方を気にしながら走る。未だ葛藤に苦しむ彼女に、一人の兵士がおずおずと尋ねる。
「あの、隊長」
「何でしょうか」
「その……私の友人が今も羽付き巨人と交戦中です。ですので……彼らを助けに行く許可を頂けますか?」
その願い出に続き、他の兵士達も仲間達を助けたいと申し出た。それにフレインの意思は揺らぐ。だが……。
「それは許可できません。あなた達が戻ろうとも、あの巨人は倒せません。私は、せめてあなた達だけでも無事に帝都まで送ります」
「騎士団に入った以上、自分の命が無くなることくらい覚悟しています!」
「それは仲間についても同じことでしょう。戦場で仲間の死が出るのは当然の事です。それが、今回はたまたまいつもより多いというだけです。受け入れてください」
フレインは、自分に言い聞かせるかのように言う。だが兵士は食い下がる。
「分かりました、隊長がその気なら俺達は勝手に行きますよ!」
フレインとの会話を断ち切り、兵士達は続々と南に戻る。すると、その様子が目に入った、キリルを援護していた者達もそれに続く。
「貴様ら、何のつもりだ!?」
「すみません! 私達にも助けたい仲間がいるので!」
「そんなものはどうでもいい! それよりも私を……!」
慌てふためくキリルを無視して兵士は走る。そんな彼の側にはフレインがいた。
「おお、お前か! 何でもいい。私を守れ!」
命令するキリル。しかしフレインはそれを無視する。
「命令違反には懲罰を与えるのは当然……ならば私も彼らに付き合うことにしましょう」
キリルの命令を無視したフレインは安堵しながら、部下達の背中を追いかけた。
◇
南では聖騎や兵士達が大量の空撃巨人と戦闘していた。とはいえ聖騎は現在逃走を試みている。その援護として妖精族の他に、以前洞窟で倒したネズミやコウモリ、トカゲなどの魔物の魂を盾として身を守っている。そのついでとして、周囲にいた兵士達も守っている。これからの事を考えれば自分に対する悪印象を持たれることはできるだけ避けたい。戦闘は主に咲哉達が操るヴェルダリオンと、巨人兵である。
(ミーミル……)
聖騎は自分の所有する巨人奴隷の名を心中で呟く。今もこの戦場にいることは分かっているが、その姿を認めることができない。大抵の巨人に比べて知能が高い彼を聖騎は気に入っている。だから、その生死も気になる。
「しかしどうするんですか、パラディン卿。このまま逃げ切れますかね」
「それは困難でしょう。だからこそ少しでも味方同士で集まる事で生存率を高めるのです」
「そうですね! みんなでいれば助かれますよね」
適当に答える聖騎の言葉に兵士は頷く。そんな彼らの目の前には、自軍の巨人達の姿が目に入る。
「おっしゃあ! アイツらがいれば百人力だぜ!」
兵士達は続々と歓喜の声を上げる。戦力として頼りになる上に、巨大故に目立つその体は囮としても有用なので、この場においては最も求められていた存在である。「おーい」などと声をかけて手を振る兵士達。その中にはミーミルの姿もあった。だが聖騎は違和感を覚える。何故ならミーミル達の近くには空撃巨人がいて、しかし彼らと戦っている様子が無いからだ。
「皆様、待って――」
聖騎が制止しようとしたがもう遅い。巨人達にフレンドリーに近付こうとした兵士達を、巨大な拳が襲う。彼らはまとめて吹き飛ぶ。聖騎の近くにいた兵士は驚く。
「どういうつもりだ! なんで巨人が俺達を? アイツらはちゃんと調教されてて、人間には危害を加えられないようになってたんじゃないのか?」
その問を聖騎は無視して、大鎌イマギニスを構える。そして光幻術を発動。空撃巨人に使用して、他の巨人と戦うように仕向ける。彼らに同士討ちをさせたところで聖騎は声を上げる。
「これはあなたの仕業ですか、ミーミル」
その問にミーミルは答えない。代わりに仲間に向けて叫ぶ。
「みんな、ダメ! 敵は違う! アレ!」
巨人族特有の一文一文が短い話し方で、同士討ちを止めようとするミーミル。だが、巨人はそれに耳を貸さない。
「ミーミル、話を聞きなさい」
「……」
「ミーミル、あなたは同族である巨人族とは戦いたくない。だから彼らと手を組んで、私達人族を倒そうとしている。違いますか?」
その言葉にミーミルは反応を示す。
「そうだ、パラディン。俺は俺達が小人共の言いなりになるのが当然となっている事が気に食わない。これは反逆だ」
「随分と流暢に話すのですね。驚きました。あなたが馬鹿のふりをしている事は察していましたが、まさかこれほどまでとは」
「腹立たしいんだよ。矮小な存在であるお前にあからさまに見下された態度をとられて、オレがどれだけ屈辱的だったか分かんねえだろうよ!」
巨人に対しての話し方とはまったく違うミーミルは、聖騎を思い切り睨む。
「話す相手によって態度を変えるのは当然の事でしょう。それこそ、あなたが彼らと私とで話し方を変えているように。あなたは、自分の同族を見下しているのですか?」
その聖騎の指摘に、ミーミルは反発しようとして、やめた。なお、吹き飛ばされなかった兵士達は大慌てで逃げ出したので、ここに人族は聖騎一人しかいない。
「そうかも知れねぇな。オレは自分が仲間達に比べて頭が良い事くらい自覚してる。見下してるつもりは無かったがな」
なお、基本的に巨人族は自分達の事を巨人とは言わない。あくまで自分達の大きさが標準であり、それ以外は小人という考え方である。
「そうですか……ところでミーミル、実のところ私は、出来ることなら巨人族の皆様とも仲良くしたいと考えているのですよ」
「信用できねぇな。お前みてぇな胡散臭い奴の言うことなんて誰が信じるか!」
「そうですか……信用できませんか」
聖騎はなるほどと頷く。そして、右手を仮面に掛ける。
「ならば、これで信用してもらいましょう……いや、信用してもらおうかな」
仮面を外し、少女のような美貌を晒した聖騎は、素の話し方で言い直す。するとミーミルの目が驚愕に見開かれる。
「お前……それは……」
「これは僕なりの誠意の示し方だよ。あまり見せたいものではないけれど君は特別さ」
「そんなもので信用なんて……」
聖騎の顔には本当に誠意があるようにミーミルは思えた。だが彼らは出会ってからまだ一日も経っていない。そんな仲である人間をミーミルは信じることは難しい。
「やっぱり難しかったか……おっと、ちょうどいいのが来たね」
第六感で新たな気配を感じ取った聖騎は仮面を被り直す。すると背後から二機のヴェルダリオンがドシンドシンと大地を揺らして現れた。黄色の機体の方から声が出る。
「パラディン卿! 助太刀します」
「喰らえぇぇぇっ!」
二機はすばやい判断力で空撃巨人との戦闘を開始する。すると聖騎はイマギニスを構えて、光幻術を発動する。ヴェルダリオンの操縦者に向けて。
「死ねぇぇぇぇ!」
「バカ! なんでこっちに!?」
もう一人にも同じく光幻術を使用して、ヴェルダリオン同士を戦わせる。その行動にミーミルは驚く。
「お前、どういうつもりだ?」
「君と仲良くするつもりだよ。そういえば、さっきの言葉には語弊があったね。僕は巨人族すべてと仲良くなろうなんて思っていない。巨人にだって多種多様の色んな人達がいるんだもんね。僕は君という個人と仲良くなりたいんだよ、ミーミル」
再び仮面を外し、聖騎は笑い掛ける。ミーミルが奪った右目を覆う眼帯が存在感を主張している。
「どうして……」
「さぁね、僕もよく分からない。ただね、何故か僕は君に親近感を抱いているんだよ」
「親近感?」
「うん。何と言うかね、君が巨人の中でも珍しい存在であるように、僕も人とは考え方が違う、異端な存在なんだよ。自分でこういう事言うと痛々しいと思われるだろうけどね」
「小人の感覚はよく分かんねぇな」
「それはお互い様だよ」
二人は打ち解けたように話す。すると、空撃巨人がズカズカと近づく。
「お前、小人と馴れ合う?」
「いや……これは」
「お前、敵」
空撃巨人の拳がミーミルに飛ぶ。通常の巨人を何倍も上回る筋力は、とっさの判断でガードしたミーミルをのけぞらせる。そこに、二体の空撃巨人が襲い掛かる。
「くっ……」
「任せて」
聖騎はすっかり使いこなした光幻術で空撃巨人を操ろうとする。だが、空撃巨人は彼の想像以上のスピードで移動し、聖騎に渾身の一撃を加える。常人より物理耐久が弱い聖騎の体は吹き飛ぶ。
「くぅぅぅっ!」
「パラディン!」
ミーミルは思わず叫ぶ。聖騎の本領は遠距離からの高火力魔術である。ステータス上では物理攻撃力と防御力、そして素早さが貧弱な彼は、近接格闘戦が得意な敵と戦う時、相手の間合いに入った途端に敗北が確定する。フレインお手製の防御力増加効果のあるローブを着ていなければ、一撃で戦闘不能に陥っていたであろう。だが、今が絶体絶命なのには変わらない。イマギニスも手放してしまった。
(さぁて、ここからどうすれば……)
思考しながら立ち上がり、聖騎は予備の神御使杖を構えて呪文を唱える。今度は純粋な攻撃魔術だ。強力なその一撃は、意趣返しと言わんばかりに、殴ってきた巨人の体を倒す事に成功する。だが、敵は一体だけではない。化け物同然の身体能力で、次々と巨人が飛んでくる。
(まずい……かな、これは)
神代聖騎という人間は逆境に弱い。否、逆境を経験したことが無い。学校の勉強は飽きたら全く手を付けなかった。だが、飽きるまでの時間が長いため、苦しまずとも試験では高得点を取っていた。つまり、辛くとも頑張ったという経験が無いのだ。故に、苦しい事に対し、歯を食いしばって立ち向かう事が出来ない。
(これまでか……。随分とあっけないな)
だから、自分の命が終わるかもしれないと知っても、恐怖こそあれ、足掻こうという気にはならなかった。